9話
──がたがた、と戸が鳴る音で目が覚めた。慌てて身を起こし、眼鏡をかけて廊下に飛び出す。その勢いに驚いたのだろう、食事の準備をしていたコウは派手に肩を跳ねさせた。
「え、あ……すいません」
思わぬ人物の登場に、致は一気に委縮する。コウは少し申し訳なさそうに会釈した後、てきぱきと準備を済ませて、急ぎ足で母屋の方へ帰ってしまった。致は用意された食事を運ぶべく二階へ顔を出す。
「おい、つじむ……んだよ、起きてるなら早く降りてりゃよかったのに」
「え? ああ……すまん。話が盛り上がって」
ちら、と辻村の視線を受けた渡はニヤリと笑ってみせた。一体なにを話していたのやら。少し気になったが、冷や飯を食べるつもりはない。致はさっさと朝食をとるために階下へ向かった。ちらりと見えた渡の顔色も幾分かよく見えた。あれで話が盛り上がるのだから、大丈夫なのだろう。
食事の用意を済ませ、各々好きに箸を取る。朝食は至って平凡な一汁三菜だった。昨晩の揚げ物パレードが嘘のようだ。少し食べ進めたところで、辻村がニヤニヤしながら致に問いかける。
「んで、今日はどうするおつもりで?」
「……今日はちょっと行きたい場所がある」
朝からテンションの高い辻村に反して、致は低い声で答えた。
「おお、なんだか目がぎらついてるねえ」
「いや、実は……たぶん、昨晩だと思うんだが」
そう前置きをして致は箸を置く。彼がポケットから取り出したのは紙切れだった。広げて置かれたそれには『午後八時、待つ』という短い文と、座標らしき数字が書かれている。
「これ……なんです?」
興味津々、といった様子で辻村は紙片を覗き込む。致はそんな彼女を放って再び箸を取った。
「さあな。明らかに怪しいモンだし、約束を守りに行くのは危険だと思って無視したが……手がかりになるんじゃないかと思ってな。時間をずらして行けば、問題ないだろ」
「え、コレいつ見つけたんです?」
「昨日風呂から上がったときに、風呂場前の廊下に置かれていた。だからこれが俺宛てじゃない可能性も十分にあるな」
致の言葉に渡も辻村も天井を仰ぐ。この離れに風呂場はないため、二人は母屋にある風呂場を借りていた。使用可能時刻は九十九家から指定されており、致か辻村が風呂に入ったタイミングを読むのは、そう難しくはなかっただろう。
「ってことはアタシか清水センセ狙い撃ちで間違いないんじゃないすか? 誰かに渡すつもりで、たまたま風呂場前に落としてしまったとかならアレっすけど」
「その可能性もあるなぁ……とりあえず、この指定の場所について昨晩のうちに調べておいたんだが……これがまた人のいなさそうな場所でな。この数字は単純に座標だと思うんだが」
そう言って致はスマホの画面を二人に見せる。衛星写真にピン止めされたその場所は、集落から少し西に外れた林の中だった。
「なる、ほど……? なんか建物跡なんですかねえ」
「じゃないか。拓けているし、道らしきものもある。昔なにかがあったのは確実だ」
「こりゃ純粋に気になりますなあ。ぜひ行ってみましょうぜ」
「ま、天気だけが気がかりだけどな。このくらいの距離なら大丈夫か」
窓の外を見てみれば、まだ小雨がしとしとと降っている。天気予報によると、明日には止むらしい。それでも雨の中の探索となると少し億劫だ。集落内の道路はほとんど舗装されているが、泥はねは避けられないだろう。
「渡は今日は調子よさそうだな」
「うん、おかげさまでねー。けどもうちょっと休んでおこうかな」
「それがいいっすよ。どうせそこからは出られないんですし」
辻村の言葉に双子は頷いた。
二人は朝食を終えてすぐに、出かける準備を済ませる。外に出て空を見上げてみれば、雲の切れ間に入ったのだろう。うっすらと青空が見えた。
「雨止んでてよかったっすね、清水センセ」
「人前でその呼び方するなよ? 目立つからな?」
致の突っ込みに辻村は真顔で舌打ちをした。思わずぎょっとして彼女の方を見るが、その時にはすでにいつもの笑顔に戻っているではないか。
(な、なんなんだ)
戦々恐々とした致は、その後何度か舌打ちの訳を訊いたが一度も求めるような答えは返ってこなかった。
ふらふらと散歩にでも出かけたかのように二人は集落に繰り出す。重苦しい湿度と土の香りが肺を満たす。足取りも釣られて重くなるが、そんな致に気づかないのか辻村はさっさと前を行ってしまう。置いて行かれぬよう足を速める彼の前で、辻村は不意に足を止めた。
「お、これこんなところにもあるんすね」
「あ、そういや昨日も見かけたな……」
視線の先にある古びた探し人のポスターを見、致の脳裏で一気に記憶が蘇る。ポスターは貼られてからかなり時間が経っているのだろう。端から擦り切れ、日に当てられて変色している。肝心の名前や特徴は汚れてしまっているために読み取れないが、写真は辛うじてなにかが見て取れそうだ。
写真に写っているのは中年の女性だった。左隣に誰かいるのだろう、見切れている男の半身があることが分かる。服装からして夏に縁側で並んで座って撮った写真だろうか。
「そうだったんすか? アタシも何枚か見ましたなあ。花柄ワンピって、もしかしてこれでは?」
二人して写真を凝視する。辻村の言う通り、写真の女性は花柄のワンピースを身に着けていた。
「まぁ、確かに言われてみればそんな気もするが……こんな顔だったか? 歳が違いが過ぎるような」
中年の女性と妙齢の女性が同じに見えるはずもない。見間違いの範疇を越えているし、そもそも昨日の女性は肩に付くくらい髪の長さがあった。
「こういう集落じゃあ珍しくもないんすかねぇ?」
「中年で認知症はあんま無いと思うけどな。夜逃げとかならあるかもしらん」
「あぁ、そういう。大変そうっすよね」
大して興味もなさそうに辻村は話を終わらせてポスターから離れる。そんな反応を少し意外に思いながら致もポスターを後にした。