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7話

「ジャーン! ビーフシチューです!!」

 蓋を開けると、ブワッと濃厚な香りと湯気が勢いよく立ち上った。

 覗き込むと赤茶色に輝くソースの中にゴロッと大きい塊の肉と大きめに切られたジャガイモや人参が見えた。

「おおおおおおっ!!」

 見ただけでダラダラと涎が湧いてきた。借りているタオルで拭ったが、拭っても拭っても湧いて来る。ただ腹を満たせるだけではない、血肉になることが本能でわかる喰い物だ。

 レレリスがお玉で皿に注ごうとし始めたが、俺様は慌てて取っ手を掴んだ。

「レレリス、鍋ごと喰っても良いか?」

「え? ええ、はい」

 頷かれたと同時にズイッと手前へ引き寄せ、お玉に入った肉に喰らいついた。

「んんっ! 美味いっ!!」

 思わずウオーッと雄叫びを上げたくなったが、必死に我慢した。

 分厚いのにホロホロと崩れる肉は噛む度に旨味が口いっぱいに広がった。口の中が幸せだ。それが腹に入っていくと身体も幸せになる。ああ、頭も幸せになっていく。

 服も身体もびしょ濡れで寒かったが、腹に入れていくうちに汗が出るほど熱くなった。

(このソースはどうやって作るのだろう。濃い味付けなのに肉にも野菜にも合っている)


 ふと、窓の外から人間の話し声が聞こえてきて、俺様は手を止めた。

 またしても夢中で食べ進めていた。本能丸出しで喰っている姿を、レレリスはいつだってただ見つめているだけだ。ポトフの時のように何度も皿に注がせるのも手間だろうと思ったのだが、側から見たら独り占めしている嫌な男に見えるだろう。急に自分が恥ずかしく思えてきた。

「……ひとりで喰ってしまったが、レレリスは喰わなくて良いのか?」

 申し訳ない気持ちで顔を上げると、レレリスはニッコリ笑った。

「味見の時にたくさん食べちゃったので。大丈夫ですよ」

「そうか。では……次回は一緒に喰うか?」

 俺様が頬を掻きながら言うと、レレリスは顔を曇らせた。

「ありがとうございます……でも、その、実は……」

 唇を噛み、言うのをためらっている様子だ。どうしたのだろう。

「あの、実は、勇者様から合格をもらえたんです」

 レレリスは眉を下げ今にも泣きそうな声で言った。

(合格できたならもっと喜べばいいのに。どうしたのだろう。何かあったのだろうか)

「それは良かったじゃないか。どうして嬉しそうじゃないんだ?」

「その……今日……勇者様からずっと……太ももを見られていたんです」

 レレリスは俯いてモジモジした。テーブルの下でスカートを引っ張り、必死に伸ばしている。

「このビーフシチューはひと口も召し上がってくださいませんでした。なのに合格と言われてしまって……」

「ほう」

「ショックでした。毎日悩んで試行錯誤していたのは何だったのか……」

 レレリスは震える声でそう呟き、ガクンとうなだれた。

 冒険者たちの噂通りか。勇者は女好きのロクでもない奴で間違いない。レレリスはこれからそんな奴の仲間になるのか……。そう思うとなぜか不安がこみ上げてきて俺様は歯を食いしばった。

「でも……それよりもショックなことがあるんです」

「ん? それ以上に何が?」

「勇者様が……この街のダンジョンを攻略したんです」

「ほう? それの何がショックなんだ?」

「私は仲間として認めて頂けたので、これから勇者様に付いていきます。だから明日には次の街へと出発するのです」

「ふむ、そうか」

「だからもう……ラディさんとはこうして会えないのです!」

 両手で顔を覆い、レレリスは泣き出してしまった。


(レレリスはなぜ泣いている?)

 色々な情報がいっぺんにやってきて俺様は訳が分からなくなった。

「明日から私は北に向かいます。山を越えるんです。すっごい遠くへ行くんです。だから会えないんです!」

 レレリスはオイオイと泣いているが、俺様にとっては空をひとっ飛びするだけなので、レレリスがどれだけ移動しようが何の問題もない。

(ああ、でもそうか。レレリスはきっと俺様がこの街の住人だとでも思っているのだろう。だから今日でお別れだと泣いているのか。……ん? 俺様に会えなくなることが泣くほど悲しいのか?)

