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第5話:その声は、名を呼んだ 前編

 報告の時を前に、俺は城内の応接室で騎士団長と言葉を交わしていた。


「リアノ姫様は?」


「ああ、王城にてお待ちだ。……何やら、そなたの帰還を誰より気にしておられるようだぞ」


 その言葉に、胸の奥がわずかに熱を帯びる。

 ……こんなときに顔を出せないのは、申し訳ない気もするが――


「話は変わるが、聖女カルテシア様が本日王都にやってくる」


 その口から告げられた名に、自然と背筋が伸びる。


「……カルテシアが王都に?」


「ああ。神託の報せにより、宗教都市を発たれたとのことだ」


 それから小一時間ほどで、外の石畳を踏む車輪の音が微かに響いた。

 俺が窓に目をやると、ちょうど城門の前に一台の馬車が停まるのが見えた。


 やがて扉が開かれ、白銀の靴が静かに地を踏む。

 カルテシア=セラフィム――宗教都市にて試練を与え、そして認めてくれた聖女。

 その姿は、記憶よりもさらに光を帯びて見えた。


 神殿の衣装に似た白の装束は、城の荘厳な背景にさえ気圧されることなく、

 凛とした静謐さをもって空気を制する。

 歩みはゆるやかで、どこにも乱れがない。

 神聖で、無垢で、どこか人間離れした美しさ――そう思った瞬間、


「儀式以来ですね。よもやこんなに早くもアナタとお会いするとは思いもしませんでした( ̄▽ ̄)」


 ……顔文字。


 口調は変わらず平坦で抑制されているのに、表情も声音も一切動かないのに、

 最後の“( ̄▽ ̄)”だけがやけに浮いて見える。

 何を表現したかったのかは……正直わからない。


「……え、っと……」


 俺の困惑が表情に出たのを見てか、彼女はわずかに首を傾け――


「神託ゆえの行動でごじます。のちほど詳細に説明します」


 それだけを簡潔に言い残し、すぐに向きを変える。

 当然のように、俺の隣を歩きながら、城の奥へと進んでいく。


 その姿はまるで、あらかじめ決められた道筋を辿るかのようで――

 俺はその背に、知らずついていった。


 客室に向かう廊下の途中、ふと俺は問いかけた。


「……リアノ姫に、お会いになりますか? 今は城に――」


 カルテシアの歩みは止まらない。まるでその問いすら予測していたように、即座に言葉が返された。


「余裕はありません。姫君との対話は、本件において意味を成しません」


 その声に怒気も嘲りもなかった。ただ静かに、切り捨てるような冷たさだけがあった。


「彼女に説明をすれば、情報の拡散と遅延が発生します。

 加えて、王族としての情緒的反応は、事態を複雑化させる可能性が高い」


 まるで、王女リアノ=ルヴィアという人格そのものを、リスク要因として扱うような物言いだった。


 足元が少しだけ乱れたのに気づき、俺は自分の拳に力が入っているのを認識した。


「……リアノ姫は、そんなふうに……」


 言いかけた俺に、カルテシアはようやく歩を緩めた。

 次の瞬間、彼女の視線が俺の腰へと向けられる。


「その剣です」


 無意識のうちに、俺も視線を落とした。光の剣――王都の広場で引き抜いた、予言の証。

 今も、鞘の奥で微かな光を宿している。


「“光の剣”には、あなたが思っている以上の意味があります。

 それを欲する存在――上位の、理の外側に属するものが、既に探知を開始しています」


 声音に抑揚はなかった。だが、そのあまりに淡々とした告知に、背筋が凍るような感覚を覚えた。


「……上位……存在?」


「理解の必要はありません。対応の必要があります」


 それだけを言い残し、彼女はまた歩き出す。

 まるで、重みなど欠片も感じていないように。


 この感情の起伏を許さぬ空気の中で、ただ一つ、確かなことがあった。


 ――リアノ姫には、知らせない方がいい。

 そう、俺でさえ、そう思ってしまったのだから。



 応接間に通され、扉が静かに閉まると、カルテシアはすぐさまソファに腰を下ろした。

 俺も向かいの椅子に座るが、彼女は背筋を一切崩さないまま、まるで事務的に口を開いた。


「今から、およそ半日後――神託により知らされた時間です。

 未来より、上位存在がこの時空に干渉してきます」


 まるで、天気予報でも伝えるような口調だった。


「その存在は、私が信仰する“女神”と同格の位階にあります。

 放置すれば、あなたは死にます。そして――光の剣は破壊されるでしょう」


 自然と、俺の手が腰の剣に触れた。

 今や自分の一部のような、それが“未来で用いられるから”と破壊対象にされる――?


