第6話【赤い雷光】
【2016/10/18】
┗一部修正しました。
【2016/10/29】
┗一部加筆修正しました。
美濃国・稲葉山城。
「なに、明智ミツコが駿河国に反旗を翻した反逆者だと?」
部下からの報告を受けて美濃国当主である『斎藤ザンド』は怠惰に横になっていた状態から起き上がった。
報告に来た部下は「是」と頷き、駿河国が執行しようとした三河国捕虜の処刑を妨害し宣戦布告に近い宣言をした事を伝える。
その際、駿河国当主である今川チカゲは『明智』という苗字から美濃国の明智一族による犯行と予想、美濃国領への侵攻を開始したのだった。
ザンドは「ふーむ」と息を吐いてどうしたものかと思案する。
果たしてあの娘がここまで大胆な行動に出るものだろうか、しかしあの親殺しならば、あるいは。
もしかすると、妹を人質として奪取された事への腹いせか。
「うーん、しかし駿河国からの侵攻を見過ごすわけにもいかんなぁ」
果てさて、突然手元に転がってきた戦争の機会。確かに最近は些か平穏すぎて退屈であった。
駿河国に手を出す気はさらさら無いが、売られた喧嘩は買うのが性分。
良いように利用されている気もするが、それもまた一興。
ついでとばかりに部下に尋ねる。
「そうだ、サンゴの様子はどうだ?」
「サンゴ様ですか? サンゴ様なら、ヤスヒ様の遊び相手をされていますが」
「そう、か……」
「お呼びしますか?」
「……」
ヤスヒという名前を聞いて少しばかり考える。ヤスヒはミツコの妹。
普通に考えれば、こちらに余計な手間を取らせたミツコの代わりに処断する事も可能。
だがしかし、仮にミツコが駿河国に対して本当に反攻し、その結果として駿河国を落としたのなら、その手腕はとても類い稀なるものだ。なんとしても自分の手駒として手元に置いておきたい。
ヤスヒはその時の交渉材料として使えるだろう。
それに、自分の子であるサンゴもミツコの事を気に入っている。
ザンドは小さく笑い、部下に告げる。
「いや、いい。報告ご苦労だった、駿河国の侵攻に対しては自衛用の戦力のみで対処しろ、ワシらが本気でやり合う意味は無い」
「御意に」
部下が立ち去ってからザンドは「うーん」と屈伸してから再び横になる。
さて、これから戦局はどう傾いていくのか。そして、その中でこの美濃国はどのような役割を担う事になるのか。
ザンドは少し年甲斐もなくワクワクしながら、静かに目を閉じた。
古い言葉は古典的だからこそ意味がある。果報は寝て待て。
作戦開始から3時間経過。12時10分。
一方その頃、ミツコは特に出番が無いのでトレーラーに揺られながら少しウトウトしていた。
その様子をトシキは苦笑して毛布を用意する。
「明智さん、まだ目的地まで時間がありますから少し寝ていても大丈夫ですよ」
「……いえ、大丈夫です」
ミツコはトシキからの申し出を首を振って断る。少し気が緩んでいたと反省し、自分の頬を両手で叩いて意識を保つ。
ノブガ達も頑張っているのだ、自分だけが呑気に寝ているわけにはいかない。
眠くなるのを紛らわすために考え事をする事にした。そこでふと気になるのは美濃国の事だ。
自分の名前が意図せずまた不本意な形で向こうに知れ渡った事が気になる。
果たして妹のヤスヒは無事だろうか。ヤスナのように幽閉されてないだろうか。
不安が浮かんでは消えてまた浮かんでくる。
「あの、明智さん?」
すると、トシキが再び話しかけてきた。右手にはコーヒーが淹れられたマグカップが握られている。
ミツコがトシキの方を向くと、マグカップを差し出した。
「これからという時にそんな思い詰めた表情をしないで下さい。ほら、コーヒーを淹れたのでどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「一応、カイからいくつか洋菓子も貰ってきたので、食べたくなったら言って下さい」
「何から何までありがとうございます」
ミツコの事を気にかけてくれるトシキに素直に礼を言った。トシキは「気にしないで下さい」と言ってから手元に持ったチェックシートにシンクのメンテナンス状況を記入していく。
