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第2話:風の孤島と試練 後編

 皇后に案内されたのは、島の中央にそびえる断崖の上だった。潮風にさらされた岩肌は鋭く、眼下には濃密な緑が渦を巻くように広がっている。

 地平線の向こうまで青い海と空が続いており、まさしく――世界を見渡す高みだった。


「ここは〈風の眼〉と呼ばれる場所。我らが古来より試練の場としてきた場所である」


 皇后はそう言うと、両翼を広げ、天へと手を掲げた。


 すると空が脈動し、皇后の掌から球体の光が浮かび上がる。淡く揺らめくその光は、ゆっくりと空に溶けるように上昇していき――やがて八つに分かれ、風に乗って島の各地へと散っていった。


「よいか。この試練は、空に浮かぶ“風灯”を三日以内にすべて集めてみせよ。場所も数も、刻一刻と変わるぞ。これはお前たちの“風を読む力”を見るものだ」


 静かに語られるその言葉には、重みがあった。これは単なる体力勝負ではない。島全体が試練の舞台だというのか。


「わたし、やりますっ!」


 セレナが即座に手を挙げた。そして勢いよく断崖を跳び下りると、その身を淡い光に包ませて、空へと舞い上がっていく。


 ――竜の姿。


 柔らかな青緑の髪が変化し、しなやかな翼と輝く鱗を纏った天竜が、蒼穹を駆けるように空を切り裂いた。


 美しかった。神話の中から飛び出したような、神聖さすら感じさせる姿だった。


 だが。


 その瞬間、島全体が呻いたように風を巻き起こした。


「な、なんだ……!?」


 上空から無数の巨大な竜巻が発生した。まるで天を貫く柱のように渦巻き、暴風が一帯を呑み込む。

 セレナの姿はその中で翻弄され、侵入を阻まれるように弾き飛ばされる。


「セレナ!」

「おちついて、彼女は無事です。あれは――防壁」


 カルテシアが分析するように告げた直後、皇后が小さく笑った。


「……ふふ。言い忘れていたな。あの光は、我が魂を象ったもの。あの方が、すべてを護るのは当然であろう?」


 その言葉には、どこか嬉しそうな響きがあった。

「風竜」と呼ばれた存在がこの島の守護者であり――そして、皇后の“旦那様”であることが改めて理解された瞬間だった。


 風を読む力。風に愛される者の資格。

 これは単なる宝探しではない。

 “風の民”に認められるための、真なる試練なのだ――。


 初日の挑戦は――惨敗だった。


 島の空を駆け、ひとつでも風灯に近づこうと飛翔したセレナだったが、結果はゼロ。

 どの光に手を伸ばしても、まるで意志を持ったように立ちはだかる巨大な竜巻に阻まれた。


 風は読めているはずだった。彼女の翼は確かに風を捉えていた。

 だが、“あれ”はただの風ではなかった。拒絶の意思そのものだった。


 夕暮れの岩場に戻ったセレナは、いつもの明るさをすっかり失っていた。

 竜の姿を解いた彼女の背に、重く沈んだ空気が漂う。


「……ごめんなさい。全然、だめでした……」


 その目はほんのり赤く潤んでいた。悔しさを噛み殺しているのが、痛いほど伝わってくる。


 俺は何も言えなかった。慰めの言葉すら、彼女の真剣さの前では安く感じた。


 それでも何か打つ手はないかと、カルテシアに尋ねた。


「……あの竜巻は、皇后に対する旦那様――風竜様の“深い愛情”を根幹としています」


 彼女は静かに断言する。まるで数式の解を導くように。


「つまり、皇后との信頼関係を“意図的に”壊すような工作を行えば、風竜様の感情に揺らぎが生じ、結界となる竜巻の力も弱まる可能性があるでしょう」


「たとえば……?」


「不倫です」


 さらりと、真顔で言い放った。


「……え、え?」


「愛の反転は、風の乱れとなります。皇后があなた方に“懸想されている”と誤解させるだけでも、竜巻に狂いが生じる理屈は成立します」


 俺は思わずセレナを見た。彼女も固まっていた。


 竜巻を突破するために、俺が……皇后に……?