「上位存在は、未来においてこの剣が脅威になると判断し、介入を試みるのです。

 よって、それを止めるのが私の役目( ̄▽ ̄)」


 出た。


 理屈はわかった。内容も、驚くべきほど明確で筋は通っている。

 でも……でもその顔文字は、いったい何なんだ。


「……えっと、その……顔文字って、何か意味が……?」


 俺の問いに、彼女は一拍の間すら空けずに答えた。


「神託によれば、上位存在の“消滅”には、協力者の力が必要とされます。

 その協力者は、我々の思考様式と異なり、非常に感情的です。

 私は、感情表現が苦手なため――怯えられる可能性が高いと判断しました」


 そこで一拍、言葉を切る。


「……したがって、少しでも友好的な印象を与えるために、顔文字を用いています。

 時間があれば他の手段も検討しますが、今回は緊急性が高く、実行フェーズに入っております」


 完全に“必要な業務報告”というテンションで話している。

 いや、だからこそおかしいのか。


「……そうだったんですね」


 納得はした。したけど。


 彼女は一瞬、視線を宙にさまよわせた。

 そして、まるで“この場面に適切な記号”を選んでいるかのように――


「おわかりいただけましたか?(^O^)」


 その笑顔、絶対使いどころ間違ってるだろ。

 理屈として正しいだけに、逆に……ちょっと腹が立つ。



「……その、協力者って……どこに?」


 言い終えるより早く、カルテシアは即答した。


「サレン遺跡にいます」


 あまりにも即答すぎて、地図を広げるより先に不安が募る。

 だが、実際に地図を開いて確認した俺の不安は、確信へと変わった。


「……いや、待ってください。この位置、王都から徒歩で行くなら――」


 指で距離を測る。地形と道のりを考慮して導かれる所要時間は――


「……半月、かかるんだけど。俺、死んでんじゃん」


 死期まで残り十二時間ちょっとで、片道半月コース。冗談にもならない。


 だがカルテシアは、まるで何の問題もないように頷いた。


「一回目の襲撃は、気合で退けます(`・ω・´)」


 気合。


 超然とした聖女の顔で、まるで軍略でも語るような口調で、今、気合って言った。


「……気合、ですか?」


「ええ。今回は“第一波”であり、上位存在の出現座標は事前に特定済みです。

 したがって、私がその座標に先回りし、迎撃体制を整えることで、排除は可能と判断されます」


 冷静に補足されたが、それでも根本的な不安は解消されない。


「ですが、第二波以降は……」


 そこまで言って、カルテシアの口調がわずかに変わった。

 声は変わらない。無機質なまま。だが――顔文字だけが、突き刺さるように情緒的だった。


「……相手も学習してきます。出現の座標軸は変動し、私単独では対応困難となります。

 つまり――詰みです(T ^ T)」


 泣き顔文字。


 だがその顔は、徹頭徹尾いつもの真顔だった。

 感情も抑揚もないのに、だけど、“詰みです”だけが異様に刺さる。


「……本当に、神託で……その顔文字、必要なんですか?」


「必要でごじます」


 返答に一片の揺らぎもない。

 そこに確信があるのだとすれば、俺にできることは一つしかなかった。


 ――行くしかない。サレン遺跡へ。



 馬車はゆっくりと、城の東門を越えて進み始めた。

 木製の車輪が石畳を叩く音だけが、耳に静かに残る。


 車内には、俺とカルテシアの二人。

 向かい合う席ではなく、並んで座る配置だった。


 ほんの手の届く距離。

 視線を横に向けると、彼女の横顔が目に入る。


 滑らかな頬の曲線。長く整った睫毛。光を吸い込んだような瞳の奥――

 それはまさに、聖女という言葉の体現だった。


