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隣を歩いている、彼より少しだけ背の低いアカネの姿を見て、フィベルは思う。
アカネはいつも制服姿だ。
例え学校内にある寮に住んでいようと、休日を過ごすのに制服を着る必要はない。なのに、アカネを外へ連れ出しても、彼女は決まってエリュクフィル魔法学校の制服を着てくる。フィベルはまだ彼女の私服姿にお目にかかったことがなかった。
ミルは今日も新しい勝負服で彼氏の所へ走っていった。
アカネにしてみれば、ただ、学校の制服以上に高価な服を持っていなかっただけ。フィベルと一緒に歩いていて、彼にみっともなく思われない服は、制服を置いて他になかった。
アカネに付き合って、フィベルもいつも制服を着ている。
可愛らしい服をプレゼントしてやりたいと思う。もっとオシャレをしたいと思っているのだろうけど、アカネはフィベルにそんな素振りを見せたことがない。アカネはどんな服が好みなのか、彼には分からなかった。
アカネの誕生日も近いのだし、彼女にはどんな服が似合うのだろうかと、彼は悩ましげに考え続ける。
小さな花咲くプランターの置かれた民家の路地を抜け、二人はエリュクフィルの街を歩く。年に一度の大きな祭ということもあって、いつも以上に街は活気付いていた。
「アカネは、街にはよく来るのか?」
「私はあまり来ないわ。ミルに付き合って、たまに外に出てくるけど。学校の寮に住んでいれば、それだけで事足りるから」
寮には食堂もあるし、小さいながらも購買部も存在する。必要最低限のものはそこで買えるので、アカネはほとんど街に来ることはなかった。
寮や学校だけでなく、その周辺の市街地も学生が多い学生街のようになっている。大陸中から学生が集まるこの都市は、半分は学術都市としての機能が強い。アカネの住む女子寮は学校の敷地内にあるが、学校周辺も見渡せば寮や学生向けの商店街が並んでいる。
「フィベルは?」
「僕は寮生じゃなくて自宅生だからね。登下校中に面白い店があれば立ち寄るし、小さい頃からお世話になってる店もある。この辺りの、旧市街地にはあまり来たことがないけど」
お金のあり余る貴族階級だけでなく、中流階級の学生も多い。そんな学生達は、旧市街地の安い共同住宅に部屋を借りる。本来ならアカネもこちらに住むはずだったのだが、特待生ということで優先的に格安で寮の部屋を借りることができている。
聖誕祭は新市街地の方ではなく、教会の多い旧市街地を中心に行われる。このエリュクフィルは学術都市であると同時に、イシュチェル教会の栄枯盛衰を色濃く残す宗教都市でもある。昔ながらの古い街並みも、この時ばかりは味のある懐かしい雰囲気を醸し出していた。
「アカネは、この祭に来るのは何回目?」
「今日が二回目ね。去年はミルに連れられて祭を見て周ったの。こんな大きな祭を見るのは初めてで、とても興奮したのを覚えてる」
「アカネの実家の方でも、こういう祭はあるんだろ?」
「うん。でもミルミギアは田舎だから。こんなに大勢の人が集まったり、多くの出店が立ち並ぶようなことはないの」
「このエリュクフィルの聖誕祭は特に規模が大きいからね。汽車ができて以来、遠く大陸の反対側からも旅行客がやってくるようになったらしい」
「私のところでも、噂は流れてきていたわ」
「大聖堂の前の中央広場では、イシュチェル教会の法王とエリュクフィル王の演説が行われてるらしいけど。どうする?」
「私はどっちでもいい。フィベルが見たいなら、行っていいよ」
「それじゃあ、パスだね。あんなジジイどもの演説なんて、毎年似たり寄ったりだし」
ぞんざいな物言いに、アカネはクスリと笑う。
