第五話-3
平井柚那が家族と登った山で雪崩に巻き込まれたのは、言ってしまえば事故でしかなかった。しかしそれでも、ひとつの命は失われたのである。
姉と両親、他の登山客は逃げ延びたが、柚那は彼らに比べて体力が少なく、途中で息を切らして雪崩に埋もれた。
右も左も、前も後ろも、上も下も分からない。パニックになることはなかった。ただただ、怖い。息ができない。そのまま動けず、彼女は恐怖と暗闇の中で命を落とした。八歳の、命日一二月一〇日のことである。
冥府やらなんやらの行き方も知らず、八歳という幼さで多くの未練を残した柚那は、幽霊として現世に留まった。しかし、それはそのまま未練の履行に繋がることを意味しない。むしろ、状況は極めて悪かったとさえいえる。
その最たるものが、幽霊であることの弊害か、誰も柚那を認識できなくなっていたことだった。柚那が話しかけても、全員が、「誰か知らない子どもが声をかけてきた」という反応をするのである。遺体と霊体、それが同時に存在することが許されなかったのだろうか。理由は分からない。
実体を消し、霊体として雪を抜けた柚那は、まず両親に会った。判断そのものは当然だ。しかし、両親に認識されないとなると、希望は無きに等しい。いつの間にか姿の見えなくなっていた姉のことは、正直頭になかった。誰か自分を認識できないのか──期待はその場で、ものの見事に潰えたと言っていい。掘り起こされた遺体を母親が泣きながら運び、それについて行く形で、柚那も山を降りた。
自分の葬式には、姿を消して忍び込んだ。足音も気配もなく、霊体はつまみ食いとかに向いてそうだ、という場違いな感慨を得た。
葬式は、即ち父親に対する信頼をなくす場だ。世の真っ当な人間であればまた違うのかもしれないが、少なくともこの段階で、柚那にとってはそうだった。
当たり前だろう。本人がいる前で学校の友人達や教師陣に向かって、
「参列してくれてあの子も喜ぶだろう」
などという発言、死者と言葉を交わせない生者が口にするのは傲慢が過ぎるというものだ。正気ではない。本人の意識は目の前にあるというのに、それを知らないにしても勝手が過ぎる。もう二度と、この男の前には化けても出てやらないと、柚那は静かに決めた。
葬式に参加していた僧侶が、柚那に気づいたようだ。何らかの勘が働いたのだろうか。式が終わって会場を出たところで、僧侶は柚那についてきた。柚那が走ると、僧侶も走った。身の危険を感じるとは、まさにこのことだ。その日は何とか逃げ切り、姿を消した上で、河川敷の橋の下で眠った。
翌日も行く当てなく街を彷徨っていると、僧侶が現れ追われた。柚那はまず、得体の知れない僧侶から逃げることに専念せねばならなかった。僧侶は、日に日に数を増して柚那を追った。ここまで来ると、もはや変質者の域である。怪しい宗教か。……謝罪しよう、仏教はまともな部類の宗教だった。しかし、彼らの(恐らくは)危険性が薄れるわけではない。むしろ常人とは些か異なった思考をする存在が宗教信者というものであるため、どう足掻いても読み切れない思考が危険度を増しているともいえるだろう。
そんな日々を繰り返して五日ほど経過しただろうか。雨の中を逃げ回っていると、なにか固いものに衝突したのだ。見上げてみると、傘を指していないのに雨に濡れない、上着の中に狸を入れている、奇妙な若い男だ。正確に言えば、ぶつかったものは彼の結界らしい。色々と突っ込みたいところが多すぎて、狸と会話していることについては最早なんとも言えない。
そして言い放たれた衝撃の一言──。
「君は、つい先週冬山で雪崩に巻き込まれた、平井柚那だね?」
まったく、この男は何なのだろう。