 ……見とれていたわけじゃない。たぶん。


「……?」


 こちらの視線に気づいたのか、カルテシアがわずかに顔をこちらへ向ける。

 その無表情に見える顔に、妙にこちらの動揺が映った気がして、思わず視線を逸らした。


 顔が熱い。いや、そういう意味じゃなくて――


「ご安心ください。私も“覚悟”を決めてますから」


 抑揚はない。けれど、その言葉の奥にあるものは、はっきりと伝わってきた。


 命を賭ける覚悟。

 それを迷いもなく告げられる彼女の在り方に、俺はただ、圧倒されていた。


 自分なんかのために――

 自分が持っているだけの“剣”のために、命を賭けると決めた人がここにいる。


 彼女が本気なら――俺も、もう迷っていられない。


 ……やるしかない。


「……俺も、ちゃんと戦います。もう、逃げません」


 そう口に出した自分の声は、思ったよりも芯があった。

 それを聞いたカルテシアは、微かに目を細めて――


「少しは勇者らしい顔つきになりましたね(^O^)」


 ……だからそれ、やめろ。



 先回りした座標――王都郊外の断崖地帯。

 夕陽を背にした高台から、風が冷たく吹き抜ける。


 俺たちの前に広がるのは、ぽっかりと歪んだ空間。

 地面はひび割れ、空気には見えない波が揺れていた。


 そこだけ、何かが“浮いて”いるような違和感。

 見えない何かが、ずっとこちらを睨んでいるような圧迫感があった。


 カルテシアは足音すら響かせず、その場に立ち止まると――

 懐中時計を開き、時間を確認した。


「あと十秒で来ます。最大出力で攻撃を放ちなさい」


 俺は剣を引き抜いた。光の剣が、夕陽を受けて青白く発光する。


 ――応えなきゃ、ならない。

 あの馬車の中で見た覚悟に。俺のために立つ、彼女の覚悟に。


 ……でも、まだ最大じゃない。

 これは、“俺なりの”覚悟。応えたいという意思、それを込めて。


 俺は、光の剣に“上位出力”を流し込んだ。

 刀身に、螺旋のような光が走る。


「3……2……1……」


 カルテシアが淡々とカウントを刻む。

 ゼロの瞬間――空間が、破れた。


 裂けるように、いや、捻じれるように。

 風が吹き上がり、次の瞬間、現れたのは――


 巨大な、蛾のような怪物だった。


 羽は燃え尽きた絹のようにボロボロで、身体には無数の目のような模様。

 存在そのものが、悪夢のような造形だった。


「神の一撃(`・ω・´)」


 横にいたカルテシアが、迷いなく剣を振り下ろす。


 蛇腹剣の刃が伸び、光に包まれたまま一直線に怪物を貫く。

 その動作は一切の余剰がなく、まるで世界の構造そのものを律するかのようだった。


 俺も、遅れずに剣を振るった。

 白光が収束し、衝撃波のように敵へと叩きつけられる。


 ――直撃。


 巨大な蛾は、断末魔すら残さずに、肉体ごと霧散した。

 風が抜け、夕陽が再び空を照らす。


 だが。


「……なんだ、あれ……」


 西日に浮かぶ地面に――影だけが、残っていた。


 蛾の姿を模したその影は、波紋のように揺らぎながら、

 ゆっくりと地面を離れ、裂け目の中へと沈んでいった。


 まるで、“まだ終わっていない”とでも言うように。



 地面に残された影が、裂け目の中へと沈んでいったのを見届けて――

 俺は、ようやく息をついた。


 蛾の怪物は……少なくとも、今の世界からは消えた。

 だが、カルテシアの様子が、どこかおかしい。


 蛇腹剣を収めた彼女は、懐中時計を確認し、唐突にこちらへ向き直る。


「私は感情表現が苦手ですが、今の気持ちは((o(^∇^)o))です」


 顔文字の長さで“とても感極まっている”ことは伝わってくる。

