19話
──昨日昼頃、青田神社外れの森にて。
獣道を進んだ先の空間に、辻村は思わず声を出して小躍りをする。
「超それっぽい空間じゃんね!? なんかあるでしょコレ!」
目を輝かせ、勇み足は一歩空間へ踏み入ろうとした。
が、そこへ声をかけた人物が年老いた巫女が一人。彼女は特になにかをするわけでもなく、じっと背後の草むらの中から辻村を見守っている。彼女から敵意は一切感じられない。
「危ないんですか、ここ」
訝しがりながら、彼女に声をかけてみる。言葉は微かな間を置いて返された。
「ええ。草があるせいで分かりにくいのですが、穴だらけなのです。深いので下手をすると一人では上がってこれません」
「なるほど、そういう場所でしたか」
忠告に従い、辻村は元来た道を辿って彼女の元へ行く。
「忠告ありがとうございます。おかげさまで大事に至らずに済みました」
「こちらこそ。ですがなぜ、こんなところまでお一人で? この辺りに住んでいる方ではありませんよね?」
特に訝しがる様子もなく、老巫女は問いを投げかけてきた。どういうつもりなのか、全く想像ができない。辻村は警戒をしつつも、頭をかいて答える。
「あはは、やっぱ分かります?」
「ええ。こんな日にここに入ってくる人はまずいないでしょうから」
「まぁ……ここ不気味ですもんね」
「墓場ですからね」
「墓……?」
目を丸くして辻村は再度周辺を見回してみる。中心や入り口に近い場所はただ草が茂っているのみだ。しかしよくよく見てみると少し離れた場所、木陰がかかっているところに墓標らしきものが見える。
まさか、あの簡素な木の板一つが墓を示すものだというのだろうか。
老巫女に視線を送ってみれば、彼女は一つ頷いて返した。
「昔の墓場でございますから」
「今はもう使ってないってことっすか」
「そうですね、少し前までは墓参りに来る人もいましたが……皆死にました」
無情な情報に、辻村は苦笑いを浮かべる。そうは言いつつも老巫女は特に気にしている様子もない。慣れてしまったのだろうか。
(まぁ、ここは結構な高齢世帯ばかりだしな……)
案外日常なのかもしれない。老巫女はどういうわけか、一貫して自分に対する態度が変わらない。余所者が墓場に入り込んだのだ。ある程度の疑心や疑念、不信感をぶつけられるものだと思っていた。少し考えた後、辻村は思い切って口を開く。
「あなたは──翆嶺村についてなにか知ってます?」
辻村の意図は十分に伝わったらしい。彼女は声色も表情も、全く変えずに頷いた。
「翆嶺村ですか。そちらでしたら」
辻村の意図は十分に伝わったらしい。彼女は表情も声色も変えず淡々と返事をした。
「昔話について少し知りたいことがあってですね。あの鬼退治伝説、いつできたものとか分かります? アタシの予想としては、原型は江戸時代、今の形になったのは明治以降だと思うんす。町史になってからは変わってないと踏んでるんですが」
「概ねその通りですね。全国的な飢饉の最中で起きたことが元になっていると聞きます」
「あるあるですね……今の話だと九十九家の活躍ばかり強調されているじゃないですか。編集者も九十九家ですし……本来はそこまで強調されるべきではないと思うんですけど」
「お若いのに、よくそこまで気づきましたね」
「いやいや、今どきは誰でもこうじゃないと生きてけないんですよ。つまり元々は九十九家以外の登場人物もいたと思うんです。時代を経て削られた人がいると思いまして。そもそも、鬼がただの例えから生まれた怪物であるというのもあり得ると思うんですよね」
辻村の考えを聞いた老巫女はじっと言葉を飲んで考えごとをしているようだった。
「──水鬼の正体を知りたいのですか」
老巫女の問いに辻村は静かに頷いた。彼女はしとやかな指先をとある墓標に向ける。一番奥、最も古いであろう墓の辺りを。
