四話③終
本の頁をめくる音とパチパチと薪の燃える音に支配された部屋。時折、響くはゴホゴホと咳き込む音。
部屋の主は素楽。やや気怠そうな表情と厚手の寝具に身を包み、トキワゲンゾウ氏の日誌を読み進めている。
「素楽様、また本を読んでるんスか、しっかり休まないと治るもんも治らないッスよ」
呆れた声色で諫めるのは奈那子。水桶と手巾を運んできた彼女は、不安気な表情で部屋の主を見つめる。
そろそろ雪でもちらつくのではないか、と思うほど冷え込み始めた晩秋の頃。
一昨日前から体調を崩し始めた素楽は、静臥にしているよう言い付けられていたのだが、どうにも暇で本を手に取っていた。優秀な薬師が母である彼女からすれば、少しゆっくりしていれば治るという認識が強い。
「読書は終わりッス。ほらしっかりと寝て、体調が良くなってから読むんスよ」
「わかった」
テキパキと世話を行い、部屋の換気や薪の追加と忙しなく働く奈那子の様子を眺めていれば、目蓋は重くなり次第に寝息を立てる。然し眠った後にも咳をしては、目を覚ましている。
医官の見立てでは、市井の子供間で流行り始めている病、とのこと。
最近は祭事の仕事で城外へ出向くことが多くなったために、感染ったのではないかと考えられる。
幸いなことに毎年流行る病で、対処法と薬も確立されているために、感染者が子供であれば重症化することが稀になっている。故に茶蔵城の者らは安堵した。
名前は七別病。七歳前後の子供が発症し対処の確立していなかった時代には
猛威を振るっており、七つで親と別れることになるため七別と呼ばれている。一度治ってしまえば二度と罹ることのないこと、成人が感染すると重症化し合併症を引き起こす可能性があることから、素楽の周囲には過去に患ったことのある者のみで固められている。
(早く良くなってほしいッスね…)
奈那子のいなくなった部屋に一人、すぅすぅと寝息が聞こえるのみ。
―――
「素楽の様子はどうだ、やはり辛そうかい?私も見舞いに行きたいのだけどね、止められてしまってね」
偶然にも部屋の近くまでやってきていた翔吾が、奈那子を捕まえて状況を聞く。そう偶然だ。
「暇そうでしたね、本を呼んでいたので没収して寝かしつけたッス」
「くくっそうか。辛い思いをしてないのならいいのだ」
安堵の息を吐き出しては、体を翻し執務室に戻ろうとする。使用人を捕まえて様子を聞くために、うろうろしていたに違いない。
「ちょっと待ってほしいッス。なんというか…うーん、違和感があるんスよ」
「違和感?ふむ、奈那子がそういうのなら聞いておこうか」
「ちょっと待ってほしいッス。何に違和感があるか………。あっ…外を見る時に、こう…眩しそうにしてたんです。曇りの日が続いてるのに、ですよ。あんな様子は初めてみました、もしかしたら目にも何か患っているかもしれません」
真面目にそう語る奈那子は、眩しがる表情を真似する。
「目か、何か有ってからでは一大事だ。私の方からも医官に告げておこう、助かったよ」
「お役に立てたなら、なによりッス。そんじゃ殿下も体調には気をつけるッスよ」
燃えるような赤髪の使用人は、一礼をしてそそくさと消えてゆく。
医務室に向かい先の話を伝えようと思えば、素楽の私室からカリカリと板を引掻くような物音。視線を下げてみれば、猫の姿をした魔物、屋住みが扉を掻いている。
「こらこら、素楽は眠っているみたいだから、起こしてはいけないよ」
黒い毛色の足先を止めた屋住みは、なーごと鳴いては二本の尻尾で扉を叩く。どうしても中に入りたいらしい。
(たしか、屋住みは悪疫を祓うとかなんとか。然し勝手に入れて良いものか)
「そんなところで何をしているんだい、翔吾坊。流石に坊でもダメなものはダメだよ」
