一話⑤
翌々日。素楽は二つの依頼を請け、水穂の村へと向かっていた。
一つは村長へと書簡の配達。
もう一つは枯れつつある川の調査だ。どうにも少し前から村の水源たる川の水が枯れつつあるということで、山中にある水源地を見てきてほしいという依頼である。直接的な解決は求められていないので、請け負うことにしたのだ。
解決に人手が必要であれば、そのまま彼女が飛んでいき知らせることも可能なので、適任といえるだろう。
朝から飛行して時一つと半分程、水穂の村へとたどり着いた素楽は、村の中を歩いて人を探す。
「すみませーん。ここの村長に書簡を届けに来たのですがー」
「おやまあ、変わった翼人ちゃんだねえ。村長の家だっけ、案内してあげるからちょっと待ってな」
小母さんといった風貌の女性は、作業の手を止め簡単に片付けをしてから、素楽を案内した。この小母さんはどうにもお喋りらしく、珍しい客人を話し相手にしたかったようだ。
松野から来たと告げれば興味津々といった様子で、あれやこれやと話を聞きたがったため、素楽はどんな場所かをかいつまんで話していれば、すぐに村長の家までたどり着いた。
「村長―!なんか冒険者のお嬢ちゃんが手紙の配達に来たよ―!それじゃあね、楽しい話ができて満足だよ」
案内の礼を告げるとニコニコ笑顔の小母さんは、満足気な表情で自身の家へと帰っていった。
「こりゃどうも、手紙の配達だっけ?受け取り印はどこに書けばいいのかな?」
「この控えにお願いしますー」
「はいはい、ちょっとまっててね。…はい、しっかり受け取ったよ。ご苦労さま」
村長と呼ばれた男は大体三十後半くらいの年齢だろう。疲れが顔に張り付いたような印象を受ける人相である。
「水源地調査の依頼も請けてきたのですが、依頼の詳細を伺っても?」
「え?ああ、もう来てくれたのか、助かるよ。立ち話ではなんだ、お茶でもだそう。入ってくれ」
村長の家にお邪魔して、椅子にちょこんと座っていると、妻らしき女性が茶と茶請けの準備をしている。
「君はあれだろう。…えっと、なんだったかな…妖し羽っていう翼人だろ?翼人なら水源地までは飛んで行けるから、危険も少ないし早く確認できる。本当に渡りに船だ」
ホッとしたような表情を見せる彼は、川の水量が減り始めた前後の事を話し始める。
春先に大きく雨が降ったことがあったのだが、それから次第に水量が減り始めて今に至る。彼の考えでは、水源地からながれる川のどこかで、土砂崩れでも起きたのではないかとのことだ。
やはり、原因の調査のみで解決は求められてはいないようだ。稀に調査依頼と銘打って、解決までを仕事だと言い張る厄介な依頼人もいるので、ほんのりと警戒をしていた素楽であったが杞憂に終わった。
しっかりと茶請けを食んでから、調査に向かうのであった。
枯れつつある川は、しばらく前に川の浸食を防ぐためと水路を利用しやすくするために、治水工事が行われた跡がある。簡素なものではあるが石積みが見られる。
上からでも見えないことはないのだが、実物を一旦確認し目的地に当たりを付けたほうが、確実にたどり着けるからである。
しばし山へ沿うように飛翔していると、水源地らしき場所を見つけることができた。
村人の談では、あまり大きくない湧泉があり畔には水神を祀った祠があるとこことであったのだが。今現在、素楽が見下ろしているのは、池といっても差し障りのない場所である。
(川を辿ってきたから間違いはなさそうだけど。とりあえず下りてみたほうがいいかな)
やや鬱蒼とした山中に降り立ち、鉈でもって道を切り開いていけば、綺麗な池に到達する。
足元に気をつけながら水辺に寄ってみれば、水中に地上の植物が水没していることが確認できる。水の中に根を下ろす逞しい種もあるのだが、地上でしか見られない苔類なども水没しているので、長くない期間で増水した事が窺える。ここが元湧泉で間違いはないだろう。
よくよく目を凝らして全景を見回してみれば、屋根の上まで浸水した水神の祠も発見することができる。いくら水の神だといわれても、あれでは住みづらかろう。
