第三話-1 コードネーム『ゼロ』
三月下旬に下級悪魔の掃討が終わると、二週間ほどは何事もない平和な期間が続いた。とはいえそれは細川に関しての話であり、水面下では『白兎』の暗躍が続いていることだろう。
役回りとして、高度な戦闘能力のある細川と零火は戦闘要員であり、情報収集や参謀は、『白兎』や、細川たち以外の協力者が担当している。今は情報を集めているところであり、戦闘要員の細川たちは、現在待機状態ということだ。
だが四月に入り、情勢が動いた。連絡が届いたのは、細川が高校の授業を受けていたときのことだ。一羽の烏が突然現れ、教室の窓に衝突した。ガラスの存在に気付いていないかのように、繰り返し衝突している。
教室の中がにわかに騒がしくなった。好奇の視線を向けたり、反対に恐怖で窓から離れたりする生徒が現れる中、細川も席を立ち、窓を開けると、烏を掴み、投げるように外に逃がす。
「大丈夫か? 随分暴れられたようだが……」
「ええ、見事に引っかかれましたねえ……」
生物科の塚本という教師に答え、細川は烏の足から抜き取った紙を袖に隠し、保健室に向かった。
「必要だったとはいえ、随分遠慮なくやりやがったな、あの烏め。一歩間違えば動脈を搔っ切られるところだった」
傷口を見ながら廊下を歩き、細川は恨み言を呟いた。烏は『白兎』に使役されていたのだろう。伝言屋として雇われているはずの『影兎』──成瀬を介さなかったあたり、そう長く時間を空けられない、急用のようだ。階段の踊り場で紙を開き、中を確認すると、案の定急な任務の指示だった。
「はあ、なるほど。それでこの不調か」
彼は、徐々に体温が上昇しているのを自覚していた。軽く眩暈もする。烏の爪に、薬品でも塗ってあったらしい。同意もなしになんてことを、などと文句を言いたいところだが、それは後回しだ。まずは一刻も早く、学校を抜け出すのが先決だった。
烏の爪に塗られていた薬品は特殊なものだったらしく、早退手続きを取って校門を通過する頃には、発熱やめまいなどの症状は完全に消失していた。便利なものだ、と思いつつ、細川仮想空間に入り込むと、学校周辺に対応する地点に放置していた黒いローブと黒いマスクを身に着け、他の荷物は全てその場に置いて地上に戻る──その前に、やっておくことがあった。
「ライ、そこにいるか? 頼みたいことがある」
精霊術師のペンダントを握って細川が呼びかけると、そこから白い光が現れ、細川の前に出ると、茶色い毛並みのライになった。反射的に細川はその毛並みに片手を埋めるが、本題はこれではない。
「今日はどうしたの、ユウ」
「緊急任務だ。今から言う場所の仮想空間に、屋敷から俺のマナ・リボルバーを持ってきておいてくれ。あと、A2もだ。地上には出なくていい。俺が現地に着いたら、再度仮想空間に入って銃を受け取ることにする」
「へえ、両方なんだ。それ、ユウが屋敷に寄って銃を持って行くんじゃだめなの?」
「車で話をする必要があるからな、この間はやむなくそうしたが、あまりあの人を仮想空間に入れたくはないし、第一、あの人に仮想空間の座表計算の知識があるとは思えん」
「まあそれ、ユウみたいな魔力使用者か、大天使様しか知らないもんね。それで、どこに行けばいいの?」
「ああ、場所は──」
ライを残して地上に戻り、高校付近の細道を少し歩くと、黒いスポーツカー、ホンダ・S2000が停車しているのが発見できる。細川は、その助手席に何の迷いもなく乗り込んだ。