渡りに船とはこのことか、侍女のともえが訝しむような顔をして現れる。
斯々然々《かくかくしがじか》。状況を説明すればともえは、そっと扉を開けて屋住みを部屋に入れる。
「ほら、坊は帰んな。仕事があるだろうに」
しっしと手を振っては野良猫でも追い払うように邪険に扱う。
(素楽のこと、頼んだよ、お婆)
―――
それから数日、素楽の体調が上向くことがないどころか、合併症まで患っていた。
魔眼症と呼ばれる瞳に魔力が過剰に集まる症状が現れたため、今では目を布で覆われている。この魔眼症を患った状態で、視覚の強い刺激を受けた場合に強烈な痛みを伴い失明をする可能性がある奇病だ。もしも奈那子が気付いていなければ、と考えるだけで恐ろしい。
患う人の少なさから療法が確立されておらず、目隠しと暗室を用いて光から遠ざけるのが良しとされているのみ。
こうにも重症化した原因は素楽の年齢にある。本来十七歳である彼女は体格と辿々しい話し方から幼く見られ、十歳前後だと考えられていた。
十歳前後であれば、七別病が重症化することも少なく、薬の量を多くして対応していたのだが、この対応が後手となったのだ。
みるみるうちに悪化した症状に手を拱いているうちに、年齢を聞くどころではなくなり今に至るというわけで。
暗室からは掠れた咳と魘される声が聞こえる。
光の届かない暗闇の中、起きているのか寝ているのかも曖昧な素楽は、松野へと思いを馳せる。
(…みんな元気かな。…茶蔵と松野は季節が一つズレてるみたいだから、そろそろ春になるんだろうなー…。徹兄ちゃんと梢恵の結婚式に行くこともできないし、美好義姉様が困ったら手を貸す約束も果たせないかもしれない…)
楽しみにしていたことを思い起こしては、諦念が押し寄せて心を翳らせる。
咳のせいで喉が切れ衣服には血が染みとなる。喉が痛むため、咳を抑えようとしても意味はない。
「ケホッ…うぅ」
扉の開閉音と足音、誰かが入ってきたのだろう。目を覆われてからは誰の顔も拝めていないため、素楽の寂しさが増幅しつつある。
(誰だろう奈那子かな)
寝台を取り囲むように貼られた天幕の布擦れと椅子に腰掛ける音。
「素楽…」
苦しそうなつぶやき声の主は翔吾だ。最初こそ感染させるのは悪い、と止められていたのだが、ここ最近は日に数度時間を割いて足を運んでいる。
鱗に覆われた四本指の手で、手を動かせば彼が手を握る。
(君は白烏そのものではないのだから、建国のお伽噺など再現しないでくれ素楽…)
虹鱗皇の知友たる白烏は短命だったと語られている。病か寿命かというものは、当時では判別が困難であったので不明とされているが、ある朝に虹鱗皇の許で安らかに眠りについたとのこと。故に肥沃の大地へと導いた白烏は、竜人たちの発展を目にすることはなかった。
甚く悲しんだ虹鱗皇は嘴磨の根本を墓とし埋葬するのだが、その際に多くの烏が埋葬式に現れ頭を垂れたのだという。この事を元に作られた常磐王家の紋章は、白烏と烏の姿が描かれている。
暗闇で誰の目にも止まらない翔吾の表情には、沈痛の色に染まっている。
(…翔吾様の手、震えている。心配かけちゃってる、よね。……弱気にもなっていられないなー)
精神的に滅入っているだろう彼の手を、力なく握り返しながら口を開く。
「……………。………………ゴホッゴホ」
掠れていて聞き取ることすら敵わない声。無理に声を出そうとしたせいか、咳き込んでしまい血の混じった唾が飛ぶ。
「どうした素楽、苦しいのかっ。くっ、医官を呼んでくる、だから…」
力を込めすぎないように手を握り、素楽の頭を撫でた翔吾は席を立ち外で待機していた医官を呼ぶ。
(…余計に心配させちゃったなー…ごめんなさい、翔吾様。……早く治して皆を安心させてあげないとね)
儘ならないものだと思いながらも、諦念を振り払い再起への意思を強く灯す。
