五話③
「陣を施した後に猛烈な吐き気に襲われると思うが、無理に堪えないほうが楽になれるからの、ゲェっと吐き出してしまうんじゃぞ。体内に溜まった魔力の澱でな、逆流させると二日酔いを悪くしたような状態になるんじゃ」
(木桶が用意されているのはそういう理由だったんだ)
「わかりました」
寝台にうつ伏せで寝そべる素楽は髪を上げられて、項のよく見える服装をしている。
「それじゃあグニル、お主の天眼で常に状態を確認しておいとくれ。何かあったら直ぐいうんじゃよ」
「わかった」
不安そうな瞳で見つめる奈那子に笑顔を向けて、寝台にうつ伏せになる。
(さて、上手くやれる。やれるはずじゃ)
眇めたテオドルは意識を集中させて指先に魔力を集めることで淡い色合いの炎を宿らせる。
“力力流流正正”“魔が差す瞳に正しき道を”二つの魔法陣を合わせて作られた混成の魔法陣。二度と同じ思いをしたないために重ねられた研究の成果が、長い時を経て小柄な翼人の項に施される。
「素楽ちゃんや、なるたけ力を抜いておくのじゃぞ」
「はい。………んぐっ」
一時的な魔法陣では何の意味もないため、多量の魔力を陣に注ぎ込むことで体躯に刻み込む。その際に必ずに抵抗があるために、力を抜いておく必要がある。
(グニルの言った通り、魔力の量が桁違いじゃな。魔力を感じられない、というのも生まれつきの魔力が多すぎて、感知を行う器官の発達を阻害してしまったんじゃろうな)
陣を体躯に刻むのは対象よりも多くの魔力を必要とする。四〇〇と数十年生きてきた年の功で限々といった様子ではあったが、彼は大きな深呼吸と共に施術を終える。
「…終わりじゃ、今日は魔眼や魔力を使わんよう。それどころじゃないじゃろうがな…」
「わかりまし、た…うっ、おえぇ」
腹の奥底から湧き出るような吐き気によって、素楽は口から赤黒い色の何かを吐き出す。これこそが魔力の澱、人の内に巡る魔力が外部に放出されずに残ってしまったものだ。
「初めての時はキッツいじゃろうが、全部吐き出してしまえば楽になる。お主は魔力が多いからのう、量も多いし…数十年くらいしたらまた吐き出すやもしれんな」
一定以上溜め込むと異常を感じて自然と吐き出される。とはいえ、それは膨大な魔力を有するものか、異常に長生きをする種族くらいなもので、あまり知られている減少ではない。今回に素楽が吐き出した原因は、魔眼症によって破茶滅茶になってしまった力の流れを正した結果、通りが良くなり一気に流れ出した状況である。
赤黒い吐瀉物なんていうのは、なんとも見栄えが悪い。まるで血液を吐き出しているようにみえるのだから当然であろう、顔を真っ青にした奈那子や使用人は気を確かにもって対応に急ぐ。
「なーご」
膨大な魔力を感じ取り現れたのは二匹の屋住み、彼らは食事と別に魔力を摂取するという。この場に現れたのがその証左であろう、木桶に並々と注がれた赤黒い半固体状の魔力を目の前に舌なめずりを行い、礼儀正しく座ってから素楽に向く。一度木桶を軽く引っ掻いてから、再度見つめられれば欲しいということは言葉がなくても理解できる。
絶賛吐いている最中の彼女に返答など出来ようはずはないので、どうぞ、と羽毛と鱗で覆われた手で指し示せば、ご機嫌な鳴き声を上げて吐瀉物を平らげるのであった。人の口から出てきた物を食べるというのは忌避感があるだろう、なんとも不気味な光景であったそれを他言する者は誰もいなかった。
―――
「やあ翔吾殿、無事に終わったわい。暫くは合わんほうが良いがの、乙女には見せたくない光景もあろう」
「そうか、ご苦労。感謝を伝えておこう」
執務室で仕事をしていた翔吾は胸をなでおろす。最愛の婚約者が命の危機とあっては気が気でない。
「素楽と君そして君の妻、三人に白臼山あった事は水に流すとしようか。城への滞在も正式に許可しよう、そして居を構えるのであれば私からの口添えも約束しよう」
どこか心の隅でしこりとして残っていた部分を捨て去り、良い関係を築こうではないかという話。素楽が彼ら二人を必要とのことで、大目に見ていただけの翔吾は関係に歩み寄りを行う。
