九話②終
魔石が光を帯びた瞬間、素楽の視界は漆黒に覆われていた。茶蔵に来た時とはまた違う、果てしなく続くような黒い世界。
上下左右もわからない中、自身が落下し続けていることにだけ気が付き、何かに掴まれないか藻掻くも成果はなく。ただただ落下している感覚だけが全身を支配する。
(翼は)
バサリ、変わらず飛び出すのは朱色の魔力の塊。翼さえあれば素楽は自由に飛べると、腰部から尾羽を伸ばし両翼で姿勢を整える。上下左右もわからない空間だ、実際に正しく飛行しているか甚だ疑問だが感覚を信じて大きく羽撃く。
広がる夜闇よりも暗い漆黒の世界。なんともまあ不気味。
(魔力視でなにか視えればいいんだけど…なにもないかな)
眼に力を込めて魔力視を行う周囲、眼下には目ぼしいものはなく、漆黒が広がるのみ。旋回するように体躯を翼を操り、滞空してみるもやはり得られるものはない。
(どうしたらいいんだろう。帰れなかったら翔吾や皆が心配しちゃうし、松野にも戻れないよ)
ずん、と重くなる気持ちにのしかかられる。
今更ではあるが彼女の心の大部分は茶蔵にある。帰る場所は翔吾の許で、松野は戻る場所。独り言ちる時も脳内で考え事をする時も、桧井言葉ではなく彩鱗言葉になっている。本人はそういった小さな変化に気がついていないのだが、茶蔵の城に戻れないことは心を沈ませる要因足り得る様になっていた。
いくらか旋回しているとき、ふと頭上にかすかな魔力を視ることができる。普段は眼下しかみることがないので、頭上を見ることは意識から取り除かれていたのであろう。
(アレしか緒がないんだし、飛んでみよっか)
即断即決。沈んだ心なんてどこ吹く風か、上下左右の曖昧な世界で素楽は真上を目指す。
どれほどの時間を飛んだか、無限とも思える程も飛び続けた素楽は大きな魔力の渦を目前としていた。
(入るしかないかー。なんとかなるでしょ)
他に選択肢もない、と勢いよく魔力の渦に飛び込む。
―――
魔力だらけで視界不良の中、魔眼を閉じようにも渦から流れ込んでくる魔力によって無理矢理に魔力視を維持され、目蓋を落とした所で障害物をすり抜ける魔力視には意味もなく。目を回しながら渦に流されていれば、一気に視界が晴れる。
眼下に広がるのは、見たこともない雄大な大自然が大空に浮いている光景だ。島と呼べるものは雲よりも上に浮かんでいる。まるで幻想小説のようだと瞳を輝かせて高度を下げようと羽根を操作する。
(あれ?動かない?……翼でてないや)
なにもない身一つではただ落ちるだけ、急ぎ翼を形作り羽ばたこうとするも、指一本すら動かせない状況であることに気がつく。
(なにこれ、ふわふわと浮いてる?)
落ちることはないが、進むことも出来ない。これは困ったと眼下の大自然に瞳を向ける。
見たことが有るような無いような曖昧な植物たち。その中で一際目を引く色とりどりの森林、まるで珊瑚が地上から伸びているような光景は、松野の東で見れるものと近い。
珊晶樹大樹海と呼ばれる外界とほぼ隔絶された魔境だ。とはいえ桧井国は眼下のように大空に浮いているはずもなく、松野と思われる土地もない。
(空似かなー、それにしてもこんな場所にも珊晶樹の樹海はあるんだね。ここから種が零れ落ちて、地上に広がったのなら下に松野があったり)
然しながら確かめる術はなく、ただただ浮遊するのみで時間をすごしていた。
―――
「かぁー」
眠っていれば頭上で烏の鳴き声が響く。
(なに?)