人の手が入っていない非常に歩きづらい場所だ、えっちらおっちらといった足取りで、本来湖尻になっているであろう場所を目指す。
(ここかな?…あー、木が倒れて堰堤みたくなっちゃたのかー)
村長の考えは大方当たっており、大雨が原因で地盤が緩み木が横たわってしまったのだ。そこに枝葉や土砂などが堆積し、徐々に徐々に水を蓄えて天然の堰堤となったのだろう。
(これ拙いかも。次に大きく雨降ったら、いやなにもなくてもしばらくすれば決壊して鉄砲水になる可能性があるなー。それでなくても、このまま水が堰き止められれば、水穂の収穫に大きく影響がでるだろうし、早めに動かないと)
不用意に近づくのは危険だと判断した素楽は、遠巻きにしながらも湖尻の様子を目に焼き付ける。
偶然の産物である堰堤は、あまり強固な構造とは言い難い。縄でも倒木に括り付けて、素楽が引っ張れば水の重みで半決壊させることができそうではある。しかしながら、素人仕事ではどんな二次被害が起きるかわからない。
それに今回の名目は調査依頼である。余計な手出しは控えるべきだろう。幸いなことに彼女は城まで、文字通りひとっ飛びで移動できるうえに、領主への口利きも可能だ。
素楽は急ぎ山を降りることにした。
「――水源地は水没し堰堤化してました。堰き止めていた倒木も腐り始めている可能性があり、鉄砲水が起こりうるかと」
「ぐっ、かなりの大事だね…。さて、どうしたものかな」
「そのことなんですけど、あたしであれば松野まですぐに行けますし、城に伝手もあります。この場で嘆願書をいただければ、持っていきますが」
「おお、是非とも頼みたい!ちょっと待ってくれ、今すぐ筆を執るよ。…そうだ、昼餉を用意してあるから、食べていってくれ」
ありがとうございます、と告げて村長の奥さんと昼餉を楽しむのであった。
―――
松野にたどり着いた素楽は門の前で着陸する。城まで飛んでいけば時間を短縮できるのだが、そう出来ない理由がある。
街と呼ばれる場所の上空には、半透明な帳が下りている。これは外敵から街を護る結界と呼ばれる魔法機構だ。一定以上の魔力を持つ物体、生き物を弾くもので、彼女のその例外ではない。故に城に向かうには門から入って、街の中を移動する必要があるのだ。
一応だが、門を潜った後に飛ぶということはできなくない。しかし、結界の内部にもいくつかの結界が張られているので、精神を削りながら飛ぶ必要がある。最悪の場合は墜落だ。
番兵の屯所で身分を明かして馬を借りる、という選択肢もあったにはあったのだが、素楽は香月としての身分を証明できるものを、持ち歩いていなかった。
責任者に顔を見せて証明するという手もあるのだが、それはそれで時間が取られるので、馬貸しで馬を借りることにしたようだ。
「嬢ちゃん馬には乗ったことあるのかい?」
「大丈夫大丈夫、乗馬は得意中の得意だよー」
「そうかい?じゃあ気をつけてね」
はーい、と返事をした素楽は鞍に跨り、馬の腹を足で叩いて駈歩らせる。
料金が安かったというのもあって、あまり良い馬とは言い難いのだが、最低限の調教さえできていれば大体の馬は同じだと、素楽は城へと向かう。
城門までたどり着けば、なんとも懐かしい感覚が彼女の胸を通り過ぎる。
冒険者となるまでは、よくよく遊びに来ていた場所である。一年と少しほど、城には近寄っていなかったのだから、当然ともいえよう。
「ん?おや、素楽姫ではございませぬか、お久しゅうございます」
「こんにちは、道兼さん。お久しぶりですねー」
彼は城に使える官人だ。お仕事の方は順調ですか、などと世間話をしていれば、顔見知りが集まってくるのが世の摂理。
香月家の息女たる姫が久々に姿を見せたのだから、特別なにかなくても挨拶をしようと寄ってくるのが、貴族や貴族に類するものの性だろう。
「今日はどこにお出かけで?」「ご活躍は予予」「今度、一緒に遠乗りへと行きませんか!?」「お元気そうで何よりです」