 いやいやいやいや。


 頭の中で盛大な警報が鳴り響いた。

 そして、本能が小さくささやいた。


(あっ……この人にいま相談するのは違うな……)


俺は少しだけ視線を逸らしながら、ふと尋ねた。


「……そういえば、目的って“風灯”じゃないんだよな?」


「はい。風の神殿にある“クリスタル”が本来の目標です」


カルテシアは火を見つめながら、静かに答える。


「しかし、鳥人族の風習上、“風灯を集める者にのみ”神殿の扉が開かれる仕組みになっているのです。よって、この試練は避けられません」


「なるほど……」


本題に戻っただけなのに、なぜか会話は重く感じられた。


 ラルフは、セレナの隣に、いつも通りの自然な足取りで腰を下ろした。しばし、焚き火のぱちぱちという音だけが二人の間を満たす。


「……セレナ」


 柔らかい声が、そっと彼女を包み込む。


「相手が“愛の力”で結界を張っているならさ。こっちも“愛の力”で越えればいいんだよ」


 ぽつりと、ラルフは言った。


 セレナははっと顔を上げ、彼を見つめた。蒼色の瞳が一瞬揺れて、そしてゆっくりと頬が染まっていく。


「ら、ラルフさん、それって……っ」


 何かを言いかけてから、言葉にならず、視線を逸らす。その耳の先まで赤く染まっていた。まるで――告白でもされたかのように。


 だが、ラルフは首を傾げるでもなく、そのまま立ち上がると、俺のところまで歩いてきた。


「うん。やっぱりキミの出番だね」


 そう言って、ラルフは俺の手を取る。そして、驚いて立ち上がったセレナの手を、もう片方にそっと導いた。


 ふたつの手が、彼の手によって重ねられる。


「ほら。これも“愛の力”でしょ?」


 何が起きたのかを理解するより先に、セレナの手のひらの温もりが、こちらの手に伝わってくる。セレナは目を丸くして、でも拒む様子はなく、そっと目を伏せた。


「……はい」


 小さく、それでも確かに、返事をする声が聞こえた。


 ラルフはそれを見届けると、また焚き火のそばに戻り、手元の鍋を静かにかき混ぜ始めた。まるで、何事もなかったかのように。


 ふいに、疑問が口をついて出た。


「ちょっと待って。今の流れって、ラルフがセレナと一緒に挑むことになるんじゃなかったのか?」


 俺の問いに、ラルフは首を傾げながら、まるで当然のことを答えるように言った。


「ボクは“愛”っていう感情が、よくわからないんだ。だから、力になれる気がしないよ。

 それは、キミの方がずっと詳しいでしょ?」


 悪意のない声音だった。ただ、どこか価値観の基盤が違う。

 人間らしい情に対する距離感――その“感覚の差”が、少しだけ俺の言葉を奪った。


 俺は思わず黙り込んでしまう。

 確かに、言われてみればラルフはこれまで一度も怒ったり、泣いたり、恋を語ったりすることはなかった。

 ただ、優しくて、いつも自然体で、けれど“どこか遠い”。


 その沈黙を破ったのは、カルテシアだった。


「価値観の差異は、誰にでもあります。無理に埋める必要はありません。

 時間がもったいないので、素直に受け入れるのがよいでしょう」


 彼女はいつも通りの平坦な声音で、俺に向き直る。


「ラルフに“愛”の定義を説くよりも、あなたがセレナに“愛”を捧げるほうが、はるかに合理的です」


 的確で、間違っていない。だけど、感情の余地はひとつもなかった。


 結局、俺が納得できたのは、その冷静さの中にある“確かな信頼”だけだった。

 ラルフが持っていないものを、俺が補う――そういう役目なのだと、静かに理解した。


 武器でも魔法でもなく、俺に課された“戦う手段”。


 この手で剣を振るうことはできなくても、

 この心で、誰かを守ることはできるのだろうか。


 明確な答えは見えないけど、少なくとも明日の試練では――

 少しだけ、セレナのために前に出てみようと思った。


 夜の海風が肌を撫でる。


 キャンプの焚き火がパチパチと音を立てる中、セレナがこちらをじっと見つめていた。


「……勇者さま。私に“愛”を教えてください」


 その目は真剣で、けれどどこか微笑みを含んでいる。





セレナはじっとこちらを見つめていた。


「――愛とは、おっぱいだ」


「は?」


セレナのトーンが一気に冷え込む。


「サイズじゃない。その人だから好きになる。

 つまり“存在そのもの”を肯定する気持ち――それが愛、だと思ってる」


セレナはきょとんとし、そして小さく吹き出した。


「……そういう言い方、ちょっとズルいです」


「本気で言ったんだけどな」


「ふふっ、でも……わかる気がします。私も、勇者さまのそういうとこ、好きです」


 セレナの言葉に、俺は頬をかきながら、曖昧に笑った。


「……わたしは、勇者さまに強い憧れがあります」


 その言葉はどこか、迷いを孕んでいた。


「でも、異性として……“気になる”かというと、ちょっと……わかりません」


 彼女の声は素直だった。偽りのない感情が、夜の風にさらけ出されていく。


 俺は少しの沈黙の後、静かに答えた。


「……俺も、同じだ」


 正直に言うことが、セレナへの礼儀だと思った。


「俺は……リアノを愛してる。

 たとえば“恋愛”という指標で考えた時……セレナのことは、たぶん、そういう意味で愛してはいない」


 セレナは一瞬きょとんとした後、ふっと吹き出した。

 声を上げて笑うわけではない。ただ、心の底で力が抜けたような、そんな笑みだった。


「勇者さまって……とても正直ですね」


 焚き火の赤に照らされた彼女の横顔は、どこか嬉しそうだった。




 二日目。俺はセレナの竜の背に跨り、ふたたび風灯の試練に挑んでいた。


 昨日の悔しさと、今朝までの語らいによって、気持ちはどこか晴れていた。雲間を縫うように飛行しながら、今日は行けそうな気がする──そんな漠然とした希望が胸を支えていた。


