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久我家の人々  作者: にけ
1/11

失態


やってしまった……。


私は頭を抱えた。

29歳にして初めて婚活パーティーに参加したというのに、早々に苦い思い出に変わってしまった。

男性が女性の席を転々としていく形式の交流だったのだが、あろうことか最初の一人目の青年に対して私は説教臭いことを言ってしまったのだ。

はっと気づいたときには相手の青年は呆気に取られていて、弁明しようとするも進行役の人の「それでは席を移動してください」というアナウンスでその余地すら与えられなかった。


一人目から躓いたものだから、私は頭が真っ白になっていた。

そして徐々に先ほどの自分の失態が蘇ってきて頭を抱えたくなる衝動を抑えるのだが、時間は容赦なく刻々と刻んでいく。

代わる代わる男性が現れるも、特徴も話の内容すら覚えておらず、いつのまにか婚活パーティーはマッチング発表を迎えていた。


マッチング用紙はマッチングしたくない番号をペンで消すのだが、私はそれすらできず空白で提出した。

目の前には説教をかましてしまった青年が戻ってきたので私は下を向いていた。

皆、耳を進行役の人に傾けているので謝罪もできない。


(帰りたい……今すぐ家に帰りたい……)


結果なんて目に見えて分かっている。万が一選ばれたとしてもこれから食事なんていけるメンタルはしていない。


「一番の男性の方と一番の女性の方マッチングしました。おめでとうございます~!」


(え?一番の女性って……)


