二話①
冬に閉ざされていた春が陽光で解け出す頃。桜の開花を待ち望み枝に目を向ければ、ぷっくりと小さな蕾がいくつも挨拶を始めている。
雪解け水は停滞しくぐもった空気を押し流し、多忙な季節へと転化させた。
バサリバサリ、まだまだ気温は寒いというのに袖丈の短い衣服で大空を駆けるのは、中央祭務長の香月素楽。防寒の魔石を制作した彼女に春先の気温など恐るるに足りず、茶蔵の各村々を飛び回っては築屋等の儀式を行っている。
移動性能、という一点において他の追従を許さないため、街から離れた村を回るのには非常に重宝された存在だ。なにせ、準備を行う祭務官を事前に送っておけば、後は素楽が地形を無視して飛び回り仕事を終わらせられるのだから。
特に築屋の式は白烏の役を白髪の者、主に年配の方を起用していたため遠方で行うには苦労が耐えなかった。そういった問題を解決した上で、職務の高速化がなされたことで、飛び回る本人は多忙を極めていた。
各村を周るだけであればそこまで多忙ではなかっただろう。然しながら彼女は生きた縁起物、いや縁起者か。城下の街は元より他の街にも噂が広がり、是非に式をお願いしたいと切望されるようになっていた。
全てを熟せるはずもないので、茶蔵祭事部でいくらか選別し茶蔵主たる行政官の許可が降りた場所を巡る日々だ。
朝早くに出立し儀式を行い、場合や時間帯によっては饗しを受け、夕暮れの頃に帰ってくる。こういった繰り返しが素楽の日常となっていた。
「香月祭務長、お気をつけて」
「皆さんも、気をつけて帰ってください」
祭務官と村民に可憐な笑みを向けて、衣嚢から予定表を取り出せば次が本日最後の場所。
美豆の街、茶蔵以南以西の領地に繋がっている交易路が伸びるそれなりに大きな街である。
交易路の伸びる先、北方貴族は現在の主流たる生駒家を中心とした今上王常磐寿徳の派閥。王弟であり政敵として振る舞っていた茶蔵主の翔吾とは折り合いが宜しくない。
とはいえ街道を使うのは専ら商人と商隊、お上の顔色を伺い足元を見るのが仕事の彼らも、東に行路を持つ商人に利益を独占されては敵わないと足繁く訪れる。
商人街は今日も賑わっている。
美豆の上空でくるくると旋回するのは素楽。記憶にある大まかな地図を上空から照らし合わせて目的地を探る。当たりをつけた場所は大通りで、降り立てるよう十分な空間を確保している祭務官が手を振っている。
真下に降りることは出来ないので、一度大きく旋回輪を孕ませてから緩やかな入射角で地上を目指す。体躯を立て翼と尾羽を最大まで広げて勢いを殺し、綺麗な着地をする。
「ごきげんよう」
方々から声が上がる中、意にした風もなくにこやかな挨拶をして、朱い翼と尾羽を散らせる。
南西部に来るのは初めてであり、こちらの人々も彼女を見るのは初めて。何だ何だ、と集まる野次馬に軽く手を振り、笑顔を振りまいて着替えのためにと建物へと向かう。
今回の築屋の式は笹かま商会という大店が倉庫を新設とのこと、北の領地を大きく股にかけた商会であり、素楽の噂を聞きつけて是非にと頼み込んできたというわけだ。
加えて笹かま商会の大旦那が直々に足を運ぶというのだから、商会内は緊張しきりだ。
召し替えを行う女性祭務官も手慣れたもので、幾ばくもしない間に礼装への着替えが終わる。式自体も素楽はただ歩いて枝を地面に刺すだけな簡単な仕事、本来であればあちらこちらにと建築予定地を転々とするのだが、今回は商会一つのみ。
激務にもようやく落ち着きが見えてきたのではないだろうか。
衆人環視の中、堂々と築屋の式を終えた素楽には感心の籠もった拍手が贈られる。ちっこい嬢ちゃんなのによく頑張っているな、と。
王族である翔吾の危機に、白烏の生まれ変わりと思える少女が舞い降りたことは有名だ。
茶蔵主である翔吾が祭事部の祭務長と婚約した、という事実は市井でも耳にする機会はある。
今目の前には祭事の儀式を行う白髪で大空を飛び回る少女がいる。
この三点が結びつけば、感心以上の感情も沸き上がるのだが、人というのは案外のこと鈍いもので「小さな女の子がお仕事を頑張ってて偉いなぁ」に留まってしまう。
自身の纏う森厳な雰囲気の一切が失われないよう、商会へ着替えに戻るまでは表情の一つも緩めずに静かに礼をして扉を潜る。
(ふぅ)
表情を変えずに内心で一息つく。一二分に慣れた仕事である、だからこそ気を引き締めなければ失態が背中に触れるだろう。
「やぁ素晴らしい式でしたよ、香月祭務長」
腕組みをして鷹揚に頷くのは笹かま商会の大旦那だ、笹生哲学、貝爪羽男爵位。商人というには些か筋肉質な男ではあるが、素楽を値踏みするような眼光は間違いなく商いを行う者のそれだ。
「これは笹生さま、わたしなどまだまだじゃく…若輩で先達に学ぶことの多い日々にございます」
