11話
二人は本降りになった雨の中を歩いて九十九家まで帰ってくる。使用人に百々瀬克樹が死んでいたこと、通報などの連絡を任せることを伝えてもらい離れへ戻った。軽い風呂と着替えを済ませ、致はやっと一息を入れた。未だ瞼にあの光景が焼き付いている。一刻でも早く忘れたい、そう思う彼だったがあまりにもやることがない。辻村は先ほど風呂へ向かったが、そこそこ時間がかかると本人が宣言していた。
(まぁ、髪が長いし時間もかかるか)
快適な回線を頼りにネットサーフィンに興じていたが、不意打ちで嫌なものを見てしまいスマホを手放さざるを得なくなった。有り余るやる気だけを抱えて、致は少し散歩をすることにした。辻村へはLINEを送り、少し留守にすることを伝える。既読はすぐについた。
九十九家で傘を借り、致は集落内へ出る。強い雨音に混じってカエルの鳴き声が盛んに重なりあう。足元の泥を気にしながら、致は九十九家の門を抜け集落へと下っていく。さすがにこの雨の中で畑仕事をしている人はいないらしい。いたとしても、傘をさして立ち話に興じる奥様数名、くらいである。九十九家から少し下った場所に、元バス停らしき休憩所がある。最盛期はここまでバスが入ってきていたのだろう。中を覗き込んで、流れた年月を思い知らされる。さすがにここで休むのは無理だ、致は肩を落として他の場所を探そうとする。
ちらりと動かした視線の端に、なにかが映り込む。
思わずそちらを見やれば、ポスターの中年の女性と目が合った。
(あ、あの時の)
昨日帰り際に、そして先ほど行きがけに見かけたポスターだった。どうやら探し人のポスターだったらしく、トップにでかでかと赤い文字で『さがしています!』と書かれている。紙の端は擦り切れ、かなり色あせてしまっている。貼られた休憩所の木製の壁は、ポスターの裏だけやや綺麗だった。それでも、先ほど見かけたものよりも幾分か綺麗で、文字もある程度読み取ることができる。探されているのは鳴木なつ子という女性らしい。年は六十代で、少しやせ気味。左薬指には指輪がある。失踪日時については、なぜか黒いマジックで塗りつぶされているために、読み取ることができなかった。情報はすべて、九十九家へ伝えるように書かれている。電話番号は何度か更新しているのだろう。貼り紙が上からされ、なにやら番号が書かれているが朽ちているせいで読み取れない。
辻村からの連絡がないことを嘆きつつ、致は周辺を少し歩く。ふらりと散歩をしていたであろう老人を捕まえて、ポスターについて聞いてみたものの特に有用な話は聞けなかった。ずっと前からあるということだけが確からしい。鳴木なつ子という人物についても、かなり前の人物なためか、特に知っていることもないという。
(思ってるより前のものなんだろうな)
日付さえ読めれば、聞き込み相手も絞れるものを。そんな消化不良を思いながらまたふらふらと歩き回っていれば、やっと辻村から連絡が来る。いそいそと致が離れへ戻れば、前髪から水を垂らしたままの辻村が座敷牢の前で待ち構えていた。ひと悶着あったのちに三人は写真を前に話を始める。
「これ、掛け軸だと思うんすけど、どうですかね?」
辻村の差し出した写真には紫色の厚い紙が映り込んでいる。その近くでは古文書らしき紙片が水たまりに浮かんでいた。渡は写真を一枚摘まみ上げて凝視しながら頷く。
「あ、紫の台紙ならそうだと思う。でも、ここまでバラバラで汚損しているとなると……」
「価値は無いに等しいな。それに、偽物であっても、判別ができるかどうか」
致の言葉に渡はこくりと頷いた。
「そういえば、渡はこの掛け軸の真贋についてはどう思うんだよ」
「確かに。鑑定ってどのくらい済んでたんです?」
二人の問いに、少しばかり渡は考え込むそぶりを見せる。少し鼻をすすって、彼は首を捻った。
「いや、それが。分からなくなったから、作業を中断したんだよね。どちらも偽物か、どちらも本物かのどっちかかなーくらいしか。断言できるほど捗ってたわけでもないし……」
ふにゃふにゃと渡は見解を述べる。