それはまあ様々な声を掛けられることになる。
取り囲むように言葉を投げかけるなど、社交の場であれば無礼と足蹴にされても文句はいえないのだが、素楽が城に遊びに来た、という感覚なので、お構いなしに話かける者が多い。
「おい、そこ!なにか問題でもあったのか?」
声を張り上げて歩み寄ってくるのは、濡烏色の髪に鳶色の瞳をした美丈夫。切れ長の猛禽類を感じさせる目元は、どこか領主の補佐を思い起こさせる容姿だ。
「あっ、旭兄ちゃ…旭兄様!お久しぶりです!」
彼は香月旭。香月家の次男坊で、父の宗雪と同じく純人の男だ。松野騎士の一人で、弱冠二二歳という若さで隊を率いる英邁である。
種族に違いがあるのは、長男と次男が正妻の子で、末子の素楽が妾の子という理由がある。
素楽が顔を出して軽く挨拶をすると、旭は小さくため息を吐き出して、人だかりに目を向ける。解散しろ、といった目配せである。
「久しいな。城に顔を出すなんて珍しい、何か異常でもあったのか?」
「少しだけ。仕事の延長で文虎様に書簡の配達を、といったところです」
「そうか。ならば、さっさと執務室へ向かえ。…素楽であれば問題なかろう」
「はい。それでは、また!」
「ちょっと待て、葉っぱが付いているから取ってやる」
「ん。ありがと」
剣胼胝のあるゴツゴツとした手で、素楽の髪に引っかかっていた葉を落とす。こそばゆそうな表情をしている妹をみて、旭はそっと小さく笑う。
「もう大丈夫だ。油を売らずに真っ直ぐ向かうようにな」
「りょーかい」
元気よく返事はしたものの、挨拶をされれば返すのが礼儀というもので、執務室にたどり着くのは大なり小なり時間がかかることとなる。
本来あるであろう面倒臭い手続きを、すべて飛び越えて素楽は執務室へと通される。
中には松野領主の文虎、父である宗雪に加えて、見慣れない男が一人いる。
見慣れない男は、机に書類を広げて仕事をしていることから、新しい補佐かなにかだろうと素楽が判断する。しかし、領主の傍に使えることが出来て、見知らぬ顔などというのは些か不思議なものだ。
(灰色の髪。椋原家の家人、嘉政小父様のご子息かな?たしか…息子は三人っていったし)
視線を向けて何もしないというのは、品位を疑われかねないので微笑みながら小さく頭を下げて、文虎の方へと素楽は向き直った。
「ご無沙汰しております、松野閣下。お変わりなくご壮健なようすで、私事のように嬉しく思います」
素楽は丁寧な挨拶をしつつ、右手を胸に当てながら跪く。恭しい態度とは別に、表情からは誂うような色が見え隠れしている。
こういった慇懃無礼が許される間柄であることがよく窺える。
「なんともまあ…似合わんな。…素楽も元気そうでなによりだよ、まったく。それで用向きなんだ?」
「水穂の村の川が枯れ始めたっていう、簡単そうな水源地の調査依頼を請けたんだけどねー。どうにも春先の雨が原因で、倒木が堰き止める形で湖尻に堰堤ができてたみたい。そのせいで結構な量の水が溜まってて、雨が降るか倒木が腐るかしたら決壊して、鉄砲水になるかもしれないってことで、あたしが嘆願書を持って登城したの」
「なるほどな。もし決壊しなくても水不足で収穫量がガタ落ちになる、と」
「そんなとこー。あたしが倒木に縄でも括って無理矢理に決壊させても良かったんだけど、何が起こるかわからないから、文虎と父さんの意見を仰ぐか、しっかりとした人員に任せたいなって」
「…ふむ、そうだな。こちらで手配しようか。…にしてもこんな大事になってるとは。この案件には俺も目を通してはいたが、水量が減って困っている程度の内容だったんだよ。飛んでくれて助かった、ご苦労さん」
「どういたしまして」
文虎が息を吐き出しながら、背もたれに体重を掛けると自己主張をしてくる男が見える。
「あぁ、そうか顔を合わせるのは初めてだった。これの紹介をしておこう、こいつは椋原家次男坊の朔也、今上陛下の甥子で俺の再従兄弟だな。宮廷のスズメが煩いから、松野に目を置くということで送られてきたんだ」
