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久我家の人々  作者: にけ
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案内された部屋は六畳程の洋室でベッドとカーテンが備えられていて綺麗にされている。

ふと久我君から教えて貰ったメッセージの内容を思い出す。

二人が片付けしてくれている姿を想像すると嬉しくなって心が温かくなる。


「久我君から凛も掃除手伝ってくれてたって聞いたよ。大変だったでしょ?」

「別に。ほとんどお兄ちゃんが片付けてくれたからちょっと手伝っただけよ」


問いかけに対し、凛は前に流れている髪を指でくるくると弄りながら、私からふいっと顔を逸らした。

照れているのだとしたらさらりと流してしまう方がいいのかもしれない。


「そっか。でも歓迎されてるみたいで嬉しい。ありがとう」

「ま、まあお兄ちゃんが初めて紹介してくれた女性だからねっ。丁重にもてなさないと。後々があるもんね」


凛は私と目を合わせず平然と言い放つが、頬はピンク色に染まり口角が少し上がっていた。

兄の初めての女友達ってことだから優しくしてくれてるってことか。


「そんなことよりさっさと荷物持ってくれば?」

「そうさせてもらおうかな」


お言葉に甘えて玄関に置きっぱなしのキャリーケースを取りに向かう。

床に車輪がつかないように持ち上げて部屋へと運びこむ。私の荷物を見た凛は目を瞬いた。


「それだけ?」

「お試し居候だからとりあえず、ね。それに何かあればすぐに取りに帰れるから」

「ふーん」


じっと凛がキャリーケースを見つめる。

中身はほとんどが洋服でわざわざ広げる必要もないのでキャリーケースを横向きに床に置くと私は腰を下ろした。

車輪を手持ちのウェットティッシュで拭き上げ汚れを落としていく。


「私の部屋ここの隣だから、なんか必要なものとかあったら言ってね」


夢中になって拭いていれば凛が声をかけてきた。

顔を上げれば面白いものでもないのに彼女は隣にしゃがんで頬杖をつき観察するように車輪を見つめている。

なんというか……優しいし気遣いも出来る。

凛って……めちゃめちゃ良い子だ。


「うん。ありがとう」


穏やかな気持ちでお礼を言えば「ん」と一言彼女は頷いた。

キャリーケースを片付けた後、私と凛はリビングへと戻った。


久我君と秀介さんはガラステーブルをコの字に囲んでいるソファに座り寛いでいた。

凛もそれに加わるように空いたソファへと回り込み腰を掛けた。

私は着いて早々だったが、やる気に満ち溢れていたので秀介さんの座っているソファの背もたれに手をかけ後ろから覗き込み声を掛ける。


「秀介さん。早速私がやるべきこと教えてもらってもいいですか?」

「……いやに張り切ってるなぁ。んー……これと言って細かいことは決めてない。好きにしていいぞ」


頭を掻いて投げやり気に言い放つと彼は正面を向いてソファに身を沈ませた。

……なんか怪しいのよねぇ。

彼の頭を見つめ訝しむ。

家事をしてほしいってやっぱり取って付けた言い訳なのかしら?


「あの、私がこの家に来た理由って……」

「そうだ。料理を作ってもらおう」


白々しい提案を棒読みするとともに秀介さんはすくっと立ち上がった。

久我君と凛が不思議そうに秀介さんを見上げているが、気にすることなく私のもとへと近づいてきた。


「二人がいる前じゃ話せない」


こそこそと耳打ちされ親指を突き立てくいっと二人を指すように動かす。

二人に聞かれたらまずいこと?

気になったけど、秀介さんは私の横をすり抜けキッチンへと向かうのであとを追いかける。

簡単に器具のある場所の説明を受け、あちこち開けて確認する。

なんとなく場所を覚え、何作ろうかなと考えながら冷蔵庫のドアを開けた。


「……あの、材料がないのですが?」

「うちはほとんど自炊しないからな。あっても凛のものくらいしか入ってないだろ?」


パン、ヨーグルト、スムージー、葉物野菜、果物がいくつかなどは入っているもののメインとなりそうな食材は無かった。

調味料も一応確認してみると最低限のものは常備されてる。


「今までお手伝いさんとか雇ったことはないんですか?」

「一時期考えたことはあるが、特段困ったことはなかったからな。食事は作りたい時に作ればいいし、掃除はしたい時にすればいい」

「あまりにも自由ね」


堂々と言い切る秀介さんに呆れはするものの、生活に支障がなければそれでもいいよねと気持ちはわかる。

働きながら家事を完璧にこなすことは容易じゃない。

とはいえ、これでは料理ができない。


「ちょっと買いに行ってきます」

「今から買いに行くのか?」

「はい。早く買い物に行けば少しゆっくりしてから取りかかれるんで」


応えると秋介さんは黙り込んだ。

そんな彼を尻目に何を作ろうかと思案する。


「荷物重いよな?」

「んー、どうでしょうか?」


不意の問いかけに返事をすれば秀介さんはふー、と息を吐く。

彼は天井に視線を向け、何かを考えているようだ。

話の流れからして、荷物持ちをしてくれるのかもしれない。

そうなったら、一度は謙虚に断ったほうがいいかな?