「でも、フィベルの叔父さんは教会の司祭様なのでしょう? 行かなくていいの?」
「構わないよ。別に叔父さんが演説する訳でもないし。司祭と言っても、矢面に立つ仕事じゃないんだ。それより、アカネは学会の方に参加しなくて良かったのか?」
聖誕祭と並行して、学園では学会の研究発表講演が行われている。他国の研究機関から多くの研究者が集まり、最先端技術の公開や情報交換が行われている。
「今日はいいわ。リッター博士の講演会は明日だもの。フィベルはいいの?」
「僕のところ、考古学の分野は最終日のセッションだから」
フィベルも去年までは研究発表など見向きもしなかったものだが、今年は自分の研究に関係することもあり、カタチだけでも参加しておくつもりだった。
細い路地を抜けると、中央広場へと続く、大勢の人々で賑わう大通りへと出る。いつもは多くの馬車が行き交うこの道も、今だけは道を封鎖し、多くの露店が立ち並ぶ歩行者天国となっている。二人は店に並ぶ見慣れない商品を眺めてまわった。
「不思議な色……」
ふとアカネが足を止めたのは、小さな織物屋だった。
赤や青の艶やかな色に染められた衣装が店の軒先に並んでいた。祭に合わせて古い民俗衣装などを表に飾っているようだ。
エリュクフィルは古い歴史のある街ということもあり、昔から織物工芸が発達した街だった。人が集まる都市ということもあり、人々に流行を発信する街でもある。エリュクフィルの織物といえば、ちょっとは大陸で知られたもの。エリュクフィルの服屋や靴屋が大陸中で店を構えている。
店内には、色鮮やかな染め織物の生地や、それらを加工して作った衣装や、帽子などの小物が並んでいた。
「こんな衣装も綺麗なんだけど、今では普段から着ている人は、もうおじいちゃんやおばあちゃんしか残っていないね」
「私のおばあちゃんは、いつもこんな服を着ているわ」
「あれ? アカネの実家の方でも、この衣装が伝わっているのか」
「大陸の南は、エリュクフィルの技術が一番最後に辿り着くところだから。衣装や建築技術、ほとんどのものはエリュクフィルと変わらないわ」
フィベルはマフラーを一つ手に取った。
「こういうのも、悪くないな」
服装があまりにも時代遅れなものは、こうした祭の日は別にしても、日常で着用するには少し恥ずかしい。しかし、手袋やマフラーなど、そういった小物であれば、昔ながらのデザインのものでも悪くないと思う。
マフラーにしてみても、この店にある織物の色は、とても優しい色を醸し出していた。同じ青なのに、少しずつ色が違っている。同じ赤なのに、薄明るい色や鮮やかな赤色。
二人が不思議そうに見ていると、店主のおばあさんがゆっくりと話しかけてきた。
「優しい色をしているだろう?」
「おばあさん、どうしてこんなに色が違うんですか?」
フィベルが赤い二つのマフラーを手にとって尋ねた。
「同じ赤でも、微妙に色が違う」
「それはね、これらは昔からの草木染めで染めているからさ」
「草木染め?」
「その赤い色は、茜と呼ばれる植物の根から染めたもの。根を砕き、果物の果汁や何かと一緒に煮る。染めた糸を洗っては日に干して、後はその繰り返し。何度も染め直すと、こんな鮮やかな色に仕上がるんだわ。手間もかかるから、今では作る人も減ったがね」
「私の祖母も、手染めの服をよく使っています。手染めのものは、使えば使うほど味が出てくるからって」
アカネがそう話すと、店主のおばあさんは嬉しそうに頷いた。
「草木によってもその色は変わってくるから、一つ一つが同じ色になるとは限らない。だから、同じ植物で煮てやっても、こんなに色が違う」
「え! この二つも、同じ植物から出た色なんですか?」