体躯を起こして鳴き声の主に瞳を向ければ、真っ白な羽毛に覆われた烏が素楽の手をコツンと嘴で啄く。
(おー白烏だー。縁起がいいね)
欠伸をしながら伸びをすれば、体躯が動かせることに気がつく。そして周囲の景色が変わっていることにも気がついた。
既に大空に漂っている状況ではなく、七つの巨大な柱が立ち並ぶ森の中であった。
(白烏さん、ここがどこかわかります、か……?あれ、声がでない)
どうにも不自由な場所だ、とため息を吐き出しながら白烏へと向き直れば、白い翼を大きく広げて大きな鳴き声を上げる。
『ようやく目を覚ましましたか、貴女はいつでもお寝坊さんで、直ぐに道を迷ってしまいますね。ふふ、そんなところも可愛いのですが』
地響きのような音と共に柱の一つがぐにゃりと曲がり、素楽へと寄ってくる。よくよく眼を凝らしてみれば、柱だと認識していたそれには白銀の鱗があり、頂点には鰐のような頭と立派な枝角が生えているではないか。白銀に輝く大龍である。
龍は何かを話しているようだが、言葉が違うのか素楽は理解することが出来ず、ただ気圧されているのみ。
『母上、これは末妹あらず。魂の破片なり』
龍の頭が一つ一つ、中心にへたり込む素楽へと向いてく。
『死後にも魂が迷子になってしまったのでしたね。見失ってしまい心配していましたが、ふふ、外世に渡っていたとは思いもしませんでした。昔みたいに胸に飛び込んできて良いのですよ?』
『言葉が通じていません、長い時を生まれ変わりながら旅をしてきた影響でしょうね、我らのことも理解できないようです…』
龍の一柱が寂しげな表情を見せながら、母と呼ぶ龍に事実を告げている。
『……。はぁ…寂しいものです。今生もここで生きるには弱々しい体躯で、またも私達の許にはいられないのですね』
『残念ながら』
母の龍は鳥の様な足を素楽の寄せては、乗るのように促す。
(…乗れってこと?怖いけど、多分害意は無いはず)
へっぴり腰な彼女はやっとの思いで龍の足に乗り、振り落とされないようしっかりと趾に抱きつく。
『そんなに怯えないでほしいのですが…、仕方ありませんね。…貴女はここにはいられませんので、揺り籠へと帰してさしあげます。二度目の別れは寂しいものですが』
大きな趾で素楽の頭を撫でては、母の龍は微笑むように口端を持ち上げる。
『――――』
心の奥底から不可思議な感情が溢れ出した素楽は、自然と口が動き龍の言葉を紡ぐ。
『まぁ!貴女は何れ帰ってこれるのですね。うふふ、今から待ち遠しいです、再会の時を心待ちにしておりますね』
『―――』
『うふふ、そうなんですね。わかりました、今は休んでいますがあの子にも伝えておきます。それでは素楽さん、この言葉は理解できないと思いますが私の末子をよろしくおねがいしますね。残念なことに力を貸すことも道標を贈ることも出来ませんが…向かう先には多くの幸が溢れていますよ、きっと』
白銀の大龍が涙を落とせば、素楽の意識はくらくら揺れて次第に心地よい眠りへと沈んでいく。
経験のない記憶を旅路。一柱の龍が産まれ、支えてくれる兄と旅立ち、愛し合い子を携え竜人という種を作り、家族に看取られる。然しながらそこで彼女の旅は終わらず、新たな生命として生まれ変わりは生涯を終えてゆく。
気がつけば見慣れた顔、そして今は隔てられた場所にいる懐かしい家族の顔が並ぶ。
(………)
最後に現れたのは竜人で。
―――
素楽が行方不明になって早三日、城内城下を探すも姿は見えず、足取りさえ追うことは敵わない。唐突に、そして完全に消えてしまっていた。
飛んで移動したのならば市井で目撃されようものだが、茶蔵の城から街外に向かう姿は誰一人見てはいない。巧妙な手口で誘拐されたと考え、早馬を出し検問を敷くが、こちらからも芳しくはない。
強いて言うならば、石ころを魔石と言い張って販売しようとした悪質な商人が見つかったくらいだ。
数日前までは浮かれ模様だった王弟も今では萎れた花の如く。素楽の安否を気にしてばかりいられる立場ではないため、中央へ向かう前の引き継ぎや急ぎの仕事を熟しつつ、重い重い溜め息を頻りに吐き出すのであった。
朝昼晩と仕事の合間には彼女の私室と魔石魔法研究室に足を運び、浮かない表情で執務室へと戻っていく。とんでもない重症である。
(頼みの綱はブロムクビスト夫妻か、せめて白臼山にいてくれればいいが…)
行方不明から七日、どう往復したのかブロムクビスト夫妻は肩で息をしながら帰還する。
「ダメじゃ、なんの形跡もなかったわい。道中の村々で簡単な聞き込みを行ったのじゃがな」
肩を竦めて首を振るのみ。あれ程目立つ存在が舞っていれば気が付かない方が無理というもの。
「…そうか。君たちも出立の準備はしておいてくれ、予定は八日後だから」
