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第1話:魔人グランギデオン 前編

 建国記念日から一日が過ぎた静かな朝、エルデンティア王国の王城より、数通の文が各国に向けて発せられた。


 それは、第一王女リアノ=ルヴィアの名の下に認められた、深い反省と誠実な意図に満ちた書状であった。


 本来ならば、建国を祝し盟邦の友と語らうはずであった前日の会合は――王女自らの手違いによって、事前の招待が一部に届かず、無為に終わってしまった。

 過ちは小さく、王家の権威をもって強引に正当化することもできたかもしれぬ。

 だが王女はあえてそれをせず、自身の過失を真摯に認めたうえで、一通一通、丁寧に筆を執ったのだ。


「この度の失礼、深くお詫び申し上げます。王家の名のもとに、再び心よりの歓待の席を設けたく存じます――」


 文面は簡潔ながらも端正で、己の責を曖昧にせず、相手への敬意を最後まで貫くものであった。

 そして手紙には、再調整された会合の新たな招待状が同封されていた。

 そこには、東方連邦、南国諸島連邦、そして近郊諸国――いずれもエルデンティアと友好を結ぶ国家への、変わらぬ信頼と希望が込められていた。


 この報せを受け取った各国の反応は、意外なほど温かいものであった。

 東方の筆頭宰相は「王女殿下の言葉にこそ、真なる高貴がある」と評し、

 南方の海洋国家では「リアノ姫が再び笑って迎えてくれるのならば、踊りとともに船を出そう」と喜びの声が上がった。

 近郊の諸侯もまた、娘に読み聞かせるようにその手紙を広げ、「この姫は人の心を知っている」と笑みを洩らしたという。


 誠実な言葉は、剣よりも強く心を打つ。

 それはこの日の王女の書状が、ただの謝罪ではなく、真なる融和の灯火として受け取られたことを意味していた。


 会合は再び開かれる。

 今度こそ、誤りなき準備のもとに。

 その席には、穏やかな対話と、笑みと、真摯な未来への誓いが――きっと、あったかく並ぶことだろう。


 白亜の大広間、その中心に据えられた円卓は、今日だけは真の意味で「盟約の輪」となっていた。


 純白の石に彫刻された円形の卓には、それぞれの国家の紋章があしらわれた旗が規則正しく掲げられ、その傍らには使節団と見られる面々、あるいは外交を担う高官たちが、厳かな面持ちで席に着いている。

 七カ国――東方の智謀に長けた連邦、南海の陽光に育まれた島嶼の諸王、峻厳な山を越えて訪れた北の軍閥、そしてエルデンティアを囲む近隣諸国――そのすべてが、いまこの円卓に揃い踏んでいた。


 リアノ=ルヴィア王女は、立ち上がって一礼し、誠意をもって言葉を紡いだ。


「このたびは、わたくしの不手際により、貴国の皆様に多大なご迷惑をおかけいたしました。ですが、本日のこの場が――過ちではなく、未来の信頼の一助となることを、心より願っております」


 その声音に、誇り高い王家の威厳と、若き統治者としての謙虚さが重なり合い、集まった各国の代表たちも頷きとともに、王女の言葉を静かに受け止めた。

 協議は終始穏やかに、時に笑みを交えながら進行し、討議すべき議題も滞りなく処理された。互いに歩み寄る意志があるか否か――それが、この席を通じて確かに感じ取られたのだ。


