45.
カラカラ、カラカラ。
小さな台所で、ファスはお豆を煎っていた。巣の中は、ほんのり香ばしい匂いが漂う。本を読んでいたパクたちは鼻を動かし、顔を上げた。
今日は生憎の天気。しとしとと降り続ける雨で、外には出られないので薬草採りは休み。みんなでのんびりまったりと過ごしている。
ファスは、おだしを作ることにしたようだ。朝ごはんが終わってからも、ずっと台所に居る。
おだしは、ごはんを美味しくしてくれる大事なモノだという。なのでファスはいつも、集中して取り組んでいた。お豆以外にも、きのこや野菜を干したモノからも、おだしを作る。そのまま使ったり、色々合わせて使う時も。味見できるかな、とパクたちは本を閉じて台所へ。丁度、煎り終わってお湯に入れた後のようだ。
「にゃーあ?」
「あ、みんな。お豆はまだだけど、野菜ときのこ、味見してくれるかな」
「にぃ!」
パクたちが大きく頷くと、ファスは小皿によそっていく。
「にゃむ、にゃむにゃー?」
「ダイチとソラは?」
「なぁう、にゃ」
ふたりは外で、花の手入れをしている。オネムが呼びに行けば、すぐにやって来た。毛皮は濡れ、手足には土がついたまま。濡れるのも構わず、頑張っていたようだ。
「待ってね、先に洗おう」
ファスは手早くふたりの手足を洗い、暖炉前で温めておいたタオルで拭いていく。お疲れ様、と労うのも忘れない。春とはいえ、今日のような天気の日は肌寒い。パクはおだしを勧めた。
「ぶにゃ…!」
「んにゃー…!」
温かくて優しい味は、丁度良かったようだ。刺激されたか、空腹を訴えるように、ファスを見上げるふたり。お昼は、朝に作っておいたおむすび。野菜のスープをささっと作り、お皿によそえば、テーブルにあったかごはんが広がった。全員の目が輝く。
「スープはおかわり、あるからね」
「にゃあ!にゃにゃにゃあ!」
「それと…こうして、食べてもおいしいと思う」
ちょっとお行儀悪いけど。と、おむすびをスープの中へ。それをほぐしてファスはぱくりと口へ。
うん、と頷くファスを見て、パクたちも続く。具が入っていない、塩おむすびを選んで……ぱくり。
「にゃああぁぁぁぁ…!」
おかゆとはまた違う食感と味に、ゴロゴロが止まらない。パクたちはあっという間に完食してしまった。
片付けを終え、食後のお茶を配るファスは嬉しそうに微笑んだ。
「お花見にも、スープ持っていこうか」
「にゃあ、にゃーにゃあ」
明後日、みんなでお花見をする予定だ。山のあちこちで、春を喜ぶように花が顔を見せている。中でも楽しみなのが、さくら。ポツンと一本だけあったのを見つけ、今年は此処でとみんなで決めていたのだ。
お弁当にお茶、お菓子も準備して。携帯用の道具を持って、その場で作るのもいいかもしれない。少し荷物は多くなってしまうが。
「んにー、にゃ?」
「そうだね…カイ達まだ、帰ってきてないのかなぁ」
「んにゃ、にゃにゃあ」
「うん。育てた花も、見てもらおうね」
ソラが中心となり、みんなで育てていた花が、ようやく咲いたのだ。可愛らしい白や黄色が、入口横にある。
ソラは毎日見守り、世話をしていた。時折、自分の力を使って弱らないようにも。努力の甲斐あって、見事咲かせたのである。毒を持っているとは思えない程、可憐な姿だ。
「んにゃあ、にー!」
花は見るヒトを元気にしてくれるから!と頷くソラは、花束を貰えたのが余程嬉しかったようで、ずっとお返しがしたいと考えていたらしい。さくらと一緒に、手ずから育てた花も見て欲しいと頑張っていた。
…お花見には三人も誘ったのだが、急遽依頼が入り、留守なのだ。間に合うように絶対戻ると、異様な空気を纏ったまま、早足で出掛けた三人を見送ったのが、七日前。
「……無事に帰ってきて欲しいな」
「にゃ!」
「うん、きっと大丈夫だよね」
必ず戻る、と頷くはパクたちだ。ファスからの誘いを、あの男が無下にする訳がない。
それに何気に、初めてのお誘い。ありとあらゆる可能性を排除し、何が何でも参加するだろう。あの気迫なら、魔物も怯えて逃げ出すかもしれない。
普段はアレでも、ちゃんと実力者。それが分かっているパクたちは、余り心配はしていなかった。
……魔物らは必死に逃げていた。仲間が、激しい閃光の後、炭化して崩れていく。それを逃れたモノらは、とにかく離れろと藻掻いているが、何故か進めない。透明な壁に阻まれているかのように。
悲鳴が上がる。四方から、どんどん仲間が迫ってくるのだ。その表情から、誰もが自分の意志で動いていないと分かる。進めない、出られない。それでもどんどん、どんどん、
「潰れろ」
冷たい、人間の声。
それを最後に、全身が圧し潰される。ぶちりと強制的に意識が途切れた。
仲間達が壁に圧迫され肉塊となっていく、その光景を横目に逃げ惑う。しかし、その先には、獰猛に笑う金色の人間……。
「一匹たりとも、逃がすかよ」
人間が剣を振るう。その一閃で、千々にされ仲間は姿を変えていく。止まらない、止められない。
人間に恐怖と絶望を与える筈が、まさか逆になろうとは。
気付けばひとり。目の前には金色の『バケモノ』
動けないまま、視界がぐるりと回った。バケモノは見えなくなる。
