六話③
“音音喰喰界界”六文字の魔法陣を瞬時に壁へ書き込んだグニルは、手に持った剣を構える。
(奈那子は戦争孤児とか虐待されていた子みたいな反応する、音は聞こえないほうがいいでしょ)
今まで世話をした孤児の中にも暴力ごとに拒絶反応を示すものはいたので、それに則り最大限刺激から遠ざけるため音を絶った。
棘のある植物で肌を撫でられるような感覚。殺気を感じ取った彼女は月光の差す廊下で一人の男を切り捨てていた。肩から入った刃は脇腹を抜けて、一撃で絶命させる。
次いで迫りくる背後からの一撃、凶手は一人ではなく幾人もいるようだ。振り向きがてらの斬り払いにて飛来する短剣を落とし天眼を起こす。限界まで引き伸ばされた時間の中、目にも留まらぬ速さで跳び寄り最低限の動きで剣を振るう。
先程に仲間を討たれていた現場と、振り向き様の神業を見ていたからだろう。一人では勝てぬと判断した凶手は、間一髪で刃から逃れ窓を突き破り下階に向かう。
(……。敵をひとり残らず全部倒せば護衛として十分だって、…帝国人の誰かが言ってはず。素楽と奈那子は…本業の人に任せよう)
待つのは好まないとでも言いたげな彼女は、窓を開け放って下階に飛び降りた。
―――
慎重な様子で扉の外を見回した素楽は、扉を開け放った状態で外に出る。
外に逃げたと思わせる様に、実際に外に出ているのだが、部屋の内に隠れる奈那子に危害が加わる確率を下げる為の工作。そして変に支えで阻んでしまえば、助けに来るであろう人の邪魔になりかねない。
(魔石魔法のこともあるしわたしの誘拐か、また翔吾が狙われたか)
どちらにしても厄介というのが彼女の感想。暫くの間行われていた水面下での攻防には感づいており、その原因が魔石魔法ということも。
諜報戦は確実に起こりうる確定事項のようなもの、松野でも優秀な兄に対していくらか間諜が送り込まれていたのだ、未知の技術である魔石魔法を得ようという働きが起こるのは当然といえよう。
強いていうならば、想定よりもかなり時期が早かったということだろうか。
(割れている窓と開け放たれた窓。グニルはここから下にいったのかな?)
相変わらず下の階では戦闘が繰り広げられているようだ。人数にして一対一〇以上、とんでもない大立ち回りだが敵を引きつけるには十分すぎる役割だ。
(戦闘が起きているはずなのに変に静か。皆無事だと良いんだけど…)
加勢したい気持ちは十分にある素楽だが、屋内の白兵戦なんという状況は不得手の不得手、足手まといにしかならないと考えを捨て去る。
(先ずは)
視線の先には床に転がる気絶した人か、死体。月明かりの中、歩み寄ってみれば肩から脇腹にかけて迷いのない一閃が走っており、後者であることが伺える。顔を布で覆っているので、もしかしたら、と魔導銃で突いてみるが反応はない。狸寝入りを考慮して腕の関節部、肘を銃床で叩き潰す。
「……」
これで反応がないのだから、確実に死体であろう。
覆面を引っ剥がして顔を確認すれば猫頭の獣人。鬣が無いかと頭部と首部を触ってみるも、短い体毛で覆われているのみだ。
(猫系獣人…ニーグルランド以南の属国だったかな)
彩鱗からすれば南東部と国境が接している小国、ソリエノ国だ。暫く前にニーグルランドの攻撃を受けて敗北、獅子系獣人は多種族を皆殺しにするのだが、見た目が比較的近いからか属国として配下においたのである。
何かしら情報を得るために死体を漁り、持ち物を確認する。何かしらの液体が入った小瓶が二つと短剣が二本、腰に佩いていたであろう直剣くらいで、身分等を割り当てられる物はない。凶手が態々、何処何処に所属しています、なんていう証を持っている筈がない。
短剣を抜いて見れるも、何の変哲もない一品としか感じ取れない。一応のこと表面に毒が塗られている事を考慮して、抜け落ちないよう縛り腰にさす。
(小瓶の中身は…透明の液体、こっちで使われる毒なんて流石にわからないな。解毒薬かもしれないけど、自害用のものでしょ)
こちらは衣嚢に詰め込んで飛び立つ準備をすれば、徐々に騒動に気付いた者が現れたようで騒がしさが起こる。
(わたしのやることは)
翼人笛を咥えた素楽は窓枠に足をかける。
―――
白髪の翼人が茶蔵の城上空を飛び回り、大きな音でもって緊急事態を知らせる。翼人笛というのはある程度距離が離れても聴き取れるよう、煩くよく通る甲高い音をしている。
眠りについていた者たちは、そのけたたましい音に起こされ状況を探る。
真っ先に動いたのは中央軍と茶蔵軍、先の戦前にあった襲撃後、素楽によって緊急事態及び敵襲を知らせる律動が叩き込まれていた。
夜警をしていた兵士らは手早く翔吾の守りを固め、非番の兵士らは事態を収めるべく武具を携える。
然しながら緊急事態と敵襲の二つしか情報ない事が足枷となる。兵舎に集まった兵を前に難しい顔を見せるのは敏春、敵の数や位置等が分からぬ状況で無闇に兵を分散させては各個撃破されかねず、大きな纏まりでは遅れを取る可能性がある。
そんな事を見越したかのように窓を叩くような大音。視線を向けてみれば、へばりっ着いている笛の主。指と趾で器用に窓枠にしがみついているよう
だ。
「良かった、まだいた。居住区にて戦闘で敵は猫頭の獣人、数は一〇から二〇前後、今グニルが押し留めています。廊下に転がっていた死体を漁って、毒と思える液体の小瓶と短剣を奪いました、有効活用してください」
鉤爪の付いた趾のみで体躯を支えては小瓶と短剣を手渡す。
「おっおう」
(兵舎の近くに六人、南門方面の茂みに一〇以上が隠れている様に見えます)
声を潜めた素楽はトントンと自身の目元を指差し、魔力を視ただけで詳細はわからない、と付け加える。
(位置は?)