 午後には円卓は下げられ、同じ空間はそのまま会食の場へと移り変わる。

 芳醇な香りを放つ食卓が整えられ、銀器の音が軽やかに響き始めたその時――


 リアノ姫のもとへ、一人の男が近づいてくる。


 背は高く、姿勢は真っすぐに保たれている。髪には霜のような白が混じり、顔立ちには年輪を思わせる皺が刻まれていたが、その瞳には妙に若々しい鋭さが残っていた。

 手には片手グラスを持ち、琥珀色の酒を静かに傾けながら、礼節を崩すことなく姫に声をかける。


「ふむ……お見事な采配でございましたな、王女殿下」


 男の名は、グランギデオンと名乗った。


 その声音には穏やかさと皮肉が微妙に交じり、まるで長年の芝居を楽しむ役者のような気配を纏っていた。


「おぬしほどの若さで、これほどの国際席を取り仕切るとは。まさしく才女、いや……国そのものと言っても過言ではありますまい」


 リアノは軽く会釈しながらも、わずかに視線を鋭くした。

 この男、どこか引っかかる――礼儀を保ちつつも、彼女の内なる警鐘は、ごく小さく鳴り始めていた。


 グランギデオンは微笑を浮かべたまま、グラスを掲げる。


「祝宴の席ゆえ、堅い話は控えましょう。……されど、いつか本音で語り合える時が来ると、わしは信じておりますぞ、姫様」


 琥珀の液体が、光の差す窓辺で煌めいた。


 まるで、平穏の水面に投じられた、一滴の影のように。


 グランギデオンと名乗った男の立ち居振る舞いは、どこか悠然としていて、場の空気を読み過ぎるほどに読み取っていた。だが、それ以上にリアノ=ルヴィアの目を引いたのは――彼の纏う衣だった。


 漆黒に銀糸であしらわれた紋様は、明らかにスヴェリカ公国の式典服の一種。

 肩章の形状と金糸の配分からして、貴族層の高位に連なる者の装束であることは疑いなかった。


 リアノはその事実を冷静に受け止めながらも、数か月前に自身がスヴェリカを訪れた際の記憶を素早く手繰る――

 そのとき、少なくともこの男の姿は、宮廷にも会談の場にもなかった。


 彼女は一度目を伏せて思考を整えると、丁寧に言葉を選びながら口を開いた。


「――失礼ながら、あなた様の御姿を、スヴェリカ公国における過日の会合にてお見かけした記憶がございません。わたくしの不注意であれば申し訳ありませんが……外交官として新たに任ぜられた方とお見受けしてよろしいのでしょうか?」


 問いかけに、男はわずかに眉を上げた。


 その仕草は驚きというより、問われることを楽しんでいるような、含みを帯びていた。

 グラスを小さく傾けると、彼は表情を緩め、まるで授業でも始めるかのような穏やかな口調で応じた。


「おお、それは当然の疑問。さすがは姫様、細やかにして見落としがない」


 と、前置きしてから、グランギデオンは流れるように語り始めた。


「スヴェリカ公国はご存知の通り、五つの自治領と中央院により構成されております。

 わしはその中の一つ、“第四自治領”において文化調整および外交記録局を預かる者でしてな。ふだんは外遊よりも文書や学術交流を担当しておるため、表舞台にはそうそう顔を出しませぬ」


 彼は言葉を繋げる。


「先の会合時も、わしは国内で貴国の資料を調べておりましたゆえ、不在を詫びるのはこちらのほうでございます。

 ただ――今回、同盟再確認の場において“文化的信頼の証人”として選ばれ、このように列席させていただいた次第です」


 一言ごとに呼吸を整え、相手の反応を計るような間を取りながら話す彼の語りは、論理に矛盾がなく、まるで整えられた外交報告書のようであった。


 リアノは、その説明に不自然な点が見つけられぬことを冷静に認識しつつも――同時に、彼の放つ微細な「含み」を、どこか心の奥で警戒していた。


(確かに理屈は通っている……が、それゆえに、かえって印象に残りすぎる)


