32話
俺様に向かって勇者は駆けてきた。レレリスが渡した回復薬は相当優秀なようで、重圧をかける前と動きは全く変わらない。
砂を蹴って勇者が飛び上がり、俺様の顔の前にふわりと浮かんだ。振りかぶって首を斬りつけようとしたが、間に入ったネビロウスの剣に「ガキンッ!」と止められる。
押し返された反動で吹っ飛ばされた勇者は砂の上にザッと転げた。
「チッ!!」
大きな舌打ちが聞こえて来る。全身に浴びた砂を手で払いながら勇者は起き上がり、こちらを睨んだ。
「魔界のトップがわざわざ僕を殺しに来るなんて。相当暇なんだな?」
「はあ!?」
勇者の煽りにネビロウスのこめかみがグッと盛り上がる。
「生憎僕のパーティはとっても優秀でね。やられちゃっても知らないよ?」
怒っているのか笑っているのか、どちらとも取れる表情で勇者はまたこちらへ近づいてきた。
「2体だけで来るなんてとんだ愚策だね。弱者は束にならないと死んじゃうのに。あ、束になっても死んじゃうか」
「フンッ。口を慎め、下等生物が。我々は貴様ら人間に聖なる魔界を汚されたくないだけだ」
「ははっ! 何が聖なるだ!! 魔界なんてただのゴミ捨て場じゃないかっ!!」
勇者のバカにした笑いに、プチンとネビロウスがキレたのが力の入った背中で分かった。
「許しませんよ。今の発言。私は……」
ネビロウスは低い声で静かに呟くと、勇者に向かって素早く飛んだ。
剣が激しくぶつかり合う音がする。斬ろうとする剣は弾かれ、また斬られそうになる剣を弾く。今の発言には俺様もムカついたが、手を出す隙がない。
(今のうちにレレリスを……)
拘束しておこうかと思ったら、砂しかない地面から植物の蔦がスルスルと伸びてきて俺様の体にギシギシと巻きついた。どうやらコココが杖を見つけ、俺様に魔法をかけたらしい。見つけたなら見つけたと声を張り上げるもんだろう、普通は。
腹の底に力を入れて引きちぎろうとするが、力を入れれば入れるほど蔦は硬くキツく俺様に絡まっていく。蔦が肉に食い込んで腕がちぎれそうだ。俺様に杖を向け、眉間にシワを寄せるコココ。
(何なんだこれは……力を抜けば取れるのか……?)
深く息を吸い、長く吐く。それを繰り返している間レレリスを見てみたら、勇者とネビロウスの斬り合いを険しい表情で見ていた。そしてふと俺様に視線を移す。
「魔王は……魔法使い……」
レレリスが呟く。瞬間移動を何度も使ったから俺様がラディだと勘付いたのだろうか。嫌な汗が吹き出る。しかしそんなことは微塵も思っていなかったようで、レレリスの視線はまたネビロウスと勇者に注がれた。
ネビロウスは感情に任せ、躍起になって剣を振り回している。攻められ、少しずつ後退していく勇者。ネビロウスの剣が勇者の左肩に入った。
「ぐうっ!!」
血飛沫が上がり勇者がよろける。
その時、眩しい閃光が目の前を走り、辺りを包んだ。眩しすぎて目が開けていられなくなる。
(この光はレレリスだな……)
湖畔で放っていた矢も確かこんな風に光っていた。
「ぐゔっ!」
苦悶の声が聞こえた。この声はネビロウスだ。どうしたのだろう。
光が消えて目を開けると、勇者はいつの間にか後退していた。肩の傷に手を当てて苦しそうに顔を歪めている。
ネビロウスはレレリスが射ったであろう黄色い矢を自分の手の平から引き抜いていた。
「ぐうううっ……」
「魔王じゃなかったんだ……あなたなのね」
風に消え入りそうに呟き、レレリスはギロリとネビロウスを見た。
声や弓矢を持つ手が震えている。レレリスは何を言っているのだろう。ネビロウスは引き抜いた矢を怒りに任せて地面に叩きつけてから、レレリスを睨み返した。
「辛くて……悲しくて……胸が張り裂けそうで……私は見られませんでした。兄の死体を」
レレリスはジッとネビロウスを見据えたまま声を上げた。