「スペインに遊学しに行った際に向こうの剣闘選手から『ヴェスティードはかなり精神を使う』と伺ったので、出来るだけ心に凝りが無くヴェスティードを操縦できるようにサポートするだけです」
そのままテーブルを挟んでミツコと向かい合うようにソファーに腰かける。
「カウンセラーというわけではありませんが、話ぐらいなら聞きますよ」
「……」
「何か不安に思う事があるのでしょう?」
優しく尋ねてくるトシキの声に安心しつつ、少しだけ不安の種を話す。
美濃国に囚われた妹の話、自分の名前が彼女を苦しめているのではないかという不安、出来る事なら彼女の元に駆けつけたいという願い。
トシキは茶々を入れる事なく真剣に聞き、何度も相槌を打つ。
ひと通りの話をミツコから聞くと、ミツコを安心させるために微笑む。
「明智さんの妹君の事なら心配ありません」
「え?」
トシキの言葉にミツコは首を傾げる。一体何が心配ないというのか。
「もし妹君に何かあった場合はすぐにスマホに連絡が来る筈です。実はノブガ様からの指示で豊臣さんは三河国の偵察だけでなく駿河国の動向を知るために美濃国にも潜入しています。“ミツコの妹に何かあった時はオレとミツコに報告するように”と豊臣さんに仰っているのを聞きました」
「ノブガがそんな事を……」
「ノブガ様は今回の件で自分の行動が予測不能な形で返ってくる事を知りましたからね。念には念を入れてるのでしょう」
ミツコは懐にしまっているスマホを手に取り、思わずギュッと両手で強く握り締める。
どうか、何事も起きませんように。そう願った。
トシキは時計を確認し、妹の無事を願っているミツコの祈りを邪魔しないように静かに席を立つ。
足音も立てず、向かう先はトレーラーに設けられた整備室。
そこに収納されているシンクに目を向ける。
ノブガ達が時間を稼いでくれたおかげでなんとかシンクのメンテナンスが完了しつつある。
目標地点到達まで残り30分を切った。最後の仕上げに取り掛かろうとトシキは気合いを入れる。
「さて、俺も気を抜かずに頑張りますか」
シンクを見つめた後にとある装置の電源も予め入れておく。
今回の作戦に間に合うかどうかは分からないが、ノブガが念入りに事を進めている以上、家臣である自分もまた念入りに物事を考えなくてはならない。
尾張国、12時35分。
一方、尾張国の開発工場にて戦闘用OSの開発を進めているヤスナは競技用OSに取り付けられた一種のブラックボックスの解析に息詰まっていた。
ミツコからの試作品である戦闘用ヴェスティード搭乗時の感想を基にどのようにすれば戦闘の補助になるかは大体分かった。だが、その次の段階でヤスナは頭を悩ませていた。
このブラックボックスの解析が完了しない限りは、戦闘用OSの構築はあり得ない。
ヴェスティードの中核を担うシステムであるXXシステムの全容を掌握するためにハッキングを繰り返す。
「これは骨が折れるです」
「ヤスナちゃん、休憩するかい?」
「いらないです、名前呼ぶなです、ちゃん付けやめろです」
「……俺の発言、全否定かぁ」
ヤスナに冷たくあしらわれてカイは悲しみに暮れる。
昨日からずっと徹夜作業で目の下にクマが出来ているヤスナを邪な気持ち無しに純粋に気遣っただけなのに邪険にされ涙を浮かべて心が折れそうになる。
それでも、困っている美少女を見過ごす事が出来ずに何か手伝いになればとパソコンの画面を後ろから盗み見る。
解析を試みるためのコードを入力すればすぐさまブロックされ、また別のコードを入力すればまたまたブロックされる。この繰り返しである。
もっと大幅なクラッキングを行えば分解する事もできるだろうが、この厳重なセキュリティである。恐らく無理矢理分解による強行突破をすればすぐさま内部の情報をデリートする自立破壊プログラムが作動するかもしれない。
ヤスナは地道にコードを入力する事で解除コードの手掛かりを得ようとしている。
カイは何かを考えたのか、一言声をかける。
「ねえ、ヤスナちゃん。ちょっといいかな?」
「なんです、まだ居たですか」
「そう邪険にあしらわないでよ。少なくとも、今のヤスナちゃんの負担を減らせる良い方法があるよ」
「負担を減らす……です?」
ヤスナの言葉にカイはニッコリ微笑んで頷くが、その意図がヤスナには掴めない。