 顔は真顔のまま、声も無表情のまま。けれど、伝えたい気持ちは……あるらしい。


「……つまり、喜んでるんですね」


「その通りです」


 本人はいたって真面目だ。

 それが逆に、ズレを強調している。


 ……でもまあ、笑顔の代わりに顔文字を使ってるだけだと思えば――これはこれで、悪くない。


 だが、安心ばかりしていられない。


「さっきの……影。あれはなんだったんですか? 本当に、倒せたんですか?」


 俺の問いに、カルテシアは頷く。


「肉体は破壊しました。ですが、“本体である魂”は未来に存在します。

 したがって、あれは“干渉体”に過ぎません」


 未来の魂? 干渉体? ……すみません、今の俺の理解が追いついてない。


「……つまり?」


 カルテシアは、空間に幾何図を描くように、指でなぞりながら言った。


「この世界は、神の意志により“時間”という一本の線で制御されています。

 ですが、上位存在は“時間”を縦方向に往来可能です。

 そのため、本体の魂は未来にありながら、肉体だけをこの時点に送り込めるのです。

 今回出現したのは、いわば“時空の触手”のようなものです」


 なるほど……なるほど?

 いや、ちょっと待ってくれ、触手ってなんだ。


「おわかりいただけましたか?( ̄▽ ̄)」


 その顔文字が逆にプレッシャーになるのはなぜだ。


「……なんとなく、ですけど……たぶん理解できました」


 少なくとも、“敵はまだ終わってない”ことだけは、確かに理解した。



「……次は、いつになるんですか?」


 燃え尽きた戦場の空気が落ち着いた頃。

 俺は、立ったままカルテシアに問いかけた。


 彼女は再び、懐中時計を開き、指先で時針をなぞった。


「千年後の未来から来ている存在なので、換算によっておよそ……“百日”です」


 百日。

 あまりにも具体的な数字に、逆に現実感がなくなる。


「ただし」


 彼女は時計を閉じると、視線を空に向けた。


「相手は学習します。

 今回と同じ出現方式を使えば、時間軸を操作して“早く”来る可能性が高い。

 つまり、先回りは通用しません。

 次は、こちらが“迎え撃つ”側になります」


 ……不安が、否応なく胸をよぎる。


 次は、事前に待ち伏せできない。

 次は、どこから来るかもわからない。

 次は、本体の魂と直結している可能性がある。


 それって、本当に……勝てるのか。


 ――そう思った瞬間、横で突然、顔文字の嵐が起きた。


「(`・ω・´)」


 カルテシアが、表情も変えず、怒り顔文字を連打していた。


「……な、なんですか?」


「協力者を味方にするための練習です(^O^)」


 あくまで冷静に。

 口調も、姿勢も、まったく乱れていない。


 でも、そのとき――俺は見た。


 カルテシアの右手が、ほんのわずかに、震えていたことを。


 あの完璧な動きの中に、隠された人間らしい不安。

 それでも、“励まそう”としてくれているのだと、すぐにわかった。


 ……わかりましたよ、もう。


 俺の中で、さっきの迷いが霧のように晴れていく。


 彼女が、あんな表現を選んででも、俺を支えようとしてるなら――

 俺は、戦う側として、ちゃんと立っていなきゃいけない。


 次がいつ来るかわからなくても。

 勝てるかどうか不明でも。


 ――俺は、この手で守る。



 カルテシアとの旅路は、不思議なほど順調だった。

 少なくとも、リアノ姫との旅のような慌ただしいやりとりも、

 道中での謎の魔物遭遇イベントも、今回は起きなかった。


 ……なにより、目的が完全に一致している。


 “協力者と接触し、未来から来る上位存在に備える”

