第一話-1 宣戦布告
とにかく暴れまくる二正面戦争、開戦します。
成瀬七実は、廊下でとある人物を探していた。明るめの茶髪に、灰色の瞳をした少女だ。眼鏡をかけ、華奢な背中にはゆらりとまとめたポニーテールが、周囲を見渡して首を回すたび、左右に大きく揺れている。
探しているのは、在籍する菅野台高校で同学年の、二週間ほど前にある事情で接触した男だ。そのときはかなりの規格外さに呆れたものだが、休み時間毎に廊下へ出ても、今度は一向に出くわす気配がない。一人の人物から重要な──多分、それなりに重要な──伝言を頼まれているのだが、自分の運がないのか、相手が上手く隠れているのか、はたまたその両方なのか。
恋人には「面倒ごとは基本的に嫌うはずの奴だ」と聞かされているから、もしや避けられているのだろうか。その恋人も、探し人と同じクラスのはずだから、見つからないのはなにか理由があると思うのだが。しかし、それでは困るのだ。
探している男の友人でもある恋人に、その男の連絡先を教えてもらうことも考えたのだが、関係性をあまり詳しく話せない以上、それも憚られる。この案は結局、三秒で断念した。諦めはそこそこ早い方だ。さて、どうしたものかと頭をひねっていると。
「あ……!」
ちょうど正面から、目的の人物と成瀬の恋人(まだちょっと照れくさい)が、話しながら歩いてくるのが見えた。向かってきた方向には階段があり、手にはスケッチブックと筆記用具。美術科の移動教室があったようだ。なるほど、一般教室の周囲をうろついていても、見つかるわけがない。
「ああ、誰かと思えば、『白兎』の手先か。じゃあ立花、俺は先に行ってるから」
成瀬を一目見て、何か(多分盛大に間違えている)を察したらしい彼は、すたすたと立ち去った。後には、彼女と、彼女の恋人が残される。
「おい、待てっての、白々しい演出するんじゃねえ! ……白兎ってなんだよ」
間違っても答える訳にはいかない。
取り残された恋人はかなり照れながら挨拶したが、
「残念ながら、あたしの用があったのは、あっちなんだよね……」
斬首でもされた気分になったようだ。微苦笑しながら放たれた不意打ちの一言に、彼は首筋を押さえて項垂れる。
「ねえ、勝哉。細川に伝えてくれる? 昼休みに、人気のない場所……うん、南棟の屋上に来るようにって」
「…………わかった」
「ごめんね、伝言なんだけど、あまり人に聞かれちゃいけないからさ。ほら、彼何でも屋とかやってるし、その関係で」
「分かってるから! そんな言い訳みたいにまくし立てるなっての。疑うわけないだろ」
「ありがとう。勝哉とはその後でね」
先に惚れたのは、成瀬の方だったはずだ。だが今は、どちらがより相手を想っているのか、それは当人にも分からないし、意識する必要のないことだった。
「……悪いな、つい余計な気を利かせすぎた」
ばつの悪い顔でこめかみを掻きながら、その男──細川裕は屋上の人物に声をかけた。一年近く切っていない野暮ったい黒髪とダークブラウンの瞳、身長は平均そのものでありつつ肉付きは良くない、無気力そうな男だ。
待ち合わせた相手は、屋上の扉からやや離れた位置に、体の前で手を重ねて立っていた。髪の風に靡くがままに任せたその後ろ姿は、やたら絵になるように見える。友人、立花勝哉の恋人、成瀬七実だ。
「安心したような顔してたから、てっきり、移動教室の彼氏が浮気してないか心配してたのかと」
「そんな余計な心配するわけないでしょーが。こっちは休み時間三個も使って、やっと伝言しなきゃいけない相手見つけたんだよ? 安心くらいするよ」
「中学時代、恋人に浮気された奴の伝説を聞いたことがある」
「……それより勝哉、余計なこと言ってなかった?」
さりげなく強引に、成瀬は話を逸らした。
「聞いてもいない惚気話を原稿用紙二枚分喋ったところで黙らせた。傷物にはしていないから、後で叱っておいてくれ」
「……分かった」
「なんだ、今の間は」
顔色を見れば、大体のことはわかった。人の感情の機微に疎い細川ですら迷わないほど分かりやすいが、その恋心は恋人の前でのみ見せて良いものではないだろうか。
「魔道交響曲第二楽章『絶零』二小節、風打」
細川が呼びかけるように唱えると、周囲の雑音の一切が消えた。魔道交響曲は、細川が契約する精霊たちとともに構築する、既存のどの種類の魔法──魔術魔法や精霊術魔法や呪術魔法──とも異なる体系の魔法だ。発動する魔法の処理を分割できるので、負担を軽減しつつ、より複雑な魔法の発動をより強力にできる利点がある。
分類によって楽章を分けることで、種類を取り違えないようにできる。絶零は結界に関わる楽章で、風打は空気の流れを操り、遮音膜の役割をさせる魔法である。
「さて、外部からの音は遮断した。要件を聞かせてもらおうか」
成瀬は表情を切りかえた。一人の女子高生の表情から、一人の『協力者』の表情に、である。
「伝言屋『影兎』、『白兎』からの言葉を預かっています」
「ほう?」
──聞かされた内容は、一見するとふざけた単語の羅列だ。常人ならば、怒ってその場を後にするだろう。
だが、細川はそうではない。暗号だということがわかっていたし、そもそもこの手の言葉遊びは、彼の領分だ。
「了解した。ちなみに、貴女はその言葉の意味をご存知か?」
「いいえ。情報流出を避けるため、何も。考察もしておりません。──貴方は?」
「ああ、それは勿論──」
愚問だ。
「理解した。その話、俺が……いや、ボクは乗ってみるとしよう」
「……! 了解です」
一瞬で理解したことを驚かれたようだ。だが相手がなんなのかは分かりやすすぎるし、それが分かれば、場所と時間も問題なく考察できる。最大限妥協したのだろう。空は快晴、雷を落としたくなるな、と思いながら、細川は本来出入りを禁じられている屋上を立ち去った。
魔道交響曲、未改稿版では『コード』と呼ばれていました。