―――
「素楽様の体調ですが、徐々に上向きつつあります。魔眼症にも落ち着きが見えており、このまま順調に進めば近い内に、また元気な姿を見ることができると思われます」
仄かに喜色帯びる医官からは喜ばしい報告があがる。
「そうか…そうかっ」
崩れるように椅子へ凭れかかった翔吾は、だらしない表情で安堵する。七別病を患ってから凡そ二十日、生きるか死ぬかの状況を低空飛行していたのだ、心労が積み重なるというもの。多少の態度を崩すくらいは、誰もが見逃すだろう。
「……七別病と魔眼症のどちらか、もしくは両方の後遺症は避けれない、と思われます」
「…それは…仕方ない、ね。命を拾えるだけ重畳といえる。君、いや君たちには苦労をかけるが、素楽の病が完治するまでよろしく頼むよ」
「はっ、承知しました」
執務室から退室する医官と入れ替わりに、屋住みが入室する。なーごと鳴いては翔吾の机に飛び乗っては、大欠伸をして眠りだす。
「長靴じゃないか、今まで何処にいたんだい?素楽の部屋にもいなかったみたいだけど」
図々しく寝息を立てる屋住みに問うた所で返事はなく、首元を軽く撫でると気持ちよさそうに伸びる。
「病を祓ってくれたのかな?それなら嬉しいのだけどね。……でもここは邪魔だね」
退かすのは忍びないので、空いた場所を選んで仕事に手を付ける。
「然し、いくつなんでしょう。十かそこらにしか見えないのですが」
「十四くらいでしょうかね、成人に近いから病状が悪化したのでしょう。殿下はどう思われますか?」
「そのくらいだとは思うけどね。…素楽が前に、政務官の見習いをしていたようなことを言ってたんだ、だから成人している可能性も大いにあるんじゃないか?」
不慣れな言葉での説明に要領を得ない部分があるため、彼なりに噛み砕きつなぎ合わせた内容を述べる。
「そんな話は聞いていないのですが…」
「いや、うん、今の今まで忘れていてね」
「種族的に小柄、という可能性がありますね。そうなると最早年齢を推測するのは難しいでしょう。…それにしても政務官見習いですか、他には何と?」
重忠の興味深そうに尋ねる。優秀な人材は確保できる内に確保しなければ、他所に取られてしまう。言葉こそ不慣れではあるが、能力が確かならば教育次第ではいくらでも戦力になる。故に興味津々。
「親が君たちのように、政務の補佐か腹心のような立ち位置で、その手伝いと言っていたかな。だから、前に話した市井での組織的ななんでも屋は、物見のような意味合いがあるのかもしれないと私は思うんだ」
思い出し序に自身の推論も述べる。重忠と直之は、なるほど、と考え込みはじめる。
(貴人の娘というのは確定でしょうか、そうなると祭事部は欲しがるでしょうね。嫌々祭事の仕事を行っている訳でもなく、自ら進んで職務に励んでいるので、無理繰り手に入れることは考えられませんが…。虫が寄ってきては困りますからね、晴子を経由して中央魔法部も巻き込みますか。アレらも『マドウグ』には興味を示すでしょう)
(何れ私の後釜として殿下の腹心か、それ以上の相手として欲しいですね。法元翁は心配ないでしょうし、むしろ手を貸してくれるかもしれません。となると障害は…宰相の若造と虫共ですかな。木角女史と息子たちに助力を頼みましょうか)
(これだけの情報を与えたんだ、二人共上手く立ち回ってくれるだろうね。悪いけど利用させてもらうよ。……これほどに執心するとは、思ってもみなかったな。彼女が帰れるようになったら、突然に帰ってしまったら私は心から祝ってあげられるのか不安だな)
三者三様、それぞれの考えは胸の中に。
第二編四話は以上です。
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