慇懃に礼をしては笑みを浮かべる。
「はっはっは、ご謙遜を。一八という年齢でここまで出来ているのですから、祭事部の未来は明るいものでしょう。どうでしょう、少しばかりお茶でも」
「よろこんで」
「ではこちらへ」
案内されたのは豪奢な客室、この美豆の街にある笹かま商会はあくまで支店の一つ。その一室に富を誇らんばかりの調度品を用意しているのは、素楽を招待することは随分と昔から計画されていたのだろう。とある保護者たちを除けて見定められる機会を。
生駒家と仲良くしている立場がある哲学であるが、政治に対する感心など毛ほどもなく一家代々続いている老舗の更なる拡大と、富の追求に野心を置いている根っからの商人だ。
(おぉ)
腰の下ろした長椅子の座り心地の良さに素楽は小さく驚く。弾力性のある反発材を用いているのだろう、柔らかな中でしっかりと腰を落ち着けられる品である。
「良い座り心地ですね、笹かま商会ではこういった長椅子も取り扱っているのですか?」
「笹かま商会で扱っていないのは人くらいのものですよ」
「ふふ、そんな事を言っては藍尾皇に叱られてしまいますよ。ではこれと同じ材質の寝台はありますか?最上の寝心地を味わえる、そう思ってしまいまして」
女性が寝具の話をするなど慎みに欠けますが、と言わんばかりに照れた表情を作って尋ねる。
「ええ、ございますよ。資料を」
パンパンと小さく手を叩き寝台の資料を取り寄せさせる。
「同じ茶蔵の城内ですが、部屋を移すことになっていまして。それに合わせられたらな、と。桜の花が散るころ…春の終わり頃なのですが」
大体四から五十日後くらいを指しての商談。
「ふむふむ。一つお尋ねをしたいのですが、香月様の個人のものでよろしいのですかね?」
「はい、しばらくは」
成婚したら二人で使用する物の商談も今後したいですね、と素楽は餌を撒き、広げられた資料に目を通す。
「女性にはこちらが人気ですね」
「ではこれで」
指をさすのは簡素でこぢんまりした寝台。大きさ的には子供向けだが、背丈の成長は望めないので十分だと選ぶ。
「城に話をしておきますので、細かなすり合わせはお願いします」
「お任せください」
―――
会話も一段落し、茶を差し出される頃。温かな茶で喉を潤してほっと吐息を漏らす。
「歴史の積み重ねを感じる洗練された渋み、仙年、良い茶葉ですね」
(間違っていないはず)
南部の高級茶葉、仙年。歴史の長い茶葉で数百年もの間、彩鱗で愛飲され続けている名茶だ。独特ともとれる渋みこそあるが、飲みにくいと感じることのない、長い時をかけて洗練された事が窺える味わいである。
(てっきり北部銘茶を出されると思ったけども)
会合の場に呼ばれることが多くなるのは必定、ならばと冬の間に有名な茶葉の味を覚えていた。その一つが仙年。
「これは博識で。…やはり仙年は良い」
悦に浸る様に愉しむ哲学を見て、素楽はとある老女の言葉を思い出す。「仙年は歴史や伝統を飲むものだ、好き好んで出してくる相手はそういう貴族だと思いな」と。
「実は面白い噂を耳にしましてね」
ここからが本題と周囲の商会員を下がらせて、目の奥に野心の炎を滾らせる。
「香月様はこちらにはない商品をお持ちだと、風が囁いたものでして…我々は北部で一番の網を張っていると自負しています。どうでしょう協力関係を結べないでしょうか?」
魔導銃と温水の魔石、両方かどちらかか。情報を仕入れることは呼吸と同義、そんな商人ならな両方であることは想像に難くない。
(情報の封じ込めはしていないし、こういう接触は予想の範疇。下手に突っぱねるよりも、ある程度懐柔する方が安全だろうねー)
「残念ながら商品と呼べる状態になるには、まだまだ時間が必要そうで…。それに学角皇の…えい、詠学令を再び王宮から、出されては、見た目が良くないとは思いませんか?」
取り繕っていた鱗が剥がれ始めてはいるが、今上王の手を煩わせることなく、整備を終えてから広めたい意志は確実に伝える。
詠学令とは彩鱗に魔法が広まり始めた黎明の時、半端な知識や練度で魔法を使い事故やらが多発した際に王宮から発令されたお触れ。国の方で魔法に対する学びを深め論じる場所を用意するから事故を減らしてくれ、というもの。
当時の魔法院が魔法部の前身である。
(なるほど、学角皇の時代に凋落した塩嶺家の事を指しているか。過ぎたるは猶及ばざるが如し、とはいったのもの)
どこどこがお家取り潰しになったという事まで把握していた訳では無いが、哲学は歴史に学びスッと息を吐き出す。
「わかりました。では上手く行きましたら是非に笹かま商会に、必要になるであろう品々は、お安く提供しますので」
素楽は口約はせずに笑みを返すのであった。




