4.
薬の匂い。時折訴える身体の痛みで目が覚めた。
眠りの邪魔にならない程度の明かりが、部屋の内部を浮かび上がらせる。身を起こし、ゆっくりと視界を巡らせた。整然としている。
読みかけの本に気付いた。先刻まで誰か居たようだ。
「あ、目が覚めたんですね」
奥から顔を出したは、黒髪の青年。手には水差しが。
「まだ、起きない方がいいです。熱があるから」
「…熱、……ここ、どこだ」
「外よりは、安全な場所ですよ。…これ飲んでください、熱冷まし。胃に優しいですから」
自身を見下ろせば、あちこち包帯が巻かれている。青年の手を借り、薬を飲み干し再び横に。額にひんやりとした布を乗せられ、息を吐いた。熱を出すなんて何年振りだろう。
「悪い、な。…世話になったみたいで……」
「気にしないでください。今は寝て、治す事だけ考えましょう。…俺は隣に居ますので、ゆっくり休んでください」
「……お、まえ、なまえ……」
「…ファス、です」
おやすみなさい。そう微笑むと、ファスは出て行った。
訊きたい事は色々ある。けれど眠気が勝ったせいで、カイはまた意識を手離した。
その後の記憶は曖昧だ。
夢と現を行きつ戻りつ。その間声をかけられ、薬を飲まされたり包帯を変えられたりと、世話を受けた事はなんとなく覚えている。
完全に覚醒したのは三日後であった。
*************
「……」
目を開けたカイは、四方に座って睨みを効かせる魔猫、そして自身の腹の上にちょこんと座る蒼色のような毛皮の魔猫と対峙していた。
覚えはないが、寝ている間もこうだったのだろうか。
「オネム、駄目だよ降りて。この人はけがしてるんだから」
「にゃあむぅ」
慌てた様子でやってきたファスが、オネム…というらしい。その子をひょいと抱き上げ、茶トラの隣へやる。あいつは見覚えがある。頭上で見下ろしてくる、黒白にも。
まだぼんやりとしているカイの額に手を置き、熱は下がったみたいですね、と微笑むファス。
「怪我の方は、まだ少しかかるかも。痛みますか?」
「…昨日よりは、マシになった」
今は朝なのか昼なのか。けれどようやくまともに対面できたと、まじまじと眺める。魔猫からの圧は続いている。
「すげぇ、よく寝た気がする…」
「薬がよく効いたんですね、きっと。何か…食べますか?」
ご飯ありますよ。で、五対の圧は大人しくなった。黒白がにゃあと声を上げると、ファスは笑って先に食べるよう促す。準備はとうに出来ていたらしい。魔猫たちは足早に隣へと消えた。
「食欲がないようでしたら、薬湯もありますよ」
「いや…、食う」
あまり食欲は沸かないが、薬湯ばかりでは回復も遅れるだろう。
「…もしかして、あいつらと同じモン?」
サイドテーブルに置かれた小鍋を指し、恐る恐ると問う。
ファスは首を振り、中身を見せてくれた。何かが……ドロドロになったモノ。白いのが、救いか。
カイは思わず引きつった。どんなにメシマズでも燃料補給として口にしてきたが、今は遠慮したい。もしかしてコイツ、相当料理下手か。
疑いの目に気付いたのだろう、ファスは安心させるように笑った。
「これ、おかゆっていうんです。お米を多めの水で煮込んで、塩で軽く味付けして…、身体が弱っている時は食べやすいんですよ」
消化もいいですし。と頷くファス。確かに、匂いは優しい。
「卵も入れましょうか?」
「いや、それで」
少々抵抗はあるものの、散々世話になった身。魔猫たちが知れば睨まれるだけで終わらないかもしれない。まだ上手く力が入らないのを分かっているのだろう、ファスは一匙すくい、口元まで持ってきてくれた。”はい、あーん”である。
気恥ずかしさはあるが、大人しく食べる。ほのかな甘さと、丁度いい塩気。
「……うまい、」
「よかった…」
その後も何度か口に運んでもらい、一息つく。鍋の中は半分以下になっていた。
いつの間にか戻ってきていた黒白が覗き込み、残念そうな表情になる。眠っている間も用意されていたおかゆは、魔猫の腹に消えていたのだろう。また今度ね、と魔猫を撫でるファスの笑顔は優しい。
「そいつは魔猫だろ。珍しいな、人に懐くなんて」
「子供の時から一緒に居ますから…家族なんです」
ファスにとって魔物であっても関係ないらしい。
「この子たちは人を襲ったりしませんよ、寧ろ、」
「知ってる。魔猫は温和な気質で争い事は嫌いなんだろ。魔物だからって一括りにはしねーよ。それに…」
膝に乗る魔猫は、此方を見定めるように丸い目を向けている。素性の知れない人間だ。警戒されても仕方ないだろう。褒められた生き方をしてきた訳ではないが、恩を仇で返す程堕ちてはいない。
「命の恩人だしな。助けてくれて、ありがとな」
空気が緩む。ファスも、ずっと気を張っていたのだろう。安心したように柔く笑った。
不意に、心臓が音を立てて鳴る。
「お?」
「いい人で良かった…パクたちの勘、やっぱりすごいね」
「にゃっ」
「ん?んんん?」
カイの動揺には気付かず、一人と一匹はのほほんと笑い合う。
なんだコレ?と内心首を傾げつつ、カイはぼんやりと眺めていた。