九話①
酷暑と言われる茹だるような暑さは雲に隠れ、茶蔵ではいくらか快適な晩夏となっていた。秋にある建国祭に向けて出立の準備等で慌ただしい城内は、まるで祭りのようである。
スーッと滑空しながら現れたのは白髪橙瞳の翼人。ごった返している城内は移動に向かないため、上階の窓から飛び降りてきたのだ。茶蔵の城に仕える者らは既に見慣れた光景であり、気に留めるものもおらず挨拶を返すほど。
前回に中央へ向かった際は、素楽の体調を考慮して出立を遅らせたため、比較的余裕があった。然しながら今回は急遽に笹生哲学率いる笹かま商会と行動を共にする事となり、あれやこれやと城仕えや使用人は慌ただしく走り回っている。
着地した先には魔石魔法の研究室。そう銘を打たれているが、実質的には素楽の私室その二の様な扱いだ。
常に誰かしら警備の者が目を光らせている城の中でも重要度の高い一室である。
整然、というにはいくらか散らかった室内は、素楽付の侍女たる奈那子が部屋主の指示を仰いで整理整頓している。とはいえ、ここ少しの間は彼女も準備に奔走しており、素楽が雑に片付けるばかりだ。
部屋の一角に鎮座する人の頭大の魔石。最近は魔石魔法の講習や祭事等で御座なりな状態で、手の空いた今に向き合っている。隣の置かれているのはテオドルが文字を読み解こうと試行錯誤した結果たる紙の束、いくらか捲り見るも理解の得られるものはなく、複雑怪奇な古字の羅列といった印象。
(テオドルさん作った文字だけの魔法陣が使えるのなら、この魔石が動かないのは単品だから?…なぜ動かないか、魔導具であれば魔石に損傷があったり陣に不備がある場合、あとは魔力が足りてない場合。魔力を注いで流れを見てみようか)
眼に力を込めて込めれば橙色だった瞳は朱色に変わり、頭部から同色の枝角が伸びて、目元には鱗模様が浮き上がる。魔力視を行う魔眼だ。
魔石を覗き見れば内には、四半分程の魔力が注がれている。
(なにこれ、魔力の…糸?)
今までは気がつくことの出来なかった薄っすらと伸びる魔力の導線がそこにはある。手を翳してみるも、手を通り抜けてただ一方を指し示す。
(先は…白臼山かな)
役に立つ証拠になるかはわからないが、新たな情報である。手頃な紙と筆を手繰り寄せて書き記す。
「どうせなら」
机の位置を動かし紙を並べ、少しばかりのお行儀が悪いが机の上に乗ってから、丁寧に導線を書き写していく。
(今までの魔眼じゃ気付けなかったねー、やっぱり向きは白臼山だ。これはどういうことなんだろう)
角を生やしたまま興味深そうに歩き回る。
眼の前にぶら下げられた未知という餌に、素楽は好奇心という唾液を垂らす。
(魔力がしっかりと注がれるかの実験をしてみようかなー)
手を添えて魔力を注いでみれば、溜まりこそ遅いものの確実に満たされていく。今まで魔法が発現しなかったのは、満たす前に止めてしまっていたのではないか、という一つの推論が立つ。
注ぎきって魔法が発動しまったら何が起こるかわからない、一旦止めてから思考に耽る。
(石門に注いだ魔力は地中を魔石に行き渡っていた。これ四つ分と考えれば、相当量必要なのは確かだけど…。魔力さえあれば、石門の間を移動することは可能ってことかな?)
