第二話-1 初めての依頼人と
細川の在籍する菅野台高等学校は、七月初めに期末試験が終わり、その後は二週間ほど、のんびりとした惰性の期間に入る。
授業は午前で終わり、午後は放課だ。生徒たちは部活動や趣味やアルバイトなど、各々の時間の使い方をする。細川の所属する化学同好会は、部費の都合もあり、活動はあまり行われていないのだが。
その結果、細川は避暑も兼ねて仮想空間にいることが多くなっていた。ここは気温が一定で天候の変化もないので、過ごしやすいのだ。夏に入ってから、彼はこうしていることが多い。
もともと怠惰な人間だし、わざわざ必要もないのに精力的に活動して汗を流そう、などという類の精神とは無縁なのだ。おかげで運動不足も甚だしいが、そんなことを今更気に掛ける彼ではない。魔法店にて、ラザムの傍でふよふよ浮かびながら読書に勤しむのみである。
飛行魔術に脳のリソースを割いていては、本の内容が頭に入ってこないのではないか、とラザムは言うが、細川は別に、そんなことは気にしていない。それというのも、足元に魔法陣を描いて、あとはそこに銀魔力経由で魔力を流し込んでいるだけなのだ。
魔法陣は魔術魔法を保存して使うのにも用いられる。魔術魔法に初めて触れて二か月未満という事実にのみ目を瞑れば、この活用法自体、何ら奇妙なものではない。
心地よい読書時間は、来客に気付いたラザムによって破られた。
「細川さん、お客様です」
一方の店主の反応は、甚だ不熱心だった。
「うん、もう少ししたらな」
「魔法店、始めようと言い出したのは細川さんですよね?」
「……やれやれ、仕方ない」
渋々といった様子で銀魔力で流し込んでいた魔力の流れを止め、細川はふわりと床に降り立った。そして、来客の姿を見て僅かに──本当に僅かに──目を見開いた。そこにいたのは、やや化粧をしているものの、彼の見知った相手だったからだ。
「どうして、あんたがここにいるんだ?」
魔法店を訪れていたのは、一人の少女だった。二年前、細川の通っていた中学校──相木田中学校の二年生だったとき、クラスメイトだった少女だ。他の少女たちのような派閥を作らなかったが、敵も作らず、最後まで中立を保っていた点で貴重な人物であった。
ただしその分、考えていることが読めない相手でもあった。
魔法店のソファにテーブルを挟んで向かい合って座り、ラザムが氷水の入ったガラスのコップを差し出す。大天使である彼女は身体の大きさを二通りに変えることができ、普段細川とともにいるときは、周囲に不審を抱かれぬよう、人間の大きさで生活している。とはいえその大きさはせいぜい六歳児相当なので、細川に妹がいないことを知られていると、どうしても不審には思われるようだ。
現在、彼の元クラスメイトの少女は、「あなた、彼とどういう関係?」とでも言いたそうな表情でラザムを見ている。もっとも、これはラザムが勝手に推測したものだ。細川がその視線に何を思っているか、それを推測できるほど、ラザムはまだ、細川との付き合いは長くない。
ただ、何か思っていたとしても、彼はその視線を完全に無視することにしたようだ。
「ラザム、こいつは……」
細川が紹介しようとしたのを、少女が遮って名乗る。
「私の名前は新島、そう呼んでね」
途端に細川は不審そうに顔を顰めるが、特に何も言わなかった。まあいいか、と軽く呟いて思考を切り替えるのみである。
「それで、新島、あんたはここに、一体何をしに来たんだ?」