第二話-2
「あれ、もしかして裕兄い?」
「……裕兄い?」
ある朝、零火とゆずなが学校へ向かっているときのこと。人通りの少ない道を二人で歩いていると、ゆずなが正面にいる人物に気付いた。彼女が言うところの裕兄い、細川裕その人だ。彼もまた高校へ向かう途中だったのか、学生服を着用している。その分、やっていることの落差が大き過ぎたが。
彼は小人にも見える黒い人影を締め上げ、その動きを封じて地面にねじ伏せるところだった。一見すると殺人現場、零火が、まずいもの見ちゃったな、と思うのも無理はないだろう。影は何やら抵抗を試みたらしいが、細川が何か呟くと同時、力をなくしてだらりと手足を投げ出す。細川は容赦なく、どこから取り出したとも思えぬ刃渡り一メートルもの氷剣で、影を突き刺し、とどめを刺した。血液やら体液やら、何かしらが飛び散りそうなものだが、その様子はない。ただ一瞬にして、そこにいる理由をなくしたかのように、ふっと消滅する──。
「……まったく、なんだこいつは。雑魚のくせにやたら抵抗しやがって」
しかも市街地で。零火達にしてみれば、なんだとはこちらの台詞だ。いつの間にか、氷剣も姿を消している。
やがて彼は、大きく息を吐いて立ち上がる。そしておもむろに後ろを振り返ると、
「見ていて面白いものではなかったはずだが?」
「面白いも何も、進行方向にいたから立ち止まらざるを得なかったんすよ!?」
零火が叫び、
「裕兄いのしてた事が、その、衝撃的で」
ゆずなも控えめに主張する。どちらも正論なのだが、細川は不思議そうに首を捻る。
「迂回すればいいだろう」
「そんな道ないっす!」
「水平方向になくとも、上がある」
「空なんて飛べる訳ないじゃないっすかあ!」
コントじみた会話だ。まさかこの男、世の中の全員が実は魔法が使えるとでも勘違いしているのではないだろうか。だとしたら、どうにかしてその誤解を解かなくてはならないが。
「だいたい、先輩だってラザムちゃんがいなかったら飛行魔術使えないじゃないっすか! 契約のせいだとは分かってますけど!」
「だから俺は、魔力を使わずに飛行魔法を使う方法を探っている。お前も風を扱うなら、空くらい飛べるようになっておけ」
「吹雪と風の魔法は別物っす!」
「吹雪から氷を分離できて、なぜ風はできない?」
細川は本気で不思議そうだ。自分がおかしなことを言っている自覚もないらしい。理由の一端は、雪女の能力がどんな原理によるものなのか知らないからかもしれないが。ちなみに零火も知らないので、責められることではない。
「どっちにしろ裕兄い、わたしたちも制服だから」
中学の制服はセーラー服。流石に飛行は色々な点で無理があるだろう。
なおも納得のいかない顔をしていたが、これ以上不毛な言い合いに付き合っている時間もないはずだ。伝令だと言って零火の服のポケットに紙切れを落とし、細川は去っていった。
その後学校に着いてゆずなとは別れ、荷物を置くと、零火は教室の隅に移動した。伝令と言って渡された紙を開き、中身を確認するためだ。記されていた文章は、次のようなものだった。
「『幻影』工作員が、下級悪魔を俺たちの周辺に追い込んでいる。数は総数三五。配分は俺が二五でお前が一〇だそうだ。通常の人間よりも小さい、黒い影を見つけ次第、春先に吹く北風のように斬り殺せ。容赦はするな。余計な手心を加えず、一時的に感情を殺して相対し、なおかつ可能な限り無関係な人間には気取られぬよう留意しろ。状況が悪くなったら身を引いて、空中に氷の華を作ること。『幻影』の工作員が、加勢してくれる手筈になっている」
さっきの黒い影は、下級悪魔だったようだ。彼はこれに従って、あれを斬り殺したらしい。
それにしても、「春先に吹く北風のように」とはなんだろう。全くなんの助けにもならない一文に、零火は微かに苛立ちを覚える。
下級悪魔は実験台にして、今日こそあの男を倒してやろう──彼女は、そんなことを思った。




