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「つまり、あのセラドンはシアンの花を食べていたのよ!」

 自信満々といった様子でミルは話した。

「そんなに単純な話なのか? あれだけ厳重に管理された環境なんだから、別の食べ物を与えていたら研究員が気づくと思うけど」

 興奮したように話すミルに対し、やや冷静にフィベルは答えた。

 食べるだけで発火するような危険な薬草であれば、人間が火を吹いていてもおかしくはない。しかし、いくら研究しても人には火を出すことも花を咲かせることもできなかった。シアンの花を他の薬草と混ぜ合わせることで、人は初めて有効な利用価値に気が付いた。

「確かに、調合の仕方によっては火薬のように使うこともできるけど」

 かつての人は経験と試行を繰り返すことで利用法を見出してきたが、その過程でどのような科学反応が生じているのかは未だ解明されていない。頭を悩ませている理学研究者達を余所に、工業的な利用は一途に拡大している。

〝まだまだだな~、人間達は〟

 唯一、その秘められた力を知る白鴒獣として、キララはミルの頭の上で胸を張っている。

「このどこにでも生えてる雑草に、そんな力があったとは」

「雑草って……」

 ミルの物言いに、フィベルは呆れている。

「街のどこにでも生えてるんだから、雑草に違いないでしょ?」

「まぁ、特別栽培しなくても生えてくるって意味では、雑草には違いないんだけど。ただ、どこにでも生えるというわけではないんだよな」

「どういうこと?」

「『シアンの花』は、この地域一帯でのみ生育する植物なんだよ。他の国では、栽培しても育たないらしい」

 エリュクフィルの街では珍しくもなんともない植物だが、他国では種や苗を移植しても全く成長しない。

「風土が合わないのか、気候が合わないのか。エリュクフィルと同じ気温・降水量の土地で、研究用にこの国の土ごと移植して栽培したこともあったらしいんだけど、それでも成長しなかったらしい。一説には蕾の部分に魔力を溜めていて、魔力の存在しない他の土地では育たないと言われているけど」

「つまり、この国の特産品ってわけね」

「ミル、この『シアンの花』で儲けようと思っても、それはまだ無理だから」

 フィベルに思考を読まれ、ミルは小さく舌打ちする。

「ミルみたいに儲けようと考える人はたくさんいるよ。でも、生育環境が解明されていない植物なんだから、簡単に工業栽培するなんてできないよ。ただでさえ、センチュリープラントとか呼ばれてて成長の遅い植物なんだから」

 雑草のように、気がつけば街の到る所で見かける植物だが、いざ栽培しようとすると非常に時間のかかる気難しい植物である。

「それで、この後はいったいどこに行くの?」

「……知らずについて来たのか」

 呆れてフィベルは呟いた。

 二人が今いるのは、エリュクフィル魔法学校の端、樹海の畔とも言える場所に建てられた小さな研究棟の前。アカネが所属する『エーテル魔法元素測定総合研究センター』、通称『魔力研』の入り口である。後に増設された建物であるため、学校本体の荘厳な造りとはややギャップのある簡素な建物である。

「アカネがその『シアンの花』の群生している場所を知りたいっていうから。俺の知ってるとっておきの場所を、この後案内してあげるつもりなんだ」

「とっておきの場所ねぇ~……もしかして、あたしってお邪魔だったりする?」

「いや、構わないよ。どうせ他にも、お邪魔虫はついてくるようだし」

 と、キララは、フィベルがちらりと自分を見たような気がした。

「それって、今アカネの研究室を見学してる、リッター博士のこと?」

「そうだよ。博士のことをお邪魔虫とか言っちゃマズイけど」

〝ミル、チクってやるんだ!〟

 キララはそう思うが、ミルもそこまで性格は悪くない。

「リッター博士も、もの好きだよね。こんな寂れたとこ見学に来るなんてさ」

「ミル、陰口は良くないぞ」

「陰口じゃないよ。アカネの前でも言ってるから」

「余計に悪い」

 アカネの研究室は非常に人気のないところで、研究員は教授が一名、学生はアカネを含めて二人しかいない。フィベルとミルは入口で立ち話をしているが、他に出入りする人は全くいなかった。

