3.
今日は生憎の天気。
天井から吊るして干している薬草の具合を確かめ終えると、ファスは編み物を再開する。その横では、小さな糸車を器用に操るしらゆきとオネム。真っ白な糸がどんどん積みあがっていく。
「にぃ、にゃん」
「にゃむぅ」
「…わ、早い…。これで全部?ありがとう、ふたりとも」
先日手に入れた綿毛は無事糸束になり、形作られるのを待つばかり。ファスの前には十枚程の包帯。今は布巾に取り掛かっている。まだまだ時間が掛かるだろう。
このまま置いておくと、ファスは徹夜してしまう。これはまた今度、としらゆきとオネムは糸束を紙でくるみ、棚に仕舞った。
「そろそろ休憩しようか。おやつ用意するね」
それにふたりはピンと尻尾を立てる。喜んでいる証だ。
ファスは微笑むと、お湯を沸かし始める。おやつは今朝作ったケーキ。皆で窯の前を陣取って、それはそれは楽しみにしていた。
外に様子を見に行った見回り組も、そろそろ戻ってくる頃合いだろう。
「なぅっ!」
はやてが慌てた様子で飛び込んできた。
「なぁーうっ、にゃっ!」
何か、あったのだ。しらゆきたちに巣を任せ、ファスは先を走るはやてを必死に追った。
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……やばいな。
カイは自分が落ちた崖を見上げた。命は拾ったものの、全身が痛い。
雨で視界が悪かったのもあるが、足場も悪けりゃ組んだパーティも悪かった。上から探し呼ぶ声がするが、返す気にもなれない。こうなったのは上の連中のせいでもあるのだから。
カイは痛む身体を引きずり、身を岩陰に隠した。見つかったらとどめを刺されかねない。
声が遠くなる。ここに降りる道を探すか、置き去りか。
「……どっちでもいいか、」
カイはソロの冒険者。ランクはA。もうすぐSランクに手が届くか…という時にコレである。
彼は自他共に認める美形。当然、モテる。その分反感を貰うが、いちいち気にしていては滅入るというもの。いつも通り受け流していた。
今回組んだパーティは五人。女は二人。彼女らは終始カイに引っ付いていた。
それが原因だろう。日頃の不満が爆発したのか、男らは魔物と戦いながら事故のように崖へと押した。そして、現在この通り、という訳だ。
「あー、いてぇ」
骨は折れてなさそうだが、動くのが面倒くさい。いつ死んでも構わないと思っていたが、こんなマヌケな死に方になるとは。
ぼんやりと雨に打たれるままのカイには気力がない。
生きるために冒険者をやっていた。才能があったのか、実力者だの勇者に近い奴だのともてはやされたが、正直どうでもよかった。
金があって、飯が食えて、たまに女が居れば、それで。
カイは確固たる目標や夢というものを持ったことがない。だからだろうか、何の感情も湧いてこなかった。
不意にがさりと音がする。視線だけ向けると、
「………猫…?」
猫が居た。
黒毛の部分が多い黒白に、茶トラ。距離を置いたまま、此方をじぃと窺っている。
こんな所に唯の猫が居る訳がない。魔猫だ。
見た目、猫と変わらず力も弱い。乱獲され数を減らし、人前に出てくることは一切無い珍しい魔物。
乱獲の理由は頭の良さだ。普通の犬猫より飼いやすいという、人間側の勝手な言い分。
しかし、それすらもどうでもいいカイは興味がないと目を閉じた。
…あ、そういや、魔猫って死肉を食うんだったか。
それを最後に、意識を手放す。
「……あ、居た。どうしたの?はやてが………っ?!!」
人の声がした気がしたが、幻聴だろう。
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争うような音に気付いたのはダイチだった。
上の方からだ。と三匹で物陰に隠れ、じっとしていると何か落ちてきた。その後も続いていた音は程なくして止み、今度は人の声。…誰かを探している。
どうしようか。とりあえず調べなきゃ。三匹は頷き合うと、そっと覗く。
人だ。寝そべって動かないが、まだ生きてる。
パクたちは困った。あれは大人の人間。容易には近付けない。でも怪我をしている。
放っておけばいいかもしれないが……。あの子は、助けようとするに違いない。
パクははやてに頼んだ。自分とダイチは見張りだ。
あの子は見捨てたりしない。今までもそうだった。怪我した人間、迷子になって困っていた人間を助けてた。勿論パクたちは隠れていたが。
倒れている人間は上の声には答えなかった。仲間じゃないのだろうか。こっちに気付いても、興味がなさそうだった。
「はぁ……」
ファスは手当てを終えると座り込んだ。気を失ったままの怪我人は、とにかく重い。
なんとか引きずり引きずり、巣に連れて行った。
パクたちが薬やらお湯やらタオルやらをせっせと準備し、できる手当ても手伝ってくれたので、ずいぶん助かった。
「ありがとう、向こうで休もう。…この人にはしっかり治してもらわないと」
ベッドは一つしかない。けれどパクたちと眠るので大きめに作ってある。この巣にある一番の贅沢品といってもいい。その分寝心地もいい筈。ゆっくり休めるだろう。
同じく、ぐったりするパクたちを休ませ、もうひと踏ん張りとご飯作りに取り掛かる。起きるか分からないが、準備はしておいた方がいい。
「ぶにゃっ!にゃ!」
「ダイチ?休まないと…、あ、」
しきりに棚を見上げ訴えるダイチに、おやつがあったと思い出す。
「ぶにゃにゃっ」
「そうだね、疲れてるときは甘いもの。すぐ切るよ」
六つに切り分けお皿にのせていると、パクたちはわらわらと集まり、目を輝かせて待っている。
飲み物は少し温めの薬草茶。クセのある味だが、全員好んで飲んでいる。
「はい、お待たせ。今日はお疲れ様」
にゃあにゃあと気持ちのいい食べっぷりに思わず微笑み、ちらと寝室を見る。静かだ。
巣に、自分以外の人間を入れたのは初めてだ。本来はあってはならないこと。
素性は全く分からない。もしパクたちに危険が及ぶようなら、何としても逃がさなければ。
パクたちはファスにとって恩ある存在で、家族なのだから。
うん、と決意を改め、ケーキをパクリと頬張った。