第四話-1 狸の大精霊
一〇月も終わりに近づくころ、細川が読んでいる長編ファンタジー小説『不運の騎士』の、第一三巻が発売された。細川が魔力使用者になった日、アニメ版をオンライン配信で見ていた作品だ。
細川はSNSの類を一切やっていないので、定期的に店頭に赴いて確認するのだが、『不運の騎士』のような発売時期が規則的な作品は、なんとなくいつ発売されるか見当がつく。細川は大手出版社の新刊発売日は大体把握しているので、その日に合わせて書店に立ち寄ることが多い。
この作品は約五ヶ月置きに発売されるのが常であり、今回もまた、その習慣に沿って発売されている。周囲にこの趣味を共有している友人もいないので、普段ならば一人で買って帰るところだ。
しかし、今はそうでもなかった。
「あっ、『不運の騎士』最新刊が出てますよ!」
細川の傍付きの大天使、ラザムである。細川があまり用事に駆り出すことがないせいか、暇を持て余していたらしい彼女に蔵書を渡してみたのだが、これがかなり気に入ったらしく、あっという間に『不運の騎士』を全巻履修してしまった。
学校に行っている細川は読めても一日一冊だが、ラザムは細川の不在時はすることがない上に、また夜間細川が眠っている間も(一週間に一日を除き)ラザムは起きてるので、一日に六冊以上読み進められてしまうのだ。ラザムが『不運の騎士』を制覇するのにかかった時間は、たったの二日間だった。なかなかの集中力である。
「そろそろだとは思っていたが、やはりあったな。これは買っていこう」
細川は抱えていた他の本の山に『不運の騎士』最新刊を積むと、それらを持って会計に向かった。
『不運の騎士』はもともとはインターネット上の小説投稿サイトである、『小説家の卵』に連載されていた作品だ。現在も更新自体は続いているが、細川たちは挿絵付きの書籍版を愛読している。
書籍化したのは約六年前、『小説家の卵』サイト上で行われていた天川文庫のコンテストにおいて、優秀賞を獲得したからであり、約一年前、第一一巻が発売されたころにはテレビアニメにもなって放送されていた。一時は記録的な人気を誇ったが、熱しやすく冷めやすい、空気のような現代人にはすぐに忘れ去られたらしい。今となっては細川以下少数の物好きな読者が、細々と読んでいるくらいである。投稿サイトでのブックマーク数も、大きな変動があったようだ。
魔力使用者になったばかりの頃の細川は気にも留めなかったが、四ヶ月が経過すると、ふと細川は、ある点に疑問を持った。
「そういえばラザム……」
書店からの帰り道、兄妹のように歩道を並んで歩きながら、細川が問う。人間大の少女の姿をしているとき、ラザムは裕子に渡された細川の幼少期の服を着ているので、実際ラザムは細川の妹として通じるかもしれない。
「俺たちの使う魔術魔法で、詠唱はしないだろう? あれは創作物にしかないものなのか?」
それに対し、ラザムの返答はどこかずれていた。
「魔術魔法ですからね」
「うん?」
「私も魔法が登場する作品はいくつか読みましたが、詠唱の効果って、魔法の発動を安定させるとか、使用魔力を抑えるとか、そういう効果があると説明されているものが多いじゃないですか」
「そうだな、そんな効果が多い印象だ」
「私たちが使う魔術魔法だと、その役割を担っているのは魔法陣です」
「……そういえばそうだったな」
魔法陣は。第二世界空間──日本人から見れば異世界──の魔術師が発見した、『同心円状の魔力作用に関する法則(通称、魔法陣の法則)』という法則によって証明されている。発見されたのは六百年前で、それ以前は、たとえば転移魔術などの複雑な魔術でさえ、魔法陣を使用せずに発動させなければならなかったのだという。
その魔法陣の法則では、魔術魔法にはそれぞれ異なる魔力の流れがあり、その流れ方は中心点を等しくする複数の円の上に描くことができる、という性質が示されている。これは魔術魔法にとって大きな革命で、これを境に、魔術魔法は飛躍的に発展した。
「ということは、実際の魔法では詠唱は行うことはないのか」
「いえ、実はそうではありませんよ」
魔法店に帰着し、ラザムは説明を始めた。
実は第一話時点から、ラザムは細川の服を着てます。




