11話
待ち合わせの草原へと私は走った。
もう帰ってしまったかもしれないと思ったが、先週と同じ場所に彼は立っていた。背を向け、遠くの山並みを眺めている。
「ディ……」
名前を呼ぼうとして、思わず声を詰まらせた。
呼びたくない。魔王の名前でこの方を呼びたくない。魔王と同じ名前なんてこの方には似合わない。
何というか、この方にはもっと生命力に溢れた名前が似合う。
(『生命』なら『ラヴィ』よね。『ディブール』……あ、『ラディ』はどうだろう)
そういえば、ちょうど1週間前のこの時間、魔王が街の広場に現れたんだった。この方は魔王と遭遇したのだろうか。
名前を忘れているとは思われたくなくて、私は仕方なく彼を名前で呼んだ。
「ディブールさん」
小さい声だったのに彼は振り向いた。髪型や服装は先週と全く同じ。サラサラの金髪、白肌にソバカスのある顔。上品で優しいお顔立ちだ。
「やあ、レレリス」
彼はニコッと微笑んだ。名前を覚えてくれていた。それが妙に嬉しくて私は思わず目を反らした。
「あの、お聞きしたいことがありまして……」
言ってすぐ、聞かなくてもいいのにともうひとりの私が心の中で呟いた。魔王の話になると私はいつだって不機嫌になる。この方の前でもうそうなりたくない。でも、この方も魔王から怪我を負っていたのでは……と思うと聞かずにはいられない。
「先週、初めてお会いしたあの日ですが……」
「ああ」
「すぐそこの広場に魔王が現れたそうなんです。知っていますか?」
「え……ぇ!? さあ……知らないなー」
彼は明らかに動揺した。無理もない。遭遇していたら身体的にも精神的にもダメージを受けるところだったんだ。
ホッとすると同時に現れたのがほんの一瞬だけの貴重な時間だったのだとわかって余計悔しくなる。
魔王がこの街に降り立った理由はなんだろう。ただの気まぐれだったら許せない。ほんの一瞬の出来事でも、そのせいでひとりの年老いた冒険者は引退したし、多くの冒険者が負傷した。傷付いた建物もあるし、トラウマになった子どももいる。
(私が勇者様から不合格だって言われるのも、全部全部魔王のせいだ!)
「だからですね、ディブールさん! あなた様をそのお名前でお呼びするのにどうしても抵抗がありましてっ! アダ名を付けてもよろしいでしょうか?」
苛立つ自分を冷静な自分が抑え込み、無理やり話題を変えた。アダ名をつけるという不躾な提案に、彼は「別に構わない」と言ってくれた。
(なんて優しいの!)
私は考えていた名前「ラディ」を提案した。かなり戸惑っていたように見えたが、最終的には首を縦に振ってくれた。本当に優しい人だ。
「そんなことより今日はどんな喰い物を持って来たのだ?」
待ちきれなさそうに、ラディさんはカゴの中を覗こうとした。本日も相当お腹が空いているようだ。
「サンドイッチです!」と言ったら、ラディさんの「バゲット」という言葉と続いて、ひとつの単語のようになった。なんて息ぴったりなのだろう。顔が緩んでしまう。
カゴをそのまま渡したら、ラディさんはまるで宝石を発見したみたいにキラキラと目を輝かせた。
どれにしようかと、カゴの上で手がしばらく彷徨っていたが、空腹に耐えかねたのか、いきなりガッとローストチキンのサンドを真ん中から掴むと、大きく口を開けガブリと噛み付いた。
「ザクッ」
耳心地のよい音が鳴った。噛む度に頬が桃色に染まっていく。目を瞑ったままラディさんは恍惚の表情をした。
もうひと口ガブリ。幸せそうに頬張るラディさんの顔。噛み締める顔。目を細めて上がる口角。
(コレコレ、これが見たかったのよ!)