この軽薄そうな男が自分でも苦戦するブラックボックスの解析にどう役に立つのか想像できない。
カイは「ちょっと待っててね」と言って席を外す。それから約15分後、たくさんのファイルを抱えて戻ってきた。
「何です、これ?」
ヤスナはそのたくさんのファイルの中から1つを手に取り、開く。その内容に目を剥く。
それはスペイン以外の南蛮諸国によるロボット開発の動作テスト及びモーションデータまたは開発データの束だった。
カイは自信満々に言う。
「これ、ヴェスティード開発の役に立てないかと密かに集めてた俺の努力の結晶さ!」
「よくここまで集めたものです。馬鹿とは恐らく貴方の事を言うです」
「あははは、なんでだろう、誉められてる気がしないや」
カイが肩をガックリと落としていると、ヤスナは「で、これが一体何なんです?」と言ってカイにファイルを返す。
カイはとりあえずファイルの束を机に置くとヤスナに言う。
「ヤスナちゃんが知りたいのはブラックボックス内にあるXXシステムの詳細だよね」
「その通りです」
「なら、ホワイトボックステストを用いてXXシステムの挙動を1つ1つチェックして擬似的にコピーすればいい。このファイルのデータはそのための材料だ」
「っ?!」
カイの予想だにしなかった提案にヤスナは顔を驚愕に染める。
ホワイトボックステストとは、システムの内部構造に着目しそのシステムの流れが正常に機能しているか確認するテストの事てある。
今回の場合、カイから提供されたデータを部分的にいくつか抽出して組み合わせ、それがブラックボックス内に潜むXXシステムが示す挙動と比較して同じになるように少しずつ構築していく事になる。
確かに地道に解析コードを入力するよりも明確にゴールが存在する分、いくらか建設的である。
だが、少しずつ構築していくためやはり時間は掛かる。
どちらにしろ再び地道な作業に気が滅入りそうになると、カイは苦笑しながら言う。
「俺も武装開発は一段落着いたから手伝うよ」
「礼は言わないです」
「別に構わないよ、工房に戻らずに済む良い口実になるからね」
カイは腕を捲り「さて、それじゃあ一仕事しますか」と言って自身が持ってきたファイルを開いた。
同時刻・三河国侵攻迎撃地。12時50分。
ノブガを含む尾張国の戦車隊による三河国侵攻の迎撃は一進一退を繰り広げていた。
生かさず殺さずを心掛けた結果、ノブガの目論み通りに膠着状態が続いている。
ノブガは懐からスマホを取り出してヨシノからの連絡が来てないかどうかを確認しつつ、現在の時刻を見る。
〈ミツコ達が目標地点に到着するまで残り10分か〉
ここからが正念場である。ヴェスティードの機動時間が1時間少々なので、少なくともこの状態を1時間30分程維持しなくてはならない。
中々骨が折れるが、無事に成し遂げてみせようと部下達に指令を送る。
〈いいな、お前ら。余計な深追いはするな、相手を倒そうともするな。ただ向こうをこれ以上侵攻させない事だけを心掛けろ!〉
〈了解しました!〉
さて、問題はいつ向こうがこちらの意図に気づくか。まあ、撤退をするようなら背後から容赦なく撃ち抜くだけだが。
相手が尾張国に前進するなら迎撃、遠江国に後退するなら殲滅、そう切り替えればいいだけの話だ。
それが分かっているのか、現に戦闘開始から3時間以上経つが、相手は一向に撤退する素振りを見せない。
そんな時だ。
〈うあああああああ!!!〉
通信で部下の悲鳴と爆発音が聞こえてきた。直後に『パタパタパタ』というプロペラ音が微かに聞こえる。
ノブガは汗を垂らし、視線だけを上方に向ける。
〈……三河の奴ら、痺れを切らして戦闘ヘリまで持ち出してきたか〉
〈ノブガ様、ここは一旦撤退すべきでは?!〉
〈馬鹿言ってんじゃねえよ。お前らは尾張の町を火の海にしてえのか? 向こうが空中戦を仕掛けてくるのなら、目には目をだ〉
ノブガはすぐに自身が所有する航空爆撃部隊に連絡を取り、戦闘ヘリの要請をする。
この物量、明らかに自衛用の戦力まで投入してきていると予想する。
〈おい、至急こっちに戦闘ヘリでの援護をしてくれ〉
〈承知しました、直ちに現場に向かわせます!〉
〈おう、急げよ。早くしねえとこっちが先に全滅しそうだ〉