 なぜだかわからないが、俺様の体がブワッと熱くなった。

 俺様に会えなくなると言って泣くレレリスに、何をどうしてやったら良いのか分からない。


 俺様は席を立った。でも立ち上がっても何をしたらいいかわからず、また座った。タオルを渡そうかと思ったが、涎だらけのタオルを渡されても困るだけだろう。テーブルの下へ引っ込めた。

(何をそんなに動揺しているのだ)

 自分で自分に腹が立ってきた。

 俺様はレレリスを恨んでいる。裕福な家庭に生まれ、何不自由ない暮らしをしてきた女だ。毎日美味いものが喰えただろう。寝心地の良いベッドで眠れただろう。そんな女から少しくらい喰い物を奪ったって構わない。そう思っていた。

 週に1度、ただ余った物を貰うだけの関係だ。この弱い女が勇者パーティーに入る日はきっと来ない。そう思っていた。

 でも今はスカートを短くしてまで仲間になった。俺様に会えなくなると言ってワンワン泣いている。

 訳が分からない。

 勇者に対する怒り。レレリスを心配に思う気持ち。自分の立場は魔王だ。

 レレリスとはもうここで縁を切ろう。「夢が叶って良かった」と言って送り出し、別れを告げればいい。

 俺様はまた別の場所へ行って別の誰かから喰い物を奪えばいいのだから。


「レレリス、俺様は何の問題もなく貴様に会いに行けるぞ」

 思っていたことと真逆の言葉が、自分の口から出ていた。

 俯いていたレレリスは俺様の言葉にバッと顔を上げた。

「え!?」

「俺様はその……魔……魔……」

 言ってはいけないと、自分で自分を必死で止める。

「ま?」

「魔……法使いなんだ。瞬間移動というものができる。だからレレリスがどこに居ようと会いに行けるのだ」

 言ってはいけない言葉がツラツラと口から出てきた。瞬間移動ができると言ったらどう思われるか。これからも会ったらこの先どうなるのか。己の身を苦しめることが分かっていて、言葉を止められなかった。

「魔法使い!? そうなんですかっ!?」

 レレリスの曇った顔が霧が晴れたように明るく輝いた。

「良かった! もう二度と会えないと思っていました!」

 俺様に今後も会える事がそんなに嬉しいのだろうか。目を潤ませ、頬を赤らめてレレリスはニコニコと笑った。

「瞬間移動ってすごく高等な魔術ですよね! スゴイです。ラディさんはやっぱりスゴイ方だったのですね!」

「いや……まあ……」

「ああ良かった。次回は何を作ったら良いですか? リクエストにお応えします。以前作ったものでも構いませんし……あ! そうだ!!」

 めまぐるしく話題を変えながら、レレリスはポケットに手を入れた。そして一枚の銅で出来たカードを俺様に差し出した。

「これ貰ってくださいっ! もう会えないと思ったので、再会できたら……という願いを込めて錬金術で作ったんです」

 見たところ表も裏もない、何も書かれていない真っさらな銅の板だ。

「何なんだ? これは」

「私の居場所を知らせるカードです」

「居場所を知らせるカード?」

「ラディさんが私をイメージしてくれたら、このカードに地図が表示されて私の居場所を示してくれるんです」

「スゴイな! そんなものが作れるのか!」

 画期的なシロモノに、俺様は目を見開いた。錬金術というものが何となくわかったような気がした。

「自分の居場所をお知らせするだけでラディさんの居場所は分からないんですが……」

 レレリスは残念そうに苦笑いした。

「あ、いや。俺様の居場所なんて知らなくていい。つまらんからな」

「そうですか? フフフッ」

 屈託なく笑うレレリスだが、俺様の居場所を知ったら一発で嫌いになるんだろう。何と言っても俺様はこれから魔王城に帰る。魔王城が自分の城なのだから。

 俺様はカードを見つめ、レレリスをイメージした。するとカードにこの街の地図浮かび上がった。そしてまさに現時点に星のマークが表示された。

「見ろ、レレリス」

 俺様がカードを見せると、レレリスは顔を近づけて覗き込み、ニコッと笑った。

「ちゃんと出てますね。良かった!」

 可愛らしい笑顔を見つめながら、俺様の胸には言い様のない不安が渦を巻いていた。




 魔界へ戻ってから、俺様は何度も貰ったカードを懐から取り出して見つめた。しばらく街にいたレレリスは徐々に北の方へと移動し、山の端、中腹へと進んで行くのが分かった。

 ある時ふと、俺様は自分が矛盾していたことに気づいた。

 これまでは料理が余っていたからそれを喰ってあげるためにレレリスに会っていたのだ。

 しかし、レレリスが合格をした今、レレリスが作った喰い物はきっと勇者パーティーが喰うだろう。俺様と会う時にレレリスは食事を作っているだろうか。作るような事を言っていたが、そんな暇はあるのだろうか。

(やはりもう会うのはよそう。それでいい……)

 そう納得しかけたが、本当にそれでいいのか? と、もうひとりの自分が聞いた。

 わからない。自分がわからない。そもそもレレリスはどうして泣いたのだろう。




   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇




 勇者アットン様から合格を言い渡された時、思っていたよりもずっと嬉しくない自分がいて驚いた。

 私が勇者パーティーに入りたいと強く願ったのは今から10年前。8歳の時だ。それから10年間ずっと錬金術と戦闘訓練の向上に明け暮れる日々を送った。

 魔王討伐の夢へと近づく一歩。それをようやく踏み出せたというのに、どうして喜べないんだろう。

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