42.
薬師ギルドには、今日も行列ができている。
朝一に整理券が配られ、その後販売という形で落ち着いているが、以前はその整理券争奪戦が度々起こっていたという。
薬不足の今、下らない争いで怪我をしようものなら、薬師達がブチ切れるだろう。
実際、疲労困憊の彼等は切れた。
早く治療しろよといきり立つ者達に、これを使えば楽になれますよと大量の毒薬を両手に迫り、いい笑顔で追い回したという。それ以来、諍いは起きず、皆大人しく並んでいる。
目撃していた者達は語る。
人間、極限まで追い詰められたら善悪の判断も鈍る。だから、互いを思いやる心って大事だよ、マジで。いやホントマジで。……と。
「いやそれよりさぁ、今だよ今。ホラあそこなんか言い争ってる」
「…見ろ!見られてるぞ!!」
目撃者になってしまった、怯える同業の目線を追うと、成程確かに、様子を見ている受付嬢が。遠目なので分からないが、纏う気配がやばい。いい加減にしろよてめぇら、という空気を隠していない。
今度は、彼女達が毒薬をカウンターに常備するかもしれない。見えるように。
仕方ないな、とエルドは同業に列の確保頼むと、弟を連れ現場へ。トオヤに一応頼んだが、確定ではない。当てにばかりせず、薬を手に入れる努力はしていた兄弟。騒ぎが大きくなれば、折角手に入れた整理券が無駄になってしまうかもしれない。
しかし。よく見れば争っている訳ではなく、片方が一方的に責めているようだ。
責められている方は、怯えてすらいる。エルドはためらいなく間に入った。
「なっ、何だアンタは…!」
「アンタと同じ客。なんかうるさかったからさ。で、何があったん?」
「こいつが横入りしようとしたから、順番は守れと言っていただけだ!」
「声でけーって。そんな怒鳴らなくても聞こえてんよ。急いでたんか?」
寒い中待ち続けて、少し感情が昂っているようだ。エルドは首だけ動かし、怯える青年に問うた。
彼が何も言えないのは、怒鳴る男に萎縮させられたせいだろう。
「…、……あ、あの、おれ、は、」
「うん」
「先刻からだんまりで何なんだ!!聞いてんのか!!!」
「うるせーぞオッサン!聞こえねーだろうが静かにしろよ!!!!」
「うんうん。お前の方がうるせーからね弟よ」
オーベルは身体もデカければ声もデカい。男は怖気づいたか、大人しくなった。
「で、何だっけ。ごめんなぁ、話せるか?」
「く、薬を、頼まれた、薬を、わ、渡し、に……」
「あぁ、客じゃなくて、売り主さんか!そりゃ先に入っても文句言えねーや。オッサンの勘違いだわ」
「…ご、ごめんな、さい……」
それきり、青年は下を向いて黙ってしまった。青褪め、体が震え、怯え方が尋常ではない。エルドは少し考え、青年と弟を促しギルドへ向かった。お騒がせしました、と一言を置いて。
…その後、心配気にしていた周囲の者達に一様に白い目を向けられ、男は居た堪れない思いをしたという。
「…すまないね。でも、言い方は悪いけど、その程度で済んで良かった」
「いやいや、あれも充分タチ悪いってぇ。いきなり怒鳴られりゃ、こっちも気分悪いだろ」
「今は大人しいけどね、ちょっと前は持って来てくれた人から、強奪する騒ぎもあったから」
当然、そんな輩は客に非ず。猛毒の脅しに加え、出禁決定となった。薬師ギルドマスター、メルギスは深い溜息を吐き、大事な常連を見遣る。
「ファス君、大丈夫?」
「……は、はい。すみません…」
「謝るのは此方だよ。無理に頼んだ上、嫌な目に遭わせてしまって…」
此処は薬師ギルドの執務室。先の騒ぎを聞き、ともかく落ち着かせねばと兄弟と共に案内したのだ。
ファスはお茶を飲んで温まった御蔭か、震えも止まり、今はひたすら落ち込んでいる。
「いえ…、気を付けてなかった俺も悪いですから……」
ファスはそれ以上は言わず、下を向いてしまったが。メルギスとエルドは何となく察してしまった。オーベルは棚の薬瓶を見ている。
過去に、何も無い者は居ないだろう。あの怯え様は、過去…子供時代の傷が原因かもしれない。しかし、聞き出す程お互いを見知ってはいないし、彼も話しはしないだろう。二人は目を見交わし、気付かないふりを決めた。オーベルは壁に飾られている薬草の絵を眺め、文字を追っている。
「さて、早速だけど査定させてもらえるかな?」
「んーじゃあ、俺らは戻るか」
「居てくれて構わないよ。大事な売り主を助けてくれた事だし、特別に此処で薬を揃えさせてあげよう。何をご希望?」
