購買のお兄さん
勤めていた企業が倒産し、俺は突然路頭に迷う事となった。
何とか就職を探すも不況の煽りを受けて弾まず、仕方無く縁故を頼った結果、現在の俺は購買の兄さんと呼ばれている。
ただ、愛想振り撒く趣味は無いので、仏頂面での接客を2ヶ月強。
たまに注意されるのだが、心の中で鼻ほじりつつ、『解りましたっ!』と謙虚に従ってはいるが、先輩連中の目は厳しく群れた口は悪く膨れる。
「『三十路近いおっさんが、餓鬼に愛想ふりまけるもんか!』だってさ!」
などと、思った事も言った事も無い発言を繰り返している奴にされてしまっている昨今の近況を、俺は鼻で笑って態度は崩さず、今日も耳障りな愚痴を聞き流し、生返事のまま時計をみると正午近く。
「あ、こんな時間ですね」
昼下がりの購買は、戦場である。前準備が必要で、自分本位のお説教を聞く暇はない。
「そうか...まぁ、気をつけてよ!」
不服そうな先輩の背を、俺は見えないように笑った。
昼休みの戦争には毎回前哨戦があり、この時間に来るやつらは個性的である。
今日の一番乗りはエリ・アイ・ウメの三人娘。三人ともサンドイッチを好む。
エリは卵ベース、アイはトマト。ウメはチーズミックスが定番である。
どうも甘ったるいコーヒーと一緒に食べるらしく、なるたけ辛子控えめを渡す。
しかしこいつら、チャイムとほぼ同時にやって来るな。俺は教員に問題ありと見ているのだが、ま、俺の身分で口出しするつもりはない。
「ほらよっ!一番乗りには色々増量サービスだ!」
「うーん、でも太っちゃうから良いわ」
「ふっ、俺の心意気増量サービスだ。身には付かずに味が引き立つ」
「あっははは!ありがと!」
商品を渡し、これより昼のラッシュが始まる。
「マサキさん、休憩いっといで」
ラッシュが終わり、学生諸兄は眠気との戦いを始め、俺は休憩時間となる。売れ残りのパンを安く買った俺は、学校裏の目立たない場所へ赴く。
「今日はっと...」
暫く辺りを窺うと、サバ柄の美人さんが『にゃぁ』と現れた。
「よお。お嬢さん、今日も良い女だな」
尻尾を立てて、足に絡みつくお嬢さん。俺はチーズ入りのパンを千切ってお渡しした。
「にゃっ!」
その瞬間、彼女は俺へのしなだりかけを打ち切って、パンをくわえて離れ去り、手の届かない位置で食べ始める。
「相変わらず現金だな」
軽く悪態。俺はポケットから煙草を取り出し、立ちあがって火をつける。しかし、彼女とここまでの関係を作るのは大変だったなぁ。
初めは警戒していたお嬢さんであったが、手練手管を駆使して口説き、ようやく近場で食事をしてくれるまでになったのだ。
「今なら、その毛皮を、撫ぜさせ...」
「兄さん、校内禁煙だよ!」
突然の声に、サバ柄のお嬢さんは驚いて逃げ去ってしまった。空かされた俺の手が、虚しく影を撫ぜている。
「ふん...」
俺はくわえ煙草で声へ顔向け、ファンキーな制服の着こなしをした小娘を見つけて睨んだ。
「禁忌は破ってこそ快楽が得られるのさ」
「なにそれ?意味解らない」
「あんただって授業放棄だろ?似たような感覚だと思うが?」
チャイムは鳴っている。制服のこいつはサボリだ。
「あ、あたしはセンセに出てけって言われただけよ!?」
手を振りながら近づいてくる小娘。
「それは教員が反省を促す時に使う手だ。度胸のある奴だな」
「そう?」
何故か頭を掻いた。相手は教員、知らずに喧嘩売った訳でもあるまい。
「普通そういった挑発する時は、覚悟を決めるもんだがなぁ?」
「なんの覚悟よ?」
煙が行かないよう、注意しながら息を吐き、俺は小娘を睨みつける。
「例えば俺はこの喫煙で、保護者連中に鈍器で殴られ、埋められ、唾を吐かれる覚悟は決めているぞ?」
「保護者って恐いのねぇ...」
何故かけらけらと笑いながら、小娘は近くの段差へ腰掛けた。仕方なく携帯灰皿を取り出し、俺は哀れな煙草さんをねじり消す。
「うむ。だから、そのリスクを楽しんでいると言っているのさ」
「楽しめるかなぁ?」