 だが。


 現実は、そう甘くはなかった。


 重力。風圧。ふたり分の質量。

 感情の力で覆すには、あまりにも物理が強すぎる。


 竜巻の壁は相変わらず容赦なく、何度挑んでも、俺とセレナは弾き返された。いくつかのルートを試しては、また弾かれ、気づけば日が傾いていた。


 結果として、風灯を一つも得られぬまま、二日目の試練は幕を下ろした。


 けれど、不思議だった。


 一日目のような焦燥感や翳りが、セレナの表情にはまるでなかったのだ。彼女自身もそれを不思議に思っているようだった。


「……どうしてでしょうね。昨日は、もっと、悔しくて泣きそうだったのに」


 セレナが呟いたとき、カルテシアがすっと言葉を挟んだ。


「信頼できる誰かが、近くにいるだけで気持ちは楽になるものです」


 あまりに端的なその一言に、セレナは目を丸くする。


「……案外ロマンチックなんですね、カルテシアさま」


 彼女はくすりと笑った。


 カルテシアは一瞬だけ首を傾げると、静かに応じた。


「神にだって、感情はあります。それを代弁する私も、感情を理解できるのは自然なことです」


 その声はあくまで静謐で、けれど、どこか優しかった。


「神は不器用なのです。感情を理解していながら、本人の感情があまりに純粋で、時に“感情がない”と誤解される。

 光の剣が“感情”を力の源とするのは、神の価値観であり、不器用な神の愛の象徴。

 それを正しく理解し、あなた方に伝えること──それが私の役目であり、神への深い愛の証でもあります」


 思わず俺は息を呑んだ。

 この試練が始まってから、彼女は一度として焦らなかった。今思えば、それも当然だったのかもしれない。

 最初から答えを知っていたのだ。

 誰よりも“理”を理解していたのは、この聖女だった。


「そもそも、愛は必ずしも“恋愛”という枠に収まるものではありません」


 カルテシアは、断言するように言った。


「あなたとセレナの関係もそう。セレナとラルフの関係も、また一つの愛の形です。

 “恋愛こそ尊く強いもの”という価値観は、勝手な人間の幻想にすぎません。

 愛とは本来、形を変えるもの。自己の感情を純化し、他者と誠実に関わろうとする心──それこそが、真なる愛です」


 火を灯したような穏やかな声に、俺は胸の奥を射抜かれたような気がした。


 ──俺は、彼女のことを、愛を知らない者だと決めつけていた。


 でも、それは違った。

 誰よりも愛を知り、言葉にせずとも理解していた。

 だからこそ、静かに見守っていたのだ。俺たちがそれに辿り着くのを。


 俺はそっと空を見上げた。


 風の灯はまだ、手の届かぬ高みに揺れている。

 けれど、その光を“手にする理由”は、確かに見え始めていた。



 三日目の朝、俺は空を見上げていた。


 風がやさしく吹いている。あの日、姫様と初めて会った城の庭でも、こんな風が吹いていたことを思い出す。


 ──リアノ姫。


 彼女は、戦わなかった。


 剣を握ることもなければ、戦場に立つこともなかった。

 だが、それでも一度として「無力だ」と嘆いたことはない。

 むしろ、俺に守られる自分に誇りを抱いていた。

 自分には自分のなすべき役割があると、そう信じて疑わなかった。


 彼女は、いつだって俺を信じてくれた。


 あれが、強さだったのだと今ならわかる。


 “戦えないから対等ではない”──

 それは、俺の勝手な思い込みだった。

 むしろ、彼女はずっと、俺と“対等”であろうとしてくれていた。

 無力でも、立ち位置は違っても、心の在り方だけは、同じ高さで並ぼうとしてくれていた。


 ……俺は、それに応えられていただろうか?


