第3話 同僚女子からの警告
事故物件に引っ越して一ヶ月くらい経った頃から、会社で俺の様子がおかしいことに同僚たちも気づき始めていた 。
「最近なんか元気ないな。新居の環境が悪いんじゃないか?」
仲の良い同僚が心配そうに俺に尋ねてくる。多分だが、この体調の悪化は幽霊の仕業ではないと思う。ここ数日程、毎晩幽霊の観察に夢中で睡眠不足が続いていた。
この体調の悪化は単なる睡眠不足が原因なのだ。仕事中もつい幽霊のことを考えてしまい集中力が続かない。
そんな俺を心配そうに見つめている女性がいた。経理部のミカさんだ。20代前半の落ち着いた女性で、霊感が強いことで有名だった。
「ちょっといい?」
ミカさんが俺に話しかけて来る。
「はい?」
俺の間に抜けた返事に、ミカさんはコーラを一口飲み、そして真剣な表情に変わった。
「お前……何かに憑かれてないか?」
その直球な質問に俺は慌てた。俺はあの幽霊女に憑かれてるのか? むしろ俺があの幽霊女に付きまとってる気もしないでもないが……。
「いや、そんな事はないと思いますが……」
「顔色悪いし変なオーラが見えるよ? このままだと本当に危ないわよ」
「……危ないって?」
「最悪の場合死ぬかもしれない。うひゃひゃひゃひゃ」
その言葉に、というより、ミカさんの笑い方に血の気が引いた。
あの部屋が安いのは事故物件で霊が出るからなのかもしれないが、あの幽霊なら引っ越さない男も多いだろう。でも、借り手がコロコロと変わっていたのはそう言う事なのかと理解した。
きっとみんなあの幽霊に魅了され、睡眠不足で体調を崩してしまうのだろう……。美人なのにあんな姿で現れるとは、なんて罪深い幽霊なんだ……。
俺はこの時、初めて幽霊の恐ろしさを実感した。
「お祓いした方がいいよ」
ミカさんはコーラを片手に、まんじゅうを頬張りながらそう言う。俺の事を心配してくれてるのは分るが、俺は答えに困った。
「え、えーっと……」と、返事につい口ごもってしまう。
確かに体調は良くないが、毎晩あの美しい幽霊に会えなくなるのはツラすぎる。自分の命を取るか、美人の幽霊を取るか迷った。
「……少し考えさせてください」
「あまり時間はないと思うけど……」
ミカさんは心配そうな顔で俺を見つめていた。その視線とは別に、どこからか、じ――と見られているような感じに気づく。
社内を見渡すと、同じ部署のマコが俺とミカさんの会話を聞きながらこっちを見ていた。
マコは22歳の新人で、いつも明るく元気な女の子。俺より2つ年下だが、しっかりしていて頼りになる良い子だった。
スーッと近づいて来て声をかけて来る。
「お疲れ様です」
「お疲れ様」と俺も返す。
いつもの明るい挨拶だが、今日のマコはどこか様子が違った。
「あの……ちょっといいですか?」
「何?」
「さっきミカさんとの話聞いちゃいました」
「あー。お祓いどうこうって奴?」
「はい……本当に体調悪いんですか?」
マコの心配そうな表情に、俺は胸が締め付けられるような気持ちになった。体調が悪いのは事実だが、理由は決して言えない。いや、消える訳がない。
「まぁ、ちょっとね」
「引っ越してからですよね?」
「そうかもね」
実は俺はマコのことが少し気になっていた。いつも一生懸命仕事をして、困っている人がいると率先して助ける。そんな彼女の優しさに惹かれていた。でも、今の俺の頭の中は幽霊のことでいっぱいだった。
「無理しないでくださいね」
「ありがとう」
その日の夜も俺は幽霊の観察に夢中だった。マコの心配している顔を思い出しながらも、目の前の美しい幽霊から目を離すことができなかった。
◆マコの涙と嫉妬(マコ編)◆
翌日、私はミカさんのところへ向かった。理由は彼の体調不良の原因の事だ。
トントンとミカさん専用の仕事部屋のドアを叩く。
「は~い」
「マコです」
「入りたまえ~」
「失礼します」
ガチャンと戸を開け中に入ると、コーラを飲みながらミカさんは正面の席に座っている。私はさっそく本題を相談した。
「ミカさん。昨日の件なんですが……」
「あー、彼のこと?」
「はい。本当に危ないんですか?」
「かなり深刻だと思うよ。霊に取り憑かれてる人特有のオーラが見えるからね」
