一話①
揺れる馬車にはとうに飽いた初夏の頃。
「はぁ」
青みのある黒髪に青紫の瞳、頭部には角、腰部からは彩色の鱗が煌めく尻尾の生えた竜人が、退屈そうに溜息を吐き出す。
少しばかり前までは橙瞳白髪の翼人が馬車に同席していたのだが、王都を目の前にした今、後方の馬車へと移ってしまっている。現状、客員祭務長という地位には就いているが、彩鱗国の市民権を持たず要人とも言い難いために登城は許されない。
一年前の真夏、晴天の雷鳴と共に彼の窮地を救うべく現れたのは彼女とは、毎日のように顔を合わせていたために暫しの別れが退屈に思えているようだ。少なからず感情を向けているため、仕方ないといえば仕方ない。
(法元翁が世話をするということだから心配はない。そして好川と縁を結んでいるのも大きいね。祭事部と私の後ろ盾では足りない部分もあるけど、好川が出張るとなれば面倒な相手は軒並み動けないだろう。…アレは、奈那子の入れ知恵かな?それとも唯単に中央軍の看板からか、なんいせよ自腹を切らずにあれだけの大物を釣り上げるとはね)
くく、と笑いながら彼は外を眺める。茶蔵へ追いやられて以来の王都の姿、人が多く騒々しい都ではあるが心にストンとハマる。
(面倒なのに捉まる前にトキワゲンゾウの事を調べてしまいたいが、難しいだろうね。特別大きな情報は得られないだろうけど、素楽の役に立ちたいからね)
―――
王宮に辿り着けば出迎えの貴族が慇懃に頭を垂れる。
木角ともえの娘、八間川重忠の息子、菅佐原直之の兄と誰もが各家を代表する当主ら、翔吾が信を置く優秀な主翼たちである。
「お待ちしておりました、翔吾王子殿下。王宮にて再び見えた事を喜ばしく思うと同時に、ご無事な姿に安堵を申し上げます」
気が強そうな目元をした女性竜人は木角かんな。木角家を取り仕切る女当主にして、今上王の娘、第一王女の世話役を務める宮廷貴族だ。王弟一派ということもあり政に関わりが薄くなる王女の世話役を任じられている。
「出迎えご苦労様、私も君たちが元気そうで嬉しいよ。小夏も元気かい?」
「はい。最近は勉強が嫌だと逃げ回るほどの元気でして」
「くく、兄上の娘だけあるね」
常磐小夏第一王女、翔吾の姪にあたる王族だ。年の頃は九歳でお転婆しきりのやんちゃ王女とのこと。
「それじゃあ、兄上の所まで案内をしてくれるかな?」
「承知しました、虫は既に抑えてありますのでこちらから」
彼女らが示した道筋に沿って王宮の廊下を進めば、これといった面倒事もなく足が進む。
「アレらはまだ私を担ごうとしているのかい?」
「えぇ、少し前までは大人しかったのですが…。件の翼が舞い降りて祭事部が三馬を送った辺りから、どうにも」
辟易とした態度を見せるのは八間川と菅佐原の二人、集る虫を抑えているのは彼らの一族であろう。
「そうか、法元翁に預けたのは正解だったね。宰相と近衛長の動きは?」
「あちらは翔吾様へどうこうするという動きはございません。どうにもキナ臭い虫がいまして、そちらへ眼目を向けていますので」
(それに関して何かしら掴んでいる事は?)