「人気がないだけじゃなくって、この研究室に来た人には病気で倒れる人が多いから、呪われてるんじゃないかって」

「どこの噂だよ……」

「アカネ本人は、それも承知で楽しんでやってるみたいだし」

「ミルはここにしないのか? 研究室の配属、まだなんだろ?」

「う~ん。アカネがいるからねぇ、確かに楽と言えば楽なんだけど」

 所属の研究室や論文テーマを友人で決めると、後でひどい目に会うことがある。結局のところ、自分に興味のある分野でなければ勉強は続かないものである。

「というか、あんまりアカネにおんぶに抱っこじゃ、いくらミルでも嫌われるぞ」

「にゃはは、それは大丈夫だって」

 どこにそんな自信があるのか、ミルは笑って話す。

「たださ、あんまり名の売れてない研究室で研究続けても、それが実績に直結しないっていうか、就職に役に立たないというか」

「ミルは家業継ぐんだから、関係ないんじゃ……」

「甘い! たとえ家業であっても、ライバルはいるし、名のある研究をして功績を残しておくべきだわ!」

「……つまり、優秀なご兄弟がいると」

「あのバカ兄貴には、絶対負けない!」

 学校を卒業し、企業に就職するのであれば、当然名のある研究室の方がコネも強いし、学校からも優先的に優良企業を紹介してもらえる。ミルの家のように家業を継ぐ生徒は気楽なものだが、他の庶民派の生徒は論文のテーマ選びも必死である。ちなみに、アカネのように学歴のためではなく、研究のために入学をするという生徒は本当に少ない。

「じゃあ、家業のためにって言うなら、経済学の研究室なのか?」

「一応、そのつもりなんだけどねぇ~。どうもパッとしないっていうか。アカネみたいに、フィールド出る研究の方が楽しそうといえばそうなんだけど」

「やっぱりミルもアカネに影響されてるんじゃないか」

 他の生徒達に比べて、アカネはとても楽しそうに研究を行っている。研究室への配属も、他の生徒達に比べて一年以上も早かった。

「アカネは研究そのものが入学の目的だったからねぇ。入ってからフラフラと迷ってるあたし達とは、年季が違うのよ」

「というか、ミルは早く決めないと論文が間に合わないぞ」

 エリュクフィル魔法学校の卒業には、平常授業の単位に加え、研究論文の提出が義務付けられている。他の単位は足りているのに、研究論文がまとまらずに留年するという生徒は意外に多い。

「フィベルの『魔王研』はいいよね。なんと言っても、エリュクフィルの花形だし」

 この地に残る魔王の文化を研究する『エリュクフィル歴史民族学研究室』、通称『魔王研』は生徒の中でも特に人気の高い研究室。考古学の研究は、この学校が最も力を入れている研究分野である。

 エリュクフィルは、街の至る所に歴史的建造物を残す遺跡都市。街の基礎となる水路、街道、旧市街地、そして現在は魔法学校として使用されている旧エリュクフィル城、これらは全て今から三千年も前に『琥珀の魔王』によって設計された建築物である。そして、現在のエリュクフィル市街は、そんな遺跡の上に建てられている。市街の地下へと潜れば、そこには二層にも三層にもなる旧市街地の遺跡が残っている。

「フィベルも、トレジャーハンターとかになるの?」

「いや、そんな危険な職に付くつもりはないよ」

 まるで迷宮のように巨大な地下遺跡は、古いものは三千年も昔のものであるため、地下に潜るのは非常に危険である。そのため、そんな地下遺跡に潜り、学術研究用の考古資料を探すトレジャーハンターという職業が存在する。

「夢があっていいじゃないの。男の子は皆、憧れるんじゃないの?」

「確かに憧れた時もあるけどね。現実は危険と隣合わせで、実入りもほとんどない、かなり割の合わない仕事だよ」

「一攫千金の夢もあるけど、まぁそうだよね。フィベルみたいな貴族様には、似合わないよね」

「……」

 口を大にしてフィベルが言うことはないが、彼は高貴な貴族出身である。と、少なくともミルはそう考えている。本人はアカネがいる手前、あまりそういう話をしたくないのか、この手の話題になると途端に何も話さなくなる傾向がある。

