22話
適当に倉庫に分け入った。
年季の入った農具の数々が、鈍い光を受けて無粋な侵入者を出迎える。あまり重たいものはよくないだろう。鍬を手に取りかけて、彼はその手を迷わせる。ならばなにがよいだろうか、と迷った手は、少し錆びた鉈を選び取った。柄が抜けそうにないことを確認すると、彼は鉈を元の場所に戻そうとする。
「こんなところにいたのか。金清野、だったか」
倉庫の主はただ淡々とそれだけを言って、手招きをしてさっさとどこかへ行ってしまう。慌てて手に取っていたものを元の場所に戻し、致は倉庫の外へ出た。鳴木は母屋にある縁側にかけて、致を待っているらしかった。熱い視線に負けてしぶしぶ横に座れば、鳴木はどこか満足げに鼻を鳴す。
「気分はどうだ」
差し出されたコップを受け取りながら、致は首を横に振った。
「だろうな。よほど混乱したんだろう」
「一度に色々分かり過ぎた上に、なにも解決してないのでね……俺だって自分が情けない」
致の呟きに鳴木は特に反応を示さない。
「そういえば、俺はどうやって怪我を治されたんだ。やっぱり、煤梅というヤツなのか」
「そうだな。あんたは初めてだったから、通常より効果が強く出た。ただ、副作用は心配ないようだな」
水の減ったコップを見ながら、鳴木は静かに話す。
「な、るほど……はは…………」
「少しは痒みとか別の副作用が出るかもしれん。ただ、あのまま死ぬのは見過ごせなかった」
どんな状態だったのか、と問いかけても鳴木は頑なに当時の致の状態を語ろうとはしない。少しでも知っておきたいと考えた致は、自らの着ていた衣服をゴミ箱から探し出して驚嘆し、ひっくり返った。ひたすらに隠してくれていた鳴木に申し訳なく思った。
そんな状態でも助かるのだから、煤梅の効果は絶大だったのだろう。今の体は傷があったことすら分からない。左手や額に残っていた古傷も、心なしか薄くなったように思う。
「……辻村はどうしたんです」
「今は畑仕事をやっている。暇なのは嫌だと言われた」
「あ、ぁあ……まぁ、そういうヤツなんです。すみません」
「別にいい。ただ、今夜中にはどうするか決めたいと言っていた」
「今夜中……? 急ぎすぎじゃないか……?」
訝しがる致を見た鳴木は、少し眉を下げ、唇を震わせる。なにかを言わんとするその様子に致は黙って言葉を待った。
「──実は、渡さんと言ったか。あの人はちゃんと無事だ。不穏な動きは事前に察知できていたが、助け出すのに少し時間がかかってしまった。あなたに連絡が行くより先に助け出せていれば、ここに来ることもなかっただろう」
「……ですよね」
「聞こえていたか」
鳴木の言葉に致は小さく頷く。あの話の後、致は辻村に殴られて気絶していたが、回復は案外早かった。それこそナツコと鳴木、辻村が話を終えるまでに目が覚めてしまったのだ。
金清野渡は無事であること、殺されていた渡は煤梅で作った身代わりであったこと。致が名前と無事であることだけ聞こえていた話の内容を、鳴木は即座に補足してくれた。
「この集落には麓へ抜ける大きな洞穴がある。その中で匿っているんだが、風邪を拗らせているらしくてな。少し心配だ」
「風邪か……そこまでは遠いのか」
「少しかかるな。あんたはどうするんだ」
淡々と鳴木は答える。
「俺は……迷ってる。さすがにこれ以上はマズい気もする。けど、助けが来るまで渡を待たせるのは、難しいだろうなと」
「あんたはあの女に反対するのか」
「完全に反対ってわけじゃない。行くなら俺一人で行く」
「なんでそんなことを?」
不思議そうに目を丸くする鳴木に、致は少し黙ってから答える。
「俺が行くって言ったら、アイツは絶対来る。あなたはアイツのことを知らないから、俺がアイツを心配してるように見えるんだろうけどな。実際はさほど心配なんてしちゃいない」
「…………どういうことだ?」
「言っただろ。アレは俺より上手くやれる。動きも機敏だし、自衛手段もある。頭も切れる。知識は常に発展途上だ」
恨み言にも似た誉め言葉は、淀みなく彼女の強者たる所以を述べていく。
「だけど、アイツの好奇心の強さに俺はついていけない。今だってたぶん、逸っているのは気になることがあるからなんだろうな。そりゃ悪いことじゃないけど、知るためだったらなんでもするってのがアイツなんだよな……」
「それは、あんたも同じじゃないか」
「違うだろ」
「どうせ助けるためなら、なんだってするつもりなんだろう?」
あのとき後ろに隠していた鉈に気づいていたのだろう。鳴木は神妙な顔でそんな指摘をする。言い返す言葉がパッと思いつかない。
ぐっと息を飲みこんだ致を見、鳴木は踵を返す。
「お、清水センセじゃないすか。んなところで突っ立ってどうしたんです?」
どこか陽気な声に顔を上げてみれば、ご機嫌な後輩が鍬片手に致を覗き込んでいた。畑の端に立ったままの致は、首を緩く横に振っていきなり本題に切り込む。
「お前、渡のことは聞いたのか?」
「あぁ、まぁ。聞きましたね。あんま悠長にはしてられないっぽいすけど」
ゆるりと見下ろしてくる赤い瞳は、致の返事を待っているらしい。