フィベルの手に持つマフラーは、一方は紫色に近い茜色、もう一方は桃色に近い明るい茜色。おばあさんはニッコリと微笑んで頷いた。
「採れる土地によっても色が違う。エリュクフィルで一般的な茜色と言えば、少し紫が混じったこの色のことを言うけれど、南の地方では、この明るい方が茜色なのさ。茜から染めているから、全部茜色」
「これも茜色なのですか?」
アカネが手に取ったのは、少し深い赤色をしたマフラー。
「それは茜ではなく、蘇芳だね。上品な色をしてるだろう」
おばあさんの言葉にアカネも頷いた。
「蘇芳の心材から色を染めたもの。その鮮やかな蘇芳の色は、葡萄酒を染めるのにも使われていたほど。高貴な色として、昔から人気の高い色さ」
「高貴な色、か……」
その色を目にして、フィベルは曖昧に呟いた。
そんなフィベルの姿を見て、おばあさんは意地悪そうに尋ねた。
「お前さんには、この色が、血の色にでも見えたのかい?」
彼はピクリと眉を顰めた。
おばあさんはカラカラと笑っている。
「この蘇芳という色は、人によってまるで正反対の印象を持たせる色なのさ。とても暖かい色と見る人もいるし、血の様に深く濃い色だという人もいる」
蘇芳色のマフラーを手に取りながら、アカネはポツリと呟いた。
「まるで、『蘇芳の魔王』みたい……」
その言葉を聞いて、フィベルは不思議に思ってアカネに聞いた。
「どうして『蘇芳の魔王』なんだ?」
彼女はマフラーを置いて、少しだけ真面目な表情をして彼を見つめる。
「『蘇芳の魔王』は、この土地では悪いイメージの魔王として伝えられているよね」
「ああ」
「私の実家の方では、全く違った伝説が伝えられているの」
アカネは思い出す。
昔、母に聞いた『蘇芳の魔王』の伝説。この地の人間が『琥珀の魔王』の話を聞いて育ったように、大陸の南方では『蘇芳の魔王』の話が、子守唄の一つとして聞かされていた。
「私の生まれた土地では、別の呼び名があるの」
「何と言うんだ?」
「『蘇芳の英雄』と……」
驚いた声を上げたのは、店主のおばあさんだった。
「あれま! お前さんは、大陸の南の出身だったかい?」
「そうです」
アカネは頷いた。
「南の地方では、『蘇芳の魔王』は『蘇芳の英雄』として伝えられていると聞く。蘇芳という色と同じさ」
「『蘇芳の英雄』が民を救い、街に溢れた難民達を助けた。南の住民には赤髪赤目の者が多いのも、『魔族』の血が混じっているからだと……」
「おまえさん、出身はどこだい?」
「ミルミギアです」
「なんとまぁ、遠いところから」
大変だねぇとおばあさんは言う。その目が少しだけ悲しそうなのは、この街に住む彼女の赤髪を思ってのこと。アカネは笑って曖昧に頷いた。
「興味深い話だな。アカネが育ったっていうミルミギアに、僕もぜひ行ってみたくなったよ」
「とても田舎だから、フィベルに来てもらうには少し恥ずかしいわ」
アカネはそう話すが、彼女の優しい性格を見ていれば、ミルミギアがいかに穏やかな土地であるかが伺える。
「おまえさん、アカネという名前なのかい?」
「はい」
「それじゃあ、このきれいな髪の色も、瞳の色も、アカネ色だわね」
艶やかな茜色の衣装の中において、それでも尚、人目を引いて止まない彼女の美しい茜髪は、凛とした瞳と相まっていっそう輝いて見えた。
色とりどりのマフラーの中の一本、アカネの髪とよく似た優しい明るい色のマフラーを手にとって、フィベルはおばあさんに尋ねた。
「これ、おいくらですか?」
「フィベル、買うの?」
アカネは聞くが、フィベルはその代金をおばあさんに支払うと、マフラーをアカネの首に巻く。
「今日の僕からのプレゼント」
「え、あっ……」
驚いたアカネ。
