35話
「ねえ、ちょっと待って」
俺様が腹に力を入れた時、スッとアテリナが手を上げた。ネビロウスは水を差されたことに苛立ちを見せた。
「なんなんだ、アテリナ。こんな時に」
「あなたのお兄さんを殺したのはそいつよ」
アテリナはレレリスに声をかけると、まっすぐに指を差した。
その指の先にいるのは、勇者だ。
「……は? 勇者様?」
レレリスが目を丸くして勇者を見る。レレリスがかけた液体は石化を解くものだったようで、コココや勇者の石化は少しずつ溶けていた。
しかし、かかった場所が背中だったからか、勇者の顔はまだ石化した時のままだ。俺様に剣を振るおうとした時の凛々しい顔のまま。もちろん何も言わない。ピクッと指が動いただけで、何を考えているのかはさっぱり読み取れない。
「アテリナ、さっき結界の中でも言っただろう。10年前の剣使いは沼に落ちて死んだんだ。そいつのわけがない」
呆気に取られたレレリスはすぐに気を取り直し、アテリナに吠えた。
「何の話をしてるんですか!? 適当に話を作って勇者様を侮辱するのはやめてください!!」
「作ってないわよ。しっかりこの目で見たわよ、10年前。この男が私のタイプだったから、どんなことをしてあげようかなってアテリナは妄想して楽しんでいたの。そしたら……」
チラリとアテリナが勇者の方を見た。
「魔王様からトドメを刺されなかったのをいいことに、コイツ魔王城から逃げ出そうとしたの」
石化が解けていくコココの目がジロリと勇者の方に動く。
「4人いた戦士が3人になるんだもの。それはもうピンチになっちゃうでしょう。だからツンツン頭の弓使いの男……貴方のお兄さんって弓使い?」
コクン、とレレリスが頷いた。
「そう、その弓使いの男がこの男を引き止めてたわ。『ここまで来たんだ、俺たちは何のためにこれまで旅をしてきたんだ。頑張ろう』って言って」
「……」
聞いているレレリスの眉間にゆっくりとシワが寄っていく。その台詞は先ほど勇者が言っていたものと同じだ。
「魔王だけでも倒そう、さあ、戻ろう』そう言って手を取ったらこの男が……」
言葉に詰まるアテリナに、全員の視線が集中する。
「この男が……『うるせえっ!!』って怒鳴りながらその手を斬り落としたの。その後は腹を斬り、脚を斬り。顔も、背中も、首も……」
聞いていたレレリスの顔が苦悶に歪んでいく。ふらついて倒れそうになるが、足で踏ん張って必死で堪えて立っている。今すぐ側に駆け寄って支えたいが、俺様が近付いたら攻撃だと勘違いするに違いない。そうできないことが悔しくて俺様は唇を噛み締めた。
「斬りつける様子を見てたら怖くなっちゃって。見つからないようにアテリナはその場を去ったのよね」
ネビロウスがふう、と息を吐いた。
「戦いの後、弓使いの死体が廊下に転がってた。誰が倒したんだ。そう聞いても答える魔物が出ない。そんな時にアテリナからこの話を聞いたんだ。当時は信じられなかったよ。人間は仲間まで殺すのかと。より人間が嫌いになった」
ネビロウスの言葉で、俺様はようやく当時のことが鮮明に蘇って来た。
「魔王様! 魔王様! 敵です! 人間が攻めて参りましたっ!!」
10年前。ススーが血相を変えて食堂に入って来て、俺様と5幹部は飛び出るように食堂を出た。
爆発音を辿って廊下を急ぐ。窓から見える結界にはいつの間に出来たのか、ぽっかりと大穴が空いていた。
その穴から侵入して来た人間は庭にいたゴーレムを倒し、門にいたオークやミノタウロスも倒し、城の中を散々荒らしていた。
戦線に立った俺様はまず城にいる全ての生物に重圧をかけた。敵の位置を把握するためだ。
俺様から1番近くにいる人間をまずは攻撃しよう。そう思って見つけた男。そいつは剣使いだった。幼い顔をした坊主の少年……。
「!!」
そうか、あの時の剣使いはこの石化した勇者なのか。髪も伸び、顔つきや服装が派手になっているが、そういえば剣さばきは同じだ。
俺様が手から炎を出して燃やしたり、衝撃波で壁まで飛ばしたり。次々に魔法で攻撃していたら、すぐにコイツはピクリとも動かなくなった。
「魔王様!! トドメを!」
弓使いと対峙していたネビロウスからそう言われたが、俺様は人の命を自分が奪ってしまうことを躊躇った。転生前は人を殴ったことすら無かった俺様だ。
「死にたくない」
床に伏したコイツはそう言って泣いた。その言葉は父が死ぬ間際に言った言葉と同じだった。ふと、俺様の頭に父の亡骸が浮かぶ。その瞬間コイツは逃げた。姿を隠していたのかその後も剣使いはどこにも姿を表さず、結局死体も出なかった。
ススーは逃げた剣使いが沼に落ちたのを見たと言った。沼には獰猛なヒュドラがいる。きっと喰われて死んだんだろうと我々は納得し、そうして戦いは終わった。
そういえば、ほんの数分前もコイツは逃げようとしていたな……。『盾を買いに行く』なんて咄嗟についた嘘に違いない。
「おかしいです! そんなはずはありません! 作り話はやめてください!!」
レレリスが拳を握りしめて叫んだ。
「勇者様は最後まで仲間と共に戦い抜いたはずです! これがその証拠です!」
レレリスが掴んで我々に見せたのは胸の金バッジだった。アテリナ、俺様、ネビロウス。順に見せると金バッジがキラリと光った。
「この金バッジは兄が死ぬ間際に勇者様に託したものです。これを私に渡して欲しいと、兄が勇者様にお願いしたんです。勇者様はそのために必死に国まで帰って来たんです。決して逃げたからではありません!!」
パラパラパラ……。コココの石化が完全に解け、元通りになった。動けるようになったコココはまず勇者を見た。勇者はまだ完全に石化が解けていない。しかし、凛々しかった顔つきが今では若干険しくなっていた。
「そういう言い訳が欲しかったんだろう?」
ネビロウスは勇者を見据えたまま、冷たく言い放った。
「これは私の勝手な憶測にすぎないが、ひとりで国へ帰ろうとしたコイツは気づいたんじゃないか?」
ネビロウスの言葉にレレリスが眉をしかめる。
「何をですか?」
「このままひとりで帰ったら、他の仲間はどうした、どうしてひとりなんだと追求されてしまうと。『仲間が死んだから仕方なく逃げて来た』と答えても、それを証明できる術は無い。もしや仲間を見殺しにして逃げたんじゃないかと後ろ指を指す者が出てくるかもしれない」
ネビロウスの言葉にレレリスは視線を落とす。
「だから美談を作るために金バッジを利用したんだろう? 死に際に託されたものを持って帰れば自分はきっと英雄になれる。そうすればひとりだけ逃げ帰って来た裏切り者とは思われない。そうじゃないのか?」
「……」
その時、勇者の身体や服が全て元に戻った。石化が完全に解けた勇者は、それでもまだピクリとも動かず無言で立っている。
「戦いが終わった後、魔王様が仰ったんだ。『彼らの死体は人間界に返してやろう』と。そうやって人間界に返ってきた死体を見て、そういう美談を思いついたんじゃないのか。違うか?」
「……」
「残念だったわね、アテリナは1度会った男は2度と忘れないのよ」
聞こえているのかいないのか、勇者はまだピクリとも動かない。反対に横にいたコココが頭を抱えてうずくまった。