言葉を潜めた翔吾は何気ない風を装って情報を問う。
(巧みに尻尾を隠しておりまして、鱗の一つも落ちていません)
(ならば、いざというときは兄上や口うるさい宰相に力添えをしてくれ。私は君たちのことを頼りにしているのだからね)
(承知しました)
堂々とした密談や細かな報告を終える頃には、謁見場の付近まで到達している。これ以上は謁見予定のある翔吾以外は足を踏み入れることは許されない。
「案内ありがとう、各々持ち場に戻ってくれて構わないよ」
軽く感謝を述べれば、三人は礼をした後に方々へと散る。
少々、季節の半分程も遅れた謁見、近衛兵が扉を開けば最奥の玉座に今上の王、常磐寿徳が座している。
青に近い黒髪に青紫色の瞳、翔吾に威厳と年齢を加えた様な姿をした男だ。
謁見場をツカツカと進みが王前にて跪く。
「常磐翔吾茶蔵主、参上いたしました」
不要な言葉を省き、参上のみを伝える。社交の場であれば季節の挨拶に簡単な雑談を交えたりとするのだが、謁見の場においてはそういった言動は許されない。あくまで厳粛に、そして端的に行うのが習わしだ。
はらりと紙を捲る紙擦れの音が謁見場に響く。
「此度は王位継承権の返還の為と申請があるが、これに間違いはないか?」
「間違いございません。晃徳王子も十を迎え、私の役割に終わりを感じ返還の意を奏上に参りました。以降は王臣として、陛下から与えられた茶蔵主の職務に邁進する所存です」
「…承諾しよう。貴公の長きにわたる王位継承者としての尽力と忠誠、大儀であった」
威厳に満ちた態度で労った寿徳であったが、そっと翔吾にだけ見えるように手振りを行う。
(半時後に居室で、か。くく、相変わらずだな兄上は)
互いに何もなかったかのように謁見を終えるのだった。
―――
(半時か、中途半端な時間が飽いてしまったね。書庫に向かって王族の資料を漁るには時間が足りないだろうし…長旅で疲れたし休憩とするかな)
伸びをすればポキポキと関節が音を立てる、疲労が溜まっているのだから休息は必要だろう。
近衛兵を護衛に王族の居住区へと向かう最中、この国の宰相が姿を現した。
「やあ生駒宰相、謁見の場で姿が見えなかったから病でも拗らせているのかと思っていたのだけど、…元気そうだね」
生駒と呼ばれた男は一瞬だけ青筋を浮かべてみせたが、若干引き攣った笑みを見せる。
「これは翔吾王子殿下ではございませんか。茶蔵主である貴方が王宮に姿をみせるとは、何かご用事でもありましたかな?」
「くく、いやなに、兄上に顔を見せようと謁見場を使わせてもらったのだよ。割り込む形になってしまったから、番を譲ってくれた者らに礼を言っておいてくれるかな?私の後は、君と同じ派閥の者だけだったからね」
「えぇえぇ、伝えておきますとも。王子殿下が感謝していたと」
小うるさい男に意趣返しが出来たと満足し、近衛兵に距離を置かせる。
「なにはともあれ、これからは私も兄上を支える王配の一人だ。宜しく頼むよ」
「厄介な味方が増えたものですね。貴方のことは嫌いですし、これからも政敵という関係は変わりませんが…案山子としての役割には感謝しています」
「君に感謝されるとなんか気持ち悪いね」
目元がピクピクと小さく痙攣しているのをみて、翔吾は内心笑う。
(ところで、妙な動きをしている貴族がいる、と耳に挟んだのだけど、力になれることはあるかい?)
(今のところはありません…いえ、暫く王都へ滞在していただければ誘蛾灯として役に立つやも)
(なら継承権の返還の件は限々まで伏せておいてくれ)
(…。本当に翔吾王子殿下のことを好くは思えませんね)
(気が合うじゃないか。…いざという時は残している私の翼に声を掛けてくれ、彼らは非常に優秀だからね)
「それじゃあね、口うるさい宰相殿。病には気をつけるんだよ、くくく」
勝ち誇ったような表情で翔吾は足早に消えてゆき、宰相は大きく大きく溜息を吐き出すのであった。
―――
初夏の日陰で翔吾は人目がないのを良いことに、欠伸をしてはうつらうつらと舟を漕ぎ始める。
(素楽を連れてきたのは失策だったか、どうにも面倒事と縁がありそうな風だ。なにもないならそれに越したことはないのだが…。しかし…眠くなる陽気だね、ここ暫くは移動やら戦やらで腰を落ち着けられなかったから…ふぁ)
居眠りを始めて少し経った頃合い、居室には子供の竜人が三人、世話役を引き連れて姿を表す。