「……ミル、いつもそう言ってるけど、なんで僕が貴族だって思うんだい?」

「あたしの大嫌いな貴族臭がするから」

「……」

 直感だけだった。

「まぁ、うちみたいな成金貴族臭はもっと嫌いなんだけど。でも、フィベルのファミリーネームはヘルシエルだっけ?」

「そうだよ」

「そんな貴族は、聞いたことないんだけどなぁ」

 ブツブツと呟くミルに、フィベルはため息をつきながら言う。

「……ともかく、僕は貴族じゃないよ」

「ふ~ん、そういうことにしといてあげる」

 ミルは納得していない表情であったが、これ以上詮索する気はなかった。

 しばらく二人は雑談を続け、キララが本気で眠くなってきた頃、ようやく建物の中からアカネとリッターが出てきた。

「やっと解放されたみたい」

 最初、ミルやフィベルも一緒に研究室の中に入り、リッターとともにアカネの研究室を見学していた。しかし、途中からはリッターからの質問の嵐にアカネが答えるという構図になり、あまりの専門用語の多さについていけず根を上げて二人は外に出てきていた。もちろんキララも避難組。

「いや、解放ってことはないんじゃないかな? アカネも自分の専門分野だし、今まで興味を持ってくれる人なんていなかっただろうしね」

 疲れた表情のキララ達に対し、アカネとリッターは未だに生き生きとした目で話しながら歩いてくる。

「いやいや、この研究は実に素晴らしい! これはすでに確立された理論と言える。なぜ世間に認められないのか不思議なくらいじゃ。アカネさん、逆境に負けずがんばりなさい」

「はい。ありがとうございます」

「僅かばかりではあるが、私も周りの凝り固まった研究者達に、よく宣伝しておくぞ」

 リッター本人は僅かばかりというが、彼の功績・知名度ははかり知れない。研究の推薦者として後ろ楯が付けば、これほど心強いことはない。アカネは改めて、深く頭を下げてお礼を述べた。

「ジジイの戯言じゃ、気にせんでおくれ。それで、この後はどこに連れていってくれるのじゃ?」

 フィベルに目配せをして、アカネは答えた。

「はい。先ほどの話にも少し関係するのですが、魔力を最も内包している植物、莱晶花『シアンの花』の群生地があるという話なので、フィベルに、この彼に案内してもらう予定だったのですが」

 こちらを見るリッターに、フィベルは頭を下げた。

「考古学『魔王研』のフィベルです。よろしくお願いします」

「ふぉっふぉっ! すまんのぅ、せっかくのデートを邪魔してもうて」

 ちっとも謝っている表情ではないとフィベルは思った。

「構いませんよ。お邪魔虫は他にもいますから」

 と、横から言うミルは、頭の上のキララと共にニヤリと笑った。


 フィベルによって案内された場所は、学校から西に向かって少し山を下った樹海の外れだった。なだらかな丘に囲まれたその場所は、一見すると遠くからでは見つけることができない秘密の花園。主要な街道からも遠く離れて、人間などの動物だけでなく虫達さえも立ち入ることを拒む秘境の楽園。

 アカネ達が辿り着く頃には、空は真っ赤に染まっていた。

「すごい……」

 誰とも知れず呟いたアカネの腕の中で、キララも人知れず感嘆の声をもらす。

〝これはすごいなぁ!〟

 低い丘の向こうには日に染まる街並みが見えるが、決して向こうからは花を見ることはできない。そんな隔絶されたエリュクフィルの向こうには、琥珀色に染まる湖が見渡せる。

 一面に空色の花畑が広がっていた。その全てが『シアンの蕾』、花弁が開いているものは一本たりとも存在しない。しかし、咲き乱れる蕾が地上にもう一つの空を作り上げている。夕日を受けて、『シアンの花園』も赤く輝いているような錯覚を感じる。

