赤い魔女の店の留守番と冒険者
手慰み、第数弾でございます。
お楽しみいただければ、幸いでございます。
王都の中心にあり、町の大人から子供まで気軽に出入りできる赤い魔女の店が、その日に限って閉まっていた。
ドアノブにかかった「close」と書かれた札の下に、「取り置き分の商品の受け取りは、承っております」という紙が貼られていたので、若い男女の二人組は顔を見合わせて頷き合い、扉に手を伸ばした。
が、その前に扉が開き、中から若い人物が顔を出した。
「申し訳ありませんが、本日は……」
平坦な声が告げる前に、客の男の方が言った。
「注文していた物を、受け取りに来たんです」
その言葉に、店番らしき人物は頷き、二人を店の中に招き入れた。
扉を閉めた途端に、店の中が明るくなり、昔から馴染んだ店内が照らし出される。
変わらない風景の奥に向かった見知らぬ店番は、カウンター席に座っていたもう一人に声をかけた。
「客が来た」
「ああ。分かった」
平坦な声にこたえたのは、先の店番よりも長身の男だった。
淡い明りをすって、淡く輝く赤みがかった黄色い髪のその男は、連れたってやってきた客二人を胡乱に見つめつつ立ち上がり、扉の方へと向かっていく。
それと入れ替わりにカウンター内に入った人物は、ファイルを取り出してそれを広げた。
平民の服装なのに、髪色も肌の色も、透けるような色合いだ。
「お名前を、いただけますか?」
男にしては小柄だが、女にしては長身の、中性的なその人物が、平坦な声でそう尋ねて来るまで、二人はついつい、その滑るような動きに見ほれていた。
呼びかけで我に返ったが、小首を傾げた黒々とした目を向けられ、先の問いに答えようとしていた男が固まってしまう。
「……お客様?」
「あ。す、すみません。あの、私の名で、注文したはずです」
次いで我に返った女が、そんな男を肘でどつきながら返事をし、名前を告げた。
そんな二人を気にせず、店番はファイルを確認して頷く。
「忘却の薬、ですね? 取り置きがございます。……店主から、この薬を購入する際の条件を、伝えられているはずですが、その御用意は、されていますか?」
「いえ……」
「では、御引き渡しは出来かねます」
きっぱりとした言葉に、女が詰まって黙り込んだ。
代わって男が、身を乗り出して声をかけた。
「その条件って、服用者につける介護者を探せ、だったんだけど、そんなの必要なんですか?」
「ええ。必要ですね」
「どうして?」
突っ込んだ問いに、店番は首を傾げた。
「忘却の薬ですから。この量で、この期間なのならば、必要なのは当然かと」
そう答えて、ファイルの情報を読み上げた。
「身長標準、体重やや軽めの、十八歳の男子に、お二人の記憶を消去するほどの薬を服用させる予定。その予定期間は、約一年。店主は、お客様たちとは顔馴染みのようですので、服用予定のその方とあなた方の付き合いも、熟知しているからこそ、この薬の量を割り出したのでしょう?」
「は、はい。オレたちと、そいつは、幼馴染で……」
「その出会いから、忘れさせるとなれば、介護要員は必要です」
「だ、だから、どうして?」
困惑する二人を見る店番は、首を傾げたままだ。
「店主から、説明がなかったのですか?」
「はい。知らない方がいいって。でも、そんな曖昧な話じゃあ、ギルドでも募集をかけ辛いんです」
「ならば、店主が用意した介護要員に、お任せしては? あの人の事ですから、信頼できる人材を用意できるはずです」
平坦な言葉に、男の方が焦れた。
「おいっ。あんたも知ってるってことだよなっ? その薬を使用することで、何で介護が必要なのか? 何で教えてくれねえんだよっ」
大柄で筋肉質の客が立ち上がり、店番を委縮させる勢いで問い詰めるが、当の店番の方は全く変わらない口調で答えた。
「実は私が、専門的な話をするのは、禁じられてしまったんです」
「は?」
「先日、貴族のお客様が逃げたと、泣かれてしまいました」
泣いた?
あの赤い魔女が?