 そして、今。


 俺はセレナに対しても、同じような過ちを繰り返そうとしていたのかもしれない。

 彼女の竜の背に乗って、風を斬り裂き、竜巻に挑む。

 一緒に戦うことで、対等でいようとした。

 だがそれは、“信じて託す”という愛の形を、ないがしろにしていたんじゃないか。


 俺が本当にやるべきこと。


 それは、自分が前に出て戦うことじゃない。

 セレナに「愛とは何か」を教えること。

 そして、彼女を“信じて、待つ”ことだ。


 たとえ自分が直接力になれなくても、信じ抜くことができる。

 それこそが、勇者として、そして一人の人間としての、俺の“強さ”なのだ。


 風の試練は、力でねじ伏せるものじゃない。


 これは、心の力の試練だ。

 ならば、今こそ、その心の形を見せる時だ。


 俺は決めた。


 今日の試練には、俺は同行しない。

 セレナに、すべてを託す。



 俺はその想いを、セレナに伝えた。


 もう俺は一緒に飛ばない。

 君を信じて、ここで待つ。

 それが、俺にできる愛の形だから。


 セレナは驚いたように目を瞬かせたが──すぐに、やわらかく微笑んだ。


「……はい。そう言ってくれるのを、待っていました」


 どうやら、彼女も俺と同じことを考えていたらしい。

 心が言葉になるのを、ただ静かに待ってくれていた。


 その瞬間、彼女の中で、何かが確かに変わったのだとわかった。


 竜となったセレナが、空へと羽ばたいた。


 一日目、二日目とは比べものにならない。

 その飛行には、迷いも不安もなかった。

 力強く、頼もしく──風を従える者のように、天を駆けた。


 最初の竜巻を突破し、風灯を手にする。

 つづく二つ目の風灯も、激しい乱流をかいくぐって見事に奪取した。


 空は揺れていた。

 風は怒り、竜巻は激しさを増す。

 けれど、セレナの意志はそれを上回っていた。

 彼女は苦戦しながらも、確実に前へと進んでいく。


 ──そして、最後の風灯を目前にしたその時だった。


 空全体に轟音が鳴り響いた。


 いくつもの竜巻が、まるで生き物のようにうねり、集まり、重なってゆく。

 風という風が一つに収束し、圧倒的な気流のうねりとなって天を貫いた。


 そしてその中心から──風竜が現れた。


 緑の炎のような神聖な風をまとう巨体。

 空そのものが吠えるような咆哮。

 その瞳に宿る意思は、まぎれもなく“皇后を守る夫”のそれだった。


 最後の灯を守るべく、風そのものが意志を持ち、牙を剥いた。



 風を切って、セレナは最後の風灯へと近づいていく。

 だが、その目前で彼女の飛翔は止まった。


 風の渦が静まり、空に巨大な影が降り立つ。

 風そのものが神格を持ったかのような存在――風竜が、完全な姿を現した。


 緑風の炎を纏い、瞳には凍てついたような静寂と、激しさが宿っている。

 その巨躯をもってしても、空を圧するその存在感は、“神”と呼んでも過言ではなかった。


 セレナは怯えず、静かに飛翔を止めると、やわらかな声で語りかけた。


「わたし達は……ある姫様を助けたいのです。

 その方は、私たちの大切な仲間で、国の希望で、そして――私の友達の、大切な人なんです」


 風竜は何も言わない。ただ、セレナを見据えていた。

 その瞳はあらゆる嘘や虚飾を見通す、神の審判のようなまなざしだった。


