3-(3)
「アカネちゃんのそれ、何~?」
「イチゴ味」
「少しちょーだい!」
先にアイスクリームを手渡されたアカネとシャルは、近くのベンチに空きを見つけて座る。
〝えっとね~、俺は何にしようかな~〟
「……先に言っておくが、お前の分はないぞ?」
〝がーん!〟
肩に居座る白い獣に、一言釘をさす。目に見えてしょげるキララの様子に、そのやり取りを見ていた店員の女性が思わずといった感じで苦笑していた。仕方ないので、少し多めにお金を支払うと、キララ用に小さなカップをおまけしてくれた。
〝ふん! お前らだけで楽しもうったって、そうはいかねぇよ!〟
「ミルが檻の開け口を、頑丈に固定したって言ってたが……」
〝俺とアカネの間に、そんな小細工は通用しねぇぜ!〟
「シャルが封印を解いたんだな……あ。そういえば、街では基本的に、僕はキララのこと無視するから」
〝ががーん!〟
変人に見られたくない。シャルやアカネが動物と会話している分には可愛らしいものがあるが、野郎では痛いだけ。
たとえ犬猿の仲の相手であっても、スルーされるのはそれはそれで辛いものがあるらしい。
意思疎通のできる貴重な相手。
その声を改めて認識すると、今までに比べてよりはっきりとその音が聞き取れるようになった。キララの意識が、彼へと向いたことも理由の一つなのかもしれない。
会話できるように初めて気付くことがある。
人間は、白鴒獣をとても静かな生き物だと認識している。
(どこがだよ……)
〝うめー! このアイス、めちゃうめ~!〟
ベンチの上、アカネの横に座り、カップに入ったアイスを、キララは尻尾を振りながらガツガツ食べている。声がうるさくて仕方がなかった。
キララは独り言が多い。
今まで誰にも気づいてもらえなかったというのもあるのだろうが、それにしたって喋り過ぎである。神秘的な容姿とは裏腹に、神聖さが何も感じられなかった。特にこの頭に直接響いてくるような甲高い声が、耳を塞いでも聞こえてくるという辛い状況が、彼の頭痛を悪化させている。
せっかくのデートが潰れたというのに、シャルと話すアカネの表情には、不満な様子は欠片も存在しない。それがなにより、フィベルの心を不安にさせる。
(いや、もともとアカネはあまり表情変わらないし、嫌がってる様子もないからこのまま押していけば……)
そうは思うものの、なかなかきっかけが掴めず、モヤモヤと苦悩しているのも事実だった。
〝なにか、Hなこと考えてやがるな……〟
「考えてない! ……ていうか、人のアイスを横取りするな!」
図星を指されて慌てるが、ふと自分のアイスに目をやると、そのアイスの山にキララが飛びかかっていた。相変わらず、その小さな身体のどこにそんな胃袋があるのか。
「アカネちゃん、フィベルとキララって、すごく仲がいい?」
「そうみたいね」
〝どこが!?〟
「どこがだよ!」
シャルの言葉を聞いて、ケンカする一人と一匹は声をハモらせて言い返した。キララの声は聞こえていないが。
フィベルの分までアイスを堪能したキララは、アカネの肩の定位置へと移動した。やはりそこが落ち着くらしい、満足そうにアカネに頬ずりをする。
〝ほれほれ~、うらやましいかコノヤロ~!〟
これ見よがしにアカネに甘える。アカネ達に見えないところで、フィベルは怒りの拳を握っていた。アイツは後でシメる、そう心に誓う。ああなりたいとは思わないが、少し羨ましく感じるのも事実だった。
「それで、この後はどうする?」
アイスを食べ終わったアカネにフィベルは尋ねた。お荷物がいるので、本来の彼のデートプランなど無きに等しい。
「シャル、おいしいものが食べたい!」
幼女が手をあげて発言する。
〝キララ、おいしいものが食べたい!〟
白い小動物が尻尾を立てて発言する。
お前らには聞いてねーよ! 叫びたくなったが、彼は一応大人なのでそこは怒りを我慢して、アカネの意見も伺うようにして話した。
「シャル達はそう言ってるけど、アカネは他に行きたいところとかある?」
「そうね。私もおいしいものが食べたい、かな?」
はにかむ様に笑ってアカネは話した。特に行きたいところはないし、シャルが言っているから私もそれでいい、そんな感じの答え。
「そうだね。このあたりのおススメのお店に入ってもいいんだけど、せっかくのお祭りなんだから、出店の方を周ってみる?」
「わ~い! やきそば、わたあめ、チョコバナナ~!」
〝いかやき、すなぎも、ねずみの丸焼き~!〟
ねずみの丸焼きはねーよと心の中でツッコミを入れて、シャル達を引き連れて表通りの方へと足を向けた。
しかし、旧街道を出ようかという場所で、ふとアカネの足が止まった。
「……アカネ?」
気付いて、フィベルもシャルを制して立ち止まる。
振り返って彼女を見ると、彼女は道の端を眺め、その肩に乗るキララが警戒するように耳を立てて辺りを見回していた。でも、その白鴒獣の様子は、天敵の気配を感じたというよりも、水辺で雨の気配を感じてそわそわするカエルのようにも見えた。
「フィベル、花が……」
アカネの呟きを聞いて、彼女の視線の先へと目を向ける。
路地の端の、民家の壁の影に咲く小さな空色の『シアンの花』。その蕾が、花弁が少しだけ開きかけていた。
まるで、朝を迎えたアサガオが、花開く瞬間のように。
ふと辺りを見ると、ここは先ほどもアカネと二人で通った『シアンの花』が多く咲いていた旧街道の路地だった。花弁が開きかけているものは、ただその一輪のみ。
しかし、それが前兆。
〝フィベル、来るぞ!〟
キララの声が聞こえた。
何がとは聞き返せない。聞き返す前に、異変を肌で感じることとなった。
フワリと、暖かい風が頬を撫ぜた。
それに交じって、少しだけ甘い花の香りを感じた。
花弁が閉じているはずの『シアンの花』から、鼻をくすぐる芳香が微かに漏れ出ている。
大気が揺れた。大地が、少しだけ震えた。
揺れたと感じたのは一瞬で、熱に煽られて立ち眩みをするように眩暈を感じていたのかもしれなかった。
フィベルの視界が少しだけぶれた。
その揺らめく視界の中に、ふらりと揺れたシャルの肩を見つけて、彼の身体へと抱き寄せた。
「……あれ?」
何があったのと、シャルはキョトンとした表情で、フィベルを見上げてその周囲を見回した。
眩暈のようなものを感じたのはフィベルだけではなく、周囲の通行人や店の売り子の人も、何かあったのかと首を捻っているものが多い。
その中で、彼女の様子だけがおかしかった。
〝……アカネ!〟
肩に乗る彼が、彼女の異変を訴える。
慌ててフィベルは彼女に駆け寄った。
そのまま彼に身を預けるようにして、アカネは気を失った。
――キャー!!