「それほど高いものでもないし。これくらい素直にもらってくれないと、僕は拗ねるぞ」
クスクスと笑ってフィベルは言う。
アカネはマフラーを見つめてどうしようかと迷っている様子だったが、最後に一言だけ、こう言った。
「ありがとう……」
嬉しそうに見ていた店主のおばあさん。
「赤い色はな、幸福や愛情といった思いを込めて贈られる色なのさ」
その言葉を聞いて、アカネは少しだけ頬を茜色に染めた。
二人は店を出て、再び出店の立ち並ぶ路地を歩いた。
人通りの最も多い大通りは避けて、旧市街地の趣の残る旧街道の通りをのんびりと散策した。新市街地と旧市街地を結ぶ主要道路に比べ、旧街道は石畳がすり減り、また区画整備が丁寧に行われているわけではないため道もところどころ曲がりくねっている。大きな高級店などはないが、昔の下町の風情を残すこの通りも、街全体の祭の雰囲気もあって平時とは異なる活気を見せていた。
「本当は大聖堂の見学に行きたかったのだけど……」
アカネの呟きに、フィベルは少し残念そうな表情で頷く。
「まぁ仕方ないね。今日大聖堂へ見に行くのは、自殺行為だよ」
年に一度、この生誕祭の期間だけ、イシュチェル教会の大聖堂は一般公開される。熱心な信者は必ずといっていいほど巡礼を行っていることに加え、今日は大聖堂の前の広場で演説が行われているため、近づかない方がいいだろうと二人は考えた。広場へ行けば、それだけで一日が終わってしまう。
「アカネは、熱心な教会信者なのかい?」
「ううん。ただ、『聖戦』の描かれた壁画を見てみたかったの」
大聖堂の天井には、リーゼ・イシュチェルと『蘇芳の魔王』の戦った『聖戦』を描いた巨大な壁画が存在する。この有名な壁画は、数多くの画家に模写され、また学校で使う歴史の教科書などにも挿絵として描かれている。
「アカネは熱心な科学者だから。考古学にはあまり興味がないのかと思ってた」
「興味がないわけではないわ。私の研究も、考古学も、同じこの国の歴史を調べているのだから」
手法は違えど、目指すものは同じであり、共通する部分も多く存在する。
「ただ、私は考古学者でも神学者でもないし、古文書も古代語も解析できないから何も分からないのだけど」
科学的な測定・証拠に基づいて歴史の考察を行うアカネ達科学者に対して、考古学者は聖書や古文書などの文献資料・遺跡そのものから時代の整合性を調べ歴史の考察を行う。片や考古学は測定数値という明確な根拠がないという理屈から、片や科学は数値測定のために貴重な『資料』を『試料』として削り取り科学分析を行う行為ということもあり、両者の仲は悪い。
「本当は、協力して研究にあたれれば良いのだけれど」
「うちの『魔王研』は、科学分析には比較的前向きな方だけど。ちなみに、アカネの魔力測定では、1回の測定にどれくらいの試料が必要なんだ?」
思い出すような表情をして、それでも迷いなくアカネは答えを述べる。
「論文や統計学における信頼度の高い正確な測定をするなら、1回に10エル硬貨1枚分の質量が必要」
「だいたい、古い書物で1ページ分くらいか……」
その1ページを切り裂き、化学処理を行い、分析器に詰め込み測定を行う。その試料は、同じ分析の繰り返し測定には使えるものの、もとの状態に復元することは不可能だ。
「あ、あの、もっとエーテル魔法元素の濃度の高いものなら、その3分の1くらいでも、一応測定はできるんだけど……」
少し慌てたようにアカネは言う。
「貴重な文献を1ページ破らせろって言えば、それはうちの教授でも怒る……かな」
間違いなく激怒するだろう。