 その一点に集中しているから、無駄な寄り道や感情的な衝突は一切ない。


 旅は静かに、淡々と進んだ。


 ――そしてついに、目的地へ到着した。


「……ここが、サレン遺跡……」


 森に覆われた丘陵の奥、樹々の隙間から現れたのは、

 かつて栄えていた文明の残滓――重厚な石造りの門構えだった。


 だが、その入り口は。


「……崩れてるな」


 土砂と瓦礫が完全に道を塞いでおり、内部へ入る手段は見当たらない。

 これでは、協力者がいるどころの話ではない。


 俺が思案しようと口を開きかけたその瞬間。


「私に、いい考えがあります」


 隣のカルテシアが、即答した。


 ……なんだか嫌な予感がする。


 彼女はいつもの無表情で蛇腹剣を引き抜き、構えると――

 そのまま一閃。断ち切るような軌道で、遺跡の入り口に振り下ろした。


 ――ゴゴゴォォンッ!!


 土煙とともに、瓦礫が派手に吹き飛ぶ。


「……物理じゃねーか!!」


 思わず声が出た。

 絶対、今の“戦術”っていうより、“力業”だったぞ。


 カルテシアは、剣を納めながら小さく頷いた。


「( ̄▽ ̄)」


 結構頻繁に使うけど、どういう意味なんだ……それ……。


(……もしかして、気に入ってるのかな)


