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学校ではいろいろな噂のあるアカネ。積極的に近づこうとする男はいなかった。
その中で、この男だけは違った。
アカネ達とはクラスも学科も違う。ただ週に一度の薬学の授業では、アカネ達と一緒になる。その後の昼休み、いつもアカネはミルと二人で食事をとるのだが、毎週この時間だけはフィベルも一緒に昼食をとっていた。
物好きな男だ。周囲の者は、口を揃えてそう話す。
だが、それ以外の面でフィベルの評判は非常に良い。容姿端麗で成績も良い。何より人当たりの良い性格をしているから人気が高い。それがかえって、アカネに嫉妬の目を向けさせていることを、当の本人達は気づいていない。
問題なのは、アカネがそれを満更でもないと感じていることだった。
フィベルが「いただきます」と言って食べ始めたのを見て、アカネもごはんを食べ始めた。アカネは今の今まで、ごはんに手をつけていなかった。フィベルのことをずっと待っていた。
「アカネ、もう冷めちゃってるじゃない。こんなやつ待ってないで、先に食べちゃえば良かったのに」
「こんなやつとは失礼だな。でも、僕のことは待たなくてもいいよ」
二人にそう言われ、アカネは曖昧な顔で頷いた。
「それにその肉炒め、キララが食べちゃってほとんどピーマンしか残ってないし」
〝ピーマンは~、苦くて嫌い~〟
キララは次に、ミルからデザートの果物をもらって食べている。
「その、白鴒獣って言ったっけ? あれから、僕なりに少し調べてみたんだけど」
「おお、さすが優等生。どうだったの?」
嬉しそうに聞き返すのはミル。
チラリと、フィベルがアカネを見たことをキララは見逃さなかった。相変わらずアカネはいつもの笑顔で話を聞いている。
「やっぱり最近の図鑑には全然載ってないみたいだね。でも、古い百科事典の方には、いくつか記述があったよ。挿絵付きで、およそニ百年前には絶滅したって書いてあった」
「うわ~、やっぱりそうなんだ。アカネ、こいつは高く売れそうだぞ」
ミルの一言に、キララはギクリと背に寒いものを感じた。ミルの目が、本気だったように思う。
「売らないってば」
「ペット屋とか、闇市に売るより、今なら国へ売った方が高くなると思うよ」
そんなことを言うフィベルを、キララはキッと赤い小さな瞳で睨みつけた。睨まれて、少し怯んでしまった様子のフィベル。
「と、ともかく、この白鴒獣が最後の一匹ってことはないはずだから、きっと森でひっそりと生き延びていたんだろうね。奥まで行けば、白鴒獣の集落が見つかるかもしれない」
「じゃあ、キララが悪人の手に渡った場合、白鴒獣が生き延びていたことが世間に知れて、密猟者達が一気に森に殺到する……」
ミルの発言に、キララはドキリと嫌な汗をかく。
「いや、そうなる前に、国の動物保護団体が動くと思うよ。いくら白鴒獣が、教会から悪魔の烙印を押されているとは言っても、それとこれとは話が別だからね」
「教会の聖書の方には、どういった記述があったの?」
アカネの質問には、フィベルは少し笑みを見せて答えた。
「聖書に白鴒獣が登場するのは、およそ千七百年前の史実からだね。イシュチェル教会の創設と『蘇芳の魔王』との『聖戦』がおよそ二千年前だから、割と昔から白鴒獣は歴史に出てきている。なんでも、当時の人々は、白鴒獣を『蘇芳の魔王』の加護を受けた動物として恐れていたらしい」
「『蘇芳の魔王』の加護……」
「この赤い目なんかが、そうなのかな?」
ミルがキララの赤い円らな瞳を指差した。
「それも原因の一つみたいだね。『蘇芳の魔王』とは、文字通りそんな赤い目と髪をした人物だったらしいから。歴史書にも、そういう絵で描かれてるだろ?」
アカネ達の使う歴史の教科書、最初の挿絵のページにはカラーで大きくイシュチェルと『蘇芳の魔王』の戦いの様子が描かれている。これは宗主国であるこの国のリーゼ大聖堂の壁画を模写したもので、宗主リーゼ・イシュチェルの死後、大聖堂建設に伴い描かれたものである。普段は、一般人は見ることができないが、年に一度この祭の季節にだけ公開されている。
「『蘇芳の魔王』率いる魔族と、リーゼ・イシュチェルの『聖戦』だよね。最後には、イシュチェルが大津波を引き起こして魔族の集団を退けたったいう」
この戦いの詳細はイシュチェル教会の聖書にも記述されており、この国に住まう者にとっては子守唄ように語り継がれてきた物語であり、有名な魔王伝説の一つである。