訝しむ小娘に、俺は唇を尖らせた。
「お前さんだって、教員に陰口叩かれ、内申下げられ、路頭に迷う覚悟をして、ここに居るんだろ?」
小娘は再び目を丸くし、しかし、ニヤリと笑う。
「あたし、元々人生に迷ってるからね」
俺は大笑いした。
それが、この小娘との縁の始まりであった。
幾日か経った。今日も相変わらずの接客仕事。客は、残念ながら男である。
男としては、股間に余計なモノをぶら下げた生命体は覚えたく無い。
しかし、個体識別の為にやむを得なく覚えてしまった奴らは居、今日の一番乗り、ぶら下げ人類三人衆も例には漏れなかった。
名前は言わなかったので、それぞれ丸顔、三角顔、欠けたひし形顔で区別しているが、全員おむすび派だ。
丸はたらこかシーチキン、三角はおかかと昆布、欠けたひし形は梅のみと、好みは別れている。
なんか良くわからん理由で、丸顔と三角顔が、欠けひし形に、貧乏人とはやし立て、どうも調子に乗った二人の度が過ぎた日があったので、デコピン一閃二人にかまし。
「今後お前らに売るものは無い」
言って代金たたき返した。すると、奴らは互いに顔を見合わせ、ばつの悪そうな顔を俺に向ける。
「すみません...」
「俺に謝ってどうする?」
「あ...ごめん、ヒッシー」
それぞれが素直に謝ったため、俺はにやっと笑った。
「よし、じゃあ、今日は俺がおごってやるよ」
三人は目を見合わせる。
『ありがとう!兄さん』
台詞が揃ういいトリオだ。以後、こいつらからは何故か兄さんと呼ばれるようになった。
「兄さんっ!今日もいつもの!!」
「おうよ!」
元気なトリオににやにやしつつ、俺は商品を渡す。昼のラッシュはもうすぐである。
「マサキさん、物理って何の役に立つの?」
今日の小娘は珍しく沈んでいた。俺は火のついてない煙草をくわえて言う。
「社会に出たら重要な学問だぞ?」
「ホントに?」
「手っ取り早く説明すると...」
俺はさっと立ち上がって掌を向けた。
「憎たらしい奴を思い浮かべて殴ってみろ」
「は?」
「騙されたと思って、やってみろ」
「うん」
頷き、同時に口を結んで、大きくど下手に振りかぶり、力いっぱいど下手なパンチを叩きつけてくる。
「痛っ」
悲鳴をあげたのは小娘。下手が過ぎて、手首を痛めたかもしれんな?
「殴り慣れてないな。痛いか?」
涙目になって睨む小娘は、言った。
「これは何なの?」
「今、俺の手を叩いた力と、おまえさんに返った力があったの、解ったか?」
今度は唇を尖らせる。
「そりゃ、あたしは痛かったし、マサキさんの手から音したもん」
「今のを、計算で表現するのが物理だ」
「へっ?」
小娘は目を丸くした。
「力は目に見えんが、大きさや方向、反動などの法則がある。それを知る学問って事さ」
さらに目を丸くした小娘。俺は意味もなく煙草を揺らす。煙が恋しくなってきたな。
「そんな意味があったのかぁ...」
「学者だと先があるんだろうが、社会で役に立つのはそんなもんだ」
「ふぅん」
少し憮然として、下を向く小娘。
「また出てけって、言われたのか?」
「うん...意味わかんないって言っただけで、よ?」
相変わらず、ストレートな奴だな。俺は笑いながら言った。
「あのタコみたいな教員だろ?たまに見るから俺が仕返ししといてやる」
軽く小娘の頭に手を乗せる。
「だから今日は気を直してやりな」
「マサキさんが仕返ししてくれるの?」
「ああ。購買部の兄さんを舐めたら怖いぜ。菓子パンに、辛子が入ってくるからな」
「あははっ」
ようやく、彼女は笑った。
「それは楽しみにしとくねっ!」
「ああ」
軽く手を上げ、俺は時計を見る。
「っと、休憩終わりだ。またな」
「うん!」
翌日、件の物理教員の授業は、異常に咳が多かったらしいが、原因は秘密である。
今日の一番はぶら下げ人類、城島とハルキ。
こいつらは仲が良いのか解らない。二人とも好みは変わらず、揚げパン、ツイスト、コロネ、あんぱんなど、菓子パンを買っていく。