科学者が分析し解析を行うのは、古い書物の文章や文字ではなく、その書物の紙の素材についてである。アカネの魔力測定を行っても意味がないように思えるが、このエリュクフィルに残る最古の書物は、今から約3000年前、『琥珀の魔王』の時代に作られた書物である、現存していることからも何かしらの魔法の痕跡が残っている可能性は高い。
アカネの魔力測定は極端な例ではあるが、もっと少量の試料から元の原料を調べたり、時代を測定する技術も研究されている。しかし、例え少量でも、貴重な資料を傷つけることは、考古学者からすれば禁忌に等しい。
「貴重な資料ではなかなか研究させてもらえないから。私の研究の場合は、フィールドに出て、植物や岩、地層の試料を採取して実験を行ってるわ」
「そういえば、アカネのメインの専攻は地質学だったね」
「ええ。最初は地質や地層構造からの歴史の研究だったのだけど、最近は何が専門なのか……」
フィベルを見上げながら、彼女は苦笑いをした。興味あるものにいろいろと手を出してきたため、アカネ自身もよく分からなくなっていた。
「『魔力』の専門だろ、アカネは」
「そう、だね……」
フィベルに言われ、アカネは小さく頷いた。
「『シアンの花』も、アカネの専門と言っていいかもね」
「あの『シアンの花』は、本当に偶然見つけただけだから。私は植物の生態系について研究しているわけではないし」
蕾ではなく、花を見つけたというのは、それだけで大きな成果と言える。そこから、花弁が開く条件や環境について調べることができれば、それだけで十分魅力的な研究とも言えるだろう。
「それにしても、この辺りには『シアンの花』が多いのね」
アカネの視線につられて、フィベルも道路の脇に生える蕾状の『シアンの花』を目にする。
「言われてみれば、この区画には多いね。誰かが栽培しているわけではないだろうけど」
アカネはいつものフィールドワークで見せるような真剣な目で、道端の『シアンの花』を観察している。学者魂に火がついたのか、先ほどまで露店でアクセサリーを見るのとは違って、とても生き生きとした表情だった。それを見て彼はまた苦笑する。
「『シアンの花』について、一つの噂があるのを知ってるかい?」
「噂?」
興味深そうに、アカネは聞き返す。
「百年に一度咲くという噂ではなくて?」
「それとはまた別の話。『シアンの花』が咲く遺跡は、今もまだ生きているという噂があるんだ」
これはフィベルが研究室を出入りするトレジャーハンターに聞いた話。この花に興味がある女の子がいると話していたところ、好意で少しだけ話を聞かせてもらったことがあった。
「魔法に関する花ということもあって、いろいろな伝説みたいなものも多いみたいだけど。遺跡に潜るトレジャーハンター達の間では、『シアンの花』が周囲に咲いている遺跡は警戒すべきだっていう話があるんだ。明確な根拠があるわけでもなく、迷信みたいなものだって、教えてくれたトレジャーハンターは言ってたけど」
この地に残された遺跡の中には、かつて繁栄を極めた魔族の残した遺跡というものが数多く存在する。その遺跡には何らかの魔法的な施術を施されており、その魔力に反応して花が咲く。魔力の残る遺跡には、魔法による防衛機構が生きている可能性があるのだという。
「遺跡……」
もちろん森の中よりも遺跡周辺の方が、獣や人に踏み荒らされていないので花が生育し易いという理由もある。
少し考え込んだ様子のアカネに、笑みを隠したような表情でフィベルは話を続けた。
「ところでアカネ、今僕達が歩いてるこの道路も、実は遺跡の一つだってことを知ってるかい?」
旧市街地の中を横切る旧街道。区画整理された道路ではなく、昔ながらの面影を残す古い道路の一つ。
「知らない……初めて聞いたわ!」