 我慢できなくなったように、ミルは花畑の中へ駆け出した。

「すっごーい!」

 それに負けじとキララも続く。

〝うひょ~!〟

 蕾を散らして、白い小さな影は地上の空を潜る。

「絶景じゃのぉ!」

 リッターが、年を感じさせない軽い足取りで蕾を観察している。

「こんな花畑があるなんて……」

 驚きに目を輝かせているアカネを横目に、フィベルは悩んでいた。

 いけ、男ならここで肩でも抱いて見せろ、いやここは邪魔者が多い、まだ責める時ではない。心の中で、本能と理性が葛藤している。

 そろりそろりとアカネの後ろから手を伸ばす。しかし、肩に手が届く前にアカネは歩きだしてしまった。

「フィベル」

 伸ばした手をさっと隠して、慌ててアカネに答える。

「な、なに?」

「あの建物は何?」

 振り返ったアカネが指差す先には、レンガ造りの小さな建物があった。

「教会、かな……?」

 悩むようにして彼は答えた。

「教会?」

「元は古い、いつ建てられたのかも分らない小さな教会。それを改装して、修繕して、人が住めるようにした建物。教会としても一応使えるけど。まぁ、とある貴族の別荘みたいなものだよ」

「フィベルの家の物なの?」

「いや、違うよ。後ろ盾になってくれていた貴族に、借りていただけだよ」

 花畑の淵に建てられた小さな教会。懐かしそうに見つめながらフィベルは話す。

「あそこには昔、僕の母が住んでたんだ。僕が幼い頃に亡くなったけどね。『シアンの花』が好きだったらしい」

「そう……」

 アカネは曖昧に頷いた。

 ミルは「わっふー!」と花畑に寝転がっている。その彼女のお腹の上でキララがぴょんぴょん跳ねまわっている。

「大丈夫、かな……」

 ふと呟いたアカネに、フィベルは聞き返した。

「何が?」

「私が調べたものの中で、『シアンの花』が一番魔力が強かった。それが事実なら、ミル達が病気にならないか心配で」

 魔力過剰摂取による『魔族病』。しかし、病気と魔力の関連性は現在のところ何も解明されていない。古くから云われている迷信のようなもの。

「大丈夫なんじゃないかな? ミルは少し前に『魔族病』やったばかりみたいだし。それに、僕は昔からここで遊んできたけど、一度も病気になったことはないよ」

「そうなんだ」

 頷いて、アカネは悩みながら一つの質問をした。

「フィベル。お母様が亡くなったのは、ひょっとして『魔族病』なの?」

「……? いや、違うよ。母は体が弱かったって聞いてる。それに、『魔族病』じゃなくって、アカネみたいに元々瞳が赤い人だったんだよ」

 アカネは驚いて、フィベルを見上げた。

「私と同じ、南の出身の方だったの?」

「それは知らない。少なくとも、この国の出身ではなかったみたいだけど」

「そう……」

 アカネは『シアンの花』を一輪手に取ると、静かに話し始めた。

「私の母は、『魔族病』で亡くなったの」

 フィベルは驚いた。

「ミルミギアにも、大陸の南にも『魔族病』があるのか?」

「ううん、違うわ。母は、この国で魔法の研究をしていたの」

「ひょっとして……」

「ええ。昔、『魔力研』で働いていたの。魔力測定器の開発に携わったと聞いているわ。私の母は、この花に殺されたのかもしれない」

 複雑な表情で、『シアンの花』を見つめる。

「それじゃあ、アカネがこの国に来たのって……」

 悲しそうな顔をするフィベルを見て、アカネは微笑を浮かべながら答えた。

「違うわ。原因を突き止めたいとか、この花に復讐したいとかは思ってない。ただ、私は知りたいの。母をそこまで夢中にさせた『魔法』とは、いったい何なのか……」

 魔法とは、魔力とは何なのか。どうして魔族は消えてしまったのか。魔王とはいったい何者なのか。それは全ての科学者・研究者が追い求める究極の問い。

「その手がかりが、この大地であり、この花なの」

 空色の小さな蕾の中には、魔王へと続くカギが握られている。

「今なら分かる。どうして母が、あんなに楽しそうに研究していたのか」

 アカネの母は、アカネと同じ赤い美しい髪をしていて、この国ではアカネ同様に街の人に忌み嫌われながらも夢中で研究を行ってきた。学校の、当時の母を知る教授達は皆口を揃えてこう話す。惜しい人を亡くした、キミの姿や志はお母さんと瓜二つだ、と。