(出てすぐの物陰、二人一組で三箇所)
敏春と茶蔵軍の兵士長は見合い、互いに部下へ手旗合図で指示を出していく。
「良くやった香月の嬢ちゃん。これからはどう動くつもりだ?」
「狙っているのはわたしだと思うので、上を飛び回って敵影を探しますね。いい囮なりますので」
溜め息を吐き出した敏春は真面目な表情で素楽を見る。
「はぁ…。俺としちゃ殿下のところにでもいて、震えててくれるのが一番なんだが…まぁそんな玉じゃないか。気を引き締めてあたれ、相手は嬢ちゃんの事を熟知している可能性もあるんだ、対策があると思って臨め。いいな?」
「りょーかい」
壁を蹴って飛び立った素楽は、忙しなく羽ばたき高度を上げる。魔力によって形作られた朱い翼は夜闇に映える、態と目立つように行動し兵舎の近くに隠れる者の目を引いてから飛び去る。
(お節介というか世話焼きというか、自らを囮にしたり人目を引くのは誰かさんと似ているな、お似合いってことかね)
兵舎内では準備に手間取っている風を醸し出して、実働隊は静かに武装を終えて敏春の指揮下につく。素楽の示した場所通りにいるのであれば、相手のとる行動は奇襲であろう、と予想し逆手に取って攻め込む算段だ。
数と位置がわかっているのだ、これ以上に有利なことはそうない。
(小突き混乱、時間稼ぎをしようって魂胆だろうが、相手が悪かったな獣共。というか香月の嬢ちゃんが常識の外にいるんだけどな)
兵が配置についたことを確認し指示を出せば、一斉に襲いかかる。奇襲するつもりが逆に襲われているのだ、相手の混乱度合いは窺い知れる。抵抗、そして逃走を試みるも多勢に無勢、二人が死亡し四人が捉えられる結果となる。
「残念だったな、自害なんてさせねえよ。持ってる情報のゲロってもらう必要があるんでな」
隙を見て小瓶の中身を飲み込もうとする獣人を蹴飛ばし踏みつける。拷問くらい耐えるだろうが必要な処理であり、吐いてくれれば儲けもん。情報の整合にも単純な頭数にも、自害させるわけにはいかないのだ。
「よし、中央軍の半分は俺とむこう《南門》に、残りは茶蔵軍と城内。尋問担当はこいつらと楽しいお話の時間だ!」
「「はっ!」」
―――
茶蔵の城を二本尾の猫が走る。人それぞれに名前をつけて呼ぶためこれといった固定の名前がないのだが、くしゃみと呼ばれている屋住みだ。どうにも悪意を撒き散らす不届きな存在を察知した彼は、ふかふかな寝床を共有する生き物を叩き起こし警戒するよう告げていた。
―残念なことにこれらは我らの意思を理解できない故な、面倒ではあるが叩き起こしてやらねば短き命が失われてしまうだろう。まったく。
―そう、日光と叡智の間、いや日光と同等の存在であろう。特に先日に饗した魔力の澱は暫くの間は悠々自適な暮らしをするのに困らないだけの極上の供物であった。
くしゃみにとって素楽は供物とは別の糧を無尽蔵に供給する、自身の次に偉大な存在である。軽々と失われてしまうのは癪だと行動を起こしていた。
「くしゃみ、お願い。これをくしゃみが最も信頼できる人に渡して、そして、ここまで案内してくれると助かる」
彼の前脚といって差し支えない素楽が顎の下を撫でてまで頼み事。基本的には撫でるか捏ねるか、刷毛で抜け毛を落としたりと奉仕の心しか持ち合わせていない彼女が、初めて希ったのだ答えてやらなければ自身の格が落ちると考えた末に、手紙を咥えて廊下を駆け抜ける。
最も信頼している相手といわれて、手紙を突き返してやろうか、などと考えていたくしゃみであったが、しっかりと空気を読んで食事を提供する料理人の許へ向かっていた。調理場に到着した彼は、いつも通りに鳴き声を上げてみるが寄ってくる者もおらず、伽藍堂のそれである。
―まったく、神官としての自覚がたりないのではないか?仕方ない足を運んでやろう。
普段であれば仕込みをしている者もいるのだが、間が悪かったのか人っ子一人いない状況。寛大な彼は仕方無しに料理長の部屋へと向かう。
居住区へと踵を返した頃、城の上空では素楽が翼人笛をけたたましく鳴らす。これに起きるのは城仕えたち、あちらこちらで人が喧しく走り回り大騒ぎだ。目当ての相手も丁度起きてきたようで、扉を開け放ち険しい顔を見せる。
「なーご」
―おい、神官。我が日光から手紙だ。
床に手紙を置いては、靴下のように黒い体毛で覆われた可愛らしい手で突く。
「靴下じゃないか、その紙切れを見せたいのか。どれ」
険しい顔が更に険しくなって、一度頷く。
「ありがとう靴下、今度に君の好物を用意してあげるよ」
―よくわかっているではないか。…頼み事も終わったことだ、新しい寝床で一眠りするか。新入りも一人じゃ寂しいだろう。
欠伸をした屋住みは気ままな歩みで寝床へ帰るのであった。