そんなことをシュミレーションをしていれば、彼は視線を私に戻した。


「よし。やっぱり今から出るのは面倒だ。明日なら出てもいいぞ」

「明日って……今日はどうするんですか?」

「出前でいいだろ」


さらりと返される。

家主がそういうならそれでいいとは思う。

とはいえ、これからお世話になる身としては挨拶も兼ねて食事くらい振る舞いたいところ。

それにこの湧き出ているやる気を鎮めるにはあまりに勿体ない。


「やっぱり買いに行ってきます。そんなに買わないと思うのでひとりで大丈夫です」

「川上さん買い物に行くんですか?」


久我君がキッチンに顔を覗かせた。

彼は片手に持ったコップを流しで洗うと水切りラックの上に置いた。


「ええ。今日の夕飯の食材を買いにいこうと思って」

「それなら僕も一緒に行ってもいいですか?ちょうど買いたいものがあるので」

「ナイスタイミングだ清一。荷物持ちはお前に任せた」


私が答えるより早く、秀介さんは久我君の肩にぽんと手を置くと入れ替わるようにリビングへと戻っていった。

……甥っ子に押し付けていったわね。

呆れてため息がでる。

久我君が本当に欲しい物があるのかは分からないけど、一緒に行きたいなら断る理由はない。


「今聞いた通り、荷物持ちさせちゃうけどそれでもよければついてくる?」

「荷物持ちくらいお安い御用ですよ。どんどん頼ってください」


不満なんて感じさせない笑顔を向けられる。寧ろ頼られることが嬉しい様子にも見える。

なんだか微笑ましくてふふっと笑ってしまった。


それから秀介さんからお金を手渡されたので受け取るとともに夕飯のリクエストを聞いて買い物の準備に取り掛かる。

久我くんと一緒にマンションから歩いて十分ほどの商業施設へと向かう。


「もうすぐ十月なのにまだ暑いわね」


外をしばらく歩けば肌が汗でべたつき始める。

朝は涼しくなってきたが、日中は日差しを浴びれば夏のような体感温度を感じる。


「最近は夏と秋の境目が分からないですよね。凛が衣替えいつしようって悩んでましたよ」

「それわかるなぁ。私は周りを観察して秋服が目につくようになったら替えてるかな。でもあっという間に冬になるから秋服の出番って少ないのよね」

「夏服に活躍の場を奪われてますね」

「逆なら大歓迎なんだけどねぇ」


他愛のない話をしていると店に着き、必要なものを買い揃え、会計を済ませる。

袋詰めが終わると荷物を持つ前に久我君にさっと奪われる。

久我君を見上げれば目が合い笑いかけられる。


「行きましょうか」


荷物のことには一言も触れず、彼は出入り口へと歩き始める。

あまりにもスマートな行いに呆気にとられて佇んだまま彼の背中を見つめた。

ただの優しさからとはわかっているけど、女性扱いされているようで胸のあたりがくすぐったいような気になる。

だからといって、全部の荷物を持たせるのは申し訳ない。

駆け足で彼の下へと急ぐ。


「久我君!」


私が呼びかけると彼は体をピクリと震わせ立ち止まった。


「私にも荷物持たせて」


彼の横から覗き込んで明るく声を掛ける。

久我君が振り返り、私ははっと息をのんだ。

彼は私がリビングで挨拶したときに浮かべた表情をしていた。

困惑しているような、寂しそうな瞳だ。

驚いて何も言えなくなり、彼を見つめる。


「それじゃあこれをお願いします」


そう言って彼は軽い袋を私に手渡した。

平静を装いながらお礼を口にして荷物を受け取り、私たちは歩き始めた。


……踏み込んだほうがいいのかな?


チラリと久我君を窺う。

彼は目を伏せては泳がせ、なにやら悩ましげな表情をしている。

居候初日から久我君が私に対してわだかまりが生まれたのなら聞いたほうがいいに決まっているとは思うのだけど。

触れてほしくないことなのかもしれないし。

うーんと悩んで歩いているとマンションの入り口が見える距離まで近づいてきた。

家に戻れば秀介さんたちがいるので、聞くなら帰り着く前までに聞いておきたい。


「あ、あの」


横から聞こえた久我君の声に私は足を止める。

や、やっぱり私に言いたいことがあるんだ……!

