72.
カイが今のアパートに決めた理由はいくつかあるが、一番の決め手は大家である。
「苦情が来てるんだよ、朝晩問わず騒がしいってね。できれば、歩くにしろ物を扱うにしろ、もう少し周りに気を使ってくれないかい?」
「えー、そんなぁ。私達静かにしてますよぅ。隣の人なんじゃないですかぁ」
「違うね、此処で間違いない。今までこんな苦情は出なかったんだよ。今回入ってきたの、あんたらだけだから」
「えー、言いがかりだよぅ。ねー、私達うるさいって思われてるんだってー」
甘えた声が奥へ向けられると、億劫そうに人影が動き玄関へやってくる。
大柄な男だ。大家は無表情を向けた。
「確か、パーティで借りてたね。あんたがリーダー?」
「あぁ、俺はダスティ。これでもCランク冒険者よ」
「あぁそう。居るなら最初から出てきなさいな。聞こえてたろ?これからは……」
「うっせーな、金は払ってんだからいいだろうが」
ランクを聞いても、大家に動じた様子は無い。ダスティはあからさまに舌打ち。分かりやすい程態度を変え、脅しをかける。
「ふた月分、前払いしたろーが。ちゃんと手続き踏んで住んでやってんのに、俺らだけ文句言われんのはおかしーだろ」
「あ?」
「メンドクセーけど、謝りゃいいんだろ?その苦情言ってきたヤツって誰だよ?会ってやるよ、連れてこいおばさん」
「あ?」
類は友を呼ぶ。奥に居る面々も、卑下た笑みを張り付け大家を見、ダスティに隠れていた女もにたりと笑う。彼等のこの態度。恐らくは、これでまかり通ってきたのだろう。大柄で迫力のある面々だ、常人なら危険を感じ退いてしまう。
そう、相手が常人なら。
「おぶぅっっ??!」
「っきゃあぁぁぁ??!?!」
ダスティが飛んだ。比喩でもなんでもなく、飛んだ。そしてもれなく女も巻き込まれた。
盛大な音を立て、二人は廊下に激突。動かなくなった。
それを冷めた目で見下ろす大家は、手をぶらぶら振っている。
「何すんだババアぼぎゃん!!?」
「私はババアじゃなくて大家ね?大家はね、アパートの平穏を守るのが仕事なの。だからね、些細な苦情も見逃せないのよ。一回見逃したら、あんた達のような奴等を野放しにすると同じだからね」
捕まった男がアイアンクローを決められ、泡を吹いて意識を飛ばしかけている。
「金払ってんのはみんな同じなのよ。家賃滞納せずに、毎月払ってくれてるよ?なのにあんたら何?自分等だけ特別だと言いたいの?家賃さえ払っとけば、廊下で馬鹿騒ぎしようが壁殴ってへこませようが鍵落としただと叫んでぶっ壊して済ませても、いいわけ?ん?」
奥の仲間達は何もできない。ただ震えている。動いたら、やられる……!
ガクリと動かなくなった男を、大家は徐に捨てた。
「二週間。今言った事、二週間でやらかしたのよあんたらは。もう全世界の大家に喧嘩売ったとしか思えない最速の所業じゃないの。私は大家代表として、今此処で、あんたらを、ツブス」
大家の堅気じゃない覇気と真顔に、冒険者達の震えは止まらない。逃げられない。
とあるアパートの一室からの悲鳴は、しばらく続いた……。
「……てな事があった、いわくつきのアパートだがよ。住めば都だぜ。ただ、大家さんには逆らうな。絶対にだ。あの人、自分は堅気だと言ってるが絶対堅気じゃねーから。すげぇ頼りになる大家さんだけど絶対堅気じゃねーから」
「へー」
顔半分だけ出して大家について語る強面隣人。カイはセキュリティ面を考慮し、即決した。
…ファスは今日も台所に立っている。窓から見える、住宅街の景色は白い。夜の内に、また降ったようだ。
昨日より一段と冷え、カイは防寒着を着込んで出掛けて行った。
「なぅ」
「んーにゃにゃ」
はやてとソラが、暖炉調節をしてくれている。火が大きくなり過ぎないよう、けれど消えないように。
少し肌寒いが、今は暖か過ぎてもダメなのだ。二人に御礼を告げ、ファスは腕まくり。パクたちもボウルの前で、お手伝い準備万端だ。
「よし、パイ生地作ろう」
「にゃあ!」
「大家さん、喜んでくれるかな」
「にゃんにゃ、にぃ!」
このアパート、実はペットは要相談だったとカイから聞いたのだ。それは彼が掛け合ってくれ、許可は下りているらしいのだが。
それを知らずにいたファスは、挨拶だけで御礼を言っていないと気付いた。とはいえ、今回で二度目。御礼を言うにしろ、手土産はあった方がいいかも。と、パクたちと相談し、運びやすいミートパイを選んだ。パイはパクたちも大好きなので、一緒に夕飯分も作るつもりである。
「ぶに、ぶにゃにゃ」
「にゃむむぅ!」
「そうだね、昨日のシチュー入れちゃおう。生地を作って、終わったら具を作って、それから……」