老巫女に促されるままに辻村は墓場に踏み入った。彼女の指示に従いながら足元に隠された元墓穴を避けて奥を目指す。巨木の影が被さるその場所は、異様に冷えていた。朽ちかけた墓標の文字を必死に目で拾おうとする。コケの生えかかったそれを払わずに読み取るのは無理だろう。
老巫女に許可を得た辻村は、慎重にむしたコケを指の腹で落としていく。
「あー……長、たに………………長谷、か。いや長谷? これが、鬼の正体なんです?」
「ええ、ここで水鬼と呼ばれているのは、奇術を扱う一族のことです」
「つまり、水鬼は人だったと?」
「そう解釈しても差し支えはないでしょう。彼らが完全に人であったかは定かではありませんが、見目は私たちとなんら変わらないものであったと聞いております」
老巫女の答えに辻村は口を閉じて墓標を凝視した。
「──そう、つまり鬼退治の伝説は実際にあった事件が元になっていると。長谷家はその中心人物だというワケっすね」
辻村はそう言って報告を締める。
「こちらが入手した情報とそう違いはないな」
「そうなんです?」
「あぁ。こっちも根拠は言い伝えだけだったが……水鬼イコール長谷家という結論は同じだった。墓があるんだし……ある程度は信じられるか」
それでも完全に真実とすることはできない。そんな致の呟きを聞いた辻村は、肩をすくめて同意した。致の読んでいたノートたちにも、長谷家に言及しているものがいくつかあった。ただ、詳細な記述はほとんどなく伏せられているというよりは、筆者自身も詳細を知ることができなかったのだと感じられた。
「大方史料が消失したんだろうな。長谷家は奇術を扱う家だった、ってのは分かるんだが、その詳細が一つも分からん」
ちら、と致の視線を受けた辻村は小さく声を出して頷いた。
「なるほど。巫女さんが言うには『寿命を延ばし、ありとあらゆる苦しみを取り払う』ってヤツですな。そっちは全く情報がなかったんです?」
「あぁ。考察の元になる史料が欠損していたみたいでな。奇術という言葉でだけ表現されていた。ただそうだな、長谷家は恵比寿を熱心に信仰していたとあったな。奇術も恵比寿からの恵みだと」
「恵比寿って、あの腹のでかい、いい笑顔のおっさんっすよね」
「そうだが、その認識はどうにかならんのか。七福神の一柱だな。まぁ、いろんなモンが混じってるから一概になにとは言いづらいけど」
「あー、なんか日本の神サマってそういうところありますよねえ。んでも、なんかたぶん違うと思いますよ、恵比寿感はないというか。むしろ冒涜的なのでは、みたいな」
「そう言うってことは、奇術の種を知ってんのか」
致の問いに辻村は頷く、が彼女は種明かしを後回しにして鬼退治伝説の元になった出来事についての説明を求めた。確かにそちらも重要な話だ。致は肩を落として口を開く。
「大体江戸時代中期らしい。翆嶺村にとある一家が逃げ込んできた。このときの翆嶺村は規模がちょうど今くらいで、村の運営は百々瀬家が担っていたそうだ」
「その逃げ込んできた家というのが、長谷家ですな」
「その通り。長谷家は奇術を理由に権力者から目を付けられ、逃亡生活を送ってたそうだ。幼子を抱えて逃げ回る姿に、当時の百々瀬家当主は胸を痛めて村人に黙って匿うことを決めたそうだ。家も広いし、家計にも幾分か余裕があったそうだ」
その当時の家は残っていない。が、一部だけ残っていた家屋の見取り図を見るに、立派な屋敷を持っていたようだ。それに合わせて下男下女も数人召し抱えており、家計に余裕があったのは事実らしい。そんな家にたった三人が増えたところで、困ることはなかったのだという。