 俺は小さくため息をついて、まだ煙が残る入り口を見つめた。

 ……ともあれ、道は開いた。あとは進むだけだ。



 俺が前、カルテシアが後ろ。

 遺跡の通路は狭く、自然とそういう並びになった。


 瓦礫の山を抜けて以降、道は徐々に広がり始めていた。

 苔むした石畳、天井から垂れ下がる根――どれも長い時間を物語っている。


 そして、道の先。

 開けた広間の中央に、何かが立っていた。


 いや、**“立っている”というより、“置かれている”**に近い。


 金属のような材質。全体的に鈍く黒ずんだ銀色の外装。

 人間に似た輪郭を持ちながら、どこか無機質で……不気味だった。


「……なんだ、あれ」


 俺が剣を構えたまま問うと、すぐ背後から、カルテシアの冷静な声が返る。


「旧文明の遺産――“ロボット”と呼ばれる機械生命体です。

 この個体は稼働していませんが、動力が再接続された場合、警戒モードに移行します」


 ロボット。

 昔、旅の村で子どもたちが石板の絵を見せてくれたことがある。

 “人間の形をした鉄の番人”――まさにそれだった。


 だが今は動かない。ただ、立っているだけ。

 広間の中央で、まるで何かを待っているかのように。


 ……それにしても、変だ。

 足元には、奇妙な幾何学模様が彫り込まれている。

 ただの装飾には見えない。何か、起こる予感がする。


「動く可能性、ありますか?」


「十分に。遺跡内部には、古代のエネルギー残留が確認されています。

 不用意に接触すれば、起動条件を満たすでしょう」


 つまり、警戒を解くなということだ。


 俺は剣の柄を握り直し、ロボットとの距離を慎重に詰める。

 そして――その瞬間だった。


 どこかで、「ピィ……」という、ノイズのような音が鳴った。


 空間が、微かに揺れた。


 何かが、来る――


 ロボットの足元で、何かが“カチリ”と音を立てた。


 次の瞬間、銀色の装甲が軽く振動し――突然、関節部から蒸気のような何かが噴き出した。


「ぴゃああああっ!? な、なんか来たああああああ!?!?!?」


 機械の声とは思えない叫びとともに、ロボットがドタバタと慌ただしく動き出した。

 細長い腕を振り回し、地面にガンガン頭をぶつける勢いで動揺を示している。


 ……見た目と中身が一致してないにも程がある。


「動力反応確認。制御不安定と判断」


 すぐ後ろから、冷静な声が届いた。


 次の瞬間――


「ひえぇぇぇちょっと待ってそれムリィィィ!!!」


 ――銀のロボットに、蛇腹剣が絡みついた。

 カルテシアの一撃は容赦なく、その細い身体をぐるぐると締め上げる。


「名を答えてください。敵対存在であれば、速やかに無力化します」


「ちょ、こわいこわいこわいこわい!! オ、オレ、オレは――っ!」


「ユニットナンバー6! 封印されたサレン遺跡の守護機体っぽいなにかぁあああああ!!」


 カルテシアがわずかに眉を動かす。


「……“ユニットNo.6”、対象確認。

 神託に記された協力者の識別コードと一致。問題なし。拘束解除します」


 蛇腹剣が、機械の腕から滑るように解かれた。

 即座に銀のロボットは床に崩れ落ちた。


 蛇腹剣が解除されても、シクス――ユニットNo.6の挙動は落ち着く気配を見せなかった。


 蒸気を噴きながらジタバタと動き、ちらちらとカルテシアを見ている。


 その視線の先で、カルテシアは無表情のまま、じっと見つめ返していた。


「……観察中です」


 いや、それが逆に怖いんだって。


「お、お、お姉さん……さっきのアレ、完全に“処理します”の目だったもん……聖女のお姉さん、マジこわいぃぃ……」


 まったく落ち着かないシクスを前に、俺はやむを得ず口を挟んだ。


「……なあ、そもそもお前、ここで何してたんだ?」


 その問いに、シクスはピタリと動きを止めた。

 そして、胸(らしき部位)を張って答えた。


「オレは――時空石の守護者なんだよぉぉ!!」


「時空石……?」


 聞き慣れない単語だった。

 それに、“守護者”って……このポンコツが?


 俺の視線を察したのか、シクスは誇らしげにらしきパーツを振り上げる。


「すごいんだぜ!? 時空石ってのはなぁ!

 超ウルトラ級のスーパーAI!! この世のありとあらゆる知識が詰まってて!

 なんでもできる! なんでも! たとえば――」


 ビシィッとこちらを指さすような動きで叫ぶ。


「時間を……巻き戻すことだって、できちゃうんだぜぇぇ!?」


 ……それ、いきなりスケール飛ばしすぎじゃないか?


「ただし、オレは封印されてたからよくわかってないけど……

 でもほんとにすごいんだってば!オレは、たぶん、それを守ってた……と思う!たぶん!」


「……“守っていた”ではなく、“封印されていた”の間違いでは?」


 カルテシアが静かに差し込む。


「ぎゃあああああ!!ごめんなさぁぁい!!ポンコツでごめんなさぁぁい!!」


 ……いや、どっちかというと、俺もそう思ってた。


 シクスはまだ半分ふらふらしながらも、こちらを見上げていた。


「いやー、でもオレ頑張るから!ほんとに!

 協力者として、あんたのために! 全力でいくからね!」


 ……正直、うるさい。


 遺跡の奥へと、俺たちは三人で歩を進めた。


 先ほどのような敵の気配はない。

 不気味なほど静かで、まるで俺たちの到達を前提としていたかのように、道は一直線だった。


 やがて、岩盤で囲まれた小さな空間にたどり着く。

 中央の台座――そこに置かれていたのは、片手に収まるほどの小さな石だった。


「これが……時空石?」


 思っていたよりも、ずっと小さい。

 透明とも言えず、不透明でもない、奇妙な色味。

 中で何かがゆっくりと回転しているような、けれど見えないような……


 俺は恐る恐る手を伸ばし、その石に触れた。


 ……何も起きない。


「……ダメか。やっぱり、これを使うための“鍵”がいるのか?」


「私も確認を」


 カルテシアが静かに進み出て、石に触れる。


 しかし、同じだった。

 時空石は、まるで“何者でもない者”に触れられているような無反応を保っている。


「……反応しません」


「え……でも、神託で導かれたんですよね?