生唾を飲み込み、緊張のあまり胸がどきどきと音を鳴らす。


「よければ……清一って呼んでもらえませんか?」

「え?」


思いがけない願い出に、私は久我君へと顔を向ける。

彼は正面を向いたまま顔を伏せている。

その頬はほてっていて耳まで赤い。


「その……叔父さんと凛だけ名前呼びしてるのは……ずるいなぁ、って」


言い終わると同時に私へと視線を向けられ、メガネ越しに彼の揺れる瞳とかち合った。

その瞬間、久我君の照れが伝染したように私の顔もぶわりと熱くなった。

緊張とは違う胸の鼓動が高鳴り始め、声の出し方を忘れてしまって開いた口からは何も気の利いた返事が出ないでいた。


(な、何を動揺してるんだか……!)


秀介さんと凛みたいにさらっと呼べばいいじゃない。

外気の暑さからではない熱が体全体に帯び、今すぐにクーラーの下に行き冷たい風を浴びたくなる思いが強くなる。

熱くなった顔を手で仰ぐ。


「そ、そうよね。久我君だけ下の名前で呼ばないなんて変だもんね!」


彼から目を逸らしながら発した声は上ずっていて、ますます緊張してしまう。

心情を悟られないようにあははと取り繕うように笑う。


「じ、じゃあ私のことも早紀って呼んでね」


提案したものの、彼は敬語を崩すことを断っているので呼ばないだろうと思った。

なのに――。


「……早紀さん」


少しの間の後、呟くように呼ばれた名前が耳について心臓がドクンと跳ねた。

途端に熱で頭がぐるぐると回り、正常な判断が出来なくなる。

あれ?名前呼んだり呼ばれたりするのってこんなに恥ずかしいものだっけ?


「は、はい」


名前を呼ばれたからという理由で私は返事した。

この反応が正解かはわからない。


「……ぼ、僕の名前はなんでしょう?」


顔を真っ赤にさせて、視線を横にそらしながら久我君は問いかけてきた。

い、言わせようとしている……!

それに気づくと胸がキュンとして彼に対して可愛いという感情が芽生えた。

気恥ずかしさもあったが、深呼吸して口を開く。


「せ、清一君」


意を決したはずなのに詰まってしまった。

くぅ~。どうしてこんなに緊張してるのよ。

無意識にぎゅっと瞳と唇を閉じ、力が入る。


「は、はい。なんでしょう?」


名前を呼ばれた清一君は返事をした。

え!?問われたから呼んだだけで何か言いたいことなんて思いつかないんだけど!?

私は驚き目を開くとわたわたと慌てて、ありきたりな言葉を口にする。


「よ、呼んでみただけ……」

「あ、僕が訊いたから答えてくれただけですよね」


お互いにガチガチに固まった受け答えをして沈黙する。

その沈黙で、今までのやり取りを思い出しなんだか可笑しくなってきて。

我慢してたが、とうとう失笑してしまった。


(付き合い始めたカップルじゃないんだから。普通にしなさいよ!)


自分にツッコミを入れて一頻り笑った目じりに浮かんだ涙を指で掬い取りながら、清一君と向き合う。


「なにやってるのかしら私たち。おっかしい」

「そ、そうですよね。人の往来があるところでこんなこと言い出して、すみません。傍から見るとどう見えてたんでしょうね」


彼の熱はまだ引かないようで、口早で照れながら慌てているよう。

どうって――。

そこまで考えて先ほどのカップルという文字が頭をよぎる。

それをさっと振り払い、さらりと流すことにした。


「ほんと。どう見えてたんだろうね。それにしても、早く言ってくれれば良かったのに。名前で呼んでほしいって」

「本当は言いたかったんですけど、我儘を言って早紀さんを困らせないかなと考えてしまって」


苦笑いする清一君。

交流した回数はまだ少ないけど、彼は物腰が柔らかく、一緒にいてほっとするような安心さがあって人として好き。

私としてはこれからもこの縁を大事にしたいと思っている。

だから変に遠慮をしてほしくない。


「そんなことじゃ全然困らないから安心して。だからこれからは私に言いたいことあるなら何でも言ってね。直して欲しいところとか、助言とか」


胸を張って冗談ぽくいう。気軽に言ってもらえるように。

交流の深浅とか年の差、性別の垣根を感じさせたくない。

あくまで対等に付き合っていけるように。


「早紀さんに直してほしいところなんてないですよ」

「今はなくてもこれからあるかもしれないし」

「うーん……やっぱり想像つかないです。仮にあったとしても僕は受け入れますね」

「えー。不安になるから言って欲しいわ」


私がぼやけば清一君は穏やかに笑った。

その後家に戻り、何事もなく居候初日を終えることができた。




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