一般的にも名前は通っているが、それは昔を知る年寄りばかりで、若い世代にはあまり知られていない。フィベルは研究テーマの都合上、人より詳しく知っていた。
「この道路は『芳竜の爪痕』と呼ばれる遺跡の一つなんだ」
不自然に曲がる道、それを真上から眺めると、まるで大きな竜に傷つけられた爪痕のように見えることから名付けられた。
「地図上で見れば、よく分かるんだけど」
「『芳竜』というのは?」
「『聖戦』を綴ったイシュチェル教会の聖書に出てくる伝説の魔物だよ。『蘇芳の魔王』が使役し、この街に大きな傷跡を残したと言われてる。研究者の中には、架空の生き物だとも言う人もいるけどね」
実在したかどうかは不明。それらしい生き物も、伝承の中にしか存在しない。
「この旧道は『琥珀の魔王』の時代ではなく、『蘇芳の魔王』の時代に作られたものらしい。なぜこんな曲がりくねった道になったのか、そんな疑問もあって、これも遺跡の一つとして研究されていたんだよ」
もっとも今ではそれをテーマに研究を行っている研究員はいない。例えその理由や成り立ちが解明されたとしても、それが世に出て脚光を浴びることは決してないからだ。
「フィベルは詳しいのね。研究テーマは違うのに」
「テーマ選びの時に、教授に勧められたからだよ。研究者として芽が出ない研究は、すぐ卒業していく学生達に任せてしまいたいのさ」
そんな裏の思惑もあるため、学生達もテーマ選びは必至である。
フィベルは、そんな遺跡の話に興味津々といった様子のアカネに嬉しくなると同時に、少しだけ寂しい思いも感じていた。
(なんて色気の無い話をしてるんだろう……)
これがアカネだと言えばそうなのだが、せっかくのデートなんだから、固い話は止めにしたいところ。
「アカネ、どこかで休憩しないかい? この先に、おいしいアイスクリームの店が――」
そう話したところで、フィベルは言葉に詰まった。
何かに気付いて、彼はギクリと表情を硬くする。そんな彼の様子に、アカネは首を捻った。
そして、それは二人の間に飛び込んだ。
〝アカネ~ッ!!〟
ベチャッと、小さな白い獣がアカネの胸に飛び込んだ。
「キララ!?」
驚いてアカネはキララを受け止めた。
「お前かよ……」
そんなキララを目に留めて、フィベルは頭を抱えた。
泣きつくようにアカネの胸に頬を擦り寄せるキララ、フィベルのウザそうな視線に気が付くと、キッと睨みつけて今度は彼の顔に飛びかかった。
〝このやろ~、俺のアカネに手を出すなーっ!!〟
「いっ、いてっ! 引っ掻くな!!」
なお鼻頭を引っ掻こうとするキララの首根っこを捕まえて、一人と一匹は睨み合う。
フィベルにしてみれば、まだアカネと何もいい感じになっていないというのに、いきなり邪魔者が現れて苛立つ気持ちが強い。
しかし、乱入者はキララだけではなかった。
「アカネちゃ~ん!!」
今度は、一人の女の子がアカネの胸に飛び込んだ。
「シャル?!」
アカネは慌ててシャルを抱きかかえる。
〝ぎゃー! 追っかけて来やがった~!?〟
どうやらキララを追っかけて街までやってきてしまったらしい。
シャルの満面の笑みを見て、キララはフィベルとケンカしていたことも忘れて慌てて彼の肩から背中へと移り、フィベルの影に隠れてビクビクと怯えている。
「シャル、お姉ちゃんはどうしたの?」
「知らない~。たぶんいつもの彼氏さんと出かけてった!」
その結果、シャルにキララのお守りをさせるということになった。逆に言えば、シャルのお守りをキララに任せたという構図。
一人と一匹、大人しく寮で待っているはずがなかった。
フィベルからしてみれば完全にお邪魔虫。アカネの性格からして絶対に追い返すことはしないんだろうなぁと、一人ため息をつくのだった。