第二話-5
「平井先輩、わたし、先に倉庫に行ってますね」
「ああ、うん。よろしく」
「……?」
零火は、脳の半分を違和感に取られ、ついゆずなへの返答が遅れた。
この学校では、入学式の看板を、毎年美術部が作ることになっている。今日もまた、その制作に取り掛かる必要があったのだが。
(何? この変な感じ……)
怪訝そうなゆずなに説明のできないような、いつもは感じない、頭がぼんやりした感覚。毎日顔を合わせるうち、細川の寝不足でも感染したのだろうか。だとしたら、彼は毎日、このぽわっとした頭で化け物じみた魔法能力を発揮していることになるのだが。
とりあえず、自分もゆずなを追いかけて手伝わなくては、と思ったそのときだ、彼女の悲鳴が、倉庫の方面から聞こえてきたのは。
「なに!?」
零火は反射的に窓に飛びつき、倉庫の方に目を向ける。そこには、黒い小人を前にして、後退るゆずなの姿があった。
直感的に、まずいと思った。あれは、今朝見た悪魔だ。伝令にあった、抹殺対象。一匹でのこのこ歩いているだけなら氷の弾幕でも使うところなのだが、なにしろ狭い上にゆずなまで傍にいるので、この手は使えない。なんであれが、とは考える余裕もない。零火は、ついこの場にいない人物を思い浮かべる。
細川裕なら、精霊の力でも借りて迷わず悪魔を狙撃しただろう。銃を用いるまでもない。いつもの精霊術魔法一発で、戦闘不能にできる。
対して零火は、氷塊の射出精度にまだ自信がない。だからこそ、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の理論に則り、とにかく氷塊を大量に撃つ戦闘スタイルを取っているのだ。だがそれが封じられると、遠距離攻撃は無意味に等しく、あとは接近戦に持ち込むしかなくなってしまう。まずは、ゆずなを傷つけず、悪魔を牽制して時間稼ぎをする必要がありそうだった。
零火はまず、牽制のために氷塊を射出した。悪魔に被弾させることは期待していない。氷塊は、悪魔の後方に着弾した。ひとまず、敵の意識をそらすことには成功する。
零火は、美術室の置かれた三階の窓から、地面に向けて氷のスロープを設置した。すぐに窓から飛び出し、スロープを滑り降りる。角度調節を間違えて地面に降りたとき転がりそうになったが、何とか持ち直し、悪魔とゆずなの間に出ることに成功した。
「ゆずな、大丈夫?」
「な、なんとか。それより、その黒い人はなんなんですか?」
「危ないから下がってなさい」
「は、はいっ!」
ゆずなを逃がし、零火は氷剣を手にする。指示には『見つけ次第斬り殺せ』とあったはずなので。斬り方は『春先に吹く北風のように』だったか。脳内で突っ込みを入れようとして『沁みるような鋭さで』と言い換えられる声が聞こえ、思わずげんなりとしてしまう。どうやら充分毒されたようだ、なんと迷惑な。
氷剣を冷やし、悪魔に向かって斬り込む。まさか、あの男と同等の強さを持っていることはないだろう。ならば勝ち目はあるかもしれない。摂氏マイナス数度にまで冷却された切先が悪魔に届くと思われた、その瞬間、零火は間抜けな声を漏らした。
「は?」
黒い影が、その場から消えたのである。