 相手は完璧に「説明できる者」として振る舞っている。

 それ自体が、まるで仮面のように思えてならなかった。


 グランギデオンは、そんな姫の内心の揺らぎを見透かしたように、ふと目を細めて笑みを深める。


「――姫様の記憶に残らなかったのは、わしの面目が薄かった証。これよりは、記憶に残る存在となれるよう、精進いたしますぞ」


 語尾に込められた冗談めいた響きに、隣席の外交官たちは小さく笑みを浮かべたが――

 リアノは、返礼の微笑を湛えながらも、心の奥に小さな刺のような違和感を忘れなかった。


 この男、ただ者ではない。


 その確信だけが、じんわりと胸の奥に沈んでいた。


 杯の中の琥珀色をひと揺らし、グランギデオンはふと声の調子を変えた。


 それまでの穏やかな調子から、わずかに温度の下がった、芯のある低音。

 空気の皺にすら干渉するような、奇妙に響く語尾を引き連れて、男は言った。


「――して、光の剣を抜いた“勇者”殿は、いずこに?」


 それは、宴席に似つかわしくない問いだった。

 あまりにも核心に近すぎ、言葉の端を誤れば、不敬や詮索と受け取られてもおかしくない。

 にもかかわらず、グランギデオンは一切の畏れも見せず、涼しげな顔でその名を口にした。


 リアノは、その問いの意味をすぐに理解した。


 表面的には、ただの興味としても通じる。だが、その裏には明らかに測りの意図が含まれている。

 光の剣は神の選定を受けた存在――その所有者に言及することは、即ち王国の未来に触れることであり、時として「王権を値踏みする行為」にすらなり得る。


 少しだけ間を置いてから、リアノは微笑を整えた。


 王族にとって、答えぬこともまた一つの術である。


「お言葉は光栄に存じますわ。光の剣――その名は、多くの方々の関心を集めております。

 わたくしどもにとっても、大切に守り伝えてきた由緒ある象徴でございます」


 その声音は穏やかでありながら、どこか曖昧な霧をまとうように、核心を巧みに逸らしていた。


「ご関心をお寄せくださったこと、心より感謝いたします。ですが、勇者殿の所在や行動につきましては――いずれ、然るべき場でお目にかかる機会があるかと」


 これは肯定でも否定でもない。だが、答えとしては十分すぎるほど礼を尽くしていた。


 その言葉に、グランギデオンは口の端をさらに持ち上げる。


「ほう……なるほど、なるほど。さすがは姫様。剣を抜いた者以上に、言葉の使い手としても達者であられる」


 その声には、称賛とも皮肉とも取れる成分が混ざっていた。

 まるで自分の投げた矢が軽やかにかわされたことを、愉しんでいるかのように。


 リアノは視線を逸らさず、真っ直ぐに男の眼差しを受け止めた。

 対話とは、時として静かな剣戟である。その事実を、彼女はよく知っていた。


「相応の場で、相応のことが語られるべきだと――わたくしは、そう信じております」


 やんわりと、しかし確かな意志のこもったその言葉に、グランギデオンは小さく喉を鳴らして笑った。


「ふふ……やはり、ただの王女ではござらんのう」


 その目の奥に、ほんの一瞬だけ、深い興味の色が宿る。


 それは狩人が獲物の気配を捉えたときの輝きにも似ていたが――

 彼が何を見据えているのか、まだこの場では明らかにならない。


 だが確かなのは、王女リアノ=ルヴィアのもとに、ひとつの影が確かに歩み寄っているということだった。




 白亜の大広間にて、最後の来賓が立ち去ったのを確認したリアノ=ルヴィアは、姿勢を崩すことなく深く一礼を捧げた。

 その日、政務として行われた一連の会合は、彼女の計らいと統率によって滞りなく締めくくられたのである。


 報告書の下読み、次回会合の仮日程調整、使節団への贈礼品の確認――

 誰もが疲労を見せるなか、王女だけは一糸乱れぬ品格を保ったまま、すべてを完遂してみせた。


 そして今、ようやく彼女は一人、王城の長き廊下を歩いていた。


 燭台の光が床石にやわらかく反射し、かすかな靴音が静寂のなかに吸い込まれていく。

 その背筋は正しく、歩みは一定の調和を保ち、気品と聡明を体現するようであった。


 だが、次の角を曲がったその瞬間――


 彼女の瞳がふっと和らいだ。


 そこには、一人の青年が立っていた。

 まだ正装の名残を纏いながらも、少し肩を落としたような、緊張から解放された表情で。


「……勇者様」


 それは、政務に携わる者としての敬意を含みながらも、どこか親しみに満ちた響きであった。