戦闘ヘリからの集中射撃を喰らわないようにジグザグに動く事でなんとか狙いを外す。
その間にも部下達の反応がロストしていき1機また1機と撃破されていく。
〈全てはミツコの腕に掛かってるな〉
スマホに表示される時刻を再度見る。ついに目標地点到着時間となった。
思わず「フフ」と笑う。
〈さあ、ミツコ。思いっきり、暴れてやれ!!〉
遠江国、領土。ついに到着完了時刻の13時となる。
ノブガの目論み通りに遠江国に到着したミツコ達は、シンク出撃の準備を行う。
ミツコはゴーグル・グローブ・ブーツの3つの装備を身に付けてコックピットハッチを開けて搭乗する。
4つの端末が両手のグローブと両足のブーツを通して接続され感覚共有が完了、ゴーグルにはメインアイからの外部映像が映る。
〈カタパルトデッキ、配置完了。ゲートオープン〉
シンクがカタパルトデッキに固定され、出撃用のゲートが静かに開いていく。
〈ゲートオープン完了。シンク、いつでも発進どうぞ〉
そのアナウンスが流れた瞬間、ミツコは静かに息を吐いて深呼吸する。
ここから先は戦車隊からの支援があるとは言え、ヴェスティードを操縦するのは自分だけ。
自分だけが、この作戦の成功の鍵を握る。
ミツコはひたすらに前を睨み付けてシンクを起動する。
〈明智ミツコ、ヴェスティード……起動!〉
《XXシステム、起動を確認。ヴェスティード、機動します》
シンクのメインアイに光が走り、直立不動だった状態から発進態勢に移行する。
〈明智ミツコ並びにシンク、これより発進します!〉
カタパルトデッキが緩やかに加速し、火花を散らしながらシンクをゲートに運ぶ。
ゲートに差し迫るとミツコはブースターを吹かせて勢いよく出撃した。
なるべくブースターの使用を抑え、エンジンとスラスターへの負担を減らす事を念頭に置いて戦闘を開始する。
雑木林から飛び出して目の前の戦車を蹴り飛ばして横転させる。
横転された事で煙をあげる戦車を見た後、周囲を巡回する三河国の戦車を片っ端から襲撃する。
〈な、なんだアレは――うわああ?!〉
〈だ、誰か援護を!!!〉
砲台が向けられた瞬間、砲身を掴んで投げ飛ばす。ブースターをなるべく使わずに移動には足を使って走る。
機動性はかなり落ちるが、燃料の消費効率は格段に良くなるため機動時間が大幅に延びる。
1発たりとも被弾しないように心掛け、後方からの尾張国戦車隊による支援を受けながら制圧していく。
また、雑木林の木を1本抜き取りそれを投げ槍の要領で飛ばして戦車を破壊していく。
ハンドガンによる牽制と剣による切断。更には両手と両足を用いた肉弾戦。地形を利用した戦術。
ありとあらゆる手段を講じてシンクは三河国の戦車隊を圧倒した。
戦車が爆発した事で背後から沸き上がる爆煙。それを背に佇むシンクの姿に、その視線が次にこちらを捕捉した事に、遠江国を占拠していた三河国の戦車隊は恐怖した。
〈ば、化け物だ……〉
〈何なんだ、一体何なんだあの巨人は!!!〉
〈い、嫌だ! 俺はまだ死にたくねえ!!〉
得たいの知れないモノの恐怖で三河国の戦車隊は一気に萎縮し、次々に白旗による降伏を願い出る者達が続出した。
〈前田さん、まだ戦う意志のある三河国兵はどれぐらいですか?〉
〈いえ、この辺りにはもう居ません。明智さん、次の占拠地に向かって下さい〉
〈了解です〉
三河国に占拠された場所は全部で3つ。その内1つを制圧したので残りは2つ。
ミツコはシンクのブースターを軽く効かせて迅速に次のエリアにへと向かう。
早くノブガの元に戻らなくては。その思いで作戦を行う。
美濃国・稲葉山城。
稲葉山城に設けられた庭でザンドの娘である『斎藤サンゴ』がミツコの妹である『明智ヤスヒ』の遊び相手をしていた。
2人はかくれんぼをしており、サンゴが隠れる立場でヤスヒはそれを探す鬼役を担っているようだ。
その証拠にヤスヒの「サンゴお姉ちゃんどこー?」と探している声も聞こえてくる。
先程確認した限りでは、サンゴの見た目はミツコ達と同じぐらいで反対にヤスヒは幼くまだ10にも満たないように見える。
そして、その様子を影ながら伺う者が居た。
「あれがミツコの妹さんか」
様子を伺っていたのは美濃国に偵察に来たヨシノだった。
