14話
しとしと、と緑雨は午後になっても降り続けていた。正午を過ぎたころから続々と集落内から人々が、九十九家の母屋にやってくる。神職らしき男がいることから、祭りのための集まりなのだろう。いよいよ明日に迫っているからだろうか、集会はどこか浮ついた空気を醸し出していた。開かれた一室を離れから見た致は顔をしかめる。
(呑気なのか、余裕があるからなのか分かんねえな)
ほう、と一つ息を吐き、彼は渡り廊下を通って母屋へ入る。ちょうどメンバーが集まり切ったのだろう。襖がぴったりと閉じられる。致はその横を忍び足で通り抜け、二階へ繋がる階段を目指す。九十九家の母屋一階には台所、他に襖で仕切られた和室が六つ、風呂場などの水場、廊下、そして広い玄関に縁側を含めればかなりの広さになる。生活空間はほとんど二階にあるのだろう。昨晩の宴会や、集会は、襖を取っ払って一つの大部屋となった南側の和室で行われている。ふと遠くに視線をやれば、母屋を東西に渡る廊下の先、東側で暗い二階が顔を出していた。西側にも扉があるがそちらは鍵がかかっている。誰もいないことを願って東側の上がるしかないらしい。
強烈な引っかかりを覚えながら、致は歩を進める。階段を上がった先、すぐに右には和室が二つ、左には三つの和室があるらしい。どれも襖で区切られており、開けなければ中の様子を知ることはできないだろう。どこの襖もきっちりと締め切られているうえに、廊下には窓が一つもない。塞がれた暗い空間に、少しだけ息が詰まったような感覚がした。
耳を澄ませて住人がいるかどうか探ってみるが、まるで気配を感じ取ることができない。これが聞こえていないからなのか、本当にいないからなのか致には判断がつかなかった。聞こえるのは雨の音と、時折揺れる窓の音だけである。
膝に付いた埃を払い落としながら、致は一番近くにあった右の襖に手をかける。開いてすぐ目に飛び込んできたメイク道具の山に、この部屋が若い女性のものであることを確信する。おそらく九十九家姉妹のどちらかのものだろう。目当ての部屋ではないと悟った彼は、すぐに襖を閉じて、その隣の襖に手をかけた。
が、なにかがつっかえているのだろう。二センチほど引いたところで襖は動かなくなってしまった。なにか見えないか、少しでも情報を得ようと覗き込んでみるが室内は廊下よりも暗い。辛うじて襖近くの畳の上に荷物が置かれていることが分かった。中はかなり埃っぽいようである。
右側の部屋の探索を諦め、致は反対側にある部屋の方へ向き直った。すんなりと開いた襖の先には特に目立つところのない部屋があった。家具は小さなちゃぶ台と、畳の上に積まれた数冊の本くらいだ。本にはすべてカバーがかけられており、ここからでは内容を想像することもできない。
(さすがにこれを動かすとバレそうだな)
奥にはまだ部屋があるらしく、襖が設置されている。位置からして廊下からは行くことのできない部屋だろう。
(……そういえば、玄関上の空間はどこから入るんだ?)
などと考えながら、奥の部屋へ足を忍ばせて向かう。今向かっている部屋は玄関からは離れた位置にある。となれば、玄関上の部屋の入り口は他の部屋の中にあるのだろうか。襖に手をかけ、勢いよく中を覗き込んだ。
──当たりだ。
この部屋は女性の物だろうか。家具は同一のデザインで統一され、化粧台らしきものが部屋の隅に設置されている。カーテンのかけられた本棚も気になるが、致は本命を改めるべく好奇心を抑える。渡の私物は部屋に不似合いな段ボールの中にあった。スマホ、PC、その他彼の持ち物が乱雑に詰められている。
できれば全て持ち帰ってやりたいが、さすがに物が多い。致は少し迷ったのちにスマホを摘まみ上げ、ロックを解除する。
(写真、写真の最新……)
手汗滲む指先で、ぽつぽつと液晶画面を操作していく。目当ての写真がちゃんと残っていることを確認すると、致はすぐにその部屋を出た。
みしり、と階下から木の板を踏みしめる音が聞こえた。
(しまった、人が)
隠れようとするも、咄嗟に手をかけた部屋は開かずの間だった。先ほどの奥の部屋に戻るのは悪手だ。長時間出られなくなってしまう可能性が高い。となれば、まだ中を確認していない残り二つの部屋に入るか、メイク道具の部屋に入るかのどちらかである。
どうするか、迷った爪先は行先を決められず右往左往する。近づく足音に冷や汗が流れ落ちていった。もはや迷い込んだと言い開き直ってしまうか、などと考え始めた致の服を、何者かが強い力で引っ張った。不意の動きに彼はなすすべなく襖の向こうへ引きずり込まれていく。薄闇の中に突然放り込まれた致は、しりもちをついて動きを、息を止める。致を招き入れた襖はひとりでに閉まった。後ろには誰かがいるらしい。背後の人物は何者なのか、そもそも目の前の廊下を歩む誰かには見つかっていないのか、その人物はこの襖を開けやしまいか、などと嫌な予感が目まぐるしく浮かんでは消えていく。
少ししてすぐに、正面の部屋の襖が開閉する音が聞こえた。息を潜めてどのくらいが経ったのか、それどころか左右の感覚すらも失いつつ致はゆっくり背後を振り返った。
致の服を掴んだままそこにいたのは、線の細い女性だった。想定外の人物の登場に、致は言葉を詰まらせる。
「あ、えっと……」
華奢な体に細やかな花柄のワンピースがよく似合う。
「あの時、宴会場にいた……!」
思わず口に出すが、彼女はそれに答えることはなかった。ぺこり、と黙りこくったまま礼をして女性はさっさと部屋の外に出て行こうとする。致は慌ててその手を掴んで引き留めた。
「あの、ありがとうございます」
勢いに任せて告げられた感謝の言葉に、彼女は少し困ったように笑ってスカートの裾を翻す。緩んだ表情は宴会場で見かけたときよりも幾分か幼く見えた。
「ちょ、ちょっと待って。名前は?」
慌てて差し込まれた問いに女性は一瞬歩を緩めた。が、彼女は致の問いに答えることなく、そのままどこかへ走り去る。
去り際に残された視線に従い、致は階下へ向かう。
(なるほど、会議はもう終わったのか……)
少し騒がしくなった集会会場を垣間見てほっと一つ息をつく。あのまま居座っていれば、必ず誰かと鉢合わせていただろう。考え得る最悪の事態だ。ここから先は平然と、何事もなかったかのように凪いだ顔をして離れまで戻る。そしてふと、廊下の隅に目をやった致の脳内に電流が走った。
(そうか、隅に埃があるのか)
階段を登るときに感じた違和感の正体は、角に積もった埃だったらしい。一階を探索して回っている間、一度も見かけなかったものが、急に階段から上に遍在するようになったのだ。
(じゃあなんだ? 階段含め、二階には使用人は上がることを許されていないのか? なんでそんな)
ここまで考えたところで、ちょうど離れにたどり着く。離れの一階では、辻村がまだ本を読んでいた。帰宅を察知していたのだろうか、彼女は作業の手を止めて致を出迎えた。