ああ、良かった。救われる。なんて美味しそうに食べてくれるのだろう。この顔が見られただけで作った甲斐がある。
(ああ、本当に可愛い……)
あまりにも勢いよく食べていたものだから、ラディさんはついにゴホゴホとむせてしまった。
自分用の水だが、命の危機だと思い、私は慌てて水筒を差し出した。ゴクゴクと喉を鳴らして飲み、プハーッと息を吐くラディさんはまさに「命」そのものという感じがした。
食後、ラディさんは「貴様はなぜこんなに美味い飯が作れるのだ?」と私を褒めてくれた。「料理人なのか?」とまで言ってくれた。
天にものぼる気持ちで私は胸に輝く金バッチを見せた。錬金術師の証。私が命よりも大切にしている物。大好きだった兄の形見だ。
私が錬金術師であることを伝えると、ラディさんは首を傾げた。驚くことに錬金術師を知らないようだ。遠く離れた国では錬金術師がいない国もあると聞く。そういう国の出身なのかもしれない。
「父の技術は本当にスゴイんです。私が勇者様とお知り合いになれたのも、父のおかげなんですよ。勇者様が今使っている剣は父が作ったものなんです! 盾も防具もそうなんです! スゴイでしょう?」
父がどれほど凄い人物かを熱弁したら、ラディさんが「それで? キミ自身は?」という視線を私に投げかけてきた。
確かにそうだ。いくら父が素晴らしくても、私が凄い人物であるという証明にはならない。父になくて私にはあるもの……。それは戦えることくらいだ。
「私にはまだまだ父のような技術がありません。父だったら勇者様も快くパーティに入れてくださったのかもしれません。……でも、父は戦えないんです。だけど私は戦えます。私の錬金術での戦闘は勇者様のパーティに入っても引けを取らないと自負しています!」
自分に言い聞かせるように叫んだ。
(ああ……でも……)
勇者様から隙が多すぎると指摘されたことを思い出した。隙を無くすにはどうしたらいいのだろう。料理だけじゃなく、弱点も克服しなきゃ。
幸い私にはお金がある。両親から渡された旅の資金に加え、旅の途中で武器や防具、農具などを修理して頂いた代金もある。
このお金を使って素早く装填できる矢、もしくは顔を保護する仮面とかを開発しなくては。
「ラディさん、だからお料理代は気になさらないでくださいね?」
お代の話をしたら、ラディさんは俯いてしまった。気にしないように言ったのに、逆に気にさせてしまっただろうか。ラディさんは何も悪くないのに。
本来なら「これで作ってくれ」と勇者様から予算を頂きたいくらいだ。
(あれ? 私がパーティーに入ったら、食事の予算はどうなるんだろう?)
食事代は全部私が払うなんてことになったら嫌だな。次回は絶対に予算について聞かなければ。
私があれこれと思考を巡らせていたせいか、ラディさんは立ち上がった。
「じゃあ、また来週に」
ラディさんは元気のない声で帰って行った。
「お代の話をしたからだろうか。次回からはお代について話さないようにしなきゃ」
去って行く背中を見送り、宿へ帰ろうと立ち上がった私は喉が渇いたので水筒の水を飲もうとした。
が、すんでの所で止めた。
「いっけないっ!」
慌てて口を手で覆った。危うく間接キスしてしまうところだった。ラディさんがまだ近くにいて見ていたらどう思うだろう。気になって辺りをキョロキョロ見回した。幸いラディさんの姿はどこにもない。
「あれ、でも……」
そもそも私が使った水筒をラディさんは既に使ったんだ。ということは、ラディさんは私ともう間接キスしたことになる。
ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲んでいた姿が目に浮かぶ。するとボッと顔が熱くなった。
「仕方なかったのっ! 窒息するところだったんだからっ!」
誰に言い訳しているのか分からないけど、私は水筒を握りしめて叫んだ。
それからの4日間。
ギルドのクエストをこなしながら、私は来週の料理に悩んだ。
「ラディさんが勇者だったら、もう合格してるのになぁ……」
文句を言いながら薬草をウロウロと探し歩き、オムレツやステーキなど、喜ばれそうな候補を上げまくった。どれも良いような、ダメなような……。
こなしてもこなしても決めかねたので、私は公衆浴場へ行ってみることにした。
父は錬金術に行き詰まったら、よく湯船に浸かっていた。そうすると血行が良くなり、突破口が見えてくるのだそうだ。私も突破口を見出したい。