 彼が軽く会釈をすると、リアノはその歩調を緩め、自然と彼の隣に並ぶ。

 そして、一拍置いて――まるで意識的に“スイッチ”を切り替えたように、その声色を変える。


「やっと……終わりましたの。わたくし、ひどく疲れました」


 ほんのわずかに甘えるような声音。

 だがそれは、あくまでも優雅に整えられたものであり、王女としての威厳を損なうものではなかった。


 彼が気遣うように横を歩くと、リアノは安心したように歩幅を合わせる。

 やがて二人は、王城の南側に位置する“迷宮庭園”へと足を運んだ。


 その名の通り、庭園は幾重にも折れた生垣で構成されており、四季の花と静かな噴水が交互に現れては、訪れる者の心を鎮めてゆく。


 彼らの向かう先――それは、庭園の奥にひっそりと佇む東屋だった。


 柱と屋根だけで構成された簡素な造りだが、静かな緑と風に包まれたその場所は、彼らにとって特別な意味を持っていた。

 王女と勇者。地位も立場も異なる二人が、ただ一人と一人として語らい、笑い合える、限られた空間。


 腰を下ろすと、リアノは小さな包みを取り出した。

「セレナ様と一緒に焼いたのですの。……少し、形は不揃いですが」


 中には、焼き色のついた素朴なビスケットが並んでいた。

 花の形、星の形、ハートのようなものもある。どれも手作りの温もりに満ちていた。


 彼は、そっと一枚手に取り、口に運んだ。


「……あ、美味しいです。ほんのり甘くて、なんだか落ち着きます」


 その言葉に、リアノは柔らかく微笑む。


「ふふ。そう言っていただけて、よかったですわ」


 風が通り抜け、東屋の柱にかすかに音を残す。

 遠くで鳥の囀りが聞こえ、庭園の空気はまるで春の陽だまりのようにあたたかだった。


 小一時間前、彼女は七カ国の使節団と剣のような言葉を交わしていた。

 だが今ここには、ただ一人の少女としてのリアノがいた。


 紅茶を注ぎ、二人でビスケットを分け合い、時おり目を合わせては、静かに笑い合う。

 その光景は、王女と勇者ではなく――“リアノ”と“俺”という、ただの若き男女が築く、穏やかな時間であった。


 そして、そんな日常の一頁こそが、彼らにとって最も大切な「平和の証」なのだと――

 二人は、まだ言葉にはしないまま、同じ思いで過ごしていた。




 東屋を後にした二人は、夕刻の迷宮庭園を抜けて王城の回廊へと戻りつつあった。


 陽は傾き、城の石造りの壁が金色に染まり始めている。

 何気ない帰路。だが、俺はふと、空気の質がわずかに変わったことに気づいた。


 風が、止んでいた。

 鳥の声も、なかった。

 目に見えぬものが、周囲を覆い始めている。


 俺は即座に反応した。


「リアノ姫、下がってください」


 その声音には、普段の穏やかさがなかった。

 姫は驚くでもなく、すぐに俺の背へと身を寄せ、静かに頷いた。


 次の瞬間――


 進行方向の回廊に、紫がかった光が走った。

 宙に浮かぶように出現した六つの魔法陣。どれも、高度な術式構成を示す精緻な幾何。

 そこから、異形の存在が次々と転移するように現れる。


 全身を黒鉄の鎧で覆った騎士――否、それは生命の気配のない“造られた戦士”たちであった。

 手には鈍く光る剣を握り、目にあたる空洞からは赤い光が灯っている。


 即座に剣を抜いた俺は、一歩前に踏み出した。


(考えるよりも、守るべきものがいる)


 一体が突進してきた。重たい足音を響かせながら、鋼の剣を振り下ろす。

 それを受け止めた俺の剣――光の剣は、金の残光を描いて火花を散らした。


 そこからの一閃は、まさしく王国の伝承に語られる勇者の如く。

 剣の軌跡は無駄がなく、静謐にして強靭。

 一つ、また一つと、鎧の怪物たちは次々に断ち切られ、その形を崩して光とともに消えていった。


 すべてを斃した瞬間、空気が一気に静けさを取り戻す。

 剣を納めた俺は振り返り、姫の無事を確認した。


「ご無事ですか、姫様」


「……ええ。見事でしたわ、勇者様」


 リアノは頷きつつ、すでに戦場の痕跡――魔法陣の残光へと視線を移していた。


 しゃがみ込み、掌をかざす。


「……これは座標指定型の召喚陣。それも……非常に精密な術式」


 彼女は魔法陣の中心部を指差す。


「わたくし達がこの位置に立つことを、予め計算して刻印されていた……偶発ではありえません。明確な意志を持った“上級召喚士”が、城内に入り込んでいる。間違いなく、敵意を持って」