二人の客は、平坦な店番の言葉に耳を疑い、唖然とする。
そんな男女を交互に見てから、店番は言った。
「なので、これ以上の説明が必要ならば、後日出直していただければ、幸いです」
客が気を抜いたところを見計らって、追い出しにかかる店番に、小柄でメリハリのある体つきの女が慌てて首を振った。
「いやいや、有り得ないでしょうっ? 何の説明もなく、薬を盾に条件だけ付きつけて、その条件を満たさないなら売ってもくれないなんてっ」
「その辺りの文句も、店主にどうぞ」
にべもない店番に、男がつい勢いで言い切った。
「あんたが説明を放棄するなら、二度とこの店には来ねえぞっ」
脅しの言葉に、少しだけ考えて天井を仰いだが、答えは変わらなかった。
「……上客でないなら、逃げても一向に構わない、と言われています」
「っ、ちょっと、あんた、店主に依存し過ぎじゃないっ?」
女も思わずそう言ってしまうが、店番は頷いただけだ。
「そりゃあ、数少ない血縁者なので、依存くらいはします」
その割には、平坦で感情が微塵もないが、真面目に答えているのだけは分かった。
店番は、頭を抱えてしまった客二人を見やって立ち上がり、再び追い出しにかかったが、顔を上げた先にいるもう一人の店番の様子に気付き、少しだけ眉を寄せた。
立ち上がったまま動かない前方の人物の視線を辿り、振り返った二人は、端正な顔に意地の悪い笑顔を浮かべた男を見た。
「……忘却の薬は、主に貴族が、秘かに定期購入していく代物だ」
突然説明され、客たちが戸惑う前で、カウンター内の店番が溜息を吐く。
それだけで何も言わない人物の代わりに、黄色い髪の男が淡々と説明した。
「貴族ってのは、大概政略で血を紡いでいく。邪魔な記憶を持つ相手との婚姻は、色々な支障をきたすことがあるため、その記憶を一時的に消して、役目を無理やりこなさせる場合があるわけだ」
支障になる記憶は、人それぞれだ。
「特に多いのは、幼い頃から思い慕っている者がいる者との婚姻時で、これが中々厄介なんだ。薬ってのは、その恋焦がれる人物の事だけ、忘れられる便利な物じゃない。本人がその人物を忘れても、他の者がそれを指摘したら、すぐに思い出されてしまうかもしれない。それでは、元の木阿弥だ。……だから、その人物と出会った頃に遡って、そこからの記憶を、全て消す」
そうすると、どうなるか。
十八歳の幼馴染と、二人が出会ったのは本当に幼い頃だ。
そこまでの記憶を全て消すという事は、それまでの日常の記憶も、消えてしまうという事だ。
「つまり体は一人前だが、精神面は子供の、無垢な人間が出来上がってしまうわけだ」
意地悪な笑顔で言い切られ、客たちは青ざめた。
男はそんな二人を見やり、駄目押しする。
「介護、必要だろ?」
「……っ」
打ちのめされた客に構わず、男は扉を開いた。
「さ、分かったなら、帰ってくれ。他の薬屋の当てもあるんだろ? この店は、外向きの事情だけで、強烈な品を売るほど、優しくはないぞ」
逆に言うと、それだけ安全だという事なのだが、本人に黙って薬物を盛ろうとしていた二人は、反論できなかった。
幼馴染に対して行う行為ではなかったと、青ざめて黙り込む男の横で、俯いた女が泣きそうな声で呟く。
「……そんなつもりで、忘れさせたいんじゃ、ないのに」
「……」
そんな連れを促して立ち上がり、男は店番の二人どちらともなく頭を下げた。
「……帰ろう。仕方ねえや。もう、嫌われる覚悟で、決別しよう」
血を吐きそうな言葉に頷き、女も頷いて頭を下げた。
「すみませんでした。その薬、キャンセルで」
「……」
眉を寄せたまま、客たちの感情の変化を見守っていたカウンター内の店番は、一度扉前に立ったままの男を一瞥し、溜息を吐いた。
「……待ってください。ちょっと、相談してみます」
「?」
平坦な声が、不意に客を引き留めた。
立ち上がったまま動きを止めた二人の前で、スラックスのポケットから、薄い長方形の何かを取り出し、その平面に指を滑らせる。
不意に、その板のようなものから、聞き慣れた声がした。
「? 何だい? 今、ちょっと忙しいんだけど?」
「馬の順位が、思わしくないんですか?」
「余計なお世話だよ。用件だけお言い」