なぜヨシノがここまで潜入出来たかと言うと、ヨシノの実家は代々忍の家系であり、偵察等の稼業で生計を立てているのだ。
ヨシノの情報収集能力の高さもこの忍としての能力を生かしているのが大きい。
故に今は偵察用の姿として忍装束に身を包んでいる。
現在、ノブガが杞憂していたヤスヒが幽閉されるという可能性は無いように思える。
城内に潜入した際も、特にヤスヒを幽閉しようとする動きは無かった。
もし幽閉されるというのなら秘密裏に助け出すつもりでいたが、今のところそのような物騒な荒事をしないで良さそうだ。
ヤスヒも元気そうで特に不遇な扱いを受けているような印象は無いのでホッと息を吐く。
美濃国も駿河国の相手を本気でする気が無いのか、あくまで自衛用の戦力しか出動させていない事も知れたのでヨシノはそろそろお暇しようと背後を向いた瞬間。
「何かご用でしょうか」
すぐ目の前に着物を着た黒髪の麗姫――サンゴが笑顔で立っていた。
「ファッ?!」
ヨシノはあまりの事態に奇声をあげてサンゴから距離を取る。
おかしい、ヨシノが確認した限りではサンゴは自分の居る位置から反対方向に居たはずだ。
それがどうして自分の背後に、しかも気配を悟られずに立っていたのか。
これだけでも、ヨシノはサンゴという少女の恐ろしさの一端を垣間見た。
距離を取ったヨシノに対して「クスクス」と笑ってサンゴは距離を詰める。
「そう怯えないで下さいませ、豊臣ヨシノ様」
「な、どうしてあたしの名前……」
ヨシノはサンゴとは初対面である。にもかかわらず、サンゴはヨシノの名前を知っていた。
サンゴは首を傾げて笑顔を絶やさない。
「何故私がヨシノ様の名前を知っているか気になります?」
可笑しそうに笑ってまた一歩、また一歩と、徐々に距離を詰める。
その笑顔はまるで能面のようだとヨシノは感じた。
サンゴは静かに口を開ける。
「フフフ、だって私、ずっと見ていましたもの。女学院に間者を送って、ミツコ様の様子をずっと――ずっーと、見ていましたの」
「え……」
ヨシノが固まっているとサンゴは一気に捲し立てる。
「貴女様とヤスナ様がミツコ様と級友なのも、貴女様がミツコ様とルームメイトなのも、ミツコ様が貴女様に微笑んだ回数も全て。そう、全て。三河国からの襲撃を脱出したあの時でさえ、そうあのミツコ様の凛々しいお姿も全て――全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全てすべてすべてすべてすべてすべてすべてすべてすべてすべてすべてすべてスベテスベテスベテスベテスベテスベテスベテスベテスベテスベテスベテスベテスベテスベテスベテ――――――――っ!!!!」
「……」
今まで目を閉じて微笑んでいたサンゴはゆっくりとその目を開いた。
その瞳には光が無く、まるで深い泥沼のような黒い闇の色に彩られていた。
ヨシノは恐ろしくなり、その場を去ろうとするがサンゴはヨシノの手首を強く握り締める。
とても令嬢の腕力とは思えない。
「貴女様がミツコ様と同じ部屋に過ごしている間、どれ程貴女様を殺そうと思ったか」
ヨシノは身の危険を察知し、手首をグッと上に捻ってサンゴからの拘束を外して一気に城内から脱出するために駆けた。
サンゴはヨシノの去り際に口を動かした。
――いずれ会いに行くとミツコ様にお伝え下さい――
〈はあっ!!〉
ヨシノが稲葉山城を脱出した頃、ミツコは三河国に占拠された全ての遠江国領土を制圧していた。
最後の戦車隊を全滅させ、あまりの疲労感に思わず片膝を地面に着く。
〈明智さん、お疲れ様でした。すぐにトレーラーに戻ってきて下さい〉
〈り、了解……〉
何とかシンクを立たせた瞬間、不意にトシキとは別の通信が入る。
〈前田さん、至急ノブガ様の元へお戻り下さい!〉
〈一体、何があったんですか? ノブガ様の身に一体何が――〉
〈ノブガ様率いる戦車隊がほぼ壊滅状態です! 早く、早くこちらに!!〉
〈……っ!!〉
通信を聞いたミツコはほぼ無意識にブースターを全力解放しようとするが、トシキは咄嗟にそれを止める。
〈明智さん、待って下さい!!〉
〈ノブガを助けに行くわ〉