「いやはや助かるわい。グニルも悪気が有ったわけじゃなくての、武器を向けられると半ば反射的に動いてしまう性なんじゃ。雑音無いこの場で改めて謝罪させてほしい」
丁寧に、一切の隙がない整った異国の礼。
「受け取ろう」
「ようやく肩の荷が降りるわい」
ほっと一息吐き出す。
「ところで見せたくない光景とは?」
「ん?あぁ、ゲェゲェ半固体状の魔力を吐き出しているんじゃよ、あんまり見せたい光景とは言えんじゃろう?」
「なるほどね、木桶の用意はそのためか。確かに他人にはみられたくないね…。……」
言葉を使わずと椅子に座れと促す翔吾に、テオドルは覚悟を決めたように腰掛ける。
「君たちは一体どこの何者なんだい?偽名と言われればそれまでだが狐耳にしては風変わりな名前、見ず知らず、いや素楽の扱う魔法に通ずるとも思える技術。他にも尋ねたいことは沢山あるのだけどね」
「じゃろうな。信用されるかどうかは知らんがワシらも石門を通って来たんじゃよ」
彼の出身は獣神共和国連邦という十九の州によって出来た大国の一つ。妻たるグニルは神聖エイセル帝国と呼ばれるこれまた大きな国、にほど近い何処の国にも所属していない辺境の村だという。
出会いやなんかは省かれて色々と有っては婚姻を結んだ二人は、のんびりと孤児院で孤児の面倒を見ながら、多忙で楽しげそして悲しい時間をすごしていたらしい、数十年程。
安穏とした時間をすごしている中で、ほど近い山から異常な魔力を検知することになり、ブロムクビスト夫妻は調査及び解決のため乗り出した。その結果、解決こそ出来たらしいが鎮座していた石門に興味を示して、気がつけば素楽と同じく周囲には見慣れぬ光景が広がっており、最終的に戦が原因で石門が破壊されてしまったのだ。
逃げるようにして旅をはじめて早一〇〇年あまり、拾った枝を転がした末に白臼山に到着したとのことだ。彩鱗の言葉に慣れているのは角皆国に滞在していたからとテオドルは語る。
「信じがたいが…、素楽の故郷は知らないというのは本当なのかい?」
「あぁ、素楽ちゃんもワシらのいた国々には覚えがないようじゃからの」
「はぁ…、茶蔵の地はなにか異常を引き寄せる土地なのだと思いたくなるよ。君たち…はどれほどの時間を生きる種族なのか教えてもらっても?」
「父と母は一六〇〇年ほど生きていたらしいが、戦にて寝に就いてしまったし。グニルの両親もそれくらいだと聞いたが…今はもうおらんな。ワシらは四代かからず神代まで遡れる生き物での、隔人と呼ばれておるんじゃ。信心深い者は亜神と呼ぶが、そんな大層なもんじゃない」
ただただ長生きなだけの生き物なんじゃよ、と付け加える。
(グニルは正真正銘、土地神の娘じゃが掘り起こされるのは好かんからな)
「……、話の規模が大きすぎる。獣神共和国という国では普通の話なのかい?」
少しばかり疲れた風の翔吾は吐き出す様に呟く。
「いんや、もう殆どおらんよ。多くは人と交わり血を薄めていったんじゃ、ワシらのような白髪榛瞳の存在は生きた化石よのう。かっかっか」
どこかわざとらしいジジ臭さのテオドルは少年然とした顔で笑う。
「そんな君達ですら石門の存在は知らなかったのかい?」
「そうじゃ。ああいった転移ともいえる魔法は神代ですら存在しえない術での、いい年こいて興味が尽きぬわい」
「…ならば素楽を支える柱の一つになってくれるかい。私では魔法に関しては足元をうろちょろするのが精一杯でね」
魔石魔法を広める際、二人手を携え足を揃えて進むという未来は揺るぐことはない彼だが、その先にある石門の云々に関しては力が及ばないという自覚が大いにある。兄たる今上王へいくらかの口添えを行う程度はできるであろうが、技術的なことはどうにもならないと悔しそうにする。
「天井なんて見えない十代だったら、なんて思わない日はないさ…」
「よかろ、王族なんていう生き物がこうもしょぼくれておるんじゃ、願いの一つくらい聞いてやらねばのう」
ニタリと口角をあげる獣人は、王弟の協力者となった。