「……そもそも、もし俺たちでなんとかするにしても、手段がなさすぎるだろ。俺はお前みたいに足も速くないぞ。動けないヤツをかばって動けるほどのポテンシャルが、俺にあるとは思えない。とりあえず撤退して警察にでも連絡をだな」
「んじゃアタシは? どうです? 護衛もできるし」
「いや、お前は別に……」
「いやいや、ちゃんと頭数に入れてくださいよ。アタシはやる気満々っすよ。あと……イケメンは死なない」
どや、と言わんばかりに辻村は決め顔をして見せる。確かに顔は悪くないが、と致は話を続けた。
「根拠がなさすぎる。却下だ。第一、お前の目的は達成できたんじゃないのか? 失踪事件? の真相だって一応分かっただろ」
「ん、確かにある程度は分かりましたね。ただもう少し調べるべきことがあるんすよ。だってあの真相、納得できます? しぶしぶ納得してませんでした?」
「いや、まあ……そうだが……」
「どうして突然失踪者が世間の目に当たるようになったのか。欠けた記録も多くありましたし、あれで真相と断定するには少し不十分じゃありません?」
疑問をつらつらと並べた辻村は「でも」と話を仕切り直す。
「それにしても、ですよ。人ひとりの命かかってるような状況じゃないですか。ここがもうヤバいのは分かり切ってますけど、そんなところに渡さんを放置しておくんです?」
「待て、それはそうだが……ちょっと待て。お前まさか、知りたいから突っ込みたいんじゃないだろうな。実際のところは渡のことは割とおまけだと思ってないか」
「いや、そんなことはないです。逆のつもりですけどね」
おまけは真相だ、と彼女は主張するが、致はどうにも飲み込めないでいた。嘘、というわけではない。辻村真は嘘をついているつもりではない。ただ、己の大きな好奇心に気づいていないだけであって。
「そういうところだぞ……だから……」
苦々しい顔の致を見、辻村は肩をすくめて笑う。
「清水センセってホントアタシのこと信じてくれませんよね」
「信じてはいる。ベクトルが散らばってるせいでプラマイゼロに見えるだけだ」
「マイナスではなく?」
「あぁ、プラマイゼロだ」
寄りかかりはしない。ただ遠ざけることもしない。線引きははっきりする。そのうえで。
「だからな、これ以上巻き込むのもどうかと思ってんだよ」
「それはアタシを誘った時点で後悔しておくべきことだったのでは? 今更っすよ。でも嬉しいっすねえ、心配してくれてるんすか」
「もうそれでいい。それで? どうなんだよ」
「どうなんだよ、とは。どうせ俺は一人でも行くけど、お前は帰るのか? って話っすか。そりゃもちろん、突っ込みますよ? 他でもない清水センセですし、アタシ的にはなにがあってもオールオッケーですんで」
図星をつかれた致は思わず苦々しい感情を全面に押し出す。
「それに、抜け道があるらしいじゃあないですか。真相は分からないにしても、そちらを通れば問題なしっぽいですし?」
後出しで朗報をもたらした辻村に致は思わず口を曲げた。
「お前やっぱ変だよ」
致の言葉に辻村はニヤリと笑って返した。
「話はまとまったのか」
不意に鳴木が現れて二人を見やる。
「帰りの足はこちらが提供する。二人には代わりに頼みごとがある」
思わぬ提案に致は言葉を詰まらせた。
「頼み、とは? あんまり難しいモンはできませんぜ。こっちは渡さん優先で動きますし」
「難しくはない。抜け道になっている洞窟の奥に、木が生えている。それを伐採してほしい」
「へえ、そりゃなんでまた」
「俺は他にやることがある」
「悪いけどそれは……こっちは渡優先で動きたい。合流してからでもいいならできる」
致の返事に鳴木は首を横に振った。二人は途端に眉を顰める。
「ちょっと待て、優先しろと?」
「そうだ。優先してもらわないと困る」
「冗談は……って感じでもないっすねぇ」
二人と鳴木は睨み合う。
「そちらが要求を飲まないと、彼には会えないぞ」
面白くない、と言わんばかりに辻村は硬く腕を組む。そんな彼女よりも険しい表情をした致は眉間に皺を刻んでぐっと息を飲みこむ。
「最初からそのつもりならそう言えよな……!」
致の噛みつくような言葉にも鳴木は一切怯む様子がない。
「そうじゃない。九十九家が煤梅を使って抜け道を封鎖している」
「はぁ、つまり、そもそも伐採しなければ進めないということっすか?」
辻村の確認に鳴木は静かに頷く。目の前の言葉足らずに対し、致は思わず奥歯をかみしめる。
「そうだ。あんたらの目的達成にはそもそも必要だという話だ。だから優先だ」
「回りくどい言い方すんなよ……」
致のツッコミに、鳴木は特に反応しない。
(なんだろうな、この感じ)
一抹の不気味さが影を落とす。この男はなにかしら隠し事をしている、そんな確信がどこかから湧いてきた。釈然としない状況ではあるが、この男がすぐに口を割るとも思えない。第一、渡の身の安全が保障できているわけではないのだ。辻村も辻村で、神妙な顔をして黙り込んでいる。やや気持ち悪さを覚えつつも、致は鳴木からの申し出を了承した。