〈だとしても、一旦整備に戻って来て下さい。そのままの状態で向かっても、途中でガス欠になるかエンジンがイカれるだけ、どちらにしてもシンクは機動停止に陥るだけです!〉
〈……〉
トシキは焦るミツコの気持ちを落ち着かせるように言う。
〈今回、明智さんはシンクをとても丁寧に扱ってくれました。なので、整備も簡単に済みます。大丈夫です、ノブガ様の危機に十分間に合いますから〉
〈分かり、ました……〉
ミツコは冷静さを取り戻し、トシキの指示に従ってトレーラーに帰還する。
シンクをすぐに収納し、トシキは整備作業に没頭し始める。
その間、ミツコは整備が終わるまで控え室のソファーに座ってノブガの安否をずっと考えていた。
今、ノブガはどうしているのか。被害は尾張国の町にまで及んでいないか。
そう不安に駆られていると、トントンという音が聞こえる。ミツコは首を傾げてトレーラーの扉を開ける。
すると、「こんにちわー!!」と元気よくミツコと同い年ぐらいの褐色肌の美女が飛び出してきた。
突然の来訪者の登場にミツコは目を丸くする。
「あの、どちら様……?」
「ご注文通り、摂津国から“ヒヒイロカネ”のデリバリーに来ました、家庭用品から金属パーツまで何でもござれの『雑貨店・茶間工房』を運営しております『チャマ』と申しまーす! 因みに前田トシキ様って、貴女です?」
「い、いや、違いますけど……」
「でっすよねー! だってトシキって男の名前ですしおすしー! あと注文してくれた時の通話越しの声からして硬派なイケメンっぽいですしー!」
チャマと名乗った美女は辺りをキョロキョロと見回す。
「それで、前田トシキさんはいずこにー?」
「恐らく、このトレーラーの整備室かと……」
「オー! そーでしたか!」
ミツコからトシキの居場所を聞くと、チャマは構わず整備室に向かう。
ミツコは「ちょ、ちょっと!」と言ってチャマを追いかける。今のトシキはシンクの整備で忙しいのだ。それに、シンクの整備が邪魔される事でノブガの危機を救うのが遅れてしまうのを避けたかった。
しかしチャマはガラガラと整備室の扉を勢いよく開けた。
「どーもー! 摂津国から合金のデリバリーでーす!」
「……これは何の騒ぎですか、一体」
トシキは整備の手を一旦止めてチャマの元にやって来る。
トシキの姿を見てチャマは目を輝かす。
「うっは! 想像した通りのイケメンキター!」
「あの、貴女は……?」
「前田トシキ様がご注文しました合金“ヒヒイロカネ”のデリバリーに来ました、チャマと申しまーす! 以後お見知りおきをばー!」
「合金ですって?!」
チャマが合金の配達に来た人物と知ると、トシキはチャマに詰め寄る。
「合金はどちらに?!」
「いやーん、トシキ様! 顔に似合わずだいたーん」
「いいから早く!!」
流石に冗談が通じないのが分かると、チャマは肩を竦めて「仕方ないですねー」と言って指をパチン!と鳴らす。
すると、ヒヒイロカネを荷台に搭載したトラックが自動操縦でやってきた。
トシキはすぐにヒヒイロカネをトレーラーの整備室に搬入し、トシキが予め用意しておいたとある装置にセットしていく。
その様子を見てミツコは装置を興味深そうに見つめる。
「前田さん、この装置って?」
「立体印刷機という装置です。スペインで発明されたものですが、これがあると短い期間で機体の装甲を製造する事ができるのです」
立体印刷機――簡単に言うと3Dプリンターの事を指す。シンクの設計図を読み込ませているので、この中に金属をセットすればその金属を設計図通りに装甲を製造してくれるのだ。
装置は起動し、瞬く間に装甲の形に変形していく。
完成したパーツをすぐにシンクに換装していく。そうして約30分後、シンクはの装甲並びにスラスターは全てヒヒイロカネに置き換わった。
ヒヒイロカネは赤くまるで燃えているかのような光沢を放っている。
その幻想的な光景に真っ先に声をあげたのはチャマだった。
「何ですかこれ、もしかして巨大ロボットですか?! 尾張国の技術は進んでますねー!」
チャマはシンクの周りを「うははー!」と笑いながら歩いて見回す。
不意に「パイロットはどなた?!」と尋ねる。
機体が完成した以上、ミツコはすぐに出撃したいのだが、とりあえずチャマが居なくならなければ仕方ないので遠慮気味に挙手する。
