第一話-3
「キミには、銃の脅しは効かないみたいだね」
『白兎』は、細川に歩み寄りながら口を開いた。流石と言うべきか、彼女の長い髪は、歩いていても全く揺れていない。
「ええ、ボクには銃を無効化する手段がいくつかありますので」
はったりではなかった。実際のところ、彼が持ち合わせる銃無効化の手段はこれだけではない。様々な方法で、拳銃、対人狙撃銃、対物狙撃銃、散弾銃、それらの攻撃を無効化してしまうのだ。
一人称を変え、細川は答える。恐らく、相手は彼のことを値踏みしているだろう。銃弾を放ってきたのがその証拠だ。であれば彼もまた、相手を測るのだった。
「答え合わせです。コードネーム『白兎』、あなたはとある国、あるいは組織に所属するスパイで、堕天使に関する何らかの情報を持っている。こんなところでどうでしょう」
「素晴らしいわね。及第点よ」
それが答えだった。暗号は言葉遊びのようなもので、細川はそれを、完璧に読み解き、更には後方から飛来した銃弾から難なく身を守ったのだ。
「よくもまあ、弾丸を察知できたよね。キミも実は、スパイだったりする?」
「仮にそうだとして、易々と情報を渡すとでも?」
細川は、否定も肯定もしない。実態としては無論そんなものではないのだが、状況次第では似たようなものになり得るだろう。というかスパイが接触を図ってきた時点で、現にそうなりつつある。
「第四楽章『華嵐』一小節、神隠」
魔道交響曲は呼びかけが長くなる一方、場合によっては細川が何かをするまでもなく処理が済んでしまうこともある。そんな比較的軽い魔法の発動をまとめたのが『華嵐』であり、神隠は仮想空間の出入りだ。試作段階の『演算』では、一八項と指定されていたものである。
短く呼ぶと、細川と『白兎』の足元に、魔法陣が浮かび上がった。魔法力のひとつであるマナが流れ、二人は仮想空間に飛ばされる。ほとんど何もない、空っぽの空間。そこに存在するのは、細川の魔法店と精霊病院、それと一軒の屋敷だけだ。つまり、だだっ広い空間である。
「さあ、ここなら誰に構うこともない。ボクの実力を知りたいんでしょう? かかってきなよ、『因幡の素兎』さん」
挑発気味に言われ、『白兎』は一〇個同時に煙幕弾を投じる。それらは等しく細川を囲って炸裂し、辺りはもやに包まれるが──。
「なんだ、こんなもんか」
煙幕の中央から、そんな声が発せられる。『白兎』はそれに反応して、つい足を止めた。一瞬の出来事。しかし、戦闘において、一瞬の隙は命脈の裁ち鋏だ。
「ミル・グランデ。『絶零』四小節、荷電華」
強風が吹き、煙幕が一瞬で無効化された。二週間前にも使った、突風を起こす精霊術魔法だ。魔法力の一つであるマナを使い、精霊が使う。『白兎』に背を向けたまま、細川は魔道交響曲を使用する。
「チェックメイト。貴女はもう、そこから一歩もボクに近付けない」
直後、『白兎』を電流が捕らえた。身体に不快な電流が流れ、手足が脳の命令を受け付けなくなる。
「魔道交響曲第三楽章『槍精群』一小節、氷槍群。これで終わりですよ」
余裕の生まれた細川が、小節を指定した。呆然とする間もなく、『白兎』を取り囲むように、今度は氷の矢が降り注ぎ、彼女を閉じ込める氷の牢を作り出し、一発だけは彼女の拳銃を正確に撃ち抜いて地面に落とした。そこでやっと、細川は後ろを振り返る。
「さて、見ての通りです」
彼はフードとマスクを外しながら言った。ついでに、前髪も向きをずらし、肉眼の視界を解放する。
「少なくとも、手を抜いてやったのでは、あなたはボクに勝てない。ボクは手を抜きましたが、それはあなたを殺しかねないから。契約精霊にも力を借りればよかったのに」
「どうして、私が精霊と契約をしていると知っている……? 『影兎』も、それを知ったのはキミに尋問された後のはず……」
「ええ、ご安心ください。彼女は伝言屋として、悪くない方です。あなたについて、『影兎』が余計なことを語ることはなかった」
「だったらどうして?」
「ま、いいでしょう。誰にも明かしていないことですが、今回は教えて差し上げます。──つまりこういうことです」
細川が左腕を振るうと、彼の周囲を規則正しく取り囲む、赤い光点が八つ、出現した。それは、『彼ら』が微精霊であることの証左に他ならない。
「つまりこういうことです。ボクには、死角がない。これがあなたの敗因であり、ボクの勝因です」
それはあまりにも現実離れして、一周まわって馬鹿馬鹿しさすら覚える結論だった。