「マジで?じゃあ遠慮なく。あ、ほいコレ」
人の親切は、基本笑顔で受け取る。それが兄弟のモットーである。
エルドはあっさり腰を下ろすと、整理券を渡した。それに魔力を通すと、番号と希望の薬が表示されるようになっているのだ。不正防止用で、書き換えは薬師ギルドの者以外は不可、と設定されている。
「……初めて見ました」
「私も使うのは初めてだよ。魔研に連絡したら、薬草の代わりにコレを貸してくれてね。大いに役立ってる」
「こんな事態にならなきゃ、俺も見る事なかったろーなぁ。ついでにオマケしてくれたりは」
「それは無理。傷薬に毒消し、麻痺除け…ん?かゆみ止め?」
「雪の中移動してたら、凍傷?しもやけか、になりかけてたんだよね。んで、常備しとこうかなって」
「…あ、」
「ん?」
ファスが目を丸くして、エルドを見ている。そんなに驚く事かね、と振り返ると、オーベルが腕立てをしていた。やる事がないからだろう。
「気にすんな。弟の趣味は筋トレなんだ」
「此処で筋トレされたのは初めてだよ。はい、これで全部だ。凍傷対策なら、こっちがいいよ。あと、混同されがちだけど、凍傷としもやけは別物。気を付けなさい」
渡されたモノは前のとは違うが、肌を守り、軽度であるなら治るとのこと。エルドは有難く受け取った。
「ファスって言ったっけ。薬師なん?」
「いえ、独学で…」
「いい腕だよ。お客さんの評判も上々。是非雇いたいけど、ファス君は魔法が使えないから」
メルギスはとても残念そうだ。丁寧に作られており、数は少ないがモノはいいらしい。
エルドは何となく、最後まで査定を見守る。思っていた以上の金額がはじき出され、目を剝いた。
「マジか」
「これは依頼料込みだからね。備蓄が少ない中作ってくれたんだから、妥当な値段だよ」
ファス当人も驚いていたが、メルギスは有無を言わせず押し付けた。
「また頼みたい所だけど、やっぱり無理だよねぇ」
「…もう備蓄も少なくて、すみません……」
「いいや、助かったよ。ありがとう。雪に埋まった薬草も弱ってるだけで、何とか復活できそうだし…、踏ん張るしかないね。無駄な怪我すんじゃないよ冒険者共」
「俺らなの?そりゃまぁ、気を付けるけどさぁ」
薬師ギルマスの本気の釘刺しに、エルドは素直に頷く。オーベルは毒と表記された瓶を眺めながら、スクワットを続けていた。
「ありがとうございます、送ってくれるなんて…」
「気にすんな。最近王都もちょっと荒れてるんだわ。アレだな、思うように動けないからストレスだな」
薬師ギルドを後にした兄弟は、これまた何となくファスと共に行動していた。大金を持っているのだ、先刻のように絡まれてしまったら、彼一人では守り切れないだろう。
相も変わらず人が多い大通りを、ファスを真ん中にして進む。
「兄貴、腹減った」
「だぁから、無駄に動くなって言っただろ。食料も制限入ってんのによー」
「…雪、ですか?」
「いんや、冬は毎年の事だ。だから、できるヤツは秋に買い込んで、保存食作って備蓄、なんだけどな。俺らは作れねーし、備蓄にも限界あるし」
毎年ギリギリなのだ。空腹では動けないので、惜しんでいられない時は、一切のためらいもない兄弟である。
「……。あの、よかったら…」
ファスは背負っていたリュックから、四角い箱と瓶を取り出す。
「冷めてますから、温め直して食べてください。これは、果物を乾燥させたものなんですが、そのまま食べられます」
「ありがとう!」
オーベルは一切の遠慮なく受け取った。エルドは思わず手刀を入れ、そして奪い取る。そのまま持たせていたら、間違いなく食い尽くされるからだ。
冷めているというが、箱からはほんのりといい匂い。覗いてみると、パンの表面が。この感じはパイ生地だな、とファスを見る。
「生地に、煮詰めたシチューを入れて焼いてみたんです。味は…大丈夫だと思います。お世話になったので、お返しです」
「マジでくれんの?!後で返してって言っても返さんよ?!」
実はエルドも空腹であった。ファスの説明と匂いも相俟って、絶対ウマいやつと確信する。オーベルは腹を鳴らした。
「はい、どうぞ。日持ちしますけど、早目に食べてくださいね」
「ありがとな!ファスっていいヤツだな!」
ファスは微笑むと、ここで大丈夫です、と頭を下げて通りを歩いて行く。兄弟は姿が見えなくなるまで、手を振り見送るのだった。
この後、ギルドの酒場にて争奪戦が起こるとは思いもせずに。
カイへの差し入れは、兄弟の腹に収められました