「そういえば、絵には凶悪そうな魔物がたくさん描かれてるけど、キララ達は載ってないね」
「大陸中を探してみても、この土地にしか住んでいないみたいだ。祖先の動物がいったい何なのか、何科の動物なのかについても、何もわかってないみたいだ。だから、生きた白鴒獣は専門家にしてみれば咽から手が出るほどほしいに違いないね」
魔物研のクレイグ教授達があの様子なのだ。白鴒獣を知っている者に見せることは非常に危険なようだ。
「出来るだけキララを他人に見せるのは、止した方がいい」
「そうしたいのは山々なんだけどね……」
ため息をついて、そんなアカネを気にも留めようとしないキララを、諦めた様子で頭を撫でていた。
「白鴒獣の出現が、『蘇芳の魔王』の時代以降だから、加護を受けて誕生した新たな魔物だと伝えられているみたいなんだ」
「セラドン達はもっと昔からいたの?」
ミルの問いに、フィベルは難しい顔で答える。
「セラドンや他の魔物は、『琥珀の魔王』の時代から伝えられているものが多いみたいだ。まぁ、『琥珀の魔王』の時代については、あまり多くの文献が残っていないから、それ以上のことは分からないんだけど」
セラドンに至っては、古い時代の地層から化石としても発掘されている。一万年近く前から姿を変えていない生きた化石として、その生態系は長く研究されている。
「そのあたりのことは、それとなく『魔王研』の先生方にも聞いてみたから、実際そうなんだと思う」
「あの……『琥珀の魔王』という人は、どんな人物だったの? 私はあまり知らないんだけど……」
アカネが少し恥ずかしそうにして質問をした。
「あ、そっか。アカネはここの出身じゃないんだよね」
思い出したように言うミル、フィベルもそれに続く。
「この街の子供は、子守唄の代わりに『琥珀の魔王』の伝説を聞いて育ったからなぁ。今さら、歴史の授業でやることもないし」
「ていうか、子供に聞かせれる程度のことしかわかっていないっていうのが現実だよね」
「私が知ってるのは、『琥珀の魔王』がこの街を造ったっていうことくらいなんだけど」
「その通り。皆わかってるのは、それだけだよ。このエリュクフィルの建国王、始祖皇帝。約三千年前、『琥珀の魔王』がこの地にやってくる前にもここには街があったらしいけど、この土地に国の基礎を作り上げたのは『琥珀の魔王』なんだ。今も残ってる旧市街や水路の設計は、全て彼自身が設計したといわれている」
その話もなんとなく聞いたことがあった。アカネが気になっていたところは、そういった話ではない。
「どうして、その人は『琥珀の魔王』と呼ばれているの?」
「一説には、この土地には珍しい琥珀色の肌をしていたともいわれている。でも、一般的に言われているのは、『琥珀の魔王』が持っていた杖だね」
「杖?」
「杖の先端には、魔力の源の大きな琥珀色の石が埋め込まれていたらしい」
「うん、子供の頃よく読んだ絵本の挿絵はいつもそれだった。その杖を掲げて、魔王様は奇跡を起こすの!」
うっとりとミルは想像の世界に羽ばたいている。国立劇場の舞台を思い出しているらしい。そんなミルを見て、アカネは不思議そうに呟いた。
「魔族は恐れているのに、魔王には憧れるのね……」
その言葉を聞いて、少しムッとした表情をするミル。それを見て、アカネは慌てて言った。
「いえ、ただ私が外から来た人間だから、そう思うだけなのかもしれないけど」
そんなアカネを擁護するように、フィベルも賛同意見を述べる。
「そうだね、確かに矛盾してる。歴代の魔王の中には偉大な英雄も数多く存在するから、憧れるのも分かる気もするけど。ただ、この町の人間が魔族を恐れているのは、『魔族病』と『聖戦』のせいなんだ」
「聖戦?」
「うん。二千年前の教会の宗主イシュチェルと『蘇芳の魔王』の聖戦で、魔族は完全に悪役だしね。魔族の実在しない現代では、魔族=病気っていうイメージのせいで、どう考えても悪者にしかならないよ。この街の年寄り達は特に魔族を毛嫌いしてる。ミルや若い子達が魔王に憧れるっていうのは、脚色された舞台や本のせいで、この街のメディアによるイメージ戦略にハマってるだけだよ」
「ミーハーなんだね……」
再び図星を指され、ミルは怒ったように言い返した。
「そ、そうよ! ミーハーで何が悪いの?! あたしはね、時代の最先端を常に目指してるのよ!」