「あ、あぁわかった。差し出口かもしれんが、睡眠と食事はしっかり摂った方が良いぞ、素楽ちゃんが帰ってきた時にそんな不健康そうな顔を見せれば、心配するでな」
聞こえているのかいないのか、曖昧な生返事だけをして翔吾は書類へと向き直る。
集中を欠き仕事で簡単な失敗を繰り返し始め、方々から諌められ食事と睡眠を確保するよう私室に押し込まれた翔吾は、壁にかけられた味のある絵画を見ては手に取り、長椅子へと倒れ込む。
黒く濁った感情が渦を巻き、意識が曖昧な時間を過ごしていれば次第に目蓋は自重で下りていく。
―――
出立まで残り三日と差し迫った夜中。どうにも眩し気な月光が部屋を照らす。
バサリ、と小さな羽ばたき音とともに、烏の鳴き声が聞こえ執務室にいた誰もが張り出しへと視線を向ける。
星空を切り取る様なシミの一つもない真っ白な羽毛をした白烏が手すりに停まっているではないか。白烏は竜人にとっては導きの象徴で縁起物である。
「吉兆ですかね。素楽さんはきっと帰ってこられますよ」
「…だといいのだが」
席を立った翔吾は張り出しに向かい窓を開け放つ。
「白烏殿、私の婚約者を見つけてはくださらないだろうか。貴方のような白い髪と羽毛をもつ愛らしい娘なのです」
跪き希うように頭を垂れれれば、白烏は食い入るような視線を向けてから室内へと入り込む。キョロキョロと周囲を見渡しては執務室を出るための扉を啄く。
「これは…殿下」
「ああ、わかっている」
導くように男三人を案内し始めた白い烏は、屋住みのくしゃみを見つけては背に飛び乗る。かぁかぁ、なごなご、と人には理解できない会話を行えば、くしゃみがのそのそと歩き始めた。
最終的に向かった先は翔吾の寝室。まさかと後を追っていた者らが室内を凝視するも、静まり返った室内には人っ子一人おらずぬか喜びかと肩を落とす。
「かぁ!!」
シミひとつない純白を翼をこれでもかと大きく広げ叫ぶような大声を上げれば、白烏から目を開けていられないほど眩い光が溢れ出る。
ゆっくりと、徐々に光が弱まっていくと寝台には先程までいなかった白髪の翼人が眠っている。
「素楽!!」
真っ先に飛び出した翔吾は、ぐったりと動かない素楽の呼吸と脈を確かめ、生きている事を確認すると壊れないよう最新の注意を払って抱きしめる。
「…よかった。よかった…。…素楽」
涙ぐみながら鼻声で、何度も名前を呼びながら抱きしめる。
「…んー、…しょうご?…どうしたの?」
流石に目を覚ましたようで、寝ぼけ眼な素楽は翔吾を抱きしめ返しながら言葉を紡ぐ。
「帰ってきてくれて、ありがとう」
「…?どういたしまして…?……」
どこか意識のはっきりしない彼女は、再び目蓋を下ろして眠りに就くのであった。
騒動の内に白烏は何処かへと消えていた。
―――
寝ている間に体調の確認を行うも、体躯に異常はなく疲労で眠っている、という診断結果が下された。外傷等も一切なく、行方不明になる前のまま帰還したのである。
起床後には何処へいっていたか問われたのだが。
「テオドルさんに魔石で新しい発見が有ったから教えようとしたら……?ものすごく疲れていて、翔吾様に抱きしめられていまいた」
行方不明の最中の記憶を一切持っていない、記憶喪失の状態であった。
「ただ、…誰かに会った気がします。……うーん、思い出せませんねー、夢でも見ていたんでしょうか」
腕を組んで難しい顔をして考え込むも、引っ掛かりを感じる程度のものしかなく、寂しそうに笑いながら肩を竦めていた。きっと彼女にとって大切な相手だったのだろう。
「そうか。素楽は白烏が鳴いて光を放ったら現れたのだけど、心当たりはあるかい」
「さっぱりです。白烏様はもういないんですか?」
「気がついたら何処かへと飛び去ってしまってね、礼も言えずじまいだよ」
「残念です。私も会ってみたかったのですが…ふふ、またいつか会えたらお礼を言いましょうか。翔吾の許にいれて私は嬉しいよ」
最後の一言は向き合って話をする婚約者にだけ聞こえるような小さな声で囁く、嘘も世辞も一切ない笑みを交えて。
言葉こそ聞き取れずとも周囲の者は理解できるのだが、ここ十数日の翔吾を思い起こし見なかったことにしたようだ。紅潮する翔吾を横目に侍る者らに視線を向けてから、鱗で覆われた指を動かす。『よそ見して』と。
どこからともなくため息の聞こえる部屋内だが、お構いなしに目元にある鱗へと小さな唇を押し付ける。
「貴方と同じ鱗が欲しい」
目元にある鱗への口付けは最大の愛を伝える行為、決して親子間で行うことのない夫婦となる男女で交わすものだ。
林檎か茹で蛸か、首元まで真っ赤に染まった翔吾は暫くの間は身動ぎ一つせずに固まっていたという。
第四編 石に魔はさす。は以上となります。
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