店の店主である女の声が促すのを聞いて、店番は淡々と言った。
「実は今、忘却の薬を注文されていた、冒険者の方々が来ているんですが……」
「あら? 介護要員は、確保できたのかしら?」
「出来ないので、キャンセルだそうです」
「あら。ちょっと、まさか、あなたまた……」
「濡れ衣です」
前科があるらしい店番は、疑う店主の言葉を、食い気味に否定してから言った。
「何だか、切羽詰まった事情があるようなんで、私が相手してしまっても、構いませんか?」
「……どうせ、上客から外れたんでしょ? 勝手にすれば?」
「ち、ちょっと、お姉さんっっ?」
幼い頃から知る、優しい店主の冷たい言葉に、漏れ聞いていた女がつい、声を出した。
「上客ではないけどっ、普通に常連客として、これからも利用するからっ。そんなに冷たくしないでよう」
その声が湿っているのに気づいたのか、板の向こうから店主の戸惑う声が言った。
「あら? どうしたの? いつから泣き虫になっちゃったのかしら、このお嬢ちゃんは」
「だってっ。私たち、あいつの将来を思って、忘れさせようとしてたのにっ。そんな危ない薬だなんて思わなかったんだもん」
「……そう悩むと思って、説明しなかったのに」
「いや、しなきゃ、いつまでたっても、取引は成り立たないですよ」
困惑する店主に、店番は溜息を吐いてから、続けた。
「とりあえず、許可はいただけたという事で、いいですか?」
「……分かったわ。まあ、私としても、仲良し三人組が、馬鹿な理由で離散するのは、後味悪いもの」
許可をもぎ取った後、店主と二三言、言葉を交わした店番は、元のようにその板をポケットの中に戻す。
そのポケットから板につけられた、布製の犬らしき人形が見え隠れしているのに今更ながら気づき、ようやくこの人が女性かもと思い始めた客たちに、カウンター内の席に座りなおした店番は再び席を勧めた。
「今お聞きの通り、許可をいただけましたので、もう少し深い事情をお尋ねしても、よろしいですか?」
平坦な声が僅かに和らぎ、その表情も柔らかく微笑んだその顔を見て、客二人は引き寄せられるように頷いて、事情を語り始めたのだった。
拳闘士と剣闘士の男女と、荷物持ちの男は、幼馴染だ。
数年前からパーティを組み、様々な依頼をこなしてきていたが、戦うだけ経験値が上がって強くなる戦闘員たちとは違い、雑用係の男は殆ど無力だ。
が、真面目に与えられた仕事はこなす、人のいい幼馴染を見捨てることが出来ずに、ここまでやってきた。
その男との決別を考え始めたのは、ごく単純な理由だ。
パーティとしてのランクが上がるにつれ、依頼の危険度が上がってきたため、非力な男をこれ以上連れ回すのは、命取りになると考えたのだ。
男自身も、己の非力さを十分承知しており、秘かに努力しているのも知っている。
だが、これまでの努力でもそこまで伸びなかった戦闘力が、これから先唐突に伸び始めるという保証が、何処にもないと他の二人は考えていた。
大体、この男は元々、冒険家になる気はなかった。
どちらかというと、物作りを好む性格で、腕力ではなく頭脳と手先の器用さを職業にしたいと考えていたのに、若い二人がなれ合い気分で冒険家に誘ってしまい、現在まで至ってしまったのだ。
このままでは、本当にやりたいことをやり切らずに、依頼中に命を落としかねない。
かといって、無情にこちらから決別するのも、誘った手前躊躇いがある。
だからこそ、赤い魔女の店の薬を頼ったのだが……。
「……本当に、こんなものが効くかな?」
試供品扱いだと言って渡されたそれを、女は自宅の灯にかざしながら呟いた。
透明な親指くらいの大きさの小さな小瓶の中で、明るい粉状の物がきらめいている。
突然、ご友人に使うのは躊躇うでしょうから、ご自身で試してみてくださいと、店番は三人分のそれを用意して二人に渡した。
深く事情を話した二人の前で、両手を軽く握り、開いた時には出来ていた、不思議な結晶を擂粉木で粉にしたものだ。
手のひらに乗った、透明なひし形の小さな結晶三つを見せながら、店番は言った。
「潜在的な思いを、夢にする呪いです」
「?」
意味不明な言葉に戸惑う二人に、店番は平坦な声で説明した。