 その声に、俺も思わず息を呑んだ。

 だが、次の瞬間――


「お見事。まさか“座標”という言葉を聞くとは……ふふ、やはり姫様は只者ではありませぬな」


 静寂を破るように、ぱちぱちと緩やかな拍手が響いた。


 音のする方へと振り返ると、円柱の影から、ひとりの男がゆっくりと姿を現した。

 優雅に歩み出ながらも、その存在は奇妙な威圧感を帯びていた。


 グラスこそ持っていないものの、服装は先ほどの宴と変わらず、漆黒に銀糸の模様が踊る――

 スヴェリカ公国の装い。


「グランギデオン……!」


 リアノが低く呟く。

 だが、彼は臆することなく、一歩ずつこちらへと歩み寄る。


「ただの偶然では済まぬと読んだ姫様の目。いやはや、その洞察力……あっぱれ、あっぱれ」


 その声音はあくまで穏やかで、笑みさえ浮かべている。

 だが、その裏に潜む意図は――明らかに、ただの賞賛ではなかった。


「ようやく、興が乗ってまいりましたぞ。光の勇者、そして清らかなる姫。王国の未来を担うお二人が、こうも揃って目の前にあるとは……」


 その目には、愉悦と、確かな目的が宿っていた。


 そして、俺たちは初めて明確に認識することとなる――

 この男、グランギデオンこそが、王国を脅かす“魔王の影”に連なる者であると。


 沈黙の中、リアノ=ルヴィアは一歩、静かに前へ出た。

 その表情は平静を保ちながらも、眼差しには明確な意志が宿っていた。


「……あなたは、スヴェリカ公国の関係者ではございませんわね」


 それは問いであり、宣告でもあった。

 ただの疑念ではない。今までの言動と構造、そして城内での召喚――あらゆる要素を照らし合わせたうえで導き出された、王女としての“判断”である。


 グランギデオンはその言葉を聞いても、微動だにしなかった。


 むしろ、その顔に浮かんだのは――迷いのない笑みだった。


「……うむ。ご明察。やはり姫様は侮れませぬな」


 そう答えると、彼はゆっくりと背筋を伸ばし、まるで仮面を外すかのようにその声を変えた。


「名乗りましょう。わしは、魔王軍幹部にして、“災厄の書庫”と呼ばれし魔人――グランギデオン」


 堂々たる名乗り。

 それは王都の奥深く、王女と勇者の眼前にて語られた、あまりに大胆な“宣告”であった。


 その響きは、まるで空気そのものを変質させるかのような圧を持ち、

 俺くんはすかさず剣の柄に手をかけ、リアノは瞬時に感情を抑制しながらも戦慄を読み取った。


 だが、次に続いたのは意外なほど穏やかな口調だった。


「姫様に対し、スヴェリカの者と偽って接したこと――これは、心よりお詫び申し上げますぞ」


 彼は胸に手を当て、丁重に頭を下げる。その様子には皮肉よりも、むしろ誠実さがにじんでいた。


「わしの目的は、あなたの“資質”を確かめることにございました。器か、虚飾か……この目で見極めたくてな。

 ――そして、わかったのです」


 その声には、どこか敬意すら混じっていた。


「あなたは、紛れもなくエルデンティア王国そのもの。

 威厳を保ち、民を想い、言葉に品と力を宿す……まさしく、この国を象徴する魂そのものです」


 一拍の間の後、彼の表情がわずかに変わる。

 その目には今や、深く凍てついたような意思と、ぞっとするほどの冷静さが宿っていた。


「だからこそ――あなたの魂を、魔王様の復活のための“生贄”として、利用させていただきたいのです」


 そう言って、グランギデオンは豪胆に笑った。

 その笑みは、支配者のように傲慢でもなければ、狂気に塗れたものでもない。


 ただ、“自分の信じる理”に従って動く者の、それゆえの確信に満ちていた。


「個人的な恨みなど、ございませぬ。わしはただ――魔王様の帰還を成し遂げる者として、使命を果たすまで。

 ……あなたを憎む理由など、どこにもありません」


 まるで、礼儀正しく告別の挨拶を述べるような口調で。


 だが、そこに込められた言葉の重みは、王国そのものを揺るがすに足る“宣戦布告”であった。


 静寂のなか、風がひと筋、廊下を吹き抜ける。

 王と国と命運を背負う姫と勇者に、いま、新たな敵が正面から名乗りを上げた――。



 グランギデオンの名乗りが静かに空気を支配していた。


 俺は、その異様な威圧に一歩も退かず、静かに前に出た。

 だが、胸の内にはどうしても拭えない疑問があった。

 剣を構える前に――言葉にせねばならぬものがあった。


「……なぜ、リアノ姫なんですか」


 静かながらも、鋭い一言だった。


「狙うなら、現に国を治める国王陛下のはずだ。