ムキになって言い返してしまうのは、メディアの戦略に乗せられているという自覚があったからだろうか。そして、商人の娘としてのプライドがそれを認めるのが許せなかったからなのだろうか。
しばらくして、三人は昼食を食べ終わり、出入り口の横の食器返却口の人の列に並んだ。
「ところで、午後の実験に使う試料は持ってきた?」
「ええ。教科書に載ってるのならなんでもいいみたいだったから、前に裏の森に行った時に取ってきたの」
と、アカネはいつもの山歩き用の鞄をポンと叩いた。ちなみに、移動中はいつもその鞄の中に身を寄せているキララは、〝ギャッ!〟と小さく身を震わせた。
「資料集には図が載っていない花だったのだけど、魔術用の薬草には違いないから。また先生に聞いてみようかなって」
「アカネはまたそれだなぁ。山をどこまで歩いていってるんだ? 深く行き過ぎると、帰って来れなくなるぞ」
「大丈夫。地形図に載っていない山の奥までは行かないし、地質のルートマップを作りながらだから」
裏の山の森深くは、方位磁針も利かない未踏の地。軽装の学生が簡単に進めるような地形ではないし、凶暴な動物達も多い。興味はあるのだが一学生身分の彼女としては問題を起こすわけにもいかないので、できるだけ地図から離れた遠くには進まないようにしている。
と、アカネとフィベルが振り返ると、ポカンと立ち尽くすミルの姿があった。
「ミル、まさか……」
「アカネ、これ後任せた! 今から収穫してくる!」
アカネに返却トレイを押し付けて、ミルは駆け出した。
「ミル、それはせめて収穫じゃなくて、採取と言ってくれ」
「教科書に載ってる薬草を取ってくるんだよ」
フィベルの冷静な声と、アカネの的確なアドバイスを背に受けて、ミルは人混みの間に走り去った。
その後、食器を返却すると、二人は薬草学実験実習室へと向かった。
実習室には、すでに多くの生徒達が集っていた。各自の机の上には思い思いに集めてきた薬草が置いてある。地味な薬草から、匂いのきついハーブなど。中には派手で大きな花を手にする者もいる。
「実際に調合までするのか?」
「いや、今日は身近にどんなものがあるのか感じるためのものだから。具体的な調合は、もっと勉強してからだと思うよ」
二人も空いている席について、授業の教科書と持ってきた試料をそれぞれ鞄から取り出している。アカネの鞄からは、真っ先にキララが飛び出て、すぐ隣の席の生徒を驚かせている。
「フィベル、その薬草は」
「うん、『シアンの花』だよ」
フィベルが取り出したのは、先が蕾のようにふっくらと丸まった淡い空色の植物。他にも、この植物を持ってきている生徒が何人もいる。
学識名称は【莱晶花】、通称『シアンの花』と呼ばれる薬草の一種。
「この街で一番有名な薬草だからね。これといって珍しくもないけど、利用法は最も豊富にあるから、使いやすいかなって」
また、薬学の知識に乏しい者が、楽をする意味で無難にこの植物を持ってくる。苦笑いをするフィベルに、アカネはクスリと笑った。
「でも、この植物は、この蕾みたいなのが花なの?」
「……?」
アカネの言葉に、フィベルは首を捻る。
「街に咲いているのも、みんなこんな形だよ。これで花だって、これを採らせてくれた家政婦のおばちゃんも言ってたし」
「そう……」
アカネは曖昧に頷く。
「実は私、最近この花について、少し調べているのだけど……」
アカネが話しかけたところで、ざわざわとした教室の雰囲気がスッと変わった。先生がやってきたらしい。結局、ミルは開始には間に合わなかったようだ。
「それでは最初に、各自何の薬草を持ってきたのか見せてもらいますね」
と言って、やや白髪の目立つ女性教授は、端の生徒から順に試料を確認していく。やはり、『シアンの花』を持ってきた生徒が一番多いようだが、中には先生が首を捻る珍しい植物や、庶民では手の出せない高価なハーブを持つ生徒もいるようだ。
「それで、アカネはいったい何を持ってきたんだ?」
フィベルの言葉に頷いて、アカネは鞄から一輪の花を取り出した。
フィベルと同じ、空色をした美しい花。葉の形も同じ。
ただ決定的に違うのは、アカネのものは見事に花弁が開ききっているということ。
その花からは、蕾の『シアンの花』と同じで僅かな甘い香りだけを放っていた。決して派手な花ではない。しかし、どこか目の離せない、人の視線を引き付ける不思議な魔力を持つ花。周囲の席の生徒達も、興味深そうにその花を眺めていた。
「それは……」
「これが、『シアンの花』なのだと思う」
蕾ではなく、花。