冒険者ギルド。今日は別の意味で騒がしかった。
今日は市場が開かれる、数少ない日。足りなくなった食材等を手に入れる絶好の機会、逃す訳にはいかないマスターが荷物持ちを捕まえていたからだ。
何で俺らがお前ら毎日来てるだろうが作れねーんだから仕方ないだろだったら手伝いくらいしろや飲ーみーたーいーさっさと終わらせようぜ肉肉肉肉肉野菜食え野菜やかましい行くぞ野郎共云々。
「今日はパイ作るって言ってたな」
「っ中身はっ?!」
「ミートパイ、ポテトパイ、だったかな」
「うらら、よだれ」
想像でおいしいと確信できたのか、腹の虫を鳴らす紅一点。行きたいと目が言っている。
「依頼が無いなら、市場に寄ってみるか。ファスは何か言ってなかったか?足りないものとか」
「お前も来る気かよトオヤ。……いや、特に何も。多分、充分過ごせるようにしてるんだと思う」
本来なら、山で巣ごもり予定だった。そのつもりで準備していたのなら、パクたちの為と備えは万全だろう。その上、三人からの食材提供分もある。
ちょっと贅沢な気分です、と頬を染めて笑うファスはめちゃくちゃ可愛かった。と、カイは思い返しながら頷く。
「早く行こうよ!数が少ないから、すぐ無くなっちゃうし!」
「そだな…行ってみるか。期待してるとこ悪いがうらら、パイは少ないと思うぞ」
「えっ」
うららの顔が絶望に染まる。
「たくさん……食べたい…、絶対、おいしい……」
「いや、作るのは大家に渡す為だからな?それにパクたちの好物らしいから、そっちが優先だろうが」
「大家に?あぁ、世話になってる御礼、か」
ファスらしい。それはよくよく分かったが、その分、減る。けれど此方は食べさせてもらう身。可愛いモフモフ優先も分かる。うららは歯を食いしばって、耐えた。あまり見ない面白い顔になっている。
そんなにか、と男二人はしばらく、うららの百面相を眺めていた。
「苦情が来てるんだよ」
「えっ……」
ファスはぴしりと固まった。気付かぬ内に、うるさくしてしまったのだろうか…。
しかし目の前に立つ大家の表情は、怒っているというより面白がっている様子だ。
「いい匂い過ぎるってさ。そりゃ言い掛かりだと言っといたよ。でもほんといい匂いだねぇ、邪魔して悪いけど何作ってたんだい?」
「え、その……パイを…、」
パクたちは寝室に隠れている。それを確認すると、ファスは焼き立てのパイを持って行く。おいしそうだね!と声を弾ませている姿に、良かったと心の中で安堵する。
「あの…これ、大家さんにと思って作ったんです。お世話になっているので…、良かったら食べてください」
「い、いいのかい?今時分、貴重な食べ物だし、せっかく作ったものを…」
「はい、勿論です。味は、ちゃんと味見したので大丈夫だと思います。その、カイから聞きました。パクたちの事、許可してくれてありがとうございます。これはその御礼です」
大家は一瞬首を傾げたが、廊下の奥にちょこんと顔を出している、黒毛の多い白黒猫を見つけ、あぁと頷く。
確かにペットは要相談だが、事前に申告してきたし苦情も出ていない。気にしなくてもいいのにと思いはしたが、突き返すのは違うだろう。それに抗い難い、おいしそうな匂い。大家は有難く頂戴した。
ファスのホッとした表情に、大家は笑う。
「旦那も喜ぶよ、楽しみだ。中身はなんだい?」
「ミートパイです。苦手ではないですか?ポテトもありますけど…」
「いいや、俄然楽しみになった。ありがとね」
皿と布巾は後で返すよと、大家は手を振り去っていく。ファスはその頼もしい後ろ姿に、頭を下げて見送った。
「おや、カイ君じゃないか。おかえり」
「どうも。それ、もしかして」
「あぁ、さっき頂いたんだ。ファス君、いい子だねぇ。大事にしなよ、色男」
「言われなくとも」
「はは、頼もしいこった。じゃあね」
カイは軽く会釈をし、見送る。トオヤとうららもそれに倣う。
迫力ある大家さんだなぁ、とはうららだ。
「只者じゃなさそうだな…」
「本人は堅気って言い張ってるけどな」
「違うよねぇ。……はっ!!それより行こうよ、お腹空いたよ!」
「へいへい」
……王都、とある一角のアパートの大家さん。
彼女の名はマリア。元傭兵である。現役時代の二つ名は、『剛腕のマリア』
その実力は、冒険者でいうならばSランク相当であったという。そんな彼女はある時あっさりと傭兵を辞めた。理由は、
「運命の人に出会ったのさ!!」
……彼女は現在、その運命の人と夫婦となり幸せに暮らしている。
最強大家として実力を遺憾なく発揮しながら……。
アパートのセキュリティは万全です