「そっか……」

 ただ頷くしかなった。

「すごいな、アカネは……」

 少しだけ、彼女との距離を感じてしまい、フィベルは自分に鞭を打ってがんばろうと思った。

 直面する問題に、いつまでも逃げているわけにはいかない。

 花畑の中にいるミルは、キララの首根っこを捕まえて「火炎放射機ー! いえ~い!」と蕾を食べさせて火を吹かせている。残り少ない白髪を燃やされながらも「これはすごい! 歴史的発見じゃあ!」とリッターは目の色を変えて白鴒獣を観察している。

「あれって、いったい何なんだろうな……」

「……なに?」

「いや……キララって、すごく頭いいよな」

「そうね。まるで、私達の言葉が分かるみたい。セラドン達も、あの子みたいに頭がいいのかな」

 二人は火を吐く小さな魔物を見つめる。

 大陸中でこの地にしか存在しない魔法文明。この土地でしか生育しないシアンの花。そして、魔王へと続くもう一つの手がかりである、この地にのみ生息する魔物達。

「僕には……」

 フィベルの呟きは、ミルの叫び声によってかき消される。

「きゃ~! こいつ、アタシの髪燃やしやがった!」

「……それはミルが悪いよ」

 呆れながらアカネはミル達の方へと近づく。

 アカネと入れ替わりに、花畑の外側へと飛び出してきた白い影。

〝イ~ッだ! ミルのバーカバーカ!!〟

 フィベルのすぐ隣にやってきたキララは、ミルを睨みつけて挑発するように尻尾を振っている。

 その彼を、フィベルはジッと見つめた。

 ひどく頭痛がするようだった。曖昧にしか感じられなかったそれは、ここに来てますますはっきりと感じ取れるようになった。体中に毒が巡るようだった。身体の奥が熱くなり、血が全身に熱を伝え、視界が霞むように現実と幻想の世界が重なる。

 この感覚には馴染みがある。

 熱に浮かされているような症状。

 魔族病。

 その前兆のような微熱。

 ふわりと風が舞うと、まるで熱風が頬を撫ぜるように、視界が蜃気楼のように揺らめいた。

 そんな中で、ただ一つだけはっきりと浮かび上がる存在がある。

 空耳ではない、確かなものが感じられた。

 フィベルは、キララの首根っこを掴み上げた。

〝おりょ?!〟

 痛みはないのか、驚いてキョトンとしている様子だったが、フィベルに掴まれていることに気付いて慌てて暴れ出す。

〝なんだよ?! 離せ、離せ~っ!〟

 ジタバタと手足を動かすキララを見て、フィベルはまた頭を抱えた。

「最初は、気のせいだと思った……」

 フィベルはそれを知るために、アカネへと教えるためでなく自分のために、それについて調べ尽くした。しかし、そんな記述はどこにもいっさい存在しない。

 ここにきてようやく、キララはフィベルの視線に気が付いた。キララを見つめている。目が据わっている。さすがのキララも、その異常な光景に言葉を失う。

 フィベルのその目は、ただの動物へと注がれる視線ではなかった。

〝な、なんだよ……〟

 ため息をつくように、フィベルは言った。

「お前、いったい何者なんだ……?」

 キララがそれを理解するのには、少し時間が必要だった。

〝…………は?〟 

 まさかという思いで、内心は動揺して冷や汗をだらだらと流しながら、それでもキララは彼を見つめ続けた。

 その動揺も、呟きも、全て分かっているというように、もう一度フィベルはキララに向けて、白鴒獣に向けて言葉を投げかけた。

「白鴒獣とは、いったい何者なんだ? なぜ……」

 自問するように、フィベルは言い直した。

「なぜ、僕にはお前の声が聞こえるんだ?」

 キララは、サーッと血の気が引いていくのを感じた。白銀の体毛に全身覆われていても、その変化が分かるほどに表情は暗く沈んでいった。

 遠くに聞こえるアカネやミルの明るい声が、まるで華を咲かせるように、蕾しかないシアンの花畑の中に響いていた。




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