耳に入ってきた番号をにわかには信じられず、顔を上げれば、目の前に座っている黒縁の眼鏡をした青年が目元を緩め口元に笑みをたたえながら私を見ている。


「それではお二人は一緒にご退場願います~」


訳が分からない状態に戸惑って進行役と眼鏡の青年を交互に見ていると青年は立ち上がりにこりと笑いかけてきた。


「行きましょうか、川上さん」

「え、ええ」


どうしていいか分からない状況で指示を貰えば反射的にそのとおりに体は動くもので、彼の後に付いていく。

こちらは説教をかましたというのに、彼の苗字すら覚えていない。

かといって、今更交換したプロフィールカードを見て確認する目立った行為を行う気もない。


だけど彼は私の苗字を憶えていた。

つまり――そうとう根に持っている可能性がある。

はらはらしながら目の前を歩く彼の背中を見つめる。

五階から一階に着くまでのエレベーター内ではあまりの気まずさにずっと下を向いていた。

建物から外に出ると、意を決して私は勢いよく頭を下げた。


「すみませんでした!初対面であるにもかかわらず失礼なことを口走ってしまって!本当に、本当にすみませんでした!」

「え?そんな!頭をあげてください!」


彼の立ち止まった足先がこちらを向くと、焦ったような声が上から降ってくる。

恐る恐る頭を上げてみれば、彼は心底ほっとしたのか胸をなでおろしていた。


「僕は全く気にしてないですよ。寧ろ、勇気を貰って感謝してるくらいです」


気を使ってくれているのかは分からないが、青年はいい人なのだろう。

穏やかに笑いかけてくれて、私は少し安堵した。

とはいえ、そんな彼に甘えてはいけない。おずおずと気持ちを口にする。


「でも、私の靄が晴れないというか――どうにも、何かせずにはいられないんですよね」

「それなら今度一緒に食事に行ってもらえませんか?」

「え?」

「川上さんさえよければ、今からでもいいですよ」


今からはちょっと……。

一刻も早くお酒でも飲みながら今日の反省会をしなければ、羞恥と心の重みでどうにかなりそうだ。

それを踏まえて愛想笑いを浮かべて返事を返す。


「今日はこれから用事があるので、今度でいいのなら」

「本当ですか!?ありがとうございます!それじゃあ連絡先、交換してもいいですか?」


言われて、スマホを出された。そうか。そういうことになるのか。

罪悪感もあり、私は連絡先の交換を断れなかった。

まあ、一度食事を奢るだけで許してくれるなら安い物なのかもしれない。

それに同じ婚活仲間として情報を共有することもできるし。

連絡先を交換すると画面に久我清一と漢字が表示された。読み方があっているか念のため確認する。


「あの失礼な話なんですが、私貴方の名前を覚えてなくて……この漢字の読み方――」

「くが、せいいちです」


彼はふわりと笑って私に、分かりやすく、はっきりと発音する。

くが、せいいちくんか。

改めて久我君の顔を窺えば太い黒縁の眼鏡の下は容姿が整っており、柔らかな目元は人に安心感を与え、癖がないサラサラと揺れる黒髪は誠実な印象を持たせる。

性格も温厚そうなのできっと彼はさぞかしモテるに違いない。

婚活に参加していなくてもすぐに彼女が見つかりそうだ。

と、そこまで考えて私は自分が名乗っていないことに気づいた。

苗字で呼ばれていることと、漢字が分かりやすいこともあり間違えて読むことはないと思うが一応言っておかなければ。


「あ、私は――」

「川上早紀さん、ですよね」


言葉を遮るように、言われて息をのみ彼の顔を見上げる。

その視線は私に注がれている。


「憶えました」


微笑まれ、私の胸はどきりとはねた。

スマホの画面に表示された漢字を読んで覚えた、ということだろう。

だけど、まるでパーティー中の数分しかない交流の中で記憶したのかと勘違いしそうな物言いだった。


……まあ、名前を覚えてしまうくらいに私の説教は印象に残ったということかもしれないけれど。


久我君と私がこれからいい感じ、いわゆる男女の仲になることはないだろう。

私は彼の名前は覚えていなかったが、年齢は記憶していた。

なぜならそれが原因で説教臭い事を言ってしまったからだ。

久我君は大学卒業から半年が経つ二十三歳の青年。

年の差が六あり、正直私から見ても対象外で、彼から見ても私は対象外だろう。

そして彼の職業は無職。

パーティー時に和やかにあいさつを交わしたのも束の間、プロフィール表を交換してそれを目を通した途端、私はつい余計なことを口走ってしまった。


『大学は卒業しているの?』

『はい』

『就活は?』

『実はやりたいことがあったんですけど……周りから反対されてて……結局踏み切れず、気が付けば九月になってました』

『周りがって、君の人生なんだから君のやりたいことをやるべきよ!私は応援するわ!』


力強く、人生の先輩としてそう彼に言い放ち、彼は瞠目して私を見ていた。

そこで(しまった――)と気づいた。

初対面のくせに馴れ馴れしく偉そうに、説教じみたことを口にしてしまった。

体を乗り出したまま、血の気が引いて沈黙している間にアナウンス。


……今思い出しても婚活パーティーで初対面の男女が話す内容ではなかった。

思いっきり年上の女が年下相手にいらないアドバイスをしているだけの構図だ。恥ずかしい。


言い訳としては、やりたいことがあってもお金の関係で却下され続けた結果、私は特にやりたいことがなくなってしまった。

やりたいこと、というより興味が湧いただけというべきか。

とにかく未練はないものの、何かを経験してたら私の人生少しは変わってたかななんてたまに想像したりする。

だから私にとって、やりたいことがある人はとても羨ましい。

しかも彼はそれを選択肢に入れることができる。

なら挑戦して欲しいと思って、つい口走ってしまった。

……ほんとに。初対面の人に言われても応援されてもねぇ。


先ほどの苦々しい体験が蘇り、心が沈んでいると久我君が声を掛けてきた。


「帰り道はどちらですか?」

「駅の方です」

「僕もです。ご一緒していいですか?」

「ええ」


人懐っこい笑みで訪ねられ、歩いて十分ほどの距離だし、悪いことを考えている様子もないので了承した。

どちらかともなく駅の方へと歩き始める。

無言でいるのも居心地が悪くなりそうなので話を振る。


「久我君の年齢で婚活って早いような気がしますけど、結婚願望が強いんですか?」

「うーん。あまり意識したことはなかったんですが、叔父さんから話のネタになるからって駆り出されまして」

「話のネタって、それだけで久我君は参加したんですか!?」

「はい」


周りの意見に流されやすい子なのかもしれない。

叔父さんとやらも、自分の欲求を満たすために、二十三歳の青年を軽い気持ちで駆り出すなんてろくでもない人だろう。

進路も阻まれ、婚活に参加させられ、なんというか、初対面であるにも拘わらず久我君が不憫に思えてきた。


「でも、参加してよかったと思ってますよ」

「そうなんですか?」

「はい。参加した日が、今日でよかった」


返事の後に、独り言のように呟かれた言葉は軽やかな声音だった。

久我君にとっていい体験があったのかもしれないが、私は今日じゃないほうが良かったと思っている。

平静を装っているけど犯してしまった失態が、本当に心に重くのしかかっている。

あっという間に駅前に到着して忙しなく行き交う人々の中、改めて私たちは向き合った。


「川上さん、今日はありがとうございました」

「こちらこそありがとうございました」

「帰ったら連絡しますね」

「ええ。私も連絡します」

「それでは、失礼します。気をつけて帰ってくださいね」

「ありがとうございます。久我君もお気を付けて」


当たり障りのない会話をした後、何事もなくすんなりと久我君と別れた。

もしかして私の住んでいる家の場所を知るために?と少しの邪推もあったが、杞憂に終わった。

……ほんと、私ったら彼に対して失礼なことばかり考えて、酷い奴。

深いため息を吐き、駅の改札口に向かった。


家に帰りつくとシャワーを済ませ、部屋着に着替えると冷蔵庫からビール缶を取り出し、1Kの部屋の真ん中に置いていあるローテーブルの前の座布団へと腰を下ろす。

スマホを手に取れば久我君からメッセージが届いていた。


『帰り着きました。今日はありがとうございました』


彼の性格を表しているような真面目なメッセージを目にし、思わず頬が緩む。

返事を返そうと動いた指に待ったをかける。

お礼の後に、やっぱり一言謝罪をいれるべきか……。

しかし、しつこい気もする。

悩んだ挙句、お礼を返すだけに留めた。


『こちらこそありがとうございました』

『次会える日を楽しみにしていますね』


お疲れさまでしたと可愛いスタンプが送られてきた。『はい。私も楽しみにしてます』と社交辞令じみたメッセージをスタンプと共に返した。

早速約束の取り付けをするかと思っていたが、無難なやり取りで終わった。

最初のやり取りなんてこの程度のフランクさの方が気楽でいいのかもしれない。

ビールをぐびっと口にし、ふとパーティー時の説教の場面が脳裏に浮かび手にした缶をテーブルへと置いた。


「(めちゃめちゃ恥ずかしー!)」


熱くなった顔を両手で覆い、足をばたつかせ羞恥に悶えた。




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