自身の魔力量というのはイマイチ理解できていない素楽だが、並外れて多いことはテオドルから言われている。この彩鱗はおろか、大陸内でも並び立てる者がいないとまで付け加えられるほどだ。
魔法が戦いの道具を除いては大して発展してないが故に、使用する機会が少なく鍛えられていないらしい。
(今、松野に戻ったら、茶蔵帰れる保証はない。わたしは行き来出来る術が欲しいから、慎重に事を運ばないと)
頭の中をぐるぐると巡る思考を文言としては吐き出し書き記す。テオドルが見れば新たな気付きがあるかもしれないので、多少の手間は惜しまない。
書き終わりに体躯を伸ばしていれば、外ではブロムクビスト夫妻の声が聞こえる。グニルは扉の外で警護という名の居眠りを、テオドルは祭事部に足を運んでいた。
「やはりここにいたか、素楽ちゃん。…随分と散らかっておるが、何か新しい発見でもあったか」
「そうなんです、この魔石から魔力の線が出て白臼山に――」
魔石に手を置き説明を始めるやいなや、魔石は淡い光を放ち素楽は姿を消していた。
『っ!グニル!天眼で素楽ちゃんを探すんじゃ!』
『わかった』
漆黒に染まった瞳で限界まで時間を引き延ばし、彼女のいたであろう場所を探る。
(見えないほどの魔力の痕跡、魔石の魔力は殆ど空で、考えうる方法で誘拐ができる状況ではない。壁を抜けた可能性は…)
窓を開け放ち外へと飛び出したグニルは周囲を探る。彼女の天眼は障害物を通してまで魔力視を行うことが出来ないため、ある程度走り回るも成果はなく、部屋内のテオドルの許へと戻る。
『いない。一緒に見てたけど人に拐かされたような状況じゃない、たぶん』
視線の先には人の頭大の魔石が鎮座している。
『拙いのう。グニルは翔吾殿に状況を伝えてほしい、うーん…「今すぐに魔石魔法研究室に来て欲しい、急ぎで」と伝えれば十分じゃろう。ワシは何が起きたのか調べてみるわい』
『わかった』
窓枠に足を掛けて乗っていたグニルは、まるで猿かのような身のこなしで壁伝いに城を登り、屋根上を移動していく。
(なにか色々と書かれているのう、さっきまで魔石を調べておったのか)
机の上に並べられた筆墨の匂いがする資料を捲り検める。
(魔力の糸、線?魔力視は行えんからよくわからんが…この一本線がそれかのう。高さは)
有ると思われる場所に手を翳してみるも魔力を感知することは敵わず、小さく唸る。
(膨大な魔力が必要な事はわかっとったが…素楽ちゃん一人でどうこう出来る量ではないはず。ワシですら満たすことはできそうにないからのう、数日かけて注いでいた様子も見られんかったし、満たさんくても魔法として発現する条件があるのか?詠唱の可能性もあるが、ワシらが使った際にそれらしい事をした覚えはない。指し示している方角は白臼山、もし仮に素楽ちゃんが山におっても、向えに行く頃にはかなりの時間が経ってしまうじゃろうな)
様々な考えを巡らせながら室内をウロウロと見回っていれば、慌ただしいいくつかの足音が迫るのを聞き取る。
「素楽は!?」
血相を変えて飛び込んできたのは翔吾。部屋を隅々まで見回した後に、目的の人物がいないとわかりテオドルへと青紫の瞳を向ける。
「テオドル状況は!?」
「わからん、お手上げじゃ。転移門の魔石を調べていたらしいのじゃがな、何が起きてどうなったか、ということの一切がわからないのじゃよ。即座にグニルに周囲を調べさせたが成果はなし、拐かされた可能性は低いが………元の居所に戻されてしまった可能性は捨てきれん」
「そんな」
真っ青な顔をした彼は改めて部屋内を見回すも、やはり愛しい婚約者の姿はなく、悪戯で隠れている風でもない。
脳裏には幼い頃、婚約者であった少女が毒殺された記憶が湧き上がる。出会って間もなく特別な感情など抱いてはいなかった相手。然しながら心の隅に傷跡を残すには十分であり、黒く濁った膿が滲み出る。
早まる鼓動を抑えつつ、何度も深呼吸を行い自身を保ち、城内の捜索を行うべく人を走らせるのであった。