「私ですけど……」
「是非とも私も乗せてくだちー!」
チャマはミツコの手を両手で掴み、ブンブンと上下に振る。
ミツコがいい加減うんざりして苛々しているとトシキがチャマに声をかける。
「あの、チャマさん。今は一刻を争う時ですのでそういうのはまた後程」
「えー、じゃあせめて動いてる所見せて下さいよー!」
頬を膨らませて両手を振るチャマの姿にミツコは辟易しながら「はいはい」と呟いてゴーグルとグローブとブーツを着用する。
コックピットハッチを開けて乗り込む。
4つの端末に両手と両足を接続して気持ちを整える。
やはり何度もこの出撃する感覚は慣れない。
「それでも、待ってくれてる」
深呼吸をして集中力を高める。
「ノブガが、私を待ってるのよ」
記憶の中で妹が泣きながら自分に手を伸ばす姿がリフレインする。それは決して掴む事は叶わない。
今はノブガが自分に手を伸ばしてくれてる。だから、その手を掴むために戦いに向かうのだ。
「明智ミツコ、ヴェスティード……起動!」
《XXシステム、起動を確認。ヴェスティード、機動します》
本日2度目のシンクの起動である。カタパルトデッキに固定される。
そこでトシキからの通信が繋がる。
〈明智さん、今は時間がありません。ブースターを全力解放して現場に急行して下さい。ゴーグルの視覚情報にノブガ様の位置情報を送信します〉
ゴーグルの液晶にノブガの位置情報が追加される。出撃のためのゲートが静かに開いていく。
「明智ミツコ並びにシンク、発進します!」
トシキの指示通り、ブースターを全力解放して急加速する。
勢いよくトレーラーから飛び出すと直ちに尾張国に向かう。
その姿を見てチャマはトシキの背中を叩く。
「ほら、トシキさん! 早く! 早く追いかけましょう!!」
「いや、なんでまだ居るんですか、貴女」
トシキは呆れつつチャマを乗せたままトレーラーを発進させた。
チャマが持ってきたトラックも自動操縦でトレーラーの後を追う。
ポツポツと雨が降ってきた。その音はやがて「ザーザー」という激しいものに変わっていく。
雨足が強まり、シンクの装甲を濡らす。空に立ち込める暗雲の合間から光が漏れ、「ゴロゴロ!」という雷の音が聞こえる。
ミツコはひたすらに「間に合え!」と念じて尾張国に急行する。
それから約40分後、シンクは迎撃戦が行われた現場に到着した。
辺りには戦車の残骸が転がっており、尾張国のものかそれとも三河国のものなのか判別が着かない程に黒焦げている。
その悲惨な惨状にミツコは思わず佇む。
まさか、間に合わなかったというのか。
ブースターを止めて歩いて辺りを見渡す。
そこで「ドン!」という砲撃の音が聞こえた。ここからそう離れていない場所で、戦闘が行われている。
ミツコはすぐさま音のした方へ向かう。
〈まだだ、お前ら! もうすぐミツコが戻って来る筈だ!! それまで歯を食い縛って耐えろよな!!〉
ミツコを乗せた隊長機の戦車は戦闘ヘリからの銃撃を必死に避けていた。
泥濘に車体が時々ハマりそうになるが、それをなんとか馬力で乗り越える。
だが、その勢いのせいでスリップが起こる。
車体のバランスが崩れて雑木林の木々にぶつかる。
〈―――痛っ……!〉
その際の衝撃でノブガは思いっきり頭を強打し、血が流れる。
意識が飛びそうになるのを耐えて操縦者に視線を向ける。
操縦者の首が先程の衝撃で折れており、即死である事が伺える。
上空を旋回するプロペラの音が聞こえる。まだ戦闘ヘリが居る。
ノブガは操縦者の遺体をどけて自ら戦車の操縦を試みる。
幸い、エンジンの不調は無い。まだやれる。
天然の雨に加えて銃撃の雨が戦車を襲う。
朦朧とする意識を保ち、戦車を動かそうとした瞬間、上空から爆発音が響いた。
〈な、なんだ……今のは。いや、まさか〉
ノブガは潜望鏡から外の様子を伺い、思わず引き笑いを浮かべる。
雨に打たれながら、大木を背負ってこちらを見下ろす赤い巨人――シンクがそこに居たのだ。
その装甲は炎が燃えているかのように赤く輝いており、まさに炎の巨人と言っても差し支えない。
〈やっと来たか、ミツコ〉
ノブガはハッチを開いてその姿をシンクに晒す。その時の表情は、とても安らかなものだった。