「城島くん、またコロネですか?」
「ハルキくん、キジマと呼んでください」
「嫌です」
「そうですか」
まずこれでお互いがふふふと笑う。
「ハルキくん、今日のタコさんの小テストはどうでした?」
「城島くん、物理地蔵の授業は午後です」
「キジマと呼んでください、ハルキくん」
「嫌です」
「そうですか」
再びふふふと笑う。そして暫く意味の解らん時間と空気が続き、商品を受け取って別の方向へ歩いて行くのが習慣だが...。
こいつらは、何者なんだろう?ぶら下げ人類だから興味は無かった筈なのだが、知的好奇心は尽きない。
今日も俺の昼休みにも、小娘が姿を現した。
「あたし、困ってるの」
「ほう?」
登場と同時に出てきた台詞。俺は火をつけたばかりの哀しい煙草さんを携帯灰皿へねじ込み、耳を傾ける。
「何があった?」
「ハル君とヒッコはお互い気にしてるんだけど、ちぃちゃんもハル君が好きなのよ」
「ほほう?」
どうやら、聞き流しても良い話題だった。
「でね、ちぃちゃんはスッゴく健気でカワイイから、あたし困ってるの」
俺は新しい煙草をくわえ、火はつけずに尋ねてみた。
「何を困る事がある?」
「だって、ちぃちゃんったら可愛い過ぎて、応援したくなっちゃうの」
煙への愛しさを隠しながら、俺は段差へ腰掛ける。
「応援してやれば良かろう?」
「駄目よ!ヒッコはあたしの親友だもん。ウラぎれないわ」
「親友...ねぇ?」
苦笑いを浮かべつつ、俺は意見してみた。
「じゃあ、ヒッコとちぃを陰で操って、同時に告白させれば良い」
「な、何それ!?」
「良い作戦だろ?」
俺はにやりと笑った。我ながら良い作戦だと思う。
女の子の情報網は広い。このような二者択一を強いられたハル君が、二股掛けを目論めば、女の子達から村八分をくらい、自然に彼女も離れて行き、暗い青春を過ごすのだ。
もてる男に鉄の制裁を!
もてない男の絶対法則である。
...まあ実際、良物件の男なら誠実な対応をするのだ。ハル君とやらの資質やいかに?という意味でも良い作戦だと思うが、これは教えてやらんでおく。
「何もなしで終わるってのは、辛いんだぜ」
わざと意味ありげに言った俺に、小娘はいきなりニヤニヤしながら近付いて来た。
「もしかして、マサキさんの実体験?」
「何?そんなんじゃないが...」
「聞きたい!教えてよぉ」
突然、小娘はまとわりついてきた。
「何を?」
「あたし、大人の恋愛って奴を知りたい!」
取りようにとっては危ない台詞だな。変な事を考えつつも、俺は少し狼狽した。
「お、俺のは特別これと言ったものはない。参考にはならんぞ?」
「良いから!聞きたい!」
体を乗り出し迫ってくる。俺は閉口してしまった。
「う、そうだな...何と言っていいのか」
「どんな人?今も付き合ってるの?」
「今はそこの悪女に首ったけだ」
何とか気を逸らそうと、最近は近くで食べてくれるようになったサバ柄さんを指す。注目されたサバ柄さんは、一瞬顔を上げるが、あとは食事に夢中になった。
「えっ!?猫ちゃん?」
「うむ」
「じゃ。人は?」
うむむ、こんな所もブレない奴だ...俺は観念して息を吐いた。
「あいつは、まぁ、前にちょっと出たきり、帰ってこないっていうのかな?」
「え!?なにそれ?逃げられたの?」
相変わらずのストレートな物言いに、苦笑が浮かぶ。
「良い女はワガママなのさ」
「ええ~!?マサキさん可哀想...」
ぶーたれた表情を見せる小娘。表情がくるくる変わる様は、好まれると思うぞ。ファンキーな着こなしを差し引いても、男性ファンは多いと見た。
「でも、捨てるなんて駄目な人!」
その台詞に、俺は少し目を細めて息を吐いた。
「あのな、世界最高の女が暫くでも俺の隣に居てくれたんだ。これ以上の幸運は無い」
「へっ?」
小娘は目を丸くした。
「...」
暫く沈黙の後、小娘は口を開く。
「...じゃ、何で別れちゃったの?」
「さてな...教えてやらん」
「むぅ、じゃ、じゃあ、別れの台詞は!?」