……代わりに見えたのは、首がない己の胴体だった。
魔物の巣が跡形もなく破壊される。
それをやったうららは、杖をくるんと回して終了を告げた。
「帰ろう!!」
「ああ帰るぞ今すぐに!!」
「そういう訳だ、俺達は急ぎの重要な用事がある。すまんが報告と必要な手続きを任せていいか」
「あ、あぁ、それぐらいは…やらせてくれ。俺ら、立ってるだけだったし……」
実力差をまざまざと見せつけられたAランクパーティは、内心恐ろしくヘコみながら頷いた。
町の近くに魔物の巣、しかもA、Bランク相当の魔物共であったのに……正直、犠牲が出る事も覚悟しての戦いだったのに、一日で終わった。
長期戦になるって思ってたのに、一日で終わった。
犠牲なんてない。だって動いたのSランクパーティだけだもの。俺ら本当に、動かなかったもの。
「……行ってくれ!お前らの助けを待っている人達がいるんだろう!!」
「あぁ、すまん。何かあったら王都ギルドに」
「早く早くトオヤ!!間に合わなくなっちゃう!」
三人はあっという間に行ってしまった。一度も振り返る事もなく。
彼らは、あちこちで多くの人々を救っているのだ。これまでも、そしてこれからも……。
「リ、リーダー…、泣かないでぇ!!」
「そ、そうだぜリーダー!俺達はこれからなんだ!!伸びしろあるって!!」
「泣いてない。……Aランクになったからって、ちょっと調子に乗ってたとか、思ってない」
「リーダーぁぁぁ~……!」
…全員無傷で戻り、早くない?!と、ギルマスに驚かれ、疑われたAランクパーティであった。
「どう思った?」
三人の歩みは止まらない。寧ろ、若干走っている。カイは止まるつもりは毛頭無いらしく、視線だけで先を促す。うららは遅れつつも、ちゃんと付いてきていた。
トオヤは気持ち緩めに、スピードを落とす。
「魔物の巣だ。あんな町の近くにできた例は無い。けれど、魔素の異常は無かった」
「げ、原因は、魔素のぼ、暴走じゃない、の?」
「無理に喋るな、うらら。暴走なら、町全体を覆っていてもいい筈だ。それに巣があったのは、普段住民も出入りする森。魔素が溜まる要素は薄い」
人の出入りが無い、結界も無い場所には魔素が溜まりやすいと言われている。
そこに魔物が巣食ったりすると、爆発的に増える事があり、今回のような大規模討伐になるのだが…。
あれは、何かが違う。住民も、森の所有者である男爵家の人間も、分からないと口を揃えていたらしい。
「人骨があった。ざっと見ただけだが、古いのも転がってたな。あれは巣ができる以前のモンだ。叩けば大量のホコリが出るんじゃねーの、あの町」
「魔物のせいにされるだろうがな」
「ふ、二人も見た、んだ!気味悪かったよ!で、でもどういう、事?」
「想像になるが…、何らかの事情で死んだ人間を、あの森に遺棄していたんだろう。あの量は相当長い期間だ。見つけた魔物は餌場と勘違いした」
「…で、半端な場所に巣ができた。死体を処理してくれると思ってたんだろうが、巣食われるとまでは考えてなかった。人の味を知ってる魔物だ、焦っただろうな」
男二人の冷静な考察に、うららの足は思わず止まる。
気味が悪い森だと、行きたくないと感じていたがまさか、そんな曰く付きだったとは。
あの町のギルマスは知っていたのだろうか。組んだAランクパーティは。
背筋に冷たいものが走り、慌てて二人を追い、真ん中を陣取った。少しでも早く、離れたい。
「あの様子じゃ、ギルマスは知らないな。最近就いたばかりだと言っていたし、あのパーティも立ち寄って、運悪く当たっただけだろう」
「あいつらも馬鹿じゃねぇ。報告するだろうし、俺らも証言する。調査が入ればすぐに明らかになるだろ。やり方が随分お粗末だったからな」
「もみ消されない?」
「うらら、カイは一応Sランクだ。こいつが証言するなら、片田舎の男爵家が止められるとは思えない」
「あ、そっか。信頼はされてるもんね、一応」
「一応が余計だ。……生き残ってるのが居たら、話は早い。けど、希望は薄いだろうな」
棄てられた時、まだ生きていたら或いは。
ふと浮かんだ考えを、カイは打ち消した。それからは三人、無言で足を動かす。花見に間に合いますようにと願いながら。
…ファスは雨を眺めていた。
周りは静かで、パクたちの寝息が聞こえる。
こんな風に、なにもせず過ごすのが苦手だった。何かしていないと、役立たずと必ず怒られていたから。
でも、今はもう、怒られると怯えなくていい。自分の時間を、自由に使っていいのだ。
それでいいと教えてくれたのは、パクたち。パクたちの御蔭で、過去の記憶は薄れてきている。時々戻ってくる時はあるけれど、頻度は減っていた。
パクたちだけじゃない、カイ達にも助けられている。優しくて頼もしい人達。
「幸せ、だなぁ…」
あの時、パクたちに会えて良かった。パクたちと生きるんだと決めて、本当に良かった。
にゃあ、とパクがころりと寝返りを打つ。
きっとこれからも、大変でも楽しい事がたくさんあって、過去はどんどん忘れていくのだろう。それでいいとファスは思う。
思い出す必要はないのだ。辛いだけの記憶は。
お腹を出しているパクにそっと毛布を掛け、ファスは微笑んだ。