「当時の私はまだ子供だったから、わざわざ死体を見せるような人もいなかったんです。でも……土に埋葬する時、どうしても兄の顔が見たくなって……一瞬だけ。私は目を開けました。そしたら……」
俯いて涙を拭ったレレリスはまたギロッとネビロウスを睨んだ。
「見るに耐えない酷い状態でした……。兄にトドメを刺したであろう傷は剣で斬られていました。腹や手足、顔にまで。斬り付けられた跡が無数に残っていました。なんてむごい殺し方なの!? 魔王は極悪非道なクズ魔王だ!! 私はずっとそう思って魔王を恨んで生きてきました」
レレリスの視線が俺様の方にチラリと移った。
「でも魔王は見ている限り剣はおろか、武器すら使う様子が一切ありません。ということは……あなたが兄を殺したんですね」
ボロボロと涙を流しながら訴えるレレリス。
(そうか、そういう理由で俺様を恨んでいたのか)
10年前の戦い、魔王城まで攻め入ってきた4人の男たち。その中にレレリスの兄が居たのだろう。弓を使う者・槍を使う者・杖を使う者・剣を使う者。彼らの戦う姿がふと脳裏に浮かぶ。
そういえば、毒蛇を矢で狙っているレレリスと、あの弓使いが重なって見えた時があった。
睨まれたネビロウスは「ハア……」と小さく溜め息をついた。
「何を言っているのか、私にはさっぱりわかりません」
呆れたように左右に首を振る。
「何の話をしているんですか?」
「レレリス……」
レレリスの後ろから、低く呟く声がした。
「つまらん昔話を今するなよ。もう終わったことだろ。この戦いに集中しろよ」
声を発していたのは勇者だ。飲み終えた回復薬の瓶を砂に放りながら、勇者はかつてないほど鋭い視線をレレリスに向けた。
「今、そんなことを言ってる場合か?」
「……はい、すみません」
頭を下げ、慌てて涙を拭うレレリス。
「コココ!」
勇者の怒号が今度はコココに飛ぶ。
「僕に増強魔法をかけろ!」
「……でも……増強魔法は……」
消え入るような小さな声でコココは抵抗を示した。
「構わない。僕たちは何のためにこれまで旅をしてきたんだ? 魔王を倒して世界の平穏を取り戻すためだろ。僕の身体はどうなってもいい。増強魔法をかけるんだ!」
勇者の言葉にコココは決心したようで、震える手で杖を勇者に向けた。
ブワッ。
勇者の周りに赤いオーラが漂うと勇者はニヤリと笑って剣を構え、俺様の元へいち目散に駆けてきた。
「うおおおおおおおっ!」
叫ぶ勇者を俺様は黙って迎え撃った。コココが杖の向きを変えたおかげで蔦はもう時期に解ける……。
パンッと蔦が弾け飛び、やっと動けると思ったら、再びネビロウスが間に入った。ネビロウスの剣が勇者の重い剣に押し返される。
「ぐあっ……」
「ネビロウス!!」
赤黒い血が飛び散り、うずくまるネビロウス。その背中を踏み台にして、勇者は俺様に斬りかかってきた。
俺様は勇者に手の平を向け、その全身に雷を落とした。気絶して白目をむく勇者。そんな勇者に俺様はウメモモと同じように衝撃波を当て、見えなくなるほど遠くへと飛ばした。
飛んでいく勇者を目で追いかけるレレリスとコココ。
ネビロウスは振り返るなり俺様に噛み付いた。
「魔王様!! なぜ飛ばしたんです!? 殺すチャンスだったのに!! 致命傷を与えて下さらないといつまでもこの戦いは終わりませんよ!?」
ネビロウスの左の上腕はスーツごと深く斬られている。抑えた右手の隙間からは血がドクドクと垂れている。
「……すまん」
命を取らないように戦うというのが思いの外難しい。それに以前より魔力が減っているせいで明らかな力の差を見せつけることができない。
(どうするべきか……)
俺様が唇を噛み締めていたら。
「いたっ! いたよっ!」
「んもう! やっぱり人間界だったのね……」
聞き慣れた2つの声が聞こえてきた。声がした方を見上げると、アテリナがカブコスを背負ってフワフワと宙に浮いていた。こちらを見下ろし目が合うと、2人は呑気に手を振った。




