9話
目を疑ったが、何度見ても間違いなく男性が倒れている。
私は思わず駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
顔を覗き込んで見たら男性は真っ青な顔で目も虚ろだった。意識を失いかけているように見える。いつもなら持ち歩いているポーションを、こんな時に限って今日は荷物が多いからと宿に置いて来てしまった。
「体調不良かしら、お医者様に診ていただかなければ……」
辺りを見回したが、人の気配はない。
「ダメだわ、人がいないわ。この方を担いで行くしかないわ」
街までの距離は約500メートル。ひとりで行けるだろうか……。
人を担いだことがない私は、どうやって担いだらいいかイメージした。すると突然、背後からクンクンと鼻を鳴らす音が聞こえてきた。
慌てて振り返ると、例の男性が涎を垂らしながらこちらを見上げていた。まるでお腹を空かせた犬みたいに。
「もしかして、お腹が空いてるんですか?」
食べるものならたくさん持っている。とりあえず私はその場に座り、カゴの中のロールパンをひとつ差し出した。
すると男性は渡したパンではなくカゴを奪い、中に入っていたパンを食べ始めた。
横になったまま食べている。しかもボロボロと涙を流している。まるで数十年ぶりに食べる食事のよう。見ているだけなのに、なぜだか私の目に涙が滲んだ。
(普段まともな食事ができていないのかしら……よっぽどお腹が空いていたのね……)
「ああ……もう無くなってしまった……足りん……」
男性は放心状態で空っぽのカゴを見下ろした。だが、すぐに男性はガバッと体を起こし、私のリュックに入っているクロワッサンまで寄越せと言い出した。
渡してあげたいけど、見知らぬ人にタダであげようだなんて甘いことは言いたくない。このクロワッサンだって勇者様のために心を込めて作った物なのだ。
「じゃあ、何が入っているか当てたら差し上げますよっ!」
これくらいの意地悪をしてもいいだろう。そう思って言ったのだが、何度も首を捻り、無言になってしまった男性を見て、私の悪戯心はポキっと折れた。
「ブーッ! 残念! 時間切れです!」
(仕方ない。正解を教えてあげよう)
「正解は……クロワッサンでしたー!」
私がそう言ってリュックからクロワッサンを取り出して見せると、男性はポカンと口を開けた。どうやら初めて見たようだ。しかもド忘れしていたという、明らかな嘘をついた。
(この人がクロワッサンを食べたらどういう反応をするのだろう……見たい……)
私は『感想を聞かせてください』という名目で彼にクロワッサンを手渡した。
「うんまっ!!」
ひと口かじった彼は、体を反らせて青空を仰いだ。想像以上のリアクションに私は思わず噴き出してしまった。
「こんなに美味いクロワッサンは喰ったことがないぞ!」
確実に初めて食べる反応なのに、あたかも食べたことがあるような言い方だ。
「優しい甘さだからいくらでも喰えそうだ。焼き具合も申し分ない」
イキイキと語る彼。
(なんて可愛い人なんだろう……この人にもっと美味しいものを食べさせたい)
「まだありますので良かったらどうぞ」
私は残りのクロワッサンも全て彼に差し出した。
一瞬ためらっていた男性は欲望に負けたようで、残りのクロワッサンを両手に持つと、勢いよく食べ始めた。そして食べながらチラチラ私を見てきた。そんなに警戒しなくても奪ったりなんてしないのに。
「言ってふぉくがな、女。俺様は金貨など持ってないぞ? 支払いとかふぁできないからな?」
男性は口いっぱいに頬張りながら険しい顔をした。
(そっか、金貨を要求されると思ってたんだ)
私には金貨を要求しようだなんて考えは微塵も浮かんでいなかった。食べきれなかったら動物にあげるか、道端に捨て置こうと思っていたパンだ。きっとパンもこの人に美味しく食べてもらえて喜んでいることだろう。
「捨てるのは心苦しかったので、美味しそうに食べてもらえて良かったです」
私がそう言うと、男性は捨てるという言葉に過剰に反応し、追求してきた。