桧井国では領地ごとに自治が認められている。とはいえ力を持ちすぎて反乱など起こされてはたまらないと、中央から査察官を送り込むことがある。それが彼だ。
椋原朔也、御年二四歳。灰色の髪と赤みの強い茶色の瞳をした、優しげな男だ。椋原夫人は今上陛下の妹君であり彼も王族ということで、王位継承権もある御人ということになる。
「査察、というのは建前で療養というのが本命だがな。素楽も…いや感じないか、鈍感だもんな、お前」
「?」
「朔也の近づくと静電気のような感覚が肌を襲うんだよ。俺や宗雪はもう慣れているが、過敏に反応する人もいてな。…まあそんなわけで、気軽に接してやってくれ、この体質のせいで人付き合いが得意なやつじゃなくてな。素楽みたいに魔力に鈍い相手なら、気兼ねなく接することができるだろうしな」
「大層な紹介をされてしまいました、椋原本流、嘉政の次子で椋原朔也です。どうぞよしなに」
ニコリ、といった様子で素楽に微笑みかける朔也は、貴公子のそれである。仮に大衆の面前であれば、黄色い声も上がっただろう。
「屋は香月に名は素楽と申します。朔也様の御名前は、椋原閣下から聞き及んでおります。非常に聡明な方であると。今後とも、よろしくお願い申し上げます」
慇懃に頭を下げて、素楽は恭しい挨拶を行う。
「ひとつ、お尋ねしたいのですが、嘉政小父様と文嗣様のご様子はいかがでしょうか?近頃は特に、宮廷貴族や以北貴族等と激しい論争を行っていると伺ったのですが」
椋原嘉政は椋原家当主だ。松野は椋原一派であるため、嘉政はこの城に足を運ぶことが多かった。その際に、幾度か構ってもらっていた素楽は、よく懐いていたのである。
稀に見かける楽しい小父様、というのが素楽の感覚だったのだろう。会おうと思っても会える相手ではないために特別感が強く、見つければ飛びついていた程だ。
そして文嗣とは、文虎の父で松野前領主である。こちらは、城に行くとよく見かける小父様、ということになる。
机と向かい合って書類仕事に勤しむ事を苦手としていた人で、素楽を見つければこれ幸いと「姫の相手をしてやらねばな!」などといって、執務室から逃げだしていた。
「どちらも元気です、元気すぎるといっても過言ではありませんね。今年の天夏祭には顔を見せるとのことですよ」
「天夏に、なるほど。なら今年はお会い出来そうですね」
パッと笑顔を輝かせた素楽は、朔也へ頭を下げてから、宗雪に向き直る。
「父さん父さん、あたし天夏の騎射会にでるよー。東風の機嫌がよかったら早駆けもね」
「元よりその予定だ。天夏祭の数日前には帰ってくるように、いいな」
「うん!」
天夏祭とは、松野の地で行われる夏至の祭りである。騎射の腕を競い合う騎射会や馬の速さを競う早駆けなど様々な催しが行われる松野最大の祭りだ。
昔は一日だけだったのだが、今では祭りの後にもどんちゃん騒ぎが数日続くのが通例になっており、年々規模が大きくなっているとのことだ。
文虎らもそろそろ収束させなければ、風呂敷をたためなくなると頭を抱えている。
「こほん。はしゃいでいるところ悪いが、俺の話はまだ終わってないんだ」
わざとらしく咳払いした文虎は、脱線していた話の主導権を再び握る。
「ああ、ごめん」
「朔也が療養で松野に来ている、と言っただろう?その件で素楽にも協力してもらうことになる」
彼の体質、魔力の性質は非常に独特なもので、周囲にいる者と触れた者に対して電気のような感覚を与える性質を持っている。今までは不治の病だとされていたのだが、薬師をしている素楽の母が治療できる可能性があるということで、朔也を呼び寄せたのだ。
この知らせは椋原一派の他の貴族家にも共有され、各方々で恩を売ろうと躍起になっている。
「なるほど、わかったよー。それで、いつ頃飛べばいいの?」
「冬龍山の様子次第だが、真夏に変わりはない」
「ん。りょーかい」
(大変な仕事になりそうだなー)
などと呑気に考える素楽であった。