ミカさんは真剣な表情で言った。
「あれは相当強い霊に魅入られちゃってるね」
「それで、どうすれば良いんですか?」
「お祓いしかない。しかし、本人がその気にならないと無理さね」
「私からも説得してみます!」
「あら、マコちゃんもしかして……」
ミカさんの意味深な視線に私は顔を赤らめた。
「そ、そんなんじゃないです! ただ、同僚として心配で……」
「うひゃひゃひゃひゃ」
「ミカさん……笑い方が下品過ぎますよ」
私は彼にお祓いをしてみるように説得する事に決めた。
その日の夕方。
仕事終わりにマコが話があると俺を呼び止めた。
「あの~。お時間ありますか?」
「うん、大丈夫だよ」
「ミカさんの話、もう一度聞いてみませんか?」
「え――」
「お願いします!」
「話を聞くだけなら……」
「ありがとうございます!」
マコの真剣な表情に押し切られ、俺はミカさんの話を聞くことになった。同時に、あの幽霊の事が詳しく分かるかもしれないと、思った気持ちもあった。
ミカさんはだま若いのに、個室を与えられるほど仕事が出来るが、実際には、どんな内容の仕事なのかは俺は知らない。
トントンとミカさん専用の仕事部屋をドアを叩く。
「は~い」と中からミカさんの声がする。
「マコです」とマコが答えると、
「入りたまえ~」と変な返事が返ってきた。
「失礼します」
ガチャンと戸を開け中に入ると、コーラを飲みながらミカさんは正面の席に座っているだけで、仕事をしている様子はない。
「連れてきました!」
マコが俺の手を引き、ミカさんの前に突き出すと、ミカさんが俺を見るなり言った。
「やっぱり憑かれてるね。しかもかなり強い霊だと思う」
「強いって……」と呟きながら、少し不安になってくる俺に、ミカさんは話を続ける。
「こいつは、生前に何か強い想いを抱いていた霊だな。そういう霊は執念深くて厄介なんだよ。しかもそいつは、お前を連れていこうとしてる」
俺は複雑な気持ちだった。確かに体調は悪くなっているが、あの美しい幽霊を厄介だなんて思えない。それにそんなに悪い霊だとは思えない。
そんな事を考えていると、ミカさんはニカっと笑いながら話す。
「なんてことは無いと思うけど、お前がその霊の影響を受けているのは確かだな」
ついつい、あの幽霊が悪霊じゃない事にホッとしてしまう。
「悪い霊では無いんですか?」
「うん! とっても弱い霊だね。人に何かできる力はないはずなんだけど……なんでかは知らんが、お前はその霊の影響を受けちゃってるね」
そのミカさんの疑問に俺は言葉を失ってしまう。
言えなかった。その幽霊がすっごく美人だからなんて言えなかった。毎日(主に下半身)の観察をしていて寝不足だなんて言えなかった。
何も言わなくなった俺に変わり、マコがミカさんに尋ねる。
「どうすればいいんですか?」
「お祓いよ! 早く手を打たないと手遅れになる」
その言葉に、俺は思わず立ち上がった。
「ちょっと待ってください!もう少し考えさせてください!」
「時間がないって言ってるだろ!」
そんなミカさんを制してマコが口を開いた。
「……わかりました。でも明日までには決めてくださいね。……私も心配なんですよ?」
その言葉に俺の心は少しだけ揺れた。
その日の夜。俺は幽霊の前で悩んでいた。
「なぁ……俺はどうすればいいと思う?」
当然返事はない。幽霊は相変わらず部屋を見つめている。
「みんな心配してくれてるんだ。特にマコは本当に俺の事を心配してくれてる」
そう幽霊に向かって呟くと、マコの心配そうな顔が浮かんだ。彼女の優しさに応えたい気持ちと、幽霊を手放したくない気持ちが激しく葛藤している。
「でも、君を見てるとなんか落ち着くんだよね」
それは本当だった。最初は怖かったが、今では彼女の存在が当たり前になっていた。毎晩会えることが俺にとって大切な時間になっていた。
……生前はどんな人だったんだろう。
そんなことを考えながら俺は幽霊をじっと見つめていた。彼女の顔は本当に美しくて、生きてる時はきっとモテただろうなと思った。
……なんで俺の部屋に現れるんだろう。ここの部屋に住んでた人なのかな?