「はあ!? 捨てる!? なんでだ!?」
「実は先ほどのロールパンはとある人々に振る舞うために作ったんです。でも不合格と言われて、返されてしまって……」
勇者様に言われた『不合格』という言葉を自分で言ったら、まるで自分自身が『不合格』になったように感じて惨めになった。
「あんなに美味かったのに、なんで不合格なんだ!?」
男性は眉を吊り上げて怒った。良かった。この人と出会えて。この人に美味しいと言ってもらえたから、もう十分だ。心が救われた。
クロワッサンを全て食べ終えると、男性はジッと私を見つめながら顎をさすった。どうしたのだろう。まだ食べ足りないのだろうか。
「女……また喰いに来てもいいか? またその者たちから返されるようだったら俺様が貰ってやろう」
男性は頬を赤らめながらそう言った。良いことをしてあげるというような口ぶりだが、また私の料理が食べたいということだろう。確かに、来週また勇者様用に作った料理が返されたら困る。
食べてくれる人が必ずいると分かっただけで料理への意気込みはガラリと変わる。
「いいんですか、助かります!! では来週のこの時間に……」
嬉しくなって思わず手を取ると、男性は慌てて後ろへ仰け反った。
「貴様っ! 軽々しく俺様に触れるでないっ!」
「……」
(その偉そうなキャラは子供の頃からなのだろうか……)
見た所ただの農民のようだが、話し方はずっと身分が高い人のようだ。まさか本当に身分が高かったりして。まあ、手を取られただけで真っ赤になるくらい、女性慣れしていないことはわかるけど。
「レレリス、じゃあまた来週ここに来る。その時は余った喰い物を持って来るがいい」
家来のように命じられ、私はつい頭を下げて了承した。
(まさか、本当に貴族だったりして。それか更に上の位の人……?)
去っていく後ろ姿も凛としていて美しく、私は思わず問いかけた。
「あのっ、あなた様のお名前は?」
教えられた名前を聞いて、固まらずにはいられなかった。
「俺様の名はディブールだ」
(ディブール……!? ディブール!?)
貴人がまさかそんな名前をつけるとは思えない。やはり庶民なのだろう。
だって、ディブールはあの大悪党、クズ魔王の名前なのだから。
「魔王と同じ名前なんですね……お嫌でしょう。お気の毒に」
私が心中を察してそう言うと、男性はケロリとした表情で「嫌ではない」と言ってのけた。
(魔王と同じ名前なのに嫌ではない!? なぜ!?)
名前自体が悪くないということだろうか。確かに魔王が違う名前だったら『ディブール』も悪くない。しかし、魔王がその名前なのに嫌ではないというのは理解できない。
よっぽど魔界とは関わりのない安全な地域の出身らしい。
「先程、とある人々に食事を振る舞っていると言いましたが、それは勇者様のことなんです。私は勇者様の仲間になりたくてあのロールパンを作ったんです!」
ディブールさんにわだかまりをぶつけても仕方がないことは分かっていながら、私は言葉を続けた。
「私の夢は魔王討伐! 私は世界で一番魔王ディブールを憎んでいますので!!」
鋭い眼差しでディブールさんを睨むと、彼はフラフラと歩き始めた。
「俺様は用事を思い出した。帰る」
私の目を見ることもなく片手を上げ、逃げるように駆け出すとあっという間に見えなくなった。
「あー……やっちゃったあ……」
ひとりになった私は地面に膝をついた。魔王のことが頭に浮かぶと、つい過剰に反応してしまう。小さい頃から溜め込んでいた恨みが一気に爆発してしまう。
ディブールさんはもう来てくれないかもしれない。名前が同じというだけで怖い顔をしたから。
青い空の下、私は大きな溜息を吐いて街へと戻った。
街へ戻ると、広場が妙に騒がしかった。あちらこちらで冒険者たちが興奮した様子で語り合っている。
「見ろ、僕はヒジを怪我したんだ」
「そんなの大したことない。オレは肩もヒザも擦り剥いた」
名誉の負傷とでも言いたげに、お互いの怪我を見せ合っているようだ。何かあったのだろうか。