「叔父上が寝てるぞ」
「しーっ、起きちゃうよ」
「そっとしておこうよー」
活発そうな、そしてやんちゃそうな容姿で一番発育のいい子供が、御年十歳の第一王子、常磐晃徳。深い青色の髪に青紫の瞳、悪戯でもしてやろうかと言わんばかりの表情だ。
素楽と然程背丈の変わらない、愛らしい顔立ちの少女は第一王女の小夏。青に近い黒髪と青紫の瞳は父親譲りであろう事が窺える。尻尾や目元の鱗には特別力を入れて手入れをしているので、その鮮やかさには目を引かれるものがある。
三人目は末子の寿久。ややぼんやりとした相貌で父や姉と同じ髪色に、透き通るような水色の瞳をしており額から伸びる角が一番大きい。
そんな王子王女の三人、顔を見合わせては抜き足差し足忍び足で居眠りをしている叔父の姿を興味深そうに観察する。寿久に関しては物心が付くか付かないかの頃から顔を合わせていないため、尻尾を揺らしながら顔を覗き上げている。
「兄さま姉さま、叔父さまはどんなひとなの?」
「うーん…おっかない人だって聞いたな。俺は怖くないがな!」
「優秀らしいわよ、かんながそう言っていたの」
王座を狙う王弟と目されていた翔吾は、甥御姪御との関わりはそう多くない。強いていうならば小夏の世話役が木角家のかんなということもあって、何度か顔を合わせているが程度は知れる。
「怖くて優秀な人なんだ」
最初こそ声を抑えていたのだが、次第に大きくなっていけば眠りは妨げられるのが常。怖くて優秀な王弟が目を覚ませば、周囲には甥御姪御。
「…おはよう、三人とも久しぶりだね」
「おはようございます、翔吾叔父様。こんなところで寝ていると、お風邪をひいてしまいますわ」
「お、おはようございます、叔父上」
「おはようございます、叔父さま」
一度伸びをして息を吐き出せば、霧に包まれた思考が晴れる。
「良い挨拶だね。…兄上はまだ来てないのかな、それとももう何処かに?」
「父上ならまだ来ていないぞ、最近は忙しいみたいだからな」
(戦があったのだから忙しいのも已む無し、か)
時計に瞳を向ければ、眠り始めてから時一つと少し。彼が謁見に割り込んだことも考えても、伸びていることがよく分かる。
「それにしても…皆大きくなったね。私が最後に見たときなんて、こんな小さかったろう」
わざとらしく赤子ほどの大きさを手振りで示せば、三人はふくれっ面を見せる。
「そんな小さな時などありません」「そうだぞ」「うん」
愛らしい反応に、小さく吹き出して見せれば頬は更に膨らんでいく。そんなこんなで甥御姪御をからかっていれば、居室へ呼んだ張本人が姿を表す。
「父上!」「父様!」「父さま!」
きゃっきゃと足元で戯れる子供を可愛がりながら、満面の笑みを浮かべている。
「くく、おつかれ兄上、忙しそうだね」
「あぁ、どこぞの獣のせいで忙しくて堪らん。砂子や好川、あとはどこぞの祭務が尽力してくれたお陰で何事もなかったが、随分と肝を冷やされたな。貴族の子息を捕虜として手に入れたから、身代っとここで言うようなことではないか」
「そうだね、私も流石に辟易してるよ」
子どもたちも何が有ったかは理解しているのだろう。肩を竦める二人を見ては、難しい顔で見合う。
「むっ、俺はもう子供じゃないぞ」
正に子供、といった微笑ましい反応だ。
「そうかそうか、晃徳は大人か。ならば政の勉強を頑張らねばな」
勉強と聞けば風向きが変わるもので顰めっ面を見せる、勉強はお嫌いなようだ。
「例の祭務長は法元のところか?弟が世話になっているのだ、挨拶くらいしておきたかったのだが…時間はないか。顔合わせは叙勲式の時になりそうだな」
方々からの根回しと活躍により、素楽には勲章と市民権が授けられることが既に決まっている。獅子系の単一種族ではあるが、獣人国家ニーグルランドと干戈を交えていたこともあって、獣人への風当たりが強い。故に宮廷貴族らの頭を悩ませていたのだが、此度の英雄好川が後押しした影響が大きかった。
「勲章か、爵士あたり?」
「ああ、どう精査しても男爵位勲章には足りんからな、号付きの爵士勲章を与えることになる。良い号はあるか?」
「…直ぐには思いつかないね」
子供の付いていけない話を始めれば退屈そうな態度をするので、寿徳と翔吾の二人は顔を見合わせて小さく笑った。
誤字の修正をしました。 9/15