「これを、服用、またはお香として部屋で焚いて、就寝下さい。そうしたら、あなた方が心の底にある心配や願いが、夢にリアルに現れます」
それが、悪夢になるかいい夢になるかは、分からない。
「その幼馴染の人は、現状に焦りを感じていると見受けられますので、悪夢として過去の出来事を夢に見てしまう可能性が高いです」
それが吉と出るか凶と出るかは、その人の思い切り次第だと、店番は静かに言った。
「その悪夢、もしくは望みの夢が、自分からあなた方と離れようと覚悟を決めるきっかけになるなら、あなた方は憂いを残さずに送り出せるはずです」
決別という苦渋の覚悟をする前に、試してみて欲しいと、下手に言われてしまった。
「もし、これが役に立たなかったら、今度こそ店主に荒治療をしてもらってください。あの人は、薬なんて危ないものではなく、力技で解決してくれるはずですから」
そんな言葉と共に店から送り出された二人は、それぞれ自宅に帰り、まずは自分たちでそれを試してみたのだった。
翌朝、いつもの場所で落ち合った二人は、それぞれ沈んでいた。
いい夢を見てしまった。
幼馴染の荷物持ちを、願う職場に送り出し、自分たちは更なる高みを目指し、帰ったら幼馴染の店で武器や道具の手入れをしてもらう、本当に充実した未来の夢。
自分たちにとっては幸せな未来だが、自分本位な希望の夢だった。
「……こんなんで、あいつが決意してくれるかなあ」
不安は盛大にあるが、元々無料の品だからと気を取り直し、遅れて落ち合った荷物持ちの男と共に、本日の依頼をこなすべく動き出した。
今回は遠方での仕事で、今日と明日は仕事先の土地で一泊する。
宿で荷物持ちと同室になった拳闘士が、幼馴染が寝入るのと見計らって、件の結晶の粉を蠟燭の火にくべた。
すると、再び夢を見た。
頑なに冒険家をやめないと言った幼馴染が、依頼先で魔獣に襲われて大怪我する夢で、拳闘士は宿の寝具の上で飛び起きた。
肩で息をする男が脂汗を拭いながら部屋を見回すと、夢の中で大怪我を負った幼馴染も、寝具の上に身を起こしていた。
「……」
「……」
暗い中、明らかに恐怖の気配を纏う荷物持ちが、呟いた。
「……夢、か」
その呟きを聞いて、男二人が同じような悪夢を見たと察してしまう。
翌日、気分の悪いまま依頼を終え、ギルドに依頼料を受け取りに行った帰り、荷物持ちの男がぽつりと言った。
「……オレ、足手まとい、だよな?」
「っ。何を、言ってるんだよ。オレたちが戦っている間に、傷の治療の準備とか、野宿の準備とか、してくれてるじゃないか。本当に助かってるんだぜ……」
「でもさっ。もし、オレが、お前たちの傍を離れたすきに、魔獣に襲われてしまったらっ。いや、それでオレが死ぬのは仕方ないけど、お前たちが庇って死んでしまったらっ。オレはどう、償えばいいんだっ?」
支離滅裂な言葉に、女が思わず叫んだ。
「何言ってるのよっ。あんたが死んでも、仕方がないだなんてっ。私は、嫌よっ」
「でもっ。オレだけ、全然使えないままなんだ……そう思ったら、何だか……」
ギルド内が静まり返った。
咳払いして声をかけてきたのは、武器素材を売買している男だ。
「まあ、人には向き不向きがある。お前は元々、物作りを趣味としていただろう? いい職人を紹介してやるから、こいつらとは離れたらどうだ?」
気楽に荷物持ちの肩を叩く男を睨み、拳闘士の男は言い切った。
「こいつがそう決めたんなら、パーティから籍を抜くが、あんたには任せられねえ」
「そうよっ。この子はね、もう誰かの教えを受ける必要もないほど、色々と作れるんだからっ」
大体、と二人は思った。
自分たちが追放したことで、自暴自棄になった荷物持ちの幼馴染が、その腕をいいように使う相手に捕まらないよう、忘却の薬を手に入れようとしていたのだ。
ギルドに集う荒くれ者たちに騙されないよう、冷静な幼馴染を保ったまま、何とか離れたかった。
全く違う展開に戸惑っているが、この機会は逃してはいけないと、二人は幼馴染にパーティの脱退を勧めた。
そして、退職金と称した選別を差し出して、ようやく彼を念願の道に送り出せたのだった。
赤い魔女、現代の競馬場に現れています。