俺は、暫く考える。
「...水」
「水?」
「お水取って...かな?」
「意味解らない」
「だろうな」
空を見たまま、俺は口を閉じた。
あの日、薬臭い廊下を抜けて里奈に会いに行く。
あいつは眠っていた。
その日は休みを取っていたので、俺は眠り姫の御姿をゆっくりと愛でる。
皮膚の不自然な白さが気になり、思わず手を取る。
冷たくて細かった。
暫くすると、里奈はぼんやりと目を開き、微笑んでくれる。
「正樹?おはよう」
「おはよう。しかし、相変わらず眠り姫を気取るんだな」
「あら、あたしはまだ目覚めてないわよ?」
「夜盗のキスでも目覚めるか、試してやろうか?」
「ええ」
俺は里奈の背に手を回し、薄青い唇を奪う。
それからお互いに見つめ直し、里奈の長話が始まった。
例えば、誰それは良く来るとか、あいつはなかなか来ないとか、俺は週末がばかりでつまらないなどの愚痴が一通り続き。
でも、あの人はどれそれで忙しいと一人で納得したり。
面会時間をすぎた頃に門前に現れ、街灯に照らされて帰る誰かさんが好きだとか、色々な事柄が続いてから、俺達の話が始まる。
話す事は沢山あった。
特に学生時代、一緒に過ごした小さな事の連続は、二人で思い返してみるととても輝いていた事に気付く。
そして、その輝きの殆どは、里奈に貰った物だった。
気がつくと、夕日が差し込む時間。
部屋に茜が入り、里奈が少しだけぼやけて見えた。
俺は何だかたまらなくなって、抱きしめていた。
「...」
彼女も、弱々しく腕を廻してくれて、随分長い時間抱き合っていたように思う。
「...?」
ふと、背を叩いてくれる里奈がいた。ようやく、俺は立ち上がる事が出来た。
何か言おうとする前に、あいつは言った。
「ねぇ、あたしのど乾いちゃった」
「そうか」
「お水、取ってくれる?」
「ああ」
カップに水を注いで渡す。
「じゃあ、俺は帰るよ」
里奈は少し不服そうに口を尖らせ頷いた。
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あれが、終わり。
あれで、終わり。
「マサキさん?」
小娘が覗き込んで来る。暫く、黙っていたようだ。
「何か、悲しそう」
その言葉に、俺は返す事ができない。
「思い出に浸ってたとか?」
「そうだな」
俺は視線を外す。
「良い女だったからなぁ...」
ぎこちなくも、やっと笑えた。
「ねぇ、マサキさん」
小娘が、逃がさないよう覗き込んでくる。
「ん?」
「今フリーなら、あたしが付き合ったげようか?」
言った小娘を少し見て、俺は苦笑した。
「十年早い」
「えー、何でよ?」
「俺は高嶺の花狙いだ。思わず口説きたくなるような悪女なら良いが...」
ちらとサバ柄さんを見た。こいつもつられてサバ柄さんを見る。
「可哀想だからなんて付き合いはまっぴらだな」
「むぅ、あたしじゃダメ?」
「ま、十年後に俺が思わず口説いちまうくらいの良い女になってたら、考えるさ」
「なれるかなぁ...?」
俺は、笑った。
「周りの奴らを大切にしているなら大丈夫だ」
「あら、これでも大切にしてるのよ?」
「物理のタコ地蔵もか?」
その瞬間、小娘は大笑いした。
「あっはははは!何でそんなピッタリなあだ名、つけれるのよっ!」
「購買の兄さんを舐めるんじゃないぜ」
ニヤリと笑って言ってやる。
「リナ~」
ふと、遠くから呼ぶ声が聞こえた。
「あれ、ちぃちゃん?もうチャイム鳴っちゃったかな?」
「聞こえなかったが...次は体育だったか?」
「うん!じゃ、あたしちょっと行ってくるわ!」
「ああ」
軽く手を上げてから、眩く見える彼女の背を追い、姿が消えてから煙草に火を付けた。
抜けるような空に登る、一筋の煙を見守り、その間だけ、懐かしい笑顔を思い出す。
自然、吐き出した息は、大きかったように思う。
ポロリと灰が落ち、俺は時計を見た。
「っと、時間だ」
軽く一人ごち、俺は午後の仕事へと戻るのだった。
了