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エピローグ:勇者になった俺

 王都の城壁が、遥か遠くに見え始めたとき。

 馬車のなか、窓辺に座っていたリアノ姫が、静かに言葉を落とした。


「……静かに帰りましょう」


 その声音には、安堵と――わずかな悔いが滲んでいた。


 戦いは終わった。

 けれど、その間、彼女は「国の中心」としての役割を果たせずにいた。


 光の神殿に身を封じ、王国を空位にしてしまったこと。

 それが、どれほどの不安と迷いを、民に与えただろうか。


 彼女は、責任の重さを誰よりも知っていた。

 だからこそ――


 凱旋を誇示するような騒ぎは、もう必要ない。

 少なくとも、俺たちはそう思っていた。


 だが。


 王都の正門をくぐった瞬間――


 空が、咲いた。


 城壁の向こうから、夜空を彩る光の花。

 鐘の音、ラッパの音、そして――万雷の拍手と歓声。


「お帰りなさいませ! 勇者殿! 姫様!」


 市民たちの手に振られた白百合の花。

 旗が揺れ、子どもたちの声が響き渡る。


 そして、国王が王城の最上段から立ち上がった。

 老いた身を押してまでも、すべての民の前に姿を見せるその姿に――

 この凱旋が、国としての“祈り”であることを、俺たちは悟った。


 リアノ姫は最初、ただ驚いていた。

 自らの目を疑い、俺の袖をそっと握ったほどだ。


 だが――民たちの「姫様!」という声を聞いたとき。


 その瞳が、震えた。


 その声の波に包まれた瞬間、

 彼女は、自分がこの国の“希望”であることを――

 この国の誰一人として、それを忘れてなどいなかったことを、

 初めて真正面から受け止めたのだ。


「……皆さん……わたくし……」


 言葉の続きを紡ぐ前に、

 リアノ姫の瞳から、一粒の涙が零れ落ちた。


 それは、誰の命令でもない。

 誰の期待でもない。

 彼女自身の感情だった。


 俺は、黙ってその涙を見つめていた。

 彼女がどれだけの想いを背負っていたか、

 どれだけの孤独の中で、王女として立っていたのか――


 それを思えば、

 この涙は、ようやく流された“赦し”だった。


「……おかえり、姫様」


 心の中で、そう呟いた。


 ――今この瞬間、

 王都が、王国が、そして姫様自身が。

 ようやく、ひとつの“帰る場所”を取り戻したのだ。




 城の回廊に、柔らかな靴音が響く。


 陽光が差し込む石造りの廊下を、リアノ姫は一人、ゆったりと歩いていた。

 風は初夏の香りを含み、時折、白いカーテンをふわりと揺らす。


 エルデンティア王国は平穏を取り戻していた。

 グランギデオンの脅威は去り、各地の復興も進んでいる。

 姫としての公務に追われる日々は変わらないが、それでも――今は、静かな時間があった。


 ふと、耳に入った侍女たちの囁き。


「カルテシア様が、王都に来ているらしい」


 その名を聞いた瞬間、リアノ姫は足を止めた。

 そして、胸元に手を添え、小さく微笑む。


「……迎えましょう」


 自らの裾を整え、静かに踵を返す。

 王族の品位を湛えたその姿は、まるで時の流れさえ従えるかのようだった。


 やがて、城の中庭――風見の門のそばで、再会の時が訪れる。


「お久しぶりですね、リアノ姫」


 そう声をかけたのは、薄衣に身を包み、清らかな空気を纏った聖女――カルテシアだった。


「ええ。本当に……ご無事で何よりです」


 挨拶を交わす中、カルテシアは周囲を見渡し、ぽつりと呟いた。


「……彼は?」


 リアノ姫は一瞬だけ、視線を空へと上げた。

 そして、柔らかくも意味深な微笑を浮かべながら、答える。


「彼は……遠いところへ行ってしまいました」


 その言葉に、カルテシアは目を細めた。

 少しの沈黙ののち、小さく頷きながら呟く。


「……里帰り、ですね」


 リアノ姫はその言葉に、わずかに肩を揺らして笑い、

 そしていつもの気品を取り戻す。


「ええ。少し、疲れてしまったのでしょう。ですから――静かな場所で、心を整えているのだと思います」