「確かにそこまでそっくりだったのなら、判断も慎重にならないといけないな。ただのコピーではなかったのか」
「そうそう。だから分からないかな」
ゆるゆると渡は首を横に振った。その申し訳なさそうな顔に、致も辻村もしょうがない、とフォローを入れる。ここで真贋が分かればある程度盗難者の狙いが分かりそうなものだが、そう上手くはいかないらしい。
「話を戻すが、単純に考えると克樹さんが盗んだみたいだけど、どうなんだこれ……?」
「それがな……さっき訊いたんだが、克樹さんの自室に遺書らしきものがあったみたいでな。『偽物を持ち込んで、お騒がせして申し訳ありませんでした。この命で償います』と書かれていたそうだ」
「んで、喉を掻き切って死んだと? んなバカな」
渡は素っ頓狂な声を出して抗議する。
「あんなガツガツした人が死ぬとは思えないんだけど!」
「あ、そんなにガツガツした人だったのか……」
遠い目をした致の横で、辻村は彼の服装を思い出して深く頷く。
「でも、ここに来てからは大人しかったよ。どこか怯えてる感じもあった」
「……そりゃ、なにかあるんだろうなぁ。はぁ、ここに来たの、間違いだったんじゃねえか」
「ままならいなぁ」
やれやれ、というジェスチャーを渡はして見せる。致が睨むのを無視して、彼は続けた。
「とりあえず、ぱっと見は自殺に見せかけた他殺じゃんね、これ」
「自殺が確定できない以上、なんだって言えますね」
「克樹さんを殺したいのは九十九だろうな。近くにソメさんの着物が落ちていたし……今日はソメさんを見かけていない」
「や、それがっすね」
辻村が致の報告を中断する。
「なんだよ、……なんだよ?」
「清水センセが風呂入ってる間、アタシおやつでも貰うかと思って母屋歩いてたんです。そしたら、ソメさんに会って。お茶菓子を貰ったんすよ」
「…………あそこは姉妹っぽいじゃないか。そっくりだから見間違えたとかではなく」
「名前も呼んだし、手の傷もありましたし。嘘もついてなさそうだったんですよねえ」
「手の傷? そんなのよく見てたな」
「偶然ですよ。包丁かなんかの痕だと思いますけどね。超努力したタイプかーと思ってたんで」
「目の付け所がなんか嫌だな。じゃあなんだ、辻村的にはソメさんはいたと? 昼間のはソメさんではなかったと?」
「ですかねえ。ソメさんだ、と断定したのも、着物の色が同じだったからってだけでそれ以上の情報はありませんし。服なんていくらでも変えられますもん」
例の現象には触れずに辻村は根拠を上げていく。
「そうだな、そうだが……わざわざ梅染色のを着る意味が分からない」
「こちらが油断すると思ったんでしょうかね。奇襲にその意味があるかは分からないですけど」
「釈然としないな」
「まぁ、答え合わせのしようがないですね。だって死体消えてますし」
これ以上の議論は無意味だ、そんな結論を前にして二人は黙り込む。やや間をおいて、致は話を仕切り直すことにした。
「……辻村は他になにが気になるんだよ」
「この、黒い液体かなー。インクとか油ではないと思うんだよね。においはしてたけどちょっと違うと思うし、薄まってもいなかったから」
そう言いながら辻村はハンカチを取り出す。それで双子は察したのだろう、渡は興味津々といった様子で身を乗り出し、致は暗い目をしてどこか遠くを見やった。
「なんでそんなことできんだよ、マジで」
「手がかりは多い方がいいしょうが! てな感じっすけど、生憎辻村さんも知識がなくって」
やれやれ、と言わんばかりに辻村は両手を挙げた。
「あぁ……まぁ、確かに気にはなる……けど、そういう知識は皆無だし。言う通り話してもしょうがないな。外部に持ち出す手段があるってなら別だけどよ」
ちら、と問いかける視線に、辻村は首を横に振る。
「じゃあ……やっぱり手がかりは掛け軸くらい、か。どっちにしろ」
「そうっすねえ。ただまぁ……雲行きは怪しいっすね」
辻村は静かに致へ視線をやった。
「そう……だな。少し控えめになるべきかもしれないな、俺たちは」
どこか悔し気に彼は呟く。