 それで使い方わかんないって……それ、さすがに“お告げ頼りすぎ”じゃ――」


 言いかけた俺に、カルテシアが顔を向けた。


 ――言葉はなかった。ただ、感情を内在した冷たい眼光だけが向けられる。


 まるで氷の刃を突き立てられたような、息を飲む威圧感。

 皮膚ではなく、内臓がすっと冷える。


「……すみません。つい」


 無意識のうちに背筋を伸ばし、姿勢を正す自分がいた。


 カルテシアはそれ以上は何も言わず、ただ石の回転を見つめていた。


 その空間には、張りつめたような静けさがあった。

 顔文字のひとつも飛ばない静寂が、むしろ異常なほどに。


 沈黙の時間が続いた後、俺はふと思いついて、

 時空石をそっと――あのポンコツらしき金属生命体に、手渡してみた。


「……お、おれぇ?」


 戸惑いながら、シクスは両手で石を受け取った。

 その指先が、ほんの少し震えた。


「……でも、オレ……ほんとに“守護者”だったかどうか……」


 そのとき、石が、光った。


 淡い紋様が表面を走り、中央に微かに回転していた何かが――急激に動きを増す。


「お、おぉお……あれ? なんか……わかる……ぞ……」


 声の調子が変わった。


 迷いを含んでいたはずのその声音に、今、少しだけ芯が通っていた。


「時空座標固定……領域投影開始……これが、オレの……権限……!」


 周囲の空気が振動し始める。


 石を中心に、淡い光のドームが半径10メートルほどに広がった。

 景色が、変わる。


 苔むしていた石壁が、整備された白い装飾に。

 崩れていた柱が、荘厳な意匠と共に蘇り、

 空気にすら漂う“時間の違い”が、五感に伝わる。


「ここ……“千年前”の遺跡内部だ」


 俺は、変わった空間を見渡しながら、声を漏らした。


「限定的な時空再投影……過去の状態を反映する観測領域です。

 ……面白い機構ですね」


 カルテシアの声がわずかに上擦った。

 表情は相変わらず整っているが――

 目の奥には、明確な好奇心の光が宿っていた。


「これが、時空石の“基礎機能”……か」


 シクスはそっと石を胸元に戻し、小さく笑ったように見えた。


「……オレ、ちょっとだけ……思い出してきた気がする」


 光のドームの中心で、シクスがぐるぐるとその場を回り始めた。

 時空石はなおも低く輝き続けている。


「お、おぉぉ……オレ……なんか……わかる……!!

 見えるぞ……! 時空石と、管理中枢と、アクセスコードと……」


 その声に、だんだん熱がこもっていく。


「……オレ、何をしてたか……思い、出した……!」


 立ち上がるシクス。

 空間に残る千年前の構造を見渡し、拳を強く握り――


「うおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 ――そして、絶叫。


「無能だったんだオレえええええええええええ!!!」


 ガシャーン!!(倒れる)


 天を仰ぎながら膝をつき、全身の装甲をバタバタと打ち鳴らす姿は、もはや情緒がジェットコースターだった。


「……おい」


 俺が思わず声をかけると、カルテシアはすぐ隣で無表情のまま腕を組んだ。


「確認します。記憶を取り戻した結果、非戦闘性、知性低下、責任放棄。

 ……協力者失格の可能性あり」


「ちょっ、ちょっと待ってそれはそれでキツいから!!

 オレなりにショックなんだよ!! ずっと守護者だと思ってたら、ただの補佐AIだったってば!!