 カルテシアはしばらく黙っていたが、やがて目を姫へと戻す。


「……あなたは、行かなくてもよろしいのですか?」


 その問いに、リアノ姫はまっすぐカルテシアを見つめ――

 それから、凛とした声で答えた。


「構いませんわ。あの方は、必ず戻ってきますもの」


 その言葉には、疑いも焦がれもなく、ただ一つの信頼が込められていた。


 風が二人の髪をそっと揺らした。




 懐かしい土の匂いが、風に乗って鼻をかすめた。


 茅葺き屋根の低い家々。

 道端に並ぶ野菜籠。

 そして、ゆるやかに傾いた午後の陽射しが照らす、小さな集落。


 俺は――久しぶりに、生まれ育った村へと帰ってきていた。


 村は変わっていなかった。

 犬の鳴き声と、どこかで洗濯板を打つ音。

 そのどれもが、かつての日常と寸分違わず、そこにあった。


 我が家の門をくぐると、庭先で薪割りをしていた親父が俺の姿に気づいた。


「……おぉ?なんじゃお前……って、おい!」


 斧を置くより早く、足音を荒げて近づいてくる。


「まさかお前――追い出されたんじゃなかろうな!?馬鹿者ッ!!」


 いきなり怒鳴られた。

 何も言ってないのに。


「ち、違うって。ちょっと帰省しただけだよ。……ほんとに」


 苦笑いを浮かべる俺に、親父は鼻息を荒くしながらも、どこかホッとした顔をしていた。


「まったく……王都勤めってやつはどうも信用ならん。姫様に無礼でもしたんじゃあるまいな」


「……してないよ」


 むしろ、大切に思ってる。


 そのとき、玄関の戸が音を立てて開いた。


「もう、うるさいわよ。久しぶりの帰省なんだから、まずはゆっくりさせてあげなさいな」


 母さんだった。

 白い割烹着のまま、俺を見て、ふっと笑う。


「……おかえりなさい。元気そうで、よかった」


「ただいま、母さん」


 台所へと案内され、ぬるめのお茶が出された。

 陽だまりの中、茶碗から立ち上る湯気が優しい。


「王都の生活は、どう?」


 母さんの問いに、俺は少し考えて――答える。


「姫様が、優しい人でね。……大変だけど、それ以上に、報われる日がある」


「ふふ、そう。……いい人なんだね」


 母さんの声は、どこか嬉しそうだった。


「で、いつまでここにいるんだ?」と親父が尋ねる。


 俺は茶をひとくち飲み、空を見た。


「三日くらいかな。そのあとは――」


 窓の向こうの空の、その先に、

 今も変わらずあの場所で誰かを守る姫の姿が、自然と思い浮かぶ。


「……姫様のところに、帰るよ」


 静かな言葉に、両親は何も言わなかった。

 ただ、そっと微笑んでくれた。


 ――日常というものは、不思議だ。


 一週間前まで剣を振るい、命のやりとりをしていたというのに、今日はこうして湯呑を手にしている。

 薪のはぜる音と、鶏の鳴き声と、母さんのぬか床の匂い。


 俺が守りたかったものは、たぶん、こういうものだったんだろう。


 でも、それはきっと、永遠には続かない。


 そんな予感が――風の音に混じって、やってきた。


「……!」


 誰かの声が、微かに、風に乗って届いた気がした。


 俺は立ち上がり、窓を開ける。

 春の匂いとともに、空から声が降ってくる。


「おーい、勇者くん!」


 空を見上げると、竜の姿をしたセレナが舞い、その背に乗ったラルフが手を振っていた。


「……なにやってんの、こんなとこで」


「魔王軍幹部が出た。……いま、王都、大変だよ」


「……マジかよ!?」


 お茶を置く。椅子を蹴るように立ち上がる。


 数秒後には、旅装を引っ張り出して、鞄に剣と外套を詰め込んでいた。


「……あっという間ね」と母さんのため息。


「おい、もう行くのか?久しぶりに帰ってきたってのに」


 玄関で、親父が立ちふさがるようにして言った。


 だけど、俺は微笑む。

 懐かしい我が家を、もう一度だけ振り返って――言った。


「――勇者になった俺、の証だから」


 扉を開ける。


 光のなかへ、走り出した。


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