26話
蝉時雨を浴びながら、辻村真は待ち合わせ場所へ急いでいた。八月の上旬、入りが遅く、例年よりも荒ぶった梅雨が明けてからおおよそ一か月。目的のカフェのドアを開けて出迎えた冷気にほっと息をつく。
店員の声と、穏やかな雑談を背景に待ち合わせ相手の女は優雅に読書をしていた。白銀の長い髪に、白い肌。服装の色合いもあってか、彼女の周りだけは温度を感じさせない。無機物のような独立した感覚を覚えさせられる。しかも、こんなに暑い日だというのに、彼女は白いカーディガンを羽織っていた。
「暑くね? それ」
「そうでもないわ。室内は涼しすぎるくらいでしょう」
「まぁー、そうね。そう」
早くも冷えてきた汗を拭いながら、辻村は頷いた。店員が置いた水を一気に飲み干し、注文を済ませてやっと、話を始める。
「いやいや、そうそう。そっちは片付いたの?」
「業務はきっちり終わらせたわ」
本から目を離さずにされた、つっけんどんな返事に辻村はニヤリと笑う。どうもつつがなく仕事は終わったらしい。
「それで、例の双子は?」
「片方はまだ入院中。片方は昨日退院したぜ」
「そう。大変そうね。煤梅の効果は単発だったのかしら」
「そうだな。というか、パッシブになるくらい使うと、すぐ水になって消えるんだろ。たぶん」
「そうでなくても死んだのには変わりないんでしょう? その点はどう言っていたのかしら」
「心配すんなって。想像通り発狂してたけど、言うほど暴れてはなかったぜ。金清野致は悲鳴だけデカいんだよ」
辻村の報告に女は黙り込む。あれから水になって消える人間は一人もいない。世間を賑わせた怪事件は、瞬く間に時の流れへ飲み込まれていった。。
「そういえば、あの後の仔細を聞いていないけど」
あの後、というのはやはり救援依頼の後だろうか。辻村の珍しい行動に彼女も気になるところがあったらしい。思わずそんな彼女の頭を撫でようと上げた手を抑えつつ、辻村は質問に答える。
「あぁ、気になっちゃった? いやなに、辻村さんが頑張って二人を担いで国道まで降りたってだけよ。あとは普通に通報して、回収されて帰宅。アタシも一応病院は行ったからね」
「意味あるの?」
「あんまないかな。だから入院してないんだって。一応ボコボコにされたから、しばらくは派手に動けないんだぞ」
「そうね。その話が本当ならね」
大して興味もなさげに、女は話を締めようとする。それに待ったをかけつつ辻村は話を続けた。
「でもあれっすわ、ちょっとショックなのが致さんたら、アタシのことちょっと避けてるんすよねえ」
眉を下げ、首を横にゆるく振りながら辻村真は肩を落とす。女は本を読む手を止めてげんなりとした様子で顔を上げた。
「そうでしょうね。あんなことをしたのだから、当たり前でしょう。彼は普通だって聞いたけど?」
「そうっすけどこう、友達補正でなんとかなるかと」
「ならないわよ。諦めなさい」
すっぱりと告げられた結果に、辻村は思わず口を曲げる。彼女にとってはどちらも面白くない。致の話はそれで終わり、話題は例の件に戻っていく。
「……まー、でもこれで一件落着っしょ? 怪しい薬も出回らない、失踪者も……まぁ、遺族、えぇとご家族には申し訳ないけどね。他所に出所がないとは言い切れんけど」
「よかったわね。蓬莱の秘薬の正体が分かったのだから、かぐや姫も満足じゃないの」
女の言葉に辻村は得意げに胸を張る。
「んじゃ、アタシは先に行くべ」
辻村は女に厚いファイルを押し付けて席を立つ。いつの間に届いていたコーヒーのカップは空になっていた。
連なる研究記録の一部。濡れてふやけてしまった部分もあるが、これが彼女の言う戦利品だったのだろう。あの騒動の中でどさくさに紛れて盗み出したらしい。女はため息をついてファイルを開こうとする。ひらりと隙間から紙が落ちた。
床に落ちたソレをひっくり返してみれば、決して大きくはない新聞記事が顔を見せる。
『青田町翆嶺地区で土砂災害、死者二名』
昨日未明、N県N市の青田町で大規模な土砂災害が発生した。地元の消防隊によると、二名の住民が命を落とし、数軒の家屋が完全に埋没した。現在、復興のめどは立っておらず、住民たちは麓の避難所での生活を余儀なくされている。町の関係者は「一日も早い復旧を目指して全力を尽くす」とコメントしている。