 定時管理と掃除当番と、夜間セキュリティしかしてなかったんだよぉぉぉ!!」


「……では、“清掃機能付き観測端末”としての自覚はあるのですね?」


「そこまで言うなよぉぉぉおぉぉ!!」


 ――せっかく感動的な展開になるかと思ったのに、

 出てきた答えが“ただの施設メンテ係”だったことに、俺はなんとも言えない気分になった。


「……まぁ、でもさ。守ってたことには変わらないんだろ?」


 俺は、へたり込んだまま項垂れてるシクスの隣にしゃがみ込んだ。


「誰がどう言ったって、ここを守ってたのはお前なんだよ。

 それが掃除でも、セキュリティでも……誰かがやらなきゃ意味がない。

 ……立派なことだと思うけどな」


「勇者の人ぉ……」


 シクスの目――の代わりに、顔の表面ディスプレイに一瞬、じわっと水滴のようなマークが浮かんだ。


「オレ……ちょっとだけ……救われた気がするぅぅ……」


 ぺたりとそのまま、俺の膝元に倒れ込んでくる。

 重量のわりに意外と軽いのが、また情けない。


 ……だが、その背後から聞こえてきた声は、容赦がなかった。


「有機的な情緒交流は完了したようですね。

 であれば、私は“別の手段”を模索します」


 振り返ると、カルテシアがすでに時空石から離れ、別の壁面構造を調べていた。


「待って。まだ、シクスができることあるかもしれ――」


「当方の計画には不要です。

 当初の顔文字による接触路線は、“根本的に失敗”であったと判断しています。

 今後、再利用する予定はありません」


 ――冷たい。あまりにも。


 それはまるで、“実験素材A”に見切りをつけた研究者の口ぶりだった。


 言葉に含まれる熱量はゼロ。

 あれほど連打していた顔文字も、一切出てこない。

 もはや、カルテシアの中でシクスという存在は“終了済み案件”扱いになっているのが、痛いほど伝わった。


「……お姉さん、冷たい……顔文字……くれないの……?」


 けれどカルテシアは、一瞥すら向けなかった。


「……でもさ!」


 沈黙を破るように、俺は声を上げた。


「過去に戻せるってことは――未来に動かすこともできるってことなんじゃないか!?」


 その言葉に、カルテシアの手が止まった。


 視線が、ほんの一瞬だけシクスに向く。


 それは確かに、可能性の芽に触れた瞬間だった。

 だが――


「……現時点では、合理的とは言えません」


 カルテシアは再び顔を背けた。


「未来座標への干渉は、理論上は不可能ではないでしょう。

 しかし、“観測点としての安定性”や、“未来そのものの定義”の問題から、

 リスクと精度の不確定要素が多すぎます」


 その語調は冷静で、変わらず正確だった。

 だが、それと同時に――最初から期待していないことが、言葉の端々に滲んでいた。


「要するに、“失敗して当然”な手段だと?」


「それに類します」


 そう言い切るカルテシアを、俺はまっすぐに見た。


 ――このまま、切り捨ててしまっていいのか?


 確かに、シクスはポンコツだ。

 でも、あの小さな手で“千年前の時空”を呼び戻した。

 今は思い出せていないだけで、きっと何か――まだ、できることがある。


「それでも、保留くらいしてもいいと思いますよ」


 俺の言葉に、カルテシアは数秒の沈黙を返した。


 そして。


「……“打開策の一つとして保留”――その条件なら、許容範囲です」


 それは、同意というより妥協だった。

 けれど、その妥協こそが――この場で必要な勇者の力だったのかもしれない。


「……よかったな、シクス」


「うぅぅ……オレぇ……使えないかと思ったけど……まだ、切り捨てられてなかったぁ……!」


 また涙マークが浮かぶけれど――さっきよりは、少し明るい。


 まだ少し俯きがちに時空石を撫でているシクスに、俺は膝を折って目線を合わせた。


「なあ、シクス」


「……うん?」


「キミは、たぶん――ヒーローになれるよ」


 その言葉が、ゆっくりと空気に染み込んでいく。


 時空石を通して千年前の光が広がる空間。

 崩れた過去の中で、たった一人、うずくまっていたポンコツが――

 今、顔を上げた。


「……ヒーロー……オレが……?」


 機械仕掛けの頭部がかすかに揺れ、目元に光が宿る。


「……うおおおおおおおおおお!!」


 がばっと立ち上がると、天井に拳を突き上げ――


「なんだかできそうな気がしてきたああああ!!」


 手のひら、秒単位でくるっくる。


「たった今、オレ、完全再起動ぉぉぉ!!未来に干渉してやるぅぅ!!勇者の人ありがとぉぉ!!」


 きらきら光る足取りでその場をくるくる回り始めるシクス。


 ――と、そのとき。


 遺跡の入り口で、誰かが小さく呻いた。


 振り返ると、カルテシアが頭を抱えながら、静かに壁にもたれていた。


「……これは……もう……理性では……処理しきれません……」


 あの理知的な聖女が、額に手を当て、まるで偏頭痛を抑えるようにうめいている。


「私の計画理論、情緒演算、神託照合……全ての軸が崩壊しつつあります……

 この生命体、何度計算しても結論が出ません……」


 最後は、ふらりと踵を返し、無言で遺跡の外へ歩いていった。


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