「ゴゴゴゴゴ!」という重い駆動音が響いて雑木林の木々を踏み潰していくが、激しい雨音のせいでその轟音がノブガ達の元に届く事は無い。
三河国がドイツから輸入した超巨大戦車『ラーテ』がノブガの戦車に狙いを定める。
〈同胞達の……仇だ!!〉
戦争はどれ程の犠牲を生もうとも、最後に大将を仕留めれば勝利なのだ。
彼女1人の命で死んでいった仲間達の犠牲は正当化されるのだ。
しっかりと狙いを定めて、砲撃を放った。
〈明智さん、3時の方角から熱源反応です!!〉
〈なっ――!!〉
トシキからの通信が入った。
気付いた時にはもう遅い、巨大な砲弾がノブガの戦車に向かって迫っていた。
ノブガは目を見開いてゆっくりと振り返る。
シンクに向かって手を伸ばす。
〈ノブガ!!!〉
ミツコは慌てて盾になろうとノブガの戦車の前に出る。
〈無茶だよパイロットの人! いくらヒヒイロカネでも、その装甲に用いた厚さじゃラーテの一撃は完全には防げないよ!!〉
チャマの声も通信に入ってくる。
(せめて……ノブガだけでも。お願い、シンク……ノブガを守って――)
その時だ、シンクに向かって上空から落雷が降り注いだ。
〈が……はぁ…!〉
「ドオオオオオン!!!」という激しい音が地を揺るがし、その衝撃でミツコの視界が霞む。
「うぁ!!」
シンクを呑み込む程の光に包まれ、その光量に脳が耐えきれずシンクの傍にいたノブガは完全に気絶し、また少なからず感電したのか身体が痙攣している。
そしてその直後、ラーテから放たれた砲弾がシンクに着弾した。
再び辺りに轟音が響く。
〈……〉
砂煙が巻き起こり、一気に静まり返る。そんな中で砲弾を放った三河国兵の「く、くはは」と笑う声がラーテ内で響く。
ラーテに搭乗していた他の三河国兵達も互いに顔を見合わせて「や、やったのか……?」と不安そうな表情を浮かべる。
砲撃手である三河国兵は不安がる同胞を鼓舞するかのように声をあげる。
「大丈夫だ、やったんだ! 同志達の仇を、我々は討っt――」
しかし次の瞬間、ラーテは横に真っ二つに斬り落とされた。
「―――は?」
ハッチ部分が吹っ飛び、ラーテの内部が露出する。
砲撃手の三河国兵は何が自分達を襲ったのか理解できず、辺りを見渡す。
最初に視界に入ってきたのは、横に真っ二つにされた事によって自分以外の仲間の首が吹っ飛んでいる惨状だった。
その光景に体が震える。何だ、何なのだこれは。
〈う……うぅ……っ!!〉
呻くようなはたまた唸るような少女の声が聞こえた。
ふと、上方に顔を向ければ、そこにはシンクがゆらりと佇んでおりこちらを見下ろしていた。
シンクの装甲からは電流がビリビリと流れて不思議な光を放っており、まるで機体が炎上しているかのようにその緋色の輝きを増している。
エンジンの「ヴヴヴウウウウ!!」という駆動音がまるで獣の咆哮のように聞こえる。
「う…うわああああああ!!!」
三河国兵は失禁しながらも涙と鼻水で顔を汚し、恥も外聞も関係無しに逃げていった。
〈……〉
ミツコは後に残された惨状に静かに涙した。
〈違う…私は……違う……〉
命懸けだったとは言え、自分が殺めた命の多さにミツコは心が折れそうになっていた。
シンクの握る剣の表面には、確かに自身が殺めた者達の血で染まっていたのだ。
〈私はただ……守りたかっただけなのに……〉
「すっごーい!」
一方で、トレーラー内で戦闘の様子を確認していたチャマはシンクの能力に目を輝かせていた。
あのラーテの砲弾を受けてから怯む事なくラーテに接近するまで僅かな音も立てずに約2秒、その際の機動性は驚異的の一言に尽き、まさに“赤い雷光”と呼ぶに相応しかったのだ。
隣に居るトシキも目を見開いて固まってると、すぐに我を取り戻して救護班に連絡を入れた。
「ノブガ様が負傷した! すぐにこちらに来てくれ!!」
救護班に詳しい状況を話すと、トレーラーから飛び出してノブガの元に駆けて行った。
1人トレーラー内に取り残されたチャマはニヤリと口角を上げて呟く。
「……これはまた、一儲けできそうや」
【次回予告】
少女は嘆く。
自分の手は汚れていると。
戦争は続く。
犯した罪を血で洗うように。
次回、【選択】