第二話-8
時はやや遡り、一〇人の下級悪魔を掃討し証拠隠滅を済ませたその後。細川は、『白兎』に後処理を任せると、精霊の目を通じてライの行動を見ていた。
総合魔法適性が高く、契約者である細川は、精霊たちの視界を基本的には自由に見ることができる。唯一の例外は、大精霊であるライの視界だ。なので、細川はライが連れている精霊の視界から行動を知ることになる。もちろん、精霊たちの承諾を得た上でだ。そうして中略、ライが下級悪魔と相対する。
「零火を死なせるわけにはいかない。神隠」
消耗した零火を見て、彼は一瞬で判断を下す。仮想空間に飛び込み、精霊術の風を使って飛んでいく。
現地に着くと、既に戦闘は終わっていた。ライは風の力で戦闘の跡を消し、零火は意識を失ってゆずなに支えられている。彼女は泣きそうな顔で零火を抱き抱え、時折放心したような声で敬愛する先輩に呼びかけていた。敬愛される先輩の方は、今のところ、目を覚ます気配はない。
細川はすぐにでも少女たちの元へ行って安心させてやりたかったが、心情を抜きにしたとき、どうやら優先事項は下になるらしい。如何せん、氷のスロープは目立ちすぎた。
「裕兄い……」
ゆずなが細川の姿を視界に捉えたようだ。申し訳ないが、今は無視する。
「『絶零』風打」
風の防音膜が、スロープを囲む。続けて詠唱。
「アル・マーニャ」
爆炎がスロープを破壊し、煌めく氷が舞い散る。防音膜の内部を揺蕩い、校舎下部からの視線を一時的に遮断。その間に、細川は零火を抱えるゆずなの元へ赴いた。
「悪魔は倒せたか?」
「うん、そこの狸さんが」
「詳細は後で聞く。零火に関しては問題ない。疲れて寝ているだけだろう」
地面に転がされた氷剣を見て、判断する。ただの氷だ。振り回すには、彼女の体力がもたない。それに加え、退けばゆずなを危険に晒すプレッシャーもあったはずだ。いきなり零火に背負わせるには酷なことだったか、と細川は反省する。
「こいつは俺が精霊病院に連れて行く。寝かせるにはちょうどいい。保健室では状況の説明がしにくいからな」
「ほんとに、大丈夫?」
「まだ、心配か?」
「うん……」
あまりに突然のことだったからだろう。ゆずなはなかなか、状況を呑み込めないようだ。細川も三年前なら、同じように思ったに違いない。信用が足りないのではないはずだ。直感的に。
「まあこれに関しては議論しても仕方ない。それより、一つ頼まれてくれないか」
「……?」
「こいつの荷物を回収してきてくれ。俺はそもそも、本来この場にいる人間じゃない。関係の説明が面倒だ」
「分かった。先輩の荷物、持ってくる」
眠り続ける零火の身体を引き取り、ゆずなが立ち去ったのを確認すると、細川は物陰に隠れ、ラザムを呼び出した。マナによる魔法陣。ちょっとした自由研究のようなものだ。
「──相木田中学校。零火さん、どうしたんですか?」
声量を抑えているのは、零火に配慮してのことだ。気遣いのできる天使である。
「下級悪魔との戦闘で、疲れて眠っているだけだ。それより、頼みたいことが二つある」
細川も声を抑えている。零火に対する配慮と、卒業生とはいえ、無断で敷地内に入り込んだことに対する引け目だ。
「一つ目、菅野台高校から俺の荷物を回収してきてほしい。訳あって、置いてくるしかなかった」
「承知しました。もう一つというのは?」
「こっちはどこまで話すべきか、線引きが難しいんだが……」
「秘密は伏せたままで構いません。指示だけいただけば、私は動きますから」
「それは助かる。多分高校の周辺にいるはずだ。学校敷地内かもしれないな。『白兎』というコードネームの女性に会って、暗号を伝えて欲しい。機密性の高い仕事でね、連絡先を知らないんだ」
あるいはないのかもしれないが。
「黒い服で、背中に伸びる黒髪の女性だ」
思えば、『白兎』というコードネームのくせに、白い要素がほとんどない。
「私も知らない方なんですが……?」
「だろうね。端的に言えば、堕天使討伐のために動いている。俺たちの味方だ」
「なるほど。言ってましたね、堕天使討伐の目処がたったと」
「ああ、その話で間違いない。暗号は──」
細川は、白兎に伝えられた法則の暗号を伝えた。
「──以上だ」
「分かりました。この後、細川さんは?」
「俺は零火を精霊病院に連れて行ったあと、頃合いを見てこいつを家に返す。君はさっき頼んだことをやったら、先に屋敷に帰っていて構わない」
「承知しました。ではそのように」
ラザムは再び魔法陣に消える。細川の腕の中で、零火はすやすやと眠っていた。
ゆずなが零火の荷物を回収し、倉庫付近に戻ると、既に細川たちは姿を消していた。回収しろとは言われたが、一体これはどうすればいいのだろうか。きょろきょろと周りを見ていると、後ろから声をかけられた。
「キミが、川端ゆずなちゃんかな?」
驚いて振り返ると、そこにいたのは一人の少女──零火と瓜二つの姿をした、知らない人物だ。容姿はよく似ているが、声と話し方が決定的に違う。自然、恐怖が湧き上がった。
「……そう怯えられるのは初めてじゃないんだけどね、どこまで信じてもらえるか分からないけど、私はキミに敵意はない」
「は、はあ……?」
いまいち状況が呑み込めない。細川なら、これを混乱なく受け入れられるのだろうか。少なくとも、平和に生きてきたゆずなには不可能だった。
「彼女が消耗し、眠ってしまったことで起こる不合理は私が片付ける。これは、キミも良く知っている彼の指示でね」
よくわからないが、荷物を渡すよう言われたので、そうすることにした。細川の名前を出されたのも理由だ。少なくとも、敵対者ではありえないだろう。目の前にいる彼女が細川の味方なのか、あるいは細川が彼女の味方なのかはわからないが……。多分、訊いても答えてくれないだろうということは、会話の端々に感じられた。
「物分かりはいいようだね。キミも私の協力者にしたいところだーぁけど、彼に怒られそうだし、やめておくよ。彼女のメッセンジャーにしたいところだったけど」
半ば独り言のように呟いて、目の前の彼女は立ち去った。ゆずなには、その呟きの全てを理解することはできなかった。




