第八話-6
午後八時、洋風レストラン『龍神』。どちらかというと東洋の料理店に聞こえる名前の店が、待ち合わせに指定された場所だった。四人まで入れる個室が複数あり、また集団客も入れる会場も設置された、多目的な飲食店だ。
「それで、彼に全部話しちゃったのかい? 洗いざらいぜーぇんぶ?」
「……申し訳ありません」
正面で優雅にティーカップを傾ける女性に、成瀬は肩を落として頭を下げた。彼女を拳銃で脅してきた女だ。細川の友人、立花勝哉に向いた恋心を利用され、『最強の魔法使い』への接触を強いられた。成瀬は、一体いつ撃たれるのかと、内心怯えている。
冷たい汗が流れ、それと気づかれないよう、彼女はより深く頭を下げた。額がテーブルの上にあったコップにぶつかり、中の水をこぼす。
この女性の正体を、成瀬は知らない。知っているのは『白兎』というコードネームと、レッグホルスターに拳銃があること。他には誰でもわかる、外見的特徴がいくつか。身長と体型は平均的、顔立ちは結構いい方、恐らく若い。長い黒髪は手入れが行き届いている、など。
「そう怯えなくていい」
報告を吟味していたらしい『白兎』が、そう言って声をかけた。怯えているのは誰のせいだ、と言いたい気持ちを堪え、成瀬はゆるゆると顔を上げる。なるほど途中で音声が切れたのはそういうことか、と呟いたのが聞こえた。
「今のキミは、嘘を言っていなかった。この子に確かめてもらったからね」
「──!! 『白兎』さんも精霊を?」
精霊を従えているのなんて、あの規格外な男だけだと思っていた成瀬は、つい面食らってしまう。『白兎』は、穏やかな表情で右肩の上を示していた。そこには、赤い光を発する点が浮かんでいる。
「私はどうやら、精霊との相性があまり良くないみたいでね、この子だけだよ。微精霊一体が限界」
「そこだけ切りとってもあの男、常識外の人間ですね……!」
改めて、細川裕という人物の異常さを思い知った。ただの人間でないことは立場や『白兎』の話からなんとなく察してはいたが、あれは一体何なのだろう。
「まあ、今回のことは私の大きな誤算、言ってしまえばあるべくしてあった失敗だよ。安心していい。私はキミがこのことを口外しない限り、キミを口封じに殺すことはないし、もちろんキミの恋人くんにも手を出さない。私の精霊と、この命にかけて誓おう。もっとも、条件を外れれば話は別だが」
「……ありがとうございます」
『キミの恋人くん』と言われて成瀬はやや顔を赤らめたが、反論することはなかった。それがいかなる意味を持つのか、それを記すのは無粋というものだ。一つ確かなのは、成瀬の鞄には、既に小箱は入っていないということだろうか。
「ところでさっきの情報だけど」
「な、なにか……?」
「……そう身構えないでくれるかな。キミを殺すことは、既に私にとって自殺行為だよ」
だから誰のせいでこうなってると思ってるんだと、そう言いたいのを再度堪え、成瀬は椅子に座り直す。苦笑されたのが腑に落ちない。
「あの魔法使いが言ったって言うセリフ、個人的にちょっと気になるところがあってね。ほら、『蝋燭の火はケーキを焼けない』ってやつ」
「ああ、それのことですか。実は私にも意味はさっぱりで」
「私も確証はないよ。だけど、多分ダブルミーニングだろうね」
「ダブル?」
「そう、ダブルミーニング。私の仮説だけど、一つ目の意味は力不足。あるいは手が届かない、とか。彼、探し物は得意じゃないって言ってたんでしょう?」
「ああ、確かに……」
「で、二つ目。多分込めた意味はこっちの方が比重が大きかっただろうね。──探し物は、すぐそばにある、と」
はっとした。成瀬は、細川が小箱の存在に気付いたのは、ただの推測だと思っていた。不信感を突き詰めていった結果、置き引きはただの狂言で、実際には鞄の中に隠し持っているだけなのだと、そう解釈していた。しかし、それよりも前に気づいて、わざと探し物をしているふりをしていたとすればどういうことか。推測に基づき、何らかの方法で確信を得たのだ。それこそ超常的な能力──まさしく、魔法と表現するにふさわしい。
探し物は得意じゃない。探し物はすぐそばにある。
蝋燭の火は弱すぎて、ケーキを焼くには火力不足。
ケーキに立てられた蝋燭は、火をケーキに届けることはできない。言い換えて──灯台下暗し。
ふたつを合わせて、細川裕は、『蝋燭の火はケーキを焼けない』と表現した。最初からわかっていたのだ。
「あくまでも私の仮説だよ。でもこれが本当なら──」
『白兎』は、席を立った。帰るつもりらしい。
「あれはとんでもない人間だ。天才だよ。こことは住むための場所が違う」
成瀬は息を飲んだまま、しばらくその場を動くことができなかった。これが何か、大きな意味を持つのだと、そう直感して。