街でも見かけない、図鑑にも載っていない、美しい本当の姿。
先生も気づいて、慌ててアカネの元にやってきた。
「こ、これは見事ですね!」
「先生、これが、『シアンの花』なのでしょうか?」
「そう。他の皆さんの持っている、普段見慣れたこの姿を花と認識している人が多いようですが、これは蕾の状態です。莱晶花『シアンの花』とは、そのほとんどが蕾の状態で成長を終える植物なのです」
特殊な生態系を持ち、花のように見えながら花としての機能を一切持たない植物。
「何のために花をつけるのかは、まだ分かっていないことなのですが、薬草として様々な効能を発揮するのは、この特殊な花の生態に関係すると言われています。花弁が開いているのは私も初めて見ましたが、かつての論文や報告書にはいくつもその事例が紹介されています。アカネさん、これをどこで見つけましたか?!」
先生の剣幕に、アカネは少し引いている。
アカネ自身、ここまで驚かれるとは思ってもみなかった。
「は、はい、裏の森の中で、いつものように調査をしている時に……」
「森の中ですか。花が咲くには、何かの条件があるのでしょうか」
授業用の教科書でさえ、『シアンの花』の姿は蕾として描かれている。よほどの専門家でないかぎり、花弁が開くことは知られていない。
「莱晶花は、通説では百年に一度咲く花として伝えられていて、センチュリープラントなどと呼ばれています」
もっとも、それを確かめた者は誰もいないのだけれど、と、先生は曖昧に言葉を濁す。
「今まで、花開くのを一度も見たことがなかったから、百年に一度というのも怪しいものですけど。アカネさん、後でもう少し詳しく、どこに咲いていたのか話して頂けますか?」
「は、はい」
アカネの返事に満足したように頷くと、まだ少し興奮した様子で、先生は再び他の生徒達の薬草を見てまわっていった。
「そんなに珍しいものだったなんて……」
アカネがボソリと呟いた。
「僕も初めて見たよ」
「でも私、森ではよく見かけるわ」
何気なくもらしたアカネの呟きに、フィベルは耳を疑う。
「……よく?」
聞き返すが、アカネは小さく頷くのみ。
わずかな沈黙が流れるが、その微妙な空気は、後ろからの突然の明るい声にかき消された。
「なになに? その花がどーしたの?」
遅れて授業に紛れこんだミルだった。
「ミル、遅いよ」
「まぁまぁ、なんとか実習開始には間に合ったみたいだし」
「全然間に合ってないから」
先生がすごい顔でミルを睨んでいるようだが、彼女はあまり気にしていないようだった。
「で、その花は何? 『シアンの花』みたいな色してるけど」
「ミルも、『シアンの蕾』を持ってきたんだな」
フィベルがミルの手に持つものを指して、これ見よがしに蕾を強調する。
「え?! これ、蕾なの? 花じゃなかったの?」
そんなミルにアカネは先ほどの先生の話を簡単に伝えていく。
その陰で、得意げに動く一つの白い影があった。
〝ふっふっふっ! お前達、人間はこの花のことを何もわかっちゃいない!〟
机の上で胸を張っても、キララに注目するのは横にいたフィベルと、アカネの花を見ていた前の席にいた男子生徒だけ。
キララも、花弁が開いているものは滅多に見たことがない。
ただし、森の奥にないわけではない。
森に住む動物達は本能でこの植物の意味を理解しているが、白鴒獣達はそれを知識として伝えている。何も解っていないのは、街に住む人間達のみ。
〝俺が本当の使い方ってものを教えてやる!〟
キララは、ミルの手に握る『シアンの蕾』をパクッと口に咥えた。
「あ……」
声を上げたのは、それを見ていたフィベル。ミルが気づく時には、手には茎しか残っていなかった。
「あー! コイツ、あたしが苦労して見つけてきたものを!」
口の中でムシャムシャと租借する。
そして。
「ミル、待て!」
キララに掴みかかろうとするのを、フィベルが慌てて静止した。
アカネは慌てて、キララを捕まえようとした。
その次の瞬間。
キララの口からは、静かな火炎が飛び出した。
「あっつっ!!」
悲鳴を上げたのは、前の席にいた男子生徒。その生徒の毛先を焦がして、その激しい炎は瞬く間に消えた。
教室は沈黙に包まれる。
遠くにいた先生も何事かと、こちらの様子を伺っている。
皆、アカネが口を抑え、抱え込むようにして捕まえている白鴒獣を凝視していた。
「キララが……」
「火を吹いた……」
ミルとフィベルも茫然と呟いた。
アカネの腕の中でもがく白鴒獣、その姿はまるで小さなセラドンのようであった。