疑問は尽きなかったが答えは得られない。ただ彼女がここにいることだけが確かだった。
しばらく悩み、そして俺は決めた。
もう少しだけ……もう少しだけ一緒に居よう。
最初は邪な考えばかりだったけど、今はこの女性の寂しそうな目を見ていると、なんとかしてあげたくなっていた。
「……僕になにか出来る事はある?」
その夜、俺は初めて幽霊に向かって心の内を打ち明けた。もちろん返事はなかったが、なぜか少しだけ心が軽くなった気がした。
次の日。マコが俺の席にやってきた。
「決めました?」
俺が言い淀んでいると、マコの表情が険しくなった。
「まだ迷ってるんですか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ何ですか!」
突然大きな声を出したマコに、周りの同僚たちが振り返った。
「ちょっと来てください!」
有無を言わさず手を引かれ、俺は使ってない会議室へ連れて行かれた。
会議室に入るとマコはさらにヒートアップして、俺にどんどん詰め寄ってくる。
「なんで素直にお祓いしないんですか! このままだと死んじゃうんですよ!」
「それは……」
「体調が悪いのわかってるでしょ! ミカさんも心配してるし、私も心配なんですから……」
そこでマコの言葉が詰まった。
「マコ?どうした?」
「私も……すごく心配してるんです……本当に心配なんですよ?」
その時、マコの目に涙が浮かんでいることに俺は気づいた。
「なんで……なんでそんなに頑固なんですか? 私、前からあなたのこと好きだったんですよ? なのに幽霊に憑かれて死んじゃうかもなんて、私はどうすればいいんですか……」
マコは泣きながら続けた。
「だから苦しんでるあなたを見てるのが辛いんです。……何がそんなに大切なんですか? お祓いすることの何がそんなに嫌なんですか?」
俺は答えられなかった。まさか美人の幽霊のパンツが見たいからなんて言えるわけがない。
「答えてください!」
「それは……」
俺の歯切れの悪い返事に、マコの怒りは頂点に達したようだった。
マコの目からは涙が消え、座った目で俺をじっと見ている。正直、部屋に出る幽霊の数倍は怖い。
「もしかして……その霊って女性ですか?」
マコのその鋭い指摘に俺は動揺した。
「……その幽霊って美人さんですか?」
マコのその鋭い指摘に俺はマコから目を逸らした。
「やっぱり! 美人の女の霊だから祓いたくないんでしょ!」
「そんなんじゃ……」
「じゃぁ 他にどんな理由があるんですか? 生きるか死ぬかの大事な事なんですよ? 誰にも言いませんから、私に教えて下さい」
観念した僕は全てをマコに話した。
全て……下着をお供えした事以外……いや、僕がして来た色々な奇行以外は全て素直に話した。
数分後。
「最低です!」
正直に答えた俺に、怒り散らかしているマコの怒号が会議室に響き渡る。
「良いですか?」
「な、なんすか?」
「最も低いと書いて最低です!」
マコの怒りは収まらなかった。
「死んだ女の人に夢中になって! 生きてる人の気持ちはどうでもいいんですか!」
「マコ……落ち着いて……」
「落ち着いてられません!」
「うわ――ん」
マコは再び泣き出した。
「薄々気づいてたけど、ここまで変態さんだったなんて~。うわ――ん」
マコの涙が頬を伝っていた。その涙は悲しみでも怒りでもなく、俺を憐れんで泣いているように思えた。
それを見ていた俺も、凄く泣きたくなった。
「そんなにパンツが見たいなら、そんなの私がいくらでも見せてやりますよ!」
「え?」
突然の思いもよらなかったマコの言葉に、頭が真っ白になる。
「本当に見せてくれるの?」
「見せてやりますよ! だからさっさと祓いなさい!」
その言葉に俺は心を打たれた。マコがどれだけ俺のことを想ってくれているのか、ようやく理解できた。決してマコのパンツが見たくてお祓いを決めた訳ではない。
泣きながら頼むマコを見て俺の心は決まった。
「……マコ?」
俺が名前を呼ぶと、大粒の涙をこぼしながら、マコが俺に抱きついて来た。
「……お願いします。……お祓いしてください」
「……わかった」
「え?本当ですか?」
「うん。お祓いするよ」
「本当に本当ですか?」
「うん、本当」
「ありがとうございます!」
マコの顔に笑顔が戻ったが俺は複雑な気持ちだった。幽霊と別れるのは辛いが、マコの想いを無視するわけにはいかない。
そして俺は重大な秘密を知られた事により、ずっとマコには逆らえないのだとこの時に悟った。
「……ミカさんに連絡してもらえる?」
「はい! すぐに!」
こうして俺はついにお祓いを決意した。