また、どこかで誰かの悲鳴が上がった。
アカネを抱きかかえながら遠目に路地を見ると、アカネ以外にも何人か倒れた者がいるようだった。
旧街道の路地は、瞬く間に騒然となった。
彼女を抱いて、近くの露店に目をつけて、店主らしき男に声をかける。
「すまない、そこの椅子を貸してほしい。それから、水か何かをもらえると――」
フィベルが最後まで言わずとも、店主は分かったと大きく頷いて店の奥へと動いた。他にも倒れた者がいるので、水やタオルなどを用意しに行ったようだった。
アカネを椅子に座らせようとしたところで、フィベルはふと不思議な感覚になった。
周囲で騒ぐ者達には、日射病か何かだと話す者もいれば、テロだと騒ぎ立てる者もいる。そんな慌ただしい路地で、アカネが倒れたというのに、ひどく場違いなその感情。
感情というよりも、本能的な焦燥のようなもの。
(アカネ……)
このままアカネを抱いていたかった。
「アカネちゃん……」
心配そうにアカネの傍に寄るシャル。そのシャルを見て、また彼はひどく困惑する。
不謹慎だと思いながら手放せない。抱いているだけで、そのアカネからとても大きな力が流れてくるような感覚。花の蜜に捕われた蝶のように、甘い誘惑を感じていた。
そんな彼を見抜いたように、それでも真剣な様子で、今度はキララが話しかけてくる。
〝フィベル、そのままアカネを抱いてろ!〟
そう言ったキララに、フィベルはとても驚かされた。
自分の思いを見透かされたような気がして、それでもアカネを抱いたまま目を泳がせていたフィベルだったが、キララ自身もアカネの頬に頭を寄せ、まるで瞑想するように静かに目を瞑っていた。
しばらくすると、アカネは少し苦しげな声をもらして身動きした。
「んっ……」
フィベルは慌ててアカネを椅子に座らせた。
キララは何も言わず、先ほどと同じようにアカネに身を寄せている。
意識を失っていたのはほんの少しだけ。やや青白い顔をして、アカネはうっすらと目を開いた。
「アカネちゃん!」
今度は、シャルがアカネに抱きついた。
「いったい、何が……」
少し冷静になってフィベルが呟く。アカネの方も大事には至っていないようだが、テロか何かだとすると、祭どころではない。誰かが通報したのか、街の警備隊や医者らしき人達も集まり始めていた。
微かに眩暈のようなものは感じたが、フィベルやシャルは倒れるほどの異変は感じていない。
しかし、この感覚にはどこか覚えがあった。
その疑問には、静かに目を閉じていたキララが答えた。
〝フィベル、お前は感じていたんじゃないのか?〟
「な、何をだ……?」
そう答えながら、彼には一つの言葉が頭に思い浮かんでいた。
〝アカネ達は、魔力に当てられたんだよ〟
また周囲で、倒れた人を介抱していた人達から驚いたような悲鳴が上がった。
「フィベル……」
アカネがフィベルを見つめていた。その隣にいたシャルも、アカネと同じように驚いた表情でフィベルを見上げている。なぜ二人が自分を見つめるのか。
はたと気づいて、彼は慌てて自分の目頭を押さえた。
誰かが叫んだ。
「魔族病だ!」
ざわめきと戸惑いが一気に広がった。
倒れた人の何人かは、目が真っ赤に変わっていた。
周囲の人達が、先ほど水を持ってきてくれた店主も驚いたような、それでいて少し心配するような視線を彼に向けていた。アカネではなく、フィベルに。
戸惑った様子のアカネと目が合った。彼女の方が重い症状で発症しているものの、もともと赤い瞳をしているので特に変化は見られなかったのだろう。
「フィベル、その目は……」
鏡を見なければ分からない。
でも、それは感覚として彼自身が理解していた。よく慣れた、しかし決して馴染むことができないような、力強く熱を帯びているような、そんな錯覚を感じていた。
彼の黒かった瞳は、まるで魔族や魔物のように、白鴒獣のキララと同じように、真っ赤に染まっていた。