第四話-4
午後になると、細川はラザムに、次の目的地を指示した。
「ミュンヘンベルクシティに行かせてくれないか」
ラザムは、すぐには頷かなかった。
「ミュンヘンベルクシティですか? あの、その方面だったらフォイエルブルクの方が観光向きですけど……」
商業都市の名前を挙げる細川に、ラザムは首を傾げる。フォイエルブルクは五〇〇年以上の歴史を持つ帝国の要塞で、約一〇〇年前にも稼働したことがある。これが観光向きと言われても意味が分からなくて逆に気になるが、ミュンヘンベルクシティは別の目的がある。
「今回は事情が違う。ある人から情報を渡された。中級悪魔パトリックが、帝国標準時の一六時、領主ミュンヘンベルク伯グイスカルドと密談する。パトリックはルシャルカの腹心だ。こいつを逃す手はない」
かつてはキリスト教の宣教師として、パトリックという人物が存在したという。同じ名前を持つのが悪魔というわけで、細川には、因果が皮肉と名付けられた料理を平らげたように思われた。
「ルシャルカの腹心……? そんな情報を誰が……」
当然、ラザムたちは訝しんだ。
「コードネーム『白兎』。以前、君に暗号を伝えてもらった人だよ」
「ああ、あのときの。本当に彼女、何者なんですか?」
「それは話せない。『白兎』さんを信用できないなら、『白兎』さんの情報と、俺の判断を信用してくれればいいさ」
ほかの一人と一匹も、この旅行の本当の目的に気付いたらしい。
「だから協力者の私たちを送り込んだんすね」
「アルレーヌ大森林のある共和国でなくわざわざ初日の行程を帝国にしたのはそういう理由だったの?」
要するにそういうことだ。これが、任務の半分である。
「まったく、くえない人だ」
「「「……?」」」
「なんにせよ、そういうことだ。伯とパトリックを拘束し、『白兎』さんに引き渡す。ラザム、頼むよ」
ミュンヘンベルクシティ第一商館──。
ミュンヘンベルク伯領最古の商館だ。人の出入りは少なくない。それ故、貴族も悪魔も顔や服装を誤魔化せば、一般臣民としていくらでも紛れ込むことが可能であった。
たとえばそうして紛れ込む大貴族、ミュンヘンベルク伯グイスカルドは、青髪で痩せた体つきの、壮年の男だった。無色に近い色の瞳をしているが、それは水のように澄んでいるとは言い難い。どちらかと言うと──というよりほとんどの人間が等しく感じるところでは──チーズを沈めて溶かした濃食塩水のように見えるのだった。
評判は、決して良くない。むしろ悪評ばかりが広まっていて、税率が高く、遊んで暮らしているばかりの悪徳領主、という外聞が知られていた。外聞が容姿に先入観を与えて、瞳を濁っているように見せているのかもしれない。だとしても、それは自業自得もいいところだ。
ミュンヘンベルク伯は商館の第二応接室を貸切にして陣取り、密談の相手を待っていた。領地運営の助言者だ。家名と年齢を頑なに明かそうとしないが、そこは貴族である自分なのだ、この程度のことを許容し得ないでどうするのか。
……やがて待っていた相手が、室内に現れた。パトリックと名乗る青年は、まだ少年のように若い。雪のように白い肌と、吸い込まれそうなほど黒い髪目。白い衣装に黒いマントを羽織っているところまでいつも通り。彼は年中いつ会っても同じ格好をしているので分かりやすい。
「伯爵様、お待たせしてしまいましたか?」
パトリックは、品の良く、柔和な顔で微笑した。
「いいや、私が早く来ていただけだ。使用人共を振り切るために、早く出たからな。貴様は時間通りではないか、そら、座るといい」
「ありがたく」
悪徳貴族領主は上機嫌だった。パトリックの助言は的確だ。その証拠に、今まで一度も領民の不満をぶつけられたことがない。これが限度を超えるようならば、とっくの昔に叛乱を起こされていただろう。なにより、貴族に相応の礼節を持って振る舞えるのが素晴らしい。貴族は敬われるべきなのだ。
つまるところ、彼はパトリックに対し、好感を持っていた。この日はどんな助言が得られるのかと期待しながらソファに座り直し──たところでドアが大きく開け放たれた。入口にはパトリックと同年代に見える男が一人、それに従うように幼い少女が一人、男よりやや年少の少女が一人、そしてふわふわ浮かぶ……狸?
男は、拳銃を手に握っていた。金色に輝く、短銃身の回転拳銃。よく見ればシリンダーに収められているのは銃弾ではなく色違いの魔石なのだが、動転した伯爵は気付かない。
銃口が向けられる。男が、凍てつくような薄笑いを浮かべた。
「悪徳貴族領主グイスカルド・フォン・ミュンヘンベルク、及び中級悪魔パトリックだ」
ドアが閉じられ、完全な密室となる。
「作戦に従い、拘束する」
伯が言語を理解できなかったのは、ある種幸運に属することだっただろうか。