「百々瀬家が長谷家を匿い始めて半月が経とうとした頃、長谷家は百々瀬家にお礼と称して奇術を教えた。寿命を延ばし、ありとあらゆる苦しみを取り除く奇術だ。なぁ、これが医学知識ということはないのか?」
記録によれば不治の病を治したり、怪我を瞬く間に回復させたりと、いかにもな効果があるように見える。しかしただ単に大げさに書いているだけなのではないか、その疑いを晴らすことのできない致は辻村の意見を求める。
「たぶんないっすね」
「マジか。それは──」
「文字通り奇術だからっすね。もち、医学知識の併用はあり得ると思いますが」
きっぱりと断言した辻村の言葉に致は思わず瞬きを繰り返す。
「それで、その後どうなったんです?」
「あ、あぁ。奇術を教わった後に、ちょうど全国的な飢饉が始まったらしい。翆嶺村も少し遅れて影響を受けたみたいでな。大打撃を受けたそうだ。けれど、百々瀬家はたった数名の下男下女が死んだ程度だったと」
「ふーん、奇術のおかげっすかね」
「そうだ。筆者も明言していた。だがそれをきっかけに百々瀬家を怪しんだ者がいた。九十九家の人間だな。彼らは九十九家が長谷家を匿っていることに気づいた。そこで九十九家はこう持ち掛けたそうだ『奇術を教えてくれるのなら、なにも知らなかったことにする』と」
ベタな脅し文句に辻村は目を細めて、話の続きを促した。
「百々瀬家は九十九家の手を取った。そして、長谷家を村に飢饉をもたらした悪鬼として追い出すに至った。これをきっかけに百々瀬家は運営者の座から降り、今に至るまで村の末席に追いやられてしまった」
百々瀬家は奇術の継承もできないくらいに衰退した。村の外れにまで追いやられた百々瀬家の人々は嘆き、いつかの栄光に縋り続けたという。いつか戻る、いつか中央に。そんな執念が、あれほどの史料群を築き上げたのだろう。歴史を識る者として感心する反面、彼らが受けたであろう苦しみに心の隙を掴まれる。
「なるほど……逆に九十九家はその奇術をつかって運営者の座に就き続けていると。これが御伽噺の真相ですか」
「そうだな。話だけ見れば長谷家が完全な被害者だ。結局その後どうなったかも、生死すらも不明だからな。追い出す過程で殺されていてもおかしくはない」
いわば指名手配犯のような扱いを受けていたのだ。権力者の元へ連れて行けば、多額の報酬も見込めただろう。無事に生き延びた、と考えるのは都合がよすぎる。
「墓がありますからねぇ……死んだんじゃないんすかね」
「そう考えるのが妥当か。仮に生き延びてても、現在まで繋がっている可能性は限りなく低いしな」
二人は一度口を閉じて話を切る。
「今の百々瀬家は、特に権力はって感じでしたね」
「ま、仕方のないことだろ。今はそこまで権力が幅を利かせられる世間でもねぇし。んで、結局奇術ってなんだ?」
改めてかけられた問いに、辻村は指を立てて答えた。
「奇術は奇術です。魔法とか、魔術とか。そういうものなんすよ」
「はあ、そういう……?」
半信半疑、こんなときに相手にするべきではない話が飛び出す。
「ま、分かりやすく薬剤という形に収まってはいますがね」
そう言って辻村は懐からなにかを取り出した。とん、と小さく畳の上に据えられたのは、手のひらに収まってしまうほどの小瓶だった。中には黒い液体が詰まっている。
「『煤梅』っつー、黒い液状の薬剤、らしいですよ」
聞き覚えのある表現、見覚えのあるビジュアルに致は顔をしかめる。
「ええ、そうですね。アタシらは一度、似たものを見たことがあります」
辻村は口の端を釣り上げて小瓶を指先で軽く弾いた。
「え、いや、どれだってのは分かるんだが……つまり百々瀬克樹はそれを使っていたと?」
生まれた疑問を解消しようと、致はもう一つ口を開こうとする。が、それをジェスチャーで諫めて辻村は最初から話を始めた。「過程も大事」と宣いながら、である。




