第六話-10
嫌がる細川を半ば無理やり同行させ、零火は屋敷のトイレに向かった。途中何度、
「本当に亡霊がいたんすよ」
と強調したことか。そして同じく、
「なぜ俺がこんなことを」
細川も同じ頻度で何度も呟いていた。
「行くなら行くでそれでも構わん。だが、早くしてくれ。これから俺は寝るところだったんだからな。三分以内に出てこないと──」
「出ないと?」
「羊を数え始める」
「そこで寝るのはやめてください! 恥ずかしいから!」
「まずは異性をトイレに同行させるこの状況を恥ずかしがるべきだろう」
ドア一枚挟んでそんなコントじみたことを言い合う。細川は別に、ふざけているのでも楽しんでいるのでもない。零火の意識を亡霊からそらすための、これは彼なりの気遣いなのだ。その気遣いが、あまりにも下手すぎるのが大問題だったが。
とはいえ、そんな会話の傍ら、細川は思考を進めていた。新築同様の屋敷、しかも人の出入りが極端に少ない仮想空間の屋敷に、亡霊なんぞ湧いて出るとも思えないのだが、一体零火は、何を見間違えたのだろう。夢と現実をごちゃまぜにしているのではないだろうか。
そういえば、『不運の騎士』でも似たような状況があったなと細川は思い出す。かなり初期の、第三巻あたりだったはずだと記憶している。あの時は確か、霊は霊でもその正体が───。
「ああ、そういうことか。ようやく理解した。なるほどな」
思えば、青白い光ではなく、青い光と聞いた時点でまず察するべきだったのだろう。分かってしまえばどうということはない。少し話をする必要はありそうだが、本当に大したことではないのだ。言ってしまえばこれは事故、細川はそんなふうに納得してペンダントを握ったのだが、
「亡霊、いないっすよね? 出て平気っすよね?」
「…………」
「あの、不安になるから黙るのやめて欲しいんすけど」
「……羊が一匹」
「数えないで! そこで寝ないで! 大丈夫なんですよね? 出ますよ──」
零火は、怯えた声で話しかけてくる。彼女は、亡霊の正体に気づいていないようだ。まあ無理もないだろう。そして、出てきた途端廊下の細川を見て絶叫した。
それはなるほど、異様な光景だ。壁に背を預け、片膝を立てて座り込む細川。春から切っていない特徴的な前髪で顔は見えず、手は力を抜かれたように膝の上に投げ出されている。そして何より、彼を取り囲むように浮かぶいくつもの青い点。間違いなく、零火が見たはずの、「亡霊」だ。それを見た彼女は、腰を抜かして床にへたり込む。これはもう、細川が亡霊に魂を食われたようにしか見えない。そのまま瞬きも忘れ、永遠にも思える一〇秒が経過。
──元からその場にいなかったかのように、青い光が消えた。同時に、細川が顔を上げる。
「……すまない。お前が見た亡霊は、俺の契約精霊だったようだ。勝手に家の中を動き回っていたようでね、今、人のいる部屋には勝手に入らないよう話をしたところだ。もう同じことはしないはずだから、安心して眠ってくれていい」
「……」
「うん、何か言ったか?」
「先輩の、馬鹿!」
硬直を解かれた零火が、思いっ切り細川に殴りかかった。これは襲撃ではなくただの怒りである、と細川が認識したため、契約違反の判定はなかった。