 セレナは、ゆっくりと風灯をその場に捧げるように差し出した。


「……これを、あなたにお返しします。

 本来は、あなたと皇后さまの大切なものだったのでしょう?私たちのために奪っていいものではありません」


 風が揺れた。


 風竜の重低音のような声が、空気を震わせる。


「それを渡せば──お前は私から殺されるかもしれないぞ」


 その声に脅しの色はなかった。ただ、事実を述べているだけだった。


「今、お前が生かされているのは、我が妻の魂の一部を“所有”しているからだ。

 それを返すというのは、その加護を手放すということ。

 すなわち、“風に裁かれる存在”になるということだ」


 一瞬、空気が凍る。


 だが、セレナの表情は曇らなかった。

 その目には、強さと、慈しみの光が宿っていた。


「……あなたは、優しい方です。

 だから、そんなことはしません」


 その言葉に、風竜の瞳が微かに揺れた。


 風が、柔らかく吹いた。


 風竜は何も言わなかった。


 威圧もなく、怒りもなく、試すような視線すらなく――ただ、静かに、風そのものへと還っていった。


 巨大な緑風の身体が、空気に溶けるように淡く散ってゆく。


 まるで、それ自体が幻であったかのように。


 その場に残されたのは、ひとつの光。


 最後の風灯だった。


 セレナは静かにそれを手に取り、胸に抱いた。


 ……戦いではなかった。


 怒鳴り声も、剣も、奇跡の魔法も必要なかった。


 ただ信じ、信じられた末に辿り着いた――本物の“勝利”だった。


 その後、セレナが最後の風灯を携えて島の中心へと戻ると、皇后が待っていた。


 彼女はその大きな翼を広げ、誇らしげに、そしてどこか微笑むように言った。


「よかろう。お前を“風の友”として認める。風灯を持ちゆくがよい」


 試練は終わった。


 風の孤島に咲いた魂の灯火を、そのままに――

 セレナは、自らの“愛”を証明し、風の試練を超えたのだった。



 静寂の中、風灯を抱えたセレナのもとに、カルテシアが歩み寄る。


「……私は、風灯ではなくクリスタルが欲しいのですが」


 その一言に、場の空気が一瞬だけ張り詰めた。


 しかし――


「ははっ!そうだったな、すまぬすまぬ!」


 皇后は、翼をたたきながら朗らかに笑った。

 その様は、先ほどまでの試練の重苦しさが嘘のように、明るく、気さくなものであった。


「風のクリスタルなら、ちゃんと神殿に保管しておるよ。お前たちの心ばえに免じて、特別に持っていくがよい」


 俺たちは深く頭を下げた。


 神殿に案内されたのは、島の最奥、風竜が守っていた聖域だった。

 そこにあったのは、透き通るような緑の輝きを放つ宝石――風のクリスタル。


 神聖な気配をたたえながら、しかしどこか優しく、静かに光を揺らしていた。


 それは、セレナが信じて、乗り越えた“愛”の証だった。


 クリスタルを手にし、俺たちは風の孤島をあとにする。


 鳥人族の少年が、浜辺で大きく手を振っていた。

 皇后も高台から翼を広げ、見送ってくれていた。

 風はやさしかった。もう、あの荒れ狂う竜巻はどこにもない。


 俺たちは、緑の風を背に受けながら、小舟で海を越えていった。


 ──風の孤島の試練を超え、次なる神殿を目指して。


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