 それなのに、どうして“王位を継ぐ前”の姫様なんですか。

 ――あなたの言う“生贄”の価値は、形式ではなく何か別のものなのか?」


 その問いに、グランギデオンは一瞬だけ目を細めた。

 まるで、ようやく“まともに会話できる相手”と出会ったかのような、満足げな表情で。


「ふむ……なるほど。問いの筋は通っておりますな、勇者殿」


 そして彼は、まるで講義を始める教師のような、落ち着ききった口調で言葉を継いだ。


「勘違いしておられるようだが、わしは“王の血統”を求めておるのではない。

 求めているのは、“国そのもの”の魂なのです」


 俺が目を細めるのを見て、グランギデオンは手をひらりと翻しながら、説明を続ける。


「魔王様の復活には、極めて特異な魂が必要となる。

 それは力でも、知でもなく――国に選ばれた者。

 王という肩書ではない。民が見上げ、希望を重ね、未来を託すに足る“器”の魂。

 言い換えれば、それは**国家そのものを象徴する“生きた根幹”**なのです」


 彼の言葉に、俺は思わずリアノ姫の横顔を見る。


 背筋を伸ばし、静かに彼の言葉を受け止めるその姿は――

 確かに、誰よりもこの国を体現する者だった。


 グランギデオンは一歩進み、さらに語る。


「現在の国王殿下も、賢君とは聞いております。だが……もはや、国家の未来を担う“芽”は別のところにある。

 わしはそれを、数年前からこの目で見てまいりました」


「わたくしを……観察していたというのですか?」

 リアノが静かに問う。声は揺れていなかった。


「ええ、そうとも。祭政、演説、外交、そして民との対話。

 あなたは、王家の権威ではなく、“言葉”と“意志”によって国を繋げておられた。

 ――だからこそ、あなたはもはや“次期女王”ではない。国家そのものなのです」


 その言葉には、皮肉も悪意もなかった。

 ただ静かに、確信として述べられた事実。それがかえって、言葉よりも重く響いた。


「個人的な恨みはありません。ただ、あなたの魂にはそれだけの価値がある。

 魔王様の復活に相応しい贄とは、すなわち――この国の魂、そのもの」


 そう締めくくって、グランギデオンは再び静かに笑った。


 まるで、己の論理が通じたことに満足するかのように。

 そしてそれが、取り返しのつかぬ告白であることも理解したうえで。



 グランギデオンは一度語り終えると、手を背に回し、わずかに視線を遠くへと逸らした。

 そして、まるでつぶやくように――だが、その実よく通る声で、さらに続ける。


「……まったく、我が同胞たちときたら」


 その声音には、確かな軽蔑が滲んでいた。


「怨念だの、復讐だの、己の理想だの――くだらぬ。

 “人間を憎んでいる”だの、“自分だけが正しい”だの、“ただ楽しみたい”だの――

 そんな私情に塗れた感情など、魔王様の御名の前では塵に等しいのです」


 彼の声は徐々に冷たく研がれ、まるで鋭利な刃のような質感を帯びていく。


「魔王軍幹部といえど、その多くは“動機の枠”に囚われている。

 ベルゼバブのような遊戯者も、グラシャのような理想主義者も、

 その実、誰よりも――“小さきもの”でしかない」


 静かな、けれど決して撤回するつもりのない断定だった。


「わしにとって、最も重要なのはただ一つ――魔王様の完全なる復活。

 この目的の前では、個の感情など、取るに足らぬ装飾にすぎないのに」


 彼はふと、歩を止めた。

 そして、再びこちらへと視線を戻す。


 その瞳には、炎もなく、冷笑もなく、ただ“目的”だけが宿っていた。

 揺らぎも、妄執もない――純粋な意志だけの魔人。


 俺は、ふと気づいた。

 魔王軍の中でも、この男は異質だ。

 怨念にも快楽にも頼らず、ただ“理”だけを持って進んでくる――。


(……危険だ)


 喉が、わずかに鳴った。

 思わず、額から汗がひと筋、頬を伝って落ちるのがわかった。


 敵意ではない。

 理解してしまったがゆえの、戦慄。

 この男は、どこまでも“理屈で動く”のだ。止められる理がない限り、誰よりも容赦なく貫いてくる。


 その静かな狂気に、俺は初めて、心の底から「危険だ」と思った。


 だが――背後には、姫様がいる。

 エルデンティアの魂そのものである、彼女が。


 だから俺は、足を踏み出した。


 たとえ相手が“理を語る魔人”であろうとも。

 俺の中の感情は、それを凌駕する